1. その夜、太一が眠ってから聞いてみた。新選組とは何なのかと。そして、あの男の叫びは自分に向いていたことを伝えると、父親は驚きながらも答えてくれた。

    「もしかしたらお前さんのことを知っているのかもしれんな。しかし、とても旧知の仲には見えへんかったが…。新選組ちゅうんは一口に言っちまえば京の市中を見廻る浪士集団。悪い噂ばかりが飛び回っとるが、俺はそこまで嫌ってへん。ちっと前に浪人に絡まれた時にゃ助けてくれたし、悪人ばかりじゃあねえよ」

    そうは言われても街の人達の反応を見るに、善人と思っている人間は明らかに少数だろう。

    しかし、これは記憶を取り戻す糸口に違いない。手繰り寄せなければ、二度と機会は巡ってはこない気がする。いけない、まただ。『気がする』という言葉は、この半年ずっと私の言葉の裏に付き纏った。
    思い出さなければならない気がする・・・・。生きたいと思う気がする・・・・
    これでは駄目だ。記憶が無くても常に"自分"を持っていないといけない。

    たとえそれが思い出さなければよかったと後悔するような記憶でも、取り戻す。誰かに言われたからではなく、自分自身の意志で。

    「私、新選組の屯所に行きます。あの人が私について何か知っているのなら聞きたいです」
    「そうか…、分かった。ただし、どんな話を聞いても一度この家に戻ってきなさい」

    真っ直ぐ目を合わせて頷く。初めて・・・自分の意志を主張した。それを尊重してくれる相手がいる私は、これ以上ない程に恵まれている。記憶が戻っても、ここでの出来事は私の糧になるに違いない。
    教えられた優しさも知恵も、その全てが私の一部となる。だからこそ、この家族にはいくら感謝をしても足りない。貰ったものを、今度は大切な誰かに与えられる側になれたらと強く思った。

    −−−−−

    目標が決まり、ほんの少し心が軽くなった。いつも通りに後片付けをして、布団の中で目を閉じる。一日の間に色々なことが立て続けに起きた所為で、すぐに眠気が襲ってきて、抗うことなく意識を手放す。

    次に目を開けると外だった。寝ぼけているのかと思ったけれど、どうやら違う。
    私は田舎道の真ん中に立っている。周りの景色に見覚えはなかった。記憶に新しい太一と歩いた道ではない。立ち止まっていても仕方ないので歩き出す。誰とも出会わぬまま、点々と家屋が見えるだけの道を進んだ。

    なるほど、これは夢か。ならばこの状況も不思議ではない。しかし、こんなにも退屈な夢は初めてだ。早く醒めてはくれないだろうか。足が悲鳴を上げ始めたので草の上に寝転がる。

    「蛍?」
    「うん、山に沢山いるんだ!見に行こうよ!」

    青空をぼんやりと眺めていたら声が聞こえた。
    子供が二人。少年と少女が並んで歩いている。
    これは夢なのだ。それなら、ここで起こることは失った記憶と何か関係があるかもしれない。淡い期待を胸に話しかけようと近づいたが、二の足を踏むことになった。
    少年の顔には見覚えがある。一体いつ、と記憶を辿りかけたけれどそれも一瞬。そう、時間にしてほんの数刻前のこと、太一が金平糖を強請ったときに垣間見たのだ。
    間違いない。今の・・私にはあの少年が誰なのか分からないけれど、私は彼を知っている。
    それは、先ほど抱いた期待が現実となったことを示していた。やはりこの夢は私の記憶を刺激するものらしい。心臓がざわめき立つ。胸を高鳴らせながら再び歩を進めると、視線が少年のそれと絡まった。

    「は……、、え?」

    思わず間抜けな声が漏れる。たった今まで眼前に広がっていた景色が一変した所為だ。少年はおろか畑すら視界から消え、気づけば古い木造の家屋の前に立っていた。

    状況を飲み込めず一瞬呆然としたが、『これは夢』だと改めて言い聞かせる。しかし折角の機会がこうもあっさり無かったことになると落胆してしまう。
    夢なのだから、もっと自分に都合の良いようにならないものかと溜息を吐く。
    気を取り直し、きょろきょろと人影を探していると、木と木がぶつかり合う音が鼓膜を揺らした。

    「今度はなに…道場?」

    縦格子の隙間から木刀で打ち合う人達が見える。十人はいそうだ。煩くて耳を塞ぎたくなるような音なのに、ずっと聞いていたいと思うのは何故だろう。
    横顔を流れ見て、はっとした。その中にまたも知った顔がいる。新選組の、私に向かって叫んでいた赤茶色の髪を持つあの男だ。やはり、と言うべきか先の少年同様に彼もまた失った記憶の一部ということ。

    とりあえず接触を試みようと、入り口を探して壁伝いに歩き、角を曲がろうとして留まる。打ち合う音に紛れて話し声が耳を掠めた。内容まで聞こえる筈はないのに、周りの雑音が消え、話している二人の声だけが残る。前言撤回、夢とは便利なものだ。

    「名前が京に行かないって、あの子がそう言ったんですか?」
    「ああ。あいつは一度決めたらてこでも動かないからな。沖田君にも言っていなかったか…」
    「僕は近藤さんと共に行きます。でも名前を嫁に出すのだけはやめて下さいね、誠志郎さん」
    「ははは!ああ……、あいつの幸せは沖田君の隣にあるだろうからな。君ならきっと生きて名前の所に戻って来られる。俺とは違う。俺は君のように剣の才に恵まれてはいない。あいつまで兄貴の悪足掻きに付き合わせるわけにはいかないさ。妹を、名前をよろしく頼むよ」

    顔は見えない。話している事についても身に覚えがない。それなのに、どうして。どうして私は泣いているのだろう。器の水が溢れるが如く、ぽろぽろと涙が落ちていく。
    今すぐ駆け寄って、縋り付きたくなる。こんな感情は知らない。目をぎゅっと瞑って、声が漏れないように努めるしかできなかった。ずっとこのままがいいと思う。それなのに、早くこの時間が過ぎ去ってほしいとも思う。
    相反する気持ちの狭間で、その声が私を現へと引き戻す。

    「−−え!白姉!!」
    「……た、いち。そっか、夢…」
    「どうしたんだよ!?怖い夢でも見た?」

    私よりも遥かに狼狽た様子の太一。大人の女がぼろぼろ泣きながら寝ているのだから、当たり前か。すでに半泣きになっている太一を再度寝かしつける。暫くして規則正しい寝息を立て始め、一先ず胸を撫で下ろした。

    「(予感が確信になっちゃったな…。やっぱり確かめに行くべきだよね。沖田君"と“誠志郎さん"が誰なのかも知りたいし、迷っている時間が惜しい。明日にでも行こう)」

    −−−−−

    よく晴れた二日後、私は京の街への道を一人歩いている。太一がどうして一人で行くのかと駄々をこねて宥めるのに苦労した。
    もし誰かと一緒に行けば、否応なしに新選組と対面させることになる。新選組が私にとって善なのか、悪なのか分からない状況で連れて行くわけにはいかない。仮に私が新選組から追われる立場であったら、太一達も捕まってしまうかもしれない。だから、行くなら一人でと決めていた。

    街へ着いたはいいものの、どうしたものか。直接屯所に出向くか、それとも市中を見廻っている時を狙って声を掛けるか。
    そう考えて気づいた。馬鹿か、私は。そもそも新選組の屯所がどこか知らない。自分の至らなさに頭を抱える。正直、街の人に屯所の場所を尋ねるのはなんとなく気が引ける。そう、なんとなく。

    甘味処でみたらし団子を頬張りながら溜息を吐く。夕刻には帰らなければならないのだから、四の五の言っている暇はない。

    道行く温厚そうな人に尋ねるとすぐに分かった。考える素振りなく、すんなり答えた様子を見るに新選組はやはり有名・・らしい。
    場所は西本願寺。まさか寺に腰を落ち着けているとは思わなかった。浪士隊ではなく僧侶隊なのか。浅葱色の羽織姿の坊主集団を想像して笑ってしまった。

    暫く歩いて。着いた、着いてしまった。思ったよりもずっと広く、立派な寺で畏縮してしまう。迷う心に鞭を打ち門をくぐる。境内で掃き掃除をしていた女中に声をかけた。

    「すみません、こちらは新選組の屯所で間違いないでしょうか?実はお会いしたい方がいるのですが」
    「はい、どなたに御用でしょうか?」
    「ごめんなさい、名前は聞いていなくて。変わった髪色の美丈夫…って、これじゃ分からないですよね」
    「変わった髪の色、ですか」
    「おーい、ちづ…る、っお前!今までどこ行ってやがった、俺達がどんだけ心配したと思ってんだ!おい、聞いてんのか、名前!」

    隊の先頭にいたその人物は大股で歩み寄り、私の腕を思い切り掴んでそう捲し立てた。
    なんだ、全然違う。その言葉や態度に怒りの感情は感じない。『心配した』という言葉も、腕を掴む手もむしろ優しい。緊張の糸が緩んだことで目的を忘れそうになり慌てて言葉を紡いだ。

    「"名前"というのは私の名前ですか?」
    「なに、言ってやがる……冗談だろ?」
    「いいえ、私にはここ半年の記憶しかないのです。貴方は私のことをご存知なのでしょう?どうか教えて下さい、私が何者なのかを」

    静かな境内に私の声が響く。強く吹いた春風に桜が舞う。ほんの僅かな沈黙。
    男は動揺し、傷ついたような顔をした。記憶が無いことで誰かを悲しませるのは初めてのことだからだろうか、気持ちが沈む。でも、嘘は言っていない、やましい事もない。だから目は逸らさなかった。傍に立つ少女と後ろに控えていた隊士に男が告げる。

    「千鶴は近藤さんと土方さんに、お前らは幹部連中を捜して俺の部屋に来るように伝えてくれ。総司は俺が呼んで来るからいい」

    再び腕を掴まれ、歩き出す。
    呼んでこいと男が言ったいくつかの名前に聞き覚えはやっぱりない。ふと目を向けた男の左腕が震えていて、胸が締め付けられる。自分の気持ちを優先して、その結果誰かを苦しめるなんて考えもしなかった。
    良心の呵責を感じて、気付かれないようにそっと『ごめんなさい』と呟いた。
 - 表紙 -