1. 家までの道のりを歩きながら、色々な話を聞いた。原田さん達から聞かされたよりも幼い頃の話。私が彼と会ったのは十歳の頃。少し誇張されているのかもしれないけれど、どうやら私はかなりの捻くれ者だったらしい。

    ふと、気づく。話を聞く中で『総司』と名前を呼ぶ度に子供みたいに嬉しそうにする。京で恐れられている新選組の組長だなんてとても思えない。彼はどんな風に人を斬るのだろうか。笑って?それとも表情無く?そう聞いたら何と答えるのか。

    街を抜け、田舎道。遅くなった足取りに、右隣を歩いていた総司も足を止める。半歩先で『どうかしたの』と言う顔でこちらを見ている。

    彼と話がしたいと、土方さんにそう言った。それは沖田総司を知りたいということ。
    聞け。知りたいのは、彼の綺麗な所だけじゃない。ただ傍にいるだけでは、残虐さは見えない。自分が人を殺すところなんて、きっと見せたくないだろうことは想像に難くない。それは私も同じだから、よく分かる。決して美しくない一面なんて、大切な人には知られたくないに決まっている。それでも−−、

    「貴方は、どんな風に人を殺すの」

    途端、空気が変わる。さっきまでの柔らかい雰囲気は見る影もなく。首元に真剣を突きつけられたような感覚。凄まじい剣圧だ。近くの木にいた鳥が堪らず飛び立つ。

    「……それを聞いてどうするつもり?」

    これでもきっと本気じゃない。斬るべき相手と対峙したときは、今とは比べ物にならないくらいなのだろう。春なのに寒さを感じるほどの冷たい気配。足が震えて、座り込みそうになるのを何とか堪えて口を開く。

    「傍にいれば、いつかきっと貴方が人を斬る姿を見ることになる。そのときに冷静でいられるように、心構えっていうのかな……ごめんね、うまく言えない。たぶん、本当はただ知りたいだけ」

    "知りたい"のか、"知らなければいけない"のか。前者ならば本心、後者ならば義務。希望を言えば、この気持ちが本心ならいい。こんな中途半端なままではいけないのに、記憶がないことを言い訳にしそうになる。はっきりと本心だと言えないのは、私が臆病だからなのに。

    「名前は、僕が怖い?昨日、最初に会ったとき言ったよね、そんな僕は知らないって。君には記憶がないんだから、以前の僕がどんな人間だったか知らないのに」

    無邪気に、無意識に、傷付けた。忘れてくれればいいと思ったけれど、印象的な言葉ほど記憶からは消えない。そう、言った方より言われた方がよく覚えているものだ。吐いた私が一言一句を記憶しているのだから、総司が忘れるわけない。

    「…怖いよ。私に触れるその手で人を斬るのかと思うと凄く怖い。手を伸ばされると震えそうになるもの。だから、土方さんの前では謝ったけど訂正はしない。それでも……貴方の傍にいる。怖くても、それ以上にずっと愛しいから」

    これは、本当。貴方が私に手を差し伸べる度に昨日の光景が蘇る。血の臭いも、さっきの剣圧も、思い出すと情けないくらいに、足がすくむ。それなのに、私にはとても優しいから、そんな貴方がどうしようもなく愛しいから。

    「ふっ、あははは!やっぱり名前だなあ…。不思議だよね、記憶がないのにさ。きっと君ならこう言うだろうなって、その通りに答えてくれる。どうしたって名前は名前のままだ。ねえ、今から僕の望みを言うから聞いてくれる?」

    まさか笑われるとは思わなかった。何が、どこが、可笑しかったのだろう。その顔はあまりに楽しそうで、さっきまでの、ぴりぴりとした空気はない。その目元には涙すら浮かんでいる。困惑したまま、こくりと頷く。

    「無理して受け入れたりしなくていい。僕のこと、怖いままでいいから。名前が人を斬る僕を否定してくれるなら、僕は人のままでいられる。鬼に堕ちそうになっても繋ぎ止めてくれる。拒絶されるのは、ほんの少しだけ寂しいけどね」

    切なそうに笑う。空みたいな人だなと思った。陽だまりの様に優しい。その反面、荒れ狂う嵐の如き一面を持ち、あの剣圧は静まり返った夜の空。

    「君はどんなに僕が怖くても、頼めばきっと抱き締めてくれる。今までずっとその優しさに甘えてきたけれど…一緒に地獄へ堕ちる優しさはいらない。僕は、地獄じゃなくて現世ここで君と生きていきたいから」

    そして今は夕陽のように、綺麗なのに胸が苦しくなる。触れたいのに、とても遠く感じる。

    「お願いって一つじゃなかったの。それに、凄く注文が多いじゃない」

    仕方ないなと笑ってみせれば、今度は夏の空みたいに微笑む。傍にいること。それが貴方を人たらしめる理由になるのなら、そうしよう。恐怖と愛情を共に胸に抱きながら、心に決めた。

    −−−−−

    日が沈む。立ち止まって話し込んでいたから、全然気付かなかった。総司に手を引かれ、少し早足で進む。

    「白姉!!!」

    その声に慌てて姿を捜す。日が沈みかけた道の先で、小さな影が手を振っている。息を切らせた太一が転がる様にかけて来た。

    「遅いよ!心配した!」
    「うん、ごめんね。…ただいま」

    頭を撫でてやると、すぐに手を引かれる。どうやら隣にいる総司のことは見えていないようだ。そのまま引きずられるように家まで行くと、夫婦も私に駆け寄って帰還を喜んでくれた。

    父親に是非お茶でもと薦められて、きょとんとした総司が面白い。泣く子も黙る新選組にお茶を出すとは思わなかったに違いない。ともあれ私はこの後、自らの素性や過去を彼らに話さなければならない。お茶はまた今度にしてもらおう。三人には先に家に入ってもらい、総司を見送る。

    「送ってくれて、ありがとう。土方さんが半月に一度なら会ってもいいって許可してくれたの。総司も頼んでくれたんでしょう?次はお団子でも食べに………総司?」

    返事がない。覗き込むように顔を見れば、何故か不貞腐れている。全く心当たりがないから狼狽てしまう。もしかして団子が嫌いなのかと見当違いなことを考えるくらいに。

    「平助の次は子供か…」

    平助とは。記憶を辿り、それが藤堂さんのことだと分かっても総司の言葉の意味が理解できない。一体何が不満なのだろう。ちらっと私を見てくるけれど、申し訳ないが全然予想がつかない。

    そんな私に業を煮やしたのか、目の前までやって来て、ほんの少し身を屈めた。何をするでもなく目を合わせる。暫しの沈黙。

    「ほら、早くしてよ。平助やさっきの子にもしてたじゃない」

    そんな、まさか。行き着いた不機嫌の理由に絶句してしまう。私が藤堂さんと太一双方にした行為はひとつだけ。信じられぬ心待ちのまま、ゆっくりとその髪に指を通す。ふわふわとした猫みたいな細い毛。何回か左右に手を動かして撫でる。ぱっと手を離せば、今日何度も見た顔。目を細めて、満足そうに笑って総司が言う。

    「ちょうど半月。その日の朝に迎えに来るよ」

    ヒラヒラと手を振り去っていく。その後ろ姿に何も言えなかった。切なかったからじゃない。
    私は今、誰にも見せられない顔をしている。座り込んで両手で顔を覆えば、伝わってくる頬の熱。まさか、太一にまで嫉妬するとは思わなかった。頭を撫でるだけであんな顔をするなんて。
    自分で傍にいたいと言っておきながら、これは…ひょっとすると、とてつもなく前途多難なのではなかろうか。以前の私はよく耐えていたものだなと敬服する。

    迎えてくれた太一達に様子が変だと言われ、誤魔化すのに苦労した。一緒に眠ると言って聞かない太一を寝かせ、夫婦の前に座る。

    二人に今日聞いたことを洗いざらい話した。私の名前、生まれ、どうして川岸で倒れていたのか。そして、私が人を殺したこと。

    「…よく帰って来たね。そう、お白の本当の名前は名前と言うんかい」
    「それで、お前さんはどうしたい?これからもここで生きていくのかい?」

    ああ、また…。土方さんも総司も言っていた、私は生意気で意地っ張りだったと。そんな私が、この人達の前では容易く、素直に、自分の気持ちを吐ける。たった半年、されど半年。色濃く、かけがえのない時間。

    幼い頃に死んだ両親のことは勿論、復讐に手を染めるまでに慕っていたであろう兄のことすら憶えていない。兄も、この家族のように温かい人だったのだろうか。

    「一緒にいたいと願う人がいます。記憶が無くても、傍にいてほしいと言ってくれた人がいるんです。彼が行く所なら私はずっと付いて行きます」

    二人は言葉短かに『そうかい』と言って笑った。その顔には悲しみは無く、上手く言えないけれど親鳥が雛の巣立ちを見守るような眼差しだった。

    この門出は、私という人間の二度目の誕生なのかもしれない。ずっと同じ一本道を歩いて来たけれど、そんな気持ちがした。

    総司の傍にいる。それはつまり、この家族と過ごす時間に終わりが来るということ。夫婦はもちろん、太一とも離れる日がやって来る。新選組がこれからどうなるのかは分からない。日々移り変わる情勢に、彼等だけでなく私の行く末も左右される。もしかしたら、別れの時はすぐそこかもしれない。

    だからこそ、立ち止まっている暇などない。総司のことをもっと知りたいし、これからの為に剣も少しは振れるようになりたい。そして、この家族にできる限りの恩返しを。今までにないほど、やる事が山積みでも、気持ちは上向きだ。これからの日々が待ち遠しくすらある。

    私は決して浅慮な人間ではない。これからきっと直面するであろう傍にいることの難しさを、それによって受けるだろう傷の大きさを、考えていないわけではない。ただ、それらを憂う暇があるのなら、やるべき事をやった方がいいに決まっている。どんなに困難で、どんなに傷付いても、私はきっと彼の傍にいることをやめられる筈がないのだから。
 - 表紙 -