1. ※沖田視点。時系列は拾伍話〜拾陸話です。

    次の日。朝の巡察から帰って、名前を捜す。千鶴ちゃんに聞いたら土方さんの所らしい。まさか、名前に余計な事を吹き込んでるのかな。本当にお節介。必要以上に関わるなとか、僕の体調の事とかぺらぺら話してないといいけど。

    土方さんの部屋の前。近藤さんと名前と、何故か平助がいる。そして、名前の手が平助の頭を撫でた。その光景がゆっくりと僕の目と頭に刻まれる。胸に黒い感情が渦を巻き出す。そこは僕の場所だった筈だ。昨日は泣き顔しか見せなかったくせに。幾つもの"どうして"が浮かんできて心を覆う。大事にしたいのに、泣かせたくないのに、心を飼い慣らすことができない。君が傷つくと分かっていても、責める言葉を吐きそうになる。

    以前なら、君にとって僕は特別だという確信があった。自惚れじゃなくて、態度で、表情で、その一挙一動から伝わってきた。ましてや頭を撫でるなんて、そんなの僕以外にしたことないのに。ピリっとした空気で初めて自分の殺気に気がつく。

    僅かに漏れたそれに近藤さんが反応して、こっちに目を向ける。僕を認めて柔らかく笑う。それに比べて自分があまりに子供みたいで笑い返すことができなかった。

    「帰りは僕が送るから」

    言葉短かに言って手を取った。さっきの嫉妬の所為で込めそうになった手の力を慌てて緩める。門まで歩く途中、桜の横を通りながら思う。名前の手はこんなに小さくて細かったっけ。昔は同じ背丈で、同じ歩幅だった。いつのまにか図体ばかり大きくなって、笑っちゃうよね。

    いくら背が伸びたって、僕が君にできることが増えるわけじゃない。僕は誠志郎さんにはなれない。冗談を言って、隣にいるだけしかできない。僕にできるほんの少しを捨てて、君を置いていった。どんなに剣術を磨いたところで、傍にいずに守れるわけないのに。
    結局、僕の預かり知らぬ所で復讐にまで手を染めさせた。僕の所為じゃないと君は言うだろう。それでも傍にいたかった、名前の為ではなく僕の為に。人殺しなんてして欲しくなかった。本当、後悔先に立たず。

    −−−−−

    何も言わずに、手を引かれるまま、半歩後ろを歩く名前を振り返る。その視線がひらひらと舞う花弁を追う。それを見て思ったことが、幼い頃と同じで笑みが溢れる。繋いでいた手をほどいたら、慌ててこっちを向いた君がとても愛しい。

    −−僕だけを見て、名前を呼んで
    「名前。僕の名前、呼んで」

    自分でも情けない顔をしているのが分かる。でも、繕うことはしない。名前は僕がどんな無様な姿を晒しても見限らないと、仕方ないなって笑ってくれると知っているから。だらん、と落ちた僕の手を名前の両手が掬う。

    「−−−総司」

    目頭が熱くなる。負けん気だけは一人前……の筈だったのに、涙が溢れないようにするので精一杯だ。名前がより強く僕の手をぎゅっと握った。

    よく根性曲がりだとか、天邪鬼だとか言われる。でも僕は存外、単純な人間だ。言葉一つ、そう名前を呼ばれただけ。たったそれだけで、こんなにも幸せな気持ちになる。胸の真ん中がじわり、と熱を持つ。ほろほろと崩れていた穴が満たされていくのを感じる。

    なんだ…、僕はちゃんと人間じゃないか。少なくとも名前の前ではそうだ。たった一人に恋焦がれて、振り回される。それが何だか嬉しくて、久しぶりに心から笑った。

    −−−−−

    夕暮れの道を名前と歩く。どこか距離のある話し方を指摘したら、目を丸くして頷いてくれた。幼い頃の話を沢山して、相槌を返す君に名前を呼ばれる度に嬉しくなって。

    「また、蛍を見に行こう。あと、金平糖も食べなくちゃね」

    少年の頃に戻ったみたいだ。話題が尽きない。夢中になって話す僕の横で名前がくすくす笑う。幸せだなあ、と思った。ほんの一時だけの至福の時間。これからの自分の行く末を悲観することのない、こんな気持ちはいつ以来だろう。

    名前が不意に立ち止まって、僕を見つめる。少し考える素振りをして、迷ったのもほんの一瞬。すぐに意を決したように口を開いた。

    「貴方は、どんな風に人を殺すの」

    華やかだった気持ちが沈んで、直後には全身から溢れ出す剣圧。それでも名前は逃げない。それを聞いてどうするのか尋ねれば、怯えながらも答える。その声は予想よりずっと凛としていて笑いそうになった。

    「…怖いよ。私に触れるその手で人を斬るのかと思うと凄く怖い。手を伸ばされると震えそうになるもの。だから、土方さんの前では謝ったけど訂正はしない。それでも……貴方の傍にいる。怖くても、それ以上にずっと愛しいから」

    新選組の剣であることは僕の誇りだ。近藤さんが必要としてくれている証拠だから。でも、名前には剣客として僕を欲してもらいたい訳じゃない。『一人の人間として傍にいて』と言ってほしい。

    見ない振りをしてくれればよかったと、血に塗れた僕を見ないでほしかったと思う。それなのに、心のどこかでほっとした。君が僕を怖いと感じることが悲しいのに、同時に安心した。綺麗な所だけを切り取って盲目的に愛してくれるより、たとえ怯えながらでも僕の全部を見てくれる方がいい。そんな君を見る度に、人でありたいと思えるから。きっと、名前の存在が僕を人に繋ぎ止める楔なんだ。

    君が隣にいるなら、僕は人としてこの生を全うできる。そして新選組の剣としての役目が終わったら、君の為だけに生きていける。現世ここで、唯の沖田総司として。
    そう包み隠さず打ち明ければ、名前はまた仕方ないなと笑った。その顔が誠志郎さんそっくりだと言ったら、怒るかな。

    −−−−−

    名前を送り届けて、ひとり帰路に着く。最後に撫でてくれた頭を自分で触れてみる。子供みたいな嫉妬心。ちゃんと言葉にするまで見当もつかない様子だったな…。分かってはいたけれど、僕は大切なものにはとても執着する性格みたいだ。

    昨日の今頃は、絶望に打ちひしがれていたのに。道行く足取りは軽く、胸は幸福に満ちている。そんな気持ちに水を差すような影。

    「っ、こほっ、ごほっ…げほっ!」

    息苦しさが襲って来る。咄嗟に口を覆い、片手で掬える程度の血を吐き出す。目を瞑って呼吸を整える。赤く汚れた右手をぎゅっと握った。

    「はぁ……、いつまで隠し通せるかな。折角逢えたのに、僕に残された時間は多くない」

    恨む相手がいれば楽だったのかもしれない。どうして自分なのか。幾度もそう叫んだけれど、返事はない。これが沖田総司の運命さだめなのだと言われているみたい。でも生憎、諦めは悪い方なんだ。邪魔はさせない。

    −−−−−

    「あれ、どうしたの一君。お出迎え?」
    「どうやら拗れずに済んだようだな」

    思わぬ言葉に驚く。いつも通りの無表情で何を言い出すかと思えば。そういえば、一君と名前は意外に仲が良かったっけ。だから心配してるのかな、なんて考えて。僕は本当、優しさを正面から受け取るのが苦手だな。

    「相手は名前だよ?そこらの女の子じゃない」

    当然だと得意げに笑い飛ばす。一君も僅かに口角を上げた。自然にその右隣に並んで歩き出す。ついでに、ずっと聞きたかったことを尋ねてみる。

    「ねえ。一君はいつから名前が京にいるって知ってたの?」
    「…池田屋の騒動の後だ」

    ああ、初めて血を吐いたあの時か。つまり、随分前から知ってたんだ。それなら、どうして。

    「どうして、僕に教えてくれなかったの?一君の事だから名前が何をしようとしてるか分かってたでしょ」

    教えてくれたら、復讐なんかさせなかったのに。すぐに飛んでいったのに。無意識に語気が強まる。名前は戻って来たんだから水に流せばいいのに、止まらない。

    「…苗字にとって譲れないものだったからだ。力尽くで止めることはできただろう。だか、俺が同じ立場ならばそれは望まん」
    「……やっぱり僕には、一君みたいに考えることはできないや。たとえあの子の望みでも、僕は止めた」

    そう言えば、目を伏せて『そうか』と呟いた。相手の立場に立って考えるのは難しい。でも、その方が名前は喜ぶのかな。足を止めた僕を置いて、一君はすたすた去っていく。
    たとえ人を斬ったとしても、僕があの子を嫌いになることはない。だけど知っているから、殺人で胸の穴が埋まることはないと。

    「なんて、今更あれこれ言っても仕方ないよね。大事なのは、これからどうするか。僕より復讐を取ったことは少し悔しいけれど、次は僕だけを選んでくれるように生きなくちゃ駄目だよね…」
 - 表紙 -