- 「こんなに高いなんて…」
思わず呟いた私に、店主が顔を顰める。それはそうだろう。女が来るような所ではない。おまけに値段にケチをつけるような物言いをすれば、そんな顔にもなる。しかし、これでは全く手が出ない。ぐぬぬ、と奥歯を噛み締めた。
目の前には何本もの刀が並んでいる。斎藤さんに指南を頼んだものの、私は刀を持っていない。真剣でなくとも木刀や竹刀でも稽古はつけてもらえるだろうが、遅かれ早かれ手に入れておきたい。京へ来たときは兄の刀を持っていたらしいが、それも今や水の中だと聞いた。もう少し考えよう、と溜息を吐いて背を向ける。
「おーい、名前!」
「……あ、藤堂さん」
腕をぶんぶん振りながら駆け寄ってくる。失礼ながら、斎藤さんと同い年にはとても見えない。羽織を纏っていないところを見るに、巡察中ではないようだ。そういえば彼にはまだ、この前の謝罪をしていない。近くまで来て、私が眺めていた刀に目を向けて首を傾げる。
「刀?」
「あの、少し話を聞いてもらえませんか?」
「……お、おお!いいぜ!」
何故、吃るんだ。私の提案に驚いた様子で彼は答えた。近くの茶屋に入り、団子を注文する。まずは、この間の謝罪だ。
「この前はすみませんでした。まだ謝罪をしていなかったので」
「別に謝ることじゃねえよ。総司と仲直りできたんだろ、良かったじゃん!」
団子を頬張りながら、にこにこ笑う。また頭を撫でたい衝動に駆られるけれど、ぐっと堪えて笑った。鎮まれ、私の衝動。
その後、斎藤さんに指南をお願いしたこと、刀が高価で手が出ないことを相談した。安い物と比べ、どれくらい性能に差があるのかも。
「へえ、名前が一君に…。俺は、そこまで高いやつじゃなくてもいいと思うけどな。あ、刀の事なら一君に聞いた方がいいぜ。まあ、目の色変えて話し出すからちょっと大変だけどな」
斎藤さんは刀に詳しいのか。彼から教わるのだし、そうした方がいいのかもしれない。頷いて、藤堂さんにお礼を言う。団子代を渡そうとしたら全力で拒否された、女に奢らせるのは駄目だと。歳は私の方が上なのだから、別にいいのに。まあ、奢ってくれるのであれば御言葉に甘えるが。お金の貯蓄は最優先だ。
別れ際、『刀のこと、皆にも相談してみるわ』と言われた。そこまで大事にしなくてもいいと、返事をしようとした時には、その後ろ姿は声の届かない所まで行ってしまっていた。
−−−−−
秋も深まってきて、この頃はだいぶ過ごしやすくなった。今日から斎藤さんに稽古をつけてもらうことになっている。さすがに、新選組の屯所で行うわけにはいかないので、ここまで来てもらってしまった。
「今日からよろしくお願いします!」
「ああ、早速始める。これを」
「え…あの、これは?」
渡された物と斎藤さんの顔を交互に見る。手渡されたのは刀。まだ刀を用意できていないから竹刀を持って来てほしいとお願いしたのに。
「あんたの新たな門出へ、俺達からの餞別だ。高価ではないが物は良い。試衛館の面々で金を出し合った。しっかり励め、と副長からの言伝だ」
言葉が出なかった。もしかしたら、藤堂さんがお願いしてくれたのだろうか。震える手で受け取る。掌に伝わる、ずっしりとした感覚。その質量も、込められた思いも、あまりに大きい。顔を上げたら、情けない顔を晒しそうだ。
「女への餞別が刀ですかっ…。でも本当に、ありがとう、ございます。後で団子でもご馳走しないといけませんね」
貰ったときは涙が出そうなほど嬉しかったのに、その日のうちに刀が嫌いになりかけた。分かってはいたが、斎藤さんの指導は厳しい。
「真剣を片手で扱えると思うな。利き手よりも逆の手の方が寧ろ要となる」
刀の握り方から、基本の構えなど、覚えることも多い。考えることに集中すると、体が疎かになる。逆もまた然り。
「これが、平晴眼の構えだ。総司はこの構えからの突きを得意としている」
結局、初日は満足に素振りもさせてもらえなかった。教わる前に浅くでも勉強しておけばよかったと後悔した。それにしても奥が深いというか、ややこしいというか。流派も色々あって、正直何が何やら。
「一朝一夕で身につくものではないのは分かっていましたけど…。今日の稽古で少しでも上達できたのかすら怪しいです。やっぱり才能がないってことでしょうか?」
「いや、そんな事はない。あんたは、剣術に対しては素直だ。力任せに振るうこともしない。そこまで悲観することもなかろう」
これは褒められているのだろう。だがしかし、恐らく無意識だと思うけれど、剣術に対して"は"と言わなかったか?それ以外は素直ではないと?まあ、事実なので言い返せないが、些か府に落ちない。悪気がないのがまた、この人らしいなと苦笑した。
それから数ヶ月は何事もなく過ぎ去った。ただ一つ、気になるのは総司の体調のことだ。毎回ではないけれど、咳き込む回数は次第に増えている。喉が潰れるような乾いた咳だ。何ともないと言って笑うから、問い詰めることができぬまま。こと総司に関しては、私は本当に臆病だ。この嫌な予感が杞憂に終わってくれることを願うばかり。
私の生活に変化が訪れたのは、慶応三年三月のこと。斎藤さんが新選組を離れることになった。私の稽古も続けられなくなるというわけだ。この半年で基本を叩き込まれたから、あとは私次第ということだろう。そして、総司と会うことになっていた三月十五日。太一と遊びながら待っていると、鼓膜を揺らした足音に顔を上げる。目に映った姿に唖然とした。
「よお、名前。元気そうだな」
−−原田さん。初めて会うからか、太一が私の後ろに隠れる。でも、どうして…。総司はどうしたのだろう。挨拶すら紡げない私の気持ちを察してか、明るく言う。
「総司は今日、少し調子が悪くてな。土方さんから外出禁止って言われたんだよ。で、お前が心配するだろうから俺が来たってわけだ」
「そう、ですか。……あの、お見舞いに行っては駄目ですか?少しでいいんです!」
何とか返事をしたけれど、心を覆っていた不安が大きくなる。一目でいい、一言でいい、会いたい。迫るように、そう請うた。原田さんは暫し考える素振りをして、ふっと笑って言った。
「おし、任せろ!この原田左之助が一肌脱いでやるぜ!」
−−−−−
西本願寺に着いて、総司の部屋へと案内してくれる。原田さんが、できるだけ人目に触れないように警戒しているのを感じる。それはそうだ。女の私が出入りしているとなれば、誰の客か騒ぎ立てる人も出てくる。今度は男装でもしてみようか。そうすれば、気兼ねなく総司に会いに来ることができる。
「原田、何してる」
ぎくり。私だけでなく原田さんも肩を揺らした。二人で声の方を向けば、予想通りの人物。眉間に皺を寄せて、仁王立ちでこちらを睨んでいるのは新選組の副長殿だ。弁解をしようとする原田さんを制して訴える。
「私が頼んだんです、少し会話をするだけでも、と。お願いします!総司に会わせてください!」
土方さんの目が私を捉える。正直、怖い。蛇に睨まれた蛙だ。だが、食われるのを待っているだけでは私の頼みは通らない。だから、目は逸さなかった。吊り上っていた目を細めて土方さんが息を吐く。
「ったく…仕方ねえな。いつの間にてめえの意見をはっきり言うようになったんだ。昔は問い詰めねえと吐き出さなかったじゃねえか。−−総司は俺が呼んでくる。ここで待ってろ」
安堵の溜息を吐いた。どうやら起き上がれないほど酷くはないらしい。くい、と顎をしゃくり原田さんに付いて来るように合図を送ると奥へと消えて行ってしまう。
「よかったな。俺も行くが、ここには隊士共は来ねえから座って待ってろよ」
「怒られてしまいました…。ありがとうございます、原田さん。今度お酒でもお持ちします」
肩を竦めて礼を言えば、少し驚いた顔をされる。すぐ後に眩しそうな顔でふわりと笑って。そしてまた、頭を撫ぜられた。
原田さんが去ってから、言われた通りに座って待つ。澄んだ秋空をぼんやり眺める。総司は何と言うだろう。体調のことを聞いたら答えてくれるだろうか。触れられたくない部分は誰にでもある。大切な人ならば、尚更。いくら私が図太くても心にズカズカと踏み込むような真似はできない。
「待ってください、沖田さん!」
その声にはっとする。千鶴ちゃんの声だ。そして相手は…。咄嗟に立ち上がり、見つめる先。
「土方さんも寝ているようにと仰って、
「いいでしょ少しくらい。ほんと五月蝿いよね、土方さんも君もっ、こほ、こほっ、げほっ!」
「沖田さん!!」
目線の先で見えた、赤。夕焼けよりも、紅葉よりも、黒みがかった−−血の色だ。同じ血でも、他人の血ならまだ冷静でいられたのに。千鶴ちゃんの様に、名前を呼んで駆け寄ることも出来ないで、ただ呆然と立ち尽くした。一拍遅れて、身体がふらつく。おぼつかない足取りで踏み出した右足が、じゃり、と音を鳴らす。
「っ!………名前?」
一瞬、燃えるような瞳を見た。すぐに私だと認識したのか、その顔は驚愕に染まる。目を見開いて私の名前を呼ぶのは、愛しい声。悪戯を叱られた子供みたいな顔をしていた。千鶴ちゃんが心配そうにこちらを見つめる中、ふらふらと傍まで歩く。未だ波打つ心のまま、手を伸ばしてその口元を指で撫ぜた。指先から伝う、ぬるりとした感触。本物だ。
「千鶴ちゃん。総司と二人で話がしたいの。席を外してもらえる?」
−−−−−
言い逃れはできないと察したのか、自室に案内される。土方さんは怒るかもしれない。廊下を進む間、私も、そして総司も口を開かなかった。部屋の真ん中に座る。総司は戸の前から動かない。まだ、逡巡しているらしい。
「総司、ここに座って。血を拭くから」
沈んだ表情で私の前に胡座をかいた。目は、合わない。持っていた手ぬぐいで口元を拭いてやると、翆の目に薄い膜が張る。まさか、泣いているのだろうか。
「初めて会った日と同じだ。今の君は憶えていないだろうけれど、こうして血を拭いてくれたんだ」
「これくらい、何度だってしてあげる」
切なそうに言うから、言葉を被せるように答えた。いつも通りの綺麗な顔になって、覗き込んで目を合わせる。
無理に言わせるような真似は本当はしたくない。大事なことは自分から言ってほしい。総司にとって、そういう存在でありたいと思う。だけど総司はきっと、大切な人にこそ情けない姿は見せない。と言うより、見せたくないのだろう。まあ、誰だってそうだろうけれど、人一倍隠すのが上手いから気付かないのだ。
「…話して」
だから結局、こうして促さないと本音も真実も聞けない。悔しいけれど、今の私は総司が全てを曝け出せる存在ではないらしい。じっと私を見つめる瞳が揺れて。やがて、視線が絡む。
「僕は−−−労咳なんだ。ここの病」
私の時が、止まる。胸を指差して総司は言った。労咳。肺を蝕む死病。やっぱり杞憂などではなかった。私と再会したときにはもう、患っていたのか。あれから一年近く経っているのに、総司は新選組にいる。つまり、新選組を離れて療養するつもりはないのだろう。
取り乱さないように、尻込みしないようにと覚悟して問うた筈なのに、目を逸らしたくなった。背を向ける?ふざけるな、と心で暴言を吐く。総司は答えてくれた。それなのに自分が逃げ出すなんて、一番私自身が許せない。
パチンッ!と、力の限り両頬を叩く。総司が目を見開いた。瞼を上げて、声を出す。
「総司は、ここを離れるつもりはないのね。それなら、私のやる事は変わらない」
「……怒ら、ないの?」
「自分で決めて、そこにいるのでしょう?それが総司の望みで、譲れないものなら、私はそれを叶える為に傍にいるわ。新選組を離れることが貴方にとって本当の死、だものね」
涙を堪えて、前を向く。そして面食らった。私よりも総司の方が泣きそうで。いつも子供みたいな冗談を言うのだから、こんな時こそ幼子のように縋り付いてくればいいのに。本当、気まぐれで猫みたい。
手を伸ばして、膝立ちでその頭を抱き締めた。一瞬身体を強張らせたけれど、頭を撫でると力を抜いて擦り寄ってくる。いつもは総司が私を抱き締めてくれる。
「たまには、私が抱き締めてもいいでしょう?それに、心臓の音を聞くと安心するから」
「そうだね、どうせなら一日一回抱き締めてくれていいよ……ありがとう。君の腕の中はあったかいね」
いつも通りの冗談が苦しい。気を緩めれば泣きそうだ。悟られないように総司の頭を掻き抱いた。必死に紡いだ声が震える。
「ひとつだけ、約束して。私を遠ざけることは絶対にしないで。どんな時も、何があっても、傍にっ、いさせて。お願い……」
瞬きすれば涙が零れ落ちていく。腕が震えて、息が苦しくなる。戦ってほしくない。死んでほしくない。本心が口から這い出てきそうになる。鋭い総司にはきっと私の思いなどお見通しだろう。腕の中でふっと笑われる。
「名前は我が儘だね…。そんな約束しなくたって、僕が君を手放すことは絶対にないよ。まだ『愛してる』って、言ってもらってないし」
「うん…そう、そうよね」
記憶を取り戻してからと約束したのに、咄嗟に愛を吐こうとした。だって、この気持ちは本物だもの。記憶は未だ戻らない。それでも、胸に抱く貴方への想いは紛れもなく愛だと叫びたくなった。