- 淡々と土方さんから語られた内容は、私程度の頭では到底処理しきれないものだった。
新選組が幕府から命じられた実験。変若水という液体を飲むことにより人は異常なまでの身体能力と治癒能力を得る。そうして生み出された人間を羅刹と呼ぶ。その存在は新選組でも限られた人しか知らない。現に山南さんは、隊内では死んだことになっているらしい。羅刹の力は強大だけれど、昼間は満足に動けず、吸血衝動を伴う。
「そして、今回分かったことが一つ。普通の傷ならすぐに治るが、どうやら銀の弾丸で受けた傷は例外らしい。総司の傷が治らねえからな」
頭の整理が追いつかぬまま、落とされた爆弾。土方さんは何を言っているのだろう。弾丸で受けた傷など、治るわけない。だって総司は人間なのだから。嫌な汗が額を覆い、心臓が大きく脈打つ。
「それは…どういう意味ですか?総司は…人間です。この前だって昼間に団子を食べました」
狼狽する私を冷たい視線が射抜く。知っている。この人は優しいくせに、そういう嘘は言わない。肩の力が抜けて、呆然とする。
「総司は近藤さんと大阪城へ移送する。お前はどうする、傍にいるって決めたんだろう?」
「行きます。その前に一度、あの家に帰らなければなりません。何も告げぬまま来てしまったので。取り乱してしまい、申し訳ありませんでした。明日また、来ます」
考える前に答えていた。つまり、本心。総司は選んだのだろう。葛藤があったのかは分からない。次に話をするとき、私は冷静でいられるだろうか。今の心持ちのままではとても無理そうだ。もしかしたら、責めてしまうかもしれない。
「土方さん。俺、名前のこと送ってくる。まだ夜中だし、隊士も起きてないだろうから」
平助が静かに言った。正直なところ、一人にしてほしい。一瞬そう思ったけれど、今聞いた言葉に引っ掛かりを覚える。その理由が分からぬまま腕を引かれるけれど、少し待ってもらって総司の枕元に跪く。たぶん聞こえていないだろう。それでも、汗が滲んだ額にそっと手を置いて呟いた。
「……総司。また明日、来るね」
まだ夜は明けない。来るとき通った道を、今は正反対の感情を胸に歩く。沈んだ顔を隠そうとしない私の横で平助が口を開いた。
「俺もさ、羅刹なんだ」
「……え?」
思わず立ち止まった私を、半歩先で平助が振り返る。その姿は紛れもなく人間だ。だけど、切なそうな、苦しそうな表情が真実なのだと叫んでいる。府に落ちた、さっき感じた違和感の理由。彼はまるで、自分の姿が隊士に見られることを恐れているようだった。
「後悔、してるの?」
「…まだやり残した事があると思って、羅刹になった。人じゃなくなってからも葛藤してる。だからたぶん、最期にならないと後悔するのかも分かんねえ」
「それなら、後悔しないように生きるだけね」
まだ後悔していないのなら、そうならないように生きてほしい。そう言えば、歪めていた顔が驚きに染まって。次の瞬間には腹を抱えて笑われた。何故だ、おかしな事を言ったつもりはないのに。
「はー、笑った笑った。後悔しないように進むだけ…そっか、そうだよな」
目尻の涙を拭いながら、まるで自分に言い聞かせるように平助が言った。その顔を見てすぐに、自戒する。
「総司も同じだと思うぜ。…迷いも葛藤も、しないわけねえよ」
「−−ごめん、平助」
「なんで謝るんだよ!」
「羅刹になった苦しみは、羅刹になった人にしか分からない。なのに私、簡単な言葉で片付けた」
そう、私に人でなくなることの苦しみは分からない。その苦しみを抱えながら後悔しないように生きることは、どれほど困難だろう。自分の浅はかさを嫌悪した。
「他の奴に言われたら、むかついてたかもな。でも、もしお前が羅刹になったとして俺と同じように悩んだかなって考えたら、絶対後悔なんてしねえように生き抜くんだろうなって思ったんだ」
「買い被りすぎよ。……でも、ありがとう平助。元気出た。私も闘うから、貴方も全力で生きて」
「おう、名前も死ぬんじゃねえぞ」
笑って頷きながら突き出された拳に、私も手を合わせる。その笑顔は、月の下にありながら太陽のようだった。
家に戻り、日が昇る。この家で見る最後の朝陽。視界の潤むまま、話す。貯めていたお金を渡すのも忘れずに。ここを出て総司に付いて行くと言った私に夫婦は笑いかけた。
「どうして?白姉は家族でしょ!」
「太一……ごめんね。でも私、どうしても行かなくちゃいけない。大切な人がいるの。その人の傍にいるって、決めたのよ」
「…総司兄と一緒なら、白姉は幸せ?」
真っ直ぐな双眸がこちらを見つめている。名前は出していないのに、"大切な人"が総司だと分かっているのか。もう、子供扱いはできないな。
「幸せよ」
迷わず答える。待っているのは、きっと幸福だけではない。総司が、羅刹になった。病だけじゃない、闇が追いかけて来る。今度は、私がその手を引かなければならない。決して呑まれさせはしない。必ず貴方を、光溢れる場所へと連れて行く。
−−−−−
太陽が真上にくる前に、太一達に別れを告げて再び屯所へ出向いた。昨晩から眠っていなかったけれど、不思議と疲れを感じなかった。
総司は変わらず布団の上で眠っている。その目は未だ閉じたまま。早く、その目に私を映してほしい。記憶が戻ったら伝えようと思っていた言葉も、まだ言えていない。枕元に座って、目を閉じて呟く。
「今になって、あんたの気持ちが分かったわ」
瞼の裏に浮かぶのは、兄を殺したあの男。頭を反響するのは、その言葉。あいつは言っていた、大事な人を救う為に兄を殺したのだと。あの時は決して肯定できなかったけれど、今なら痛いほど理解できる。
「以前の私なら、あんたと同じ轍を踏んだでしょうね。躍起になって、生かすことが全てだと錯覚して…」
総司の病が治るなら何だってしただろう。いつも自分のことで精一杯だった。手を汚した私を見て総司がどう思うのかなんて、考えていなかった。結果、私は復讐に手を染めて、記憶まで失って。
皮肉なものだ、それがいかに愚かなことか、こんなに月日が経ってから理解することになろうとは。生かされて、総司の傍で過ごすうちに私は変わったのだろう。否、気がついたと言った方がいいのかもしれない。
「私は、笑って傍にいられるような自分でいたい。たとえ一緒にいられる時間が短くても、あんたの様にはならない。誰かの死で約束された永遠より、総司と二人で掴み取った一瞬の方がずっと愛おしいって、そう思えるようになったから。−−−礼を言うわ、あのとき私を生かしてくれたこと。あんたのお陰で、まだ闘える」
−−−−−
どうやら眠ってしまったらしい。刺すような日差しは影を潜め、目を閉じながらでも暗闇と静寂で夜なのだと理解する。総司の手を握って、ただ座っていたのは覚えている。ふと、手の中で何かが動く感触に、はっと目を見開いた。
「名前」
聞いたことのないくらい弱々しい声。貴方が言葉にしてくれるだけで、自分の名前がとても綺麗なものに感じられる。ばっと身を起こすと、きらきらした翡翠の中に情けない自分の姿が見えた。横になったままの首元に堪らず抱きつく。
「っ、驚いた…どうしたの」
くすりと笑って、頭を撫でられる。ああ、駄目だ。決壊した川の如く、涙が溢れる。嗚咽がこみ上げてきて、言葉にならない声を漏らした。
「そう、じ……っ、総司!」
名前を呼ぶのもままならず、伝えようとしていた言葉が喉に詰まる。こんなに泣いたのは兄が死んだあの日以来だ。らしくない泣き方に総司が戸惑っているのが分かる。普段の私なら、ただ怪我をしただけで、こんなに取り乱したりしない。
「わた、し…私、貴方が好き。大好きよ」
総司が息を呑む。聡い彼のことだ、愛を告げたことで私の記憶が戻ったことを察したらしい。
「名前っ、顔を見せて」
涙で濡れて、可愛くない顔を上げる。今更、総司相手に隠しても意味はない。髪を撫でていた手が涙を拭う。翆の瞳が潤んでいるように見えるのはきっと気のせいだ。
「おかえり、総司」
「それ、僕の台詞じゃない?」
「決めていたの、今度会えたら伝えるって」
「そう…ただいま、名前。僕も、君が好きだよ」
心の欠片が集まって、本来の姿に戻る。突き合わせた額が少し熱くて、また心が疼いた。それを悟られないように笑う。鼻先が触れ合った途端に唇を重ねられて。驚く私を見ながら、得意げに口角を上げる。それを愛しいと思ってしまうのだから私も相当絆されているのだろう。
「そうだ、あれを渡さなくちゃ。あの引き出しの中にある」
思い出したように総司が言う。促されるままにその中を探ると、指先に硬い物が触れた。掴んで引き出したそれを思わず凝視した。
二度と手にすることはないと思っていた、あの小刀だ。兄を失ってからずっと肌身離さず持っていた。決して綺麗な記憶ではないけれど、絶対に忘れてはいけない記憶。震えながら、それを胸に抱いた。
「−−−ただいま、兄さん」
はっきりとそう呟けば、見慣れたあの顔と優しい声。何度も聞いた『おかえり』が鼓膜を揺らして、私はまた笑った。