1. 不動堂村の屯所を発つ前に、土方さんから事のあらましを教えられた。総司は近藤さんの仇を討つために変若水に手を伸ばしたのだと言う。それを聞いて、納得してしまった。私が知っている総司は近藤さんの為に生き、近藤さんの為に刀を振るう。それこそが彼の信念で生き方だ。それを成せなくなることは、新選組の沖田総司が死ぬということだ。私に総司を責める資格などありはしない。その気持ちは痛いほど理解できる。大切な人の為に生きたいと願うのは当然のこと。

    結局、私達は大阪城で年を越すことになった。皆は今頃どうしているだろう。近藤さんに代わり、隊を任されたのは土方さんだ。大丈夫だと信じたいが、この空の下でまた新たな血が流れる。それでも、彼らは歩みを止めない。

    総司はどんなに歯痒かっただろう。その先頭を行く近藤さんの背中を、ずっと追いかけていたかったのに。その意志を嘲笑うように、身体は病に蝕まれていく。羅刹となっても撃たれた傷は未だ癒えないのに。白湯を準備しながら、またぐるくると悪いことばかり考えて、顔を歪めてしまう。

    「名前君、総司の具合はどうだ?」
    「やっと眠ったところです。近藤さんこそ、傷の具合は大丈夫なんですか?」
    「ああ、この通りだ!−−っ、」

    得意げに腕を回して見せて、途端顔を顰める。相変わらずだな、この人は。心配をかけまいと気丈に振る舞う。その顔は兄によく似ているから、思い出しては切なくなっていたのに。でも今は胸の辺りが温かくなるのは何故だろう。くすくす笑う私に向けられる眼差しは優しい。

    「うむ、やはり君は笑っていたまえ!その方が俺も総司も頑張れるというものだ」
    「そう…ですね。一度きりの人生なら、泣くより笑った方がいいに決まっています」
    「勿論だとも!−−トシ達が戦っているのに、俺がいつまでも休んでいるわけにはいかんな」

    それからひと月も経たぬうちに、私達は船で江戸へと向かうことになった。土方さん達が大阪城に着く前に、慶喜公は江戸へ。近藤さんは決して将軍を非難しなかった。けれど皆、ここに籠城して戦うと思っていただけに不満も大きいだろう。そんな中で土方さんの眼だけが、焔の如く揺れていた。

    −−−−−

    「一人で行くなんて、絶対駄目に決まってるでしょ。僕も行くから」
    「それこそ駄目、私一人で行くわ。そんな顔しないで。心配しなくても大丈夫よ、すぐに帰ってくるから」

    かれこれ半刻ほど問答を繰り返している。日野の家に一度帰ると言うと、総司が自分も行くと聞かない。今日の総司の頑固さは一君といい勝負だ。

    傍にいると言ったのに、とんでもない嘘つきだと自分でも思う。それでも、あの家に帰るのは理由がある。総司が戦に身を投じてからでは遅い。その前に、どうしても行かなければならない。結局、偶然お見舞いに来た新八さんを付き合わせることになってしまった。

    「ごめんね、新八さん」
    「いいっていいって!むさ苦しい男共より名前ちゃんと一緒の方が隊務に対するやる気も上がるってもんよ!」

    何だか久しぶりに話す気がする。一君や左之さんとはよく話していたからか。この人は真っ直ぐすぎて、いつも感心する。私とは正反対だ。そう思っていたのに、道中の様子はどこか元気がないように見える。

    「ねえ、何かあったの?萎れた菜葉みたい」
    「……名前ちゃん、辛辣すぎないか。そういう所は総司そっくりだぜ」

    眉を下げて笑う姿があまりに似合わなくて、思わず『うわ』と声が漏れる。そんな私に苦笑いを浮かべて、ぽつぽつと彼は話し出す。
    大阪城での将軍の行動や、近藤さんのやり方に納得がいかなくて。その所為で自棄酒も増えているらしい。新八さんの場合、普通でもお酒の量が多いのに。

    「なんか親近感湧いちゃった。新八さんは強いから、私みたいに悩まないのかと思ってた。強い人には迷いや葛藤がないなんて、そんなはずないのにね」

    いつもは賑やかなのに黙ったままだ。調子が狂う。少し前の自分を見ているようで、ちょっと笑ってしまった。心の底では答えが決まっていても、踏ん切りがつかないときがある。私は結局、己が心に従った。

    「俺は…もし近藤さんと袂を別つとしても、後悔だけはしたくねえ」

    眼に光が戻る。その燃えるような瞳を知っている。兄弟子達を下したときの総司や、大阪城での土方さんも同じ眼をしていた。きっともう、大丈夫だ。

    日野の家は、今は誰も住んでいない。雨風に晒されて荒れ放題だ。あの日以来、初めて足を踏み入れる。床に残る乾いた血の跡で記憶が蘇るけれど、振り払って部屋の奥へと進む。目的の物に手を伸ばす私の背後で新八さんが声を上げた。

    「名前ちゃん、それ…何に使うつもりだ?」
    「私は皆みたいに戦えないから、いざという時の御守り。総司には内緒にして」
    「…左之は必要ないって怒るだろうな」
    「それじゃあ、左之さんにも内緒ね」
    「……分かったよ。じゃあ俺も、念を込めるぜ」

    そう言って、風呂敷で包んだそれにそっと手をかざして目を閉じた。暫くそうした後、満足そうに瞼を上げる。確かに、ここにいたのが左之さんだったら怒られていたかもしれない。意外と新八さんの方が融通が利くな、と失礼なことを考えながら風呂敷を抱え直した。

    −−−−−

    慶応四年三月。まだ肌寒い中、土方さんと千鶴ちゃんが総司を訪ねてきた。その装いの変化に、暫く口を開けたまま呆然としてしまう。

    「土方さんって、何を着ても似合いますよね。髪だって綺麗だし、なんか狡い…」

    部屋まで案内しながらそう言うと、呆れた顔をされた。けれど千鶴ちゃんもこくこく頷いてくれる。私が『ほら見ろ』と得意げに笑えば、額を小突かれた。二人を部屋に通してからお茶を淹れて戻ってくると、中から総司の叫び声が聞こえて歩みを止める。

    「僕も行きます!僕が近藤さんを守らなきゃ」

    行くって、どこに?考えるまでもない、戦場だ。今更、何を迷う。腹を括れと言い聞かせ、襖戸に手をかけた。

    「今のお前では近藤さんの足手纏いだ」

    またあの人は…。思わず額に手をやり溜息を吐いてしまう。そんな言葉は今の総司には逆効果なのは分かっているだろうに。仲裁しなければと今度こそ中に入ろうとして、また惑う。

    「まずは身体を治せ。待ってるぞ」

    驚いた。土方さんがあんな風に総司に言うなんて。ぽかんとしていると戸が開く。どうやら、もう帰るらしい。お茶が無駄になってしまった。私の横で一旦止まって小さく、それでいてはっきりと土方さんが言う。

    「総司を頼むぞ」
    「勿論です。でも私には、総司の信念までは曲げられませんよ」

    苦笑しながら答える。私が言わなくたって、そんなこと土方さんは分かっているだろう。たとえ命を削りながらでも総司が戦うことを望むなら、私には止められない。ただ、傍にいることしかできない。それが私にできる唯一だ。

    「名前、お願いがあるんだけど」

    暫くして、二人でお茶を飲んでいると総司が呟いた。顔を向けたけれど、目は合わない。その目は土方さんが持ってきた新しい洋装を見ている。彼は、総司が戻ってくると信じている。意地でも舞い戻るに違いない。沈黙で先を促す。

    「髪を切ってほしいんだ、この服に合うように」
    「……分かったわ」

    道具を用意して、総司の背後に立つ。近藤さんを真似た髪型。『本当にいいのね?』とは聞かなかった。髪をほどいて、櫛を入れる。癖のあるふわふわした猫っ毛。幼い頃から何度も撫でたその髪を、まさか私が切ることになるなんて。堪らなくなって後ろから抱き締めた。

    「君ってそんなに感傷的だったっけ」
    「可愛がってた猫を他所へやる気分」
    「なにそれ」

    不貞腐れたように言えば、面白そうに笑う。最後に一度だけ、指を通してわさわさと撫でた。パサパサと小さな音を立てながら、落ちていく。切り終わって、軽くなった襟足を手でさすりながら総司が振り返る。首を傾げてこちらを見るから、頷いて微笑む。

    「うん、似合ってる。格好いいよ」

    手を伸ばして跳ねた毛先に触れる。どんなに大切なものでも背負っていくには少し重いなら、ここへ置いて行く。そんな決意が見えた。