- その夜、眠る前に繕い物をしていた。総司は布団の中でうとうとしていて、笑みが溢れる。土方さん達が来たから、久しぶりに私以外の人と会話をして疲れたのかもしれない。一通り片付いて息を吐いたそのとき、
「ぐっ…ぐぁ!」
「総司……っ、どうしたの!?」
血を吐いたのかと思ったけれど違った。我が目を疑う。短くなった薄茶色の髪が白に染まり、綺麗な翆の瞳が紅く色を変えた。これが、羅刹。初めて見る、愛しい人の姿に動揺を隠せない。だけどすぐ弾かれたように傍に駆け寄った。
「血が、欲しいの?」
「っ、いらない!僕は、人間だ…そんなことは絶対にしない!」
蹲って苦しそうに叫ぶ。布団を強く握っている拳に触れて、細くなった手首を掴む。思い切り引っ張れば、その身は容易く胸の中へと倒れ込んできた。人に繋ぎ止めてほしいと総司は言った。血を啜るなど、人間の所業ではないということか。それなら、今は−−−、
「抱き締めて」
「っ!なに、言ってるの…うぐ、」
理解できないといった様子を見せたけれど、衝動を抑えられないらしい。言葉が続かず、呻き声を上げた。胸元にある頭を抱き締めると、躊躇うように着物を掴まれて。私を気遣う余裕なんてないくせに、まだ戸惑っている。
「もっと強く。大丈夫、壊れたりしないから」
その言葉を合図に、腕が背に回って骨が軋むくらい力を込められる。息が詰まりそうなのに、生きていると強く感じた。あんなに強い総司が耐えきれないほどの苦しみを、どうか私にも分けてほしい。貴方がくれるなら、全部喜んで貰うのに。
−−−−−
「甲府に行く?」
「うん。まだ肩の傷が治っていないのに、近藤さんが戦ってるんだ。僕が寝ているわけにいかない」
「少し待って、馬を用意してもらってくる」
夜が明けて総司が言う。今にも歩き出そうとするのを止めた。甲府まで徒歩で行けはしないのだから、馬は必要だ。旅支度を整える時間くらいはほしい。慌ただしく立ち上がる私を、総司が見つめた。
「どうして止めないのかって顔ね。総司の望みを叶える為に傍にいるって、そう言ったでしょ。……でも約束して。日の光に耐えられなくなったり、苦しくなったら隠さず言うこと、いい?」
目線を合わせて、人差し指を突き出す。暫く呆然としていたが、眩しそうに目を細めた後に小さく頷いた。刀と少しの食糧、そして日野の家から持ってきた風呂敷を掴む。半刻ほどで支度をして馬に跨がろうとする総司の腕を引いた。
「もう一つだけ。伝える暇がないかもしれないから言っておくわ。これから先、戦いの中であの衝動が起きたとき、貴方が望まない選択をしたとしても怒らないでね」
総司の身体が強張る。目を見開いて私を凝視している。望まない選択とは、つまりは血を捧げるということだ。どうして、と問われる前に再び口を開く。
「迷いが命取りになる。貴方を人のまま死なせてあげるのと、鬼として生かすこと。そのどちらかなら、私はきっと後者を選ぶ。でも勘違いしないで。−−−たとえ鬼と化しても地獄に堕とさせはしない。人でなくなった心は私のを分けてあげる。私が隣にいる限り、総司を鬼にはさせない」
強くもない、何の取り柄もない、唯の娘が何を言っているのかと。他人にどう思われたっていい。総司にだけ、この覚悟が届けばいい。願うように見つめれば、泣き笑いを浮かべて呟く。
「名前の心を貰ったら、僕も綺麗でいられるかな。……君を、信じるよ」
−−−−−
馬は風を切って駆ける。甲府はどうなっているだろう。近藤さんが死ぬようなことがあれば、総司はきっと、たった一人でも戦おうとするに違いない。でも、今のあの人には土方さんや一君がいる。どうか無事で。途中の道で咲き乱れる桜を見ながら祈った。
体調は良くないはずなのに、ほとんど休憩することなく目的地に着いた。銃声が聞こえる。どうやら戦は始まっているようだ。総司が堪らず馬から飛び降りて駆け出した。咄嗟に名を呼ぼうとしたが、慌てて口を閉じる。ここは戦場。声を上げれば狙われてしまう可能性がある。
「傍にいるだけで、命懸けじゃない!」
一人吐き捨てて後を追う。できるだけ静かに、かつ速く。必死に追っていた背中が茂みに消える。見失ったかと焦って、きょろきょろと辺りを見渡す。そのときキン、という刀がぶつかる音が耳を掠めた。それを頼りに目を向ければ、少し離れた先にその姿を見つける。
いつのまにか羅刹の姿になった総司と、一緒にいるのは近藤さんと千鶴ちゃん。土方さんはどこへ行ったのだろう。そして総司と対峙しているのは、見知らぬ男。知らない男だが、その顔を見て無意識に小さく呟いた。
「千鶴ちゃん?」
顔立ちが彼女にそっくりだ。他人…ではないだろう。いつか島原に行ったとき総司が話していた、千鶴ちゃんによく似た人物とは彼のことか。しかし、どうしたものか。この距離では顔は視認できても、声までは聞こえない。だが、下手に出て行っても足を引っ張るだけだろう。
林に紛れるように息を殺し、気配を断つ。そして、持ってきた風呂敷から中身を取り出した。手にあるのは猟銃。兄の物だ。日野の家できちんと手入れをしたあと、試し撃ちもしたから大丈夫だろう。
幼い頃はよく狩りに連れて行かれたものだ。女に銃など、今思えば正気の沙汰ではない。もしかしたら自分がいなくなったときの為の予防線だったのかもしれない。
『いいか、獣は気配に鋭い。殺気を漏らすな』
『そんなの無理よ!殺すつもりでいるのに…』
『ああ、だから訓練するんだ。"殺す"という気持ちはその瞬間までしまっておけ。でも、慣れなくていい。命を奪うのは容易い。だがお前は軽々しく引き金を引くような人間には決してなるな』
茂みに隠れながら銃を構えて、狙いを定める。殺気は勿論しまったまま。引き金に指をかけて、心で呟く。
「(殺さない。私は二度と誰かを殺したりしない。…総司を守る。兄さん、その為に力を貸して。)」
狙うのは足、あいつの動きを止める。視界の端で総司が膝を突いて千鶴ちゃんが駆け寄るのが見えた。刹那、押し留めていた殺気を放つ。同時に引き金を引くと、銃弾がその太ももを貫いた。男は苦しそうに顔を歪めてこちらを睨む。構えを解いて、溢れる殺気はそのままに見つめ合う。男は、声を上げて笑った。
「馬鹿だな、お前。自ら殺されに来るなんて!おい沖田、そこで見てるといい。大事なものが失くなるのをさ!!」
「っ、名前!!」
銃弾で貫かれた足を庇う様子もなく、刀を振りかざして向かってくる。馬鹿か私は、戦場で油断するなんて。銃を構え直す。瞬きをして次に目を開けると、男の胸は刀に貫かれていた。
「え……」
金糸の髪を持つ青年が刀を引き抜いて、何か言っているが全く頭に入ってこない。今になって身体が震え出す。傍にいるだの、守るだの言っておいて、結局この体たらく。悔しくて、情けなくて、銃を握っていない左手でくしゃりと前髪を乱暴に撫ぜた。そして、小さく名前を呼ばれてはっと顔を上げれば、見慣れた翡翠がこちらを見ている。
「総司、怪我は?」
「してないよ、名前が守ってくれたから」
悟られないように返事をしたのに、総司はまた見透かして答える。今度こそ大切な人を守れた、恥じることはない。潤む瞳のまま笑った。
私が撃った男は、千鶴ちゃんの兄だという。別れは言えたのだろうか。
「千鶴ちゃん、ごめんなさい。私、貴方のお兄さんを……」
「名前さん…この人が兄だと今日初めて知ったんです。今まで何も知らずに私−−っ、
首をふるふると振りながら彼女は肩を震わせた。強い子だな、そして優しい。涙を我慢するその姿がかつての自分を思わせて、堪らず抱きしめた。あのとき総司がしてくれたように、華奢な身体を掻き抱く。
千鶴ちゃんが薄く開いたままだった兄の目をそっと閉じてやり、近藤さんと一緒にその遺体を土へ返す。ここで死ぬのと、地に這いつくばって生きるのと、どちらが苦しいのだろう。私には総司がいた。彼にも、よすがとする存在があれば結末は違っていたのかもしれない。そして一歩間違えば、私も彼のように−−。同情などいらないと言われるだろうけれど、手向を。
「……今度こそ、誰かの傍で咲けますように」