- 土方さんに会いに行く−−たった一言で表せるのに、それはとても難儀なことだ。近藤さんが捕縛されたのち、新選組は旧幕府軍に加わり宇都宮経由で北へ向かったという。つまり、江戸にはもういない。
総司はそれを聞いて、胸の内を吐き出すように土方さんを詰った。目の前にいたら拳の一つでもくれてやったのかもしれない。流石に刀を抜くことはないと思うけれど。総司も心の底ではきっと理解している。だからこそ、もどかしいのだろう。
土方さんは、近藤さんを見捨てたりしない。尊敬、友情、なんと言ったらいいか分からない。その関係を言葉で表すのは難しいけれど、あの二人の間には確実に"絆"があった。それを容易く覆すほどの何かが起きたのだと分かっていても、心は鎮まってはくれない。
「どんな事情があるにしろ、納得なんてできるわけない。土方さんは、近藤さんの特別だったんだ!それなのに…っ、こほ、ごほっ!」
「総司!!」
大声で捲し立てた後、苦しそうに咳を繰り返した。本当なら、止めるべきなのだろう。だけど、真実を知らぬままいれば、総司の心は死んでいく。咄嗟に支えた身体が、また細くなったことに気がついて、下唇を噛んだ。腹を括らねばならない。
「行きましょう、迷ってる暇はない」
「僕が言うのもおかしいけど、普通止めない?」
「総司は、私が普通の娘だって思ってたの?生憎、そんな良い子じゃないのよ。それに、北へ行けば空気もいいし、土方さんも殴れるし、良いこと尽くめじゃない」
拳を前に突き出して言えば、総司が笑う。そう、立ち止まっている暇はない。後ろから闇が追いかけてくる。命懸けで生きなければ、見たい景色は見えぬまま。いつも自分のことだけで精一杯だったけれど、今なら貴方の分も少しは持てる。私が貴方の手を引くから、どうか走り抜いて。
−−−−−
馬を駆って北へ進む。土方さん達は宇都宮城を一度は攻め落としたが、また奪い返されてしまったらしい。それが四月十九日のこと。その後は会津に向かったはずだ。新選組が辿った道を縫うように追いかけた。
羅刹である総司にとって日の光は毒だ。それでも歩みを止めなかった。それに加え、病を抱えての旅路は辛いに違いない。心配はしている。でもそれを表には出さなかった。私が眉を下げて泣きそうな顔を晒すことが、総司の迷いとなるかもしれない。私は足枷には決してならない。
北へと進むにつれ、景色は変わっていく。心なしか空気も澄んでいる気がして、ほんのちょっと胸が軽くなった。途中、馬を休めているとき。夜はまだ肌寒く、互いに肩を預けるようにして眠っていた。
「……総司?」
沈みかけていた意識が浮上する。隣にいたはずの総司の姿が見えず、辺りを見回す。馬は変わらずそこにいた。大きな物音はしなかったはず。流石にそこまで深く眠ってはいない。立ち上がって、刀に手をかける。林の中を進みその姿を探して見えたのは、白。そう、羅刹となった総司だった。弾かれたように駆け寄れば、物音に反応して振り向いた緋色の目に射抜かれる。
「っ、名前……来ちゃ駄目だ…ぐっ、
「言ったでしょう、私が引き戻すって。ここで立ち止まるわけにいかない」
また遠ざけようとしている。怯えたように瞳を震わせて総司が後退った。生憎だが潔く引き下がるほど聞き分けはよくない。見えない壁を突き破るように傍に寄る。その頬に手をやって、揺れる瞳をこちらに向かせる。あと半刻もすれば、また進まなければならない。刀を引き抜いて、手首にその刃を入れようとした。渇いた音と共に手を掴まれ制される。
「…っ、どこに傷をつけようとしてるのさ。僕が、自分でやるから……こっち向いて」
唇から漏れた息が乱れている。吸血衝動というのは、どんな感覚なのだろう。その苦しさを、少しでも共有したい。動きやすいようにと新調した男装の釦が、震える手で外される。ぐい、と首元を開けられて。一瞬、迷うように瞳が揺れる。ごくん、と喉を鳴らすのがどこか猫を思わせて、こんな時なのに愛しさが募った。鎖骨の少し下に痛みが走って、その傷を塞ぐように唇を当てられる。肌を伝う吐息に身を縮ませた。
「名前、名前…抱きしめて、お願いだから」
懇願するような声。普通なら羞恥心でどうにかなりそうだけれど、私よりもずっと怯えている手と唇の冷たさが心を冷静にさせている。手を伸ばし何回か髪を撫でて、強く抱き締めた。血を啜る音が鼓膜を揺らす中、舌が肌を縫う感覚に身を委ねる。どれくらい経ったか、月明かりに照らされた白がいつも通りの色に戻る。瞳も見慣れた緑色だ。
「なんて顔してるの」
「自分を楽にするために君を傷つけるのは、絶対に嫌だったのに……僕は狂っているのかもしれない。この傷が愛しくて堪らない」
泣き笑いのような表情で、その指が出来たばかりの傷を撫ぜる。刺すような痛みがして、顔を顰めた。血が止まるのを待って、乱れた服を整えながら総司が言う。
「傷をつけるのは、そこだけにして……もしかしなくても君、どうしてだか分かってないでしょ?」
はあ、とあからさまに溜息をつかれる。だが図星だ。何故、他の場所ではいけないのか。どちらかと言えば手首の方が、お互い楽だと思う。腕を挙げれば総司が屈む必要もないし、手首なら私が自分で傷をつけられる。まさか部位によって血の味が変わるのだろうか。理由が分からないのが少し悔しくて、むっとしていると総司が照れたように視線を逸らすから驚いてしまった。ぼそっと何か呟いたようだけれど、聞こえない。
「ごめん、何て?」
「っ……僕以外、誰も見られないからだよ。僕の為に生まれた傷なら僕しか知らない場所がいい」
少し言い淀んで、早口で言われた台詞。暫くその意味を理解できなくて、瞬きを何回か繰り返した。そして、ぶわっと頬が熱を持つ。それは独占欲と言ってもいいのかもしれない。総司が執着するのは唯一人だと思っていたし、珍しく照れたりするから、目を合わせられなくて俯いた。口を開きかけたけれど、上手く言葉が紡げずに、一瞬の静寂が辺りを支配した。すぐに見慣れた得意顔で覗き込まれる。さっきの照れ顔が幻だったのかと思うくらいに。
「へえ、名前もそんな顔するんだ」
「…総司が変なこと言うからでしょ」
「別におかしなことは言ってないよ、本心だし」
だから余計に困るのだ。開き直るのが、また憎らしい。『愛してる』なら素直に返事ができるのに、今みたいな狂気にも似た愛情の受け止め方はまだ知らない。もしかしたら一生慣れることはないかもしれない。昔から総司は私よりも何枚も上手だ。赤の他人に向けられたら恐ろしい感情も、総司に貰うからこんなにも胸が満たされるのだろうか。
「肝に銘じておいて。僕以外に傷つけられたりしたら、許さないから」
そんなことは起こらない、身体的にも精神的にもだ。総司以外に身体を許すことはない。それに、この心を動かせるのは総司だけだ。悲しむのも嬉しくなるのも全ての理由はたった一人。
「私を満たすのも傷つけるのも貴方だけよ」
なんて事ない特権だと思うけれど、総司にとっては価値のあるものなのだろうか。それなら喜んで差し出そう、この身も、この心も。私の全てを貴方に捧ぐ。