- 結局、土方さんに会えたのは四月の末になってからだった。場所は会津の鶴ヶ城。総司は土方さんの姿を見つけるなりその胸倉を掴むと、見たことない表情で激昂した。怒りの中に悔しさを滲ませて、思いをぶつける。その様子を半歩後ろから見守った。端から総司の行動に口を出すつもりはない。斬りかかろうものなら流石に止めに入るだろうけれど。
「なんで、近藤さんを見殺しにしたんだ!!」
その言葉に目を見開く土方さんの様子から、彼は近藤さんの死を知らなかったのだと気がつく。近藤さんの所在は明かされなかったに違いない。ましてや江戸を離れている彼が知る由もない。兄のように慕っていた総司とは少し違っていたかもしれないけれど、二人とも近藤さんのこと想っていたのに。その死を告げるのが総司だなんて、あまりに悲しい。
「何とか言えよ!あんたがついていながら、どうして近藤さんを助けられなかったんだ!!」
何も返さない土方さんに更に苛つきを募らせて、総司が怒鳴る。何も言わないんじゃなく、何も言えないのかもしれない。土方さんのことだから、手を尽くさなかった筈がない。全力で助けようとしたのだろう。それでも結果は変わらなかった。どんな言葉を吐いても総司が納得することはないと分かっているから、黙って総司の言葉を受け止めている。
"あんたがついていながら"。それは賛辞の言葉だと土方さんは気付いているだろうか。いくら剣を振るっても、どんなに慕っていても、立てなかった場所。『その場所にいるあんたにできないなら、誰にも救えはしない』と、私にはそう聞こえた。そのとき、駆け寄ってくる足音。
「やめてください!土方さんは怪我をしているんです!」
千鶴ちゃんの声に土方さんを見れば、確かに服の下には包帯が巻いてある。宇都宮の戦いで負った傷だろうか。それを見て総司が悔しそうに声を漏らすと、土方さんに背を向けた。入れ違いに一君が姿を見せる。
「近藤さんは…駄目だったのか?」
「近藤局長は四月二十五日、板橋の刑場で斬首に処されたそうです」
「そうか…、近藤さんは腹も切らせてもらえなかったのか。それで総司の奴あんな状態でここまで来たんだな……」
目を伏せて吐き出した声は弱々しい。可能性は低いと分かっていても、心の底では一縷の望みに賭けていたのかもしれない。土方さんの目が、未だ留まる私を捉えた。
「お前も俺を叱責しに来たのか?」
「いいえ。私がそんなことしなくても、土方さんが十分過ぎるほど自分を責めたことは想像に難くありません。それに総司にも絞られたようですし。用件は二つです−−−近藤さんは最後に何と?」
眉を下げた、らしくない顔。紫の瞳が揺れたのち、閉じられる。最後の姿を思い出すように、数瞬。絞り出すような声で彼は答えた。
「楽にさせてくれ、だとよ……鬼になろうが羅刹になろうが構わねえって、そう思っていた。あの人と坂を登りきれるならなんて事ねえ。でも、俺がしてきたことがあの人を追い詰めていた……結局、惨めに生き残っちまった」
「自分がしてきた全てが近藤さんを苦しめていた。本当にそう思っているのだとしたら、土方さんは……大馬鹿ですね」
地面に向いていた目が見開かれて、心外だと睨みつけられる。一君がすっと目を細めた。尊敬する土方さんを馬鹿呼ばわりしたから怒ったのかもしれない。でも言わずにはいられない。私が知っているのは試衛館にいる頃だけだから尚更そう思うのだろうか。共に夢見た日々が苦しかったはずがない。苗字誠志郎の妹として、聞き流せない。
「総司が言っていました、土方さんは近藤さんの特別だったと。私も、そう思います。あの人が目を輝かせて話すのは貴方と、そして兄を相手にしたときだけでした。私は苗字名前として、貴方の言葉を否定します」
「まさか、お前に説教されるとはな……。生意気なだけだと思っていたが、不思議なもんだ。お前の言葉は重い。冷水を浴びせられた気分だぜ」
顔にかかった前髪を掻き上げる姿があまりに様になっている。目に毒だ。私が恋をするのは総司一人だけど、それとこれとは話は別。美しいものは美しい。ぐっと拳を握って邪心を振り払う。
「走り抜けてやるさ、全てを背負って。お前は、総司と行くんだろう?」
「はい。なので、貴方達と共には行けません。もう一つの用件です−−−これを」
「……いいのか?」
「むしろ私の台詞です。邪魔になるかもしれませんよ。でも、連れて行ってほしいんです」
手渡したのは、あの小刀。私は総司の傍にいる、だから一緒には行けない。でも総司の信念は、きっと貴方と共にある。それならば私の、そして兄の信念も共に。土方さんは右手でそれを受け取ると、穏やかに笑った。
「お前に…伝えておくことがある。あいつの傍にいる覚悟を揺らがせるかもしれない。それでも、聞くか?」
「愚問です」
「…羅刹の力は万能じゃねえことはお前も知っているな。だが、それだけじゃない。あの力を使い過ぎると人間は灰になっちまう」
「灰……」
「あれは、一人ひとりに備わっている能力を引き出している。本来一生かけて使うはずの能力だからな」
土方さんが話せば話すほど、自分の顔が歪んでいくのが分かる。戦って戦って、最後は灰と化す。人外の力に手を伸ばした報いか。怒りにも似た感情が溢れかける心に鞭を打つ。ここで泣き喚いたとしても何も変わらない。前を向け、と言い聞かせる。
「それでも私は、隣にいます」
「そうか…総司のことは任せたぞ」
「はい……土方さんも、死に急いだら駄目ですよ。千鶴ちゃんを泣かせないでくださいね」
「ふっ、余計な世話だ−−−じゃあな」
−−−−−
背を向けて歩き出して、総司の後を追う。千鶴ちゃんはまだ戻らない。あの子は土方さんと一緒に行くのだろう。人の心配をしている暇などないのに、笑顔を祈らずにはいられない。私も随分と良い子になったものだ。
「名前」
背後から聞こえた声に歩みを止める。名前を呼ばれたからじゃない、驚きからだ。その声が自分の名前を紡ぐというのが、あまりに馴染みが無い。振り向いて見えた、予想通りの人物……一君と、平助もいる。平助の短くなった髪を凝視していると、むず痒そうに首をさすった。それにしても、一君に"苗字"ではなく名を呼ばれたのは恐らく初めて。
「どうした?」
「え、、いや……だって、名前で呼ばれたから」
「……昔、あんたの名前を呼んで総司の逆鱗に触れたことがある。ゆえに以来、避けていた」
「なんだそれ!総司の奴、心狭えな…」
それにしても逆鱗とは。聞こうとしたけど止めておく。左之さんや平助にも名前で呼ばれているのに、どうしてだろう。私が頻繁に一君にちょっかいをかけていたからか。
「俺は、誠の旗の下で剣を振るう。あんたと会うのは最後かもしれん。……俺は饒舌ではない」
「え、うん…知っているわ」
「あんたの魂は武士に似ている。自分では無意識だろうが、常に己を貫く姿に刺激を受けたのは総司だけではない−−−礼を言う。そして生きろ、総司と共に」
かなり饒舌だ。青い目に射抜かれて褒めちぎられる。すぐに褒め言葉なのだと理解した。兄然り、近藤さん然り。一君にとっても武士とは特別だから、"武士に似ている"というのは称賛の言葉だ。
「私は武士になりたいわけじゃない。でも不思議ね、一君に褒められると嬉しい。しぶとさなら自信があるの。だから精一杯生きるわ、もちろん総司と一緒にね。……また会えたら豆腐でも食べましょう」
「いや、豆腐って…。もっと楽しみになる食い物にしろよ、肉とかさ!まあでも、一君の言った通りだぜ。俺もお前の前向きさに元気もらってた。だらかさ、絶対また会おうぜ」
正論をぶつける平助に一君が笑う。ふっと見せた笑顔。あまり笑わないから見慣れなくて、いつもジロジロ見てしまった。それを心で謝罪しながら私も笑った。"もしも、また会えたら"なんて、叶わぬ希望なのかもしれない。激動の中を駆ける彼らだから。それでも再会を望んでしまう。何故か鼻の奥がツンとして、背を向ける。二人の視線を受けながら少しだけ泣いた。
−−−−−
夜の静けさの中を進んで、小さな足音が鼓膜を揺らす。音の方を見やると、想像通りの姿がある。
「千鶴ちゃん」
「名前さん……」
「総司に何か言われた?」
「許せそうにない、と仰ってました。でも新選組を引っ張って行けるのは土方さんだけだと」
なんだ、ちゃんと素直に言えたのか。また意地っ張りを発揮して本心を隠したのかと思ったけれど。本人には伝えられなくとも、土方さんの傍にいる千鶴ちゃんは総司の思いを知っている。それだけで十分だ。
「総司は大丈夫よ。私が手を引くから」
「…ふふっ、沖田さんの言っていた通りですね。以前話してくれたんです、名前さんは眩しい人だって。本当にその通りです」
可愛らしく笑う千鶴ちゃんは紛れもなく一人の女の子。褒められるのは慣れていない。総司が私のことをそんな風に思っているのだとしたら、少し前なら買い被りだって突っ撥ねたかもしれない。けれど今は、こんなにも嬉しい。胸が温かくなって、右手でそこに触れた。この気持ちは失くしてはいけないもの。
「土方さんを……お願い」
多くは語らない。余計な世話だと言われたし、私の言葉などなくても土方さんには彼女がいる。また泣き虫が顔を出しそうになって、一度だけ固く瞼を閉じた。
「はい。名前さんも、どうかお元気で」
この子は強い。土方さんの背負ったものは、とてつもなく重い。私だったら逃げ出してしまうかもしれないほどに。それを知ってもなお、望んで傍にいる。そこまで考えて気づく。彼女の強さの根幹を担うのは新選組だけではない、土方さんに抱く想いもまた彼女を支えているのだと。私も同じだから、それだけで強くなれることをよく知っている。
笑ってお辞儀をして、去っていく後ろ姿は武士のそれだ。兄や近藤さん、土方さん達が夢見た−−−否、夢じゃない。紛れもなく貴方達は武士だった。日の本全土が否定しようとも、それを忘れない人間がいる。私が、千鶴ちゃんが、覚えている。眩しいのはどちらかと、昼間でもないのに目を細めたくなった。