1. 千鶴ちゃんを見送って夜道を暫く歩くと、少し先に総司が待っているのが見えた。私に気づくと、切なそうに笑って小さく名前を呼ばれる。近くまで来て、はっとした。

    「血を吐いたの?」

    その口元に残る血の跡に顔を歪めた。拭ったつもりだったのだろう、きまりが悪そうに目を逸らされる。逐一報告しろとまでは言わないけれど、もっと甘えてくれてもいいのに。でもそれは総司が一番苦手なことなのかもしれない。それなら私が注意を払えばいい。仕方ないなと笑った私を、総司は不思議そうに見つめた。叱られると思ったのかもしれない。

    「遅かったね…土方さんはどんな顔してた?」
    「初めて見る腑抜け面」
    「ははは、それ見たかったなあ。目障りで大嫌いだったのに、これで最後だと思うと名残惜しくなるものだね……さてと、僕らも行こうか」
    「行き先は、決まっているの?」
    「どうかな……でも僕はまだ新選組の沖田総司だからね。できることを、探す」

    その目を何度も見た。炎の如き瞳が美しく燃えている。歩き出す総司の横に並ぶ。新選組の剣としての役目が終わろうとしているのを感じて、ちょっとだけ切なくなった。私は新選組の沖田総司をずっと見てきたわけじゃない。でも総司にとって大切な場所であったことは一緒にいれば伝わってくる。だから後悔は残させたくない、絶対に。

    −−−−−

    土方さん達とは行動を共にしなかったけれど、総司は会津を離れようともしなかった。当然と言えば当然だ。新選組の剣としての終着点は、土方さんの傍にいなければ見つからない。

    彼はどうやら本隊とは別行動をとっているらしい。傷の治りが芳しくないのだろう。あの人のことだ。でなければ、先頭に立って戦うだろうことは容易に想像できる。土方さんは七日町の清水屋に身を寄せていた。総司は会いにいくわけでもなく、監視するように見守って。まるで散り際を見極めるような、そんな雰囲気だった。

    「総司、私が起きているから少し眠ったら?」
    「……そう、だね。それならちょっとだけ横になるよ。はい、ここ」

    夜は人のいない家屋で身を休めていた。ここ数日、総司は気を張り続けている。私は彼ほど神経を擦り減らしてはいないから、一晩起きているくらい訳無い。すんなり頷いたことに胸を撫で下ろしたのも束の間、床をぽんぽんと叩きながら意地悪そうな笑みを浮かべる。この顔は、碌な事を考えていないな。他の人間にされたら突っぱねるだろうけれど、総司からの誘いなら乗ってしまう。

    「どうぞ」
    「少しくらい照れてくれてもいいのに…まあ、素直に膝を貸してくれるなら何でもいいや」

    心底嬉しそうに寝転がると、膝の上に頭を乗せられる。自然と笑みが溢れて、撫で慣れた髪に指を通す。気持ち良さげに目を細める様は正に猫。暫くすると、控えめな寝息を立て始める。

    どのくらい経ったか。総司の額に手を置いたまま、様々な記憶を掘り返していた。すると、小さく呻き声が聞こえて下を向くと、総司の目がはっと開く。声をかける暇もなく起き上がると、目元を押さえている。悪い夢でも見たのかと尋ねようとした、その時だ。

    「あれは土方だ、間違いない。あの七日町の清水屋に潜伏している」
    「よし、皆に知らせよう」

    声が聞こえた途端、腕を引かれて抱き締められる。死角に移動すると、二人息を潜めた。男が数人。会話から新政府側の人間だと分かる。男達が去って、刀を握り締めるその手に触れると、総司が小さく呟く。

    「…行こう、新選組を守らないと」

    "土方さんを"と言わないのは最後の悪足掻きだろうか。その言葉に頷く私を見届けて、総司が走り出す。私も音を立てないように気を払いながら必死に追いかけた。宿場へと向かう街道に、新政府軍の兵が並ぶ。数十人はいるだろうか。いくら土方さんでも、手負いの状態であの人数を相手にはできない。

    「君はここにいて」
    「……分かった。刀じゃ足を引っ張るだけだから、援護する」

    茂みの中でそう言われて反論しそうになるけれど、ぐっと堪えた。銃を手に返事をすると、総司が眩しそうに目を細める。

    「君みたいに勇ましい女の子、他にいないよ」
    「褒め言葉として受け取っておくわ……総司」

    暗闇の中、一人出て行こうとする総司の腕を掴んで振り向かせる。頬に両手を添えて、唇を重ねた。数瞬そうして離れると、微かな吐息が耳を掠める。目を見開いたままの総司に言う。

    「死なないで」
    「……本当、なんなのさ。死なないよ、必ず君の所に戻ってくる」

    翡翠の中に炎を抱きながら笑うと、木の影まで走って行く。それを見届けて、場所を移動する。敵が見える位置まで来て観察すると、銃を手にした兵もいるようだった。敵の灯りでよく見える。まず狙うのはそいつらだ。刀なら総司は負けない。

    敵が武器を準備している間、目を閉じる。暗闇に慣らし、夜目を利かせるためだ。息を潜め、殺気を断つ。暫くすると男達の号令が聞こえて、目を開ける。見える。数十人がゾロゾロと。土方さん一人を殺すために大層なことだ。立ちはだかった総司に銃を向けた男から狙いを定めて、引き金を引いた。

    「ぐあっ!」
    「な、なんだ?どこから撃ってる!?」

    弾は男の腕を貫通した。慌てふためき統率を失う兵士達。その中を総司が突き進んでいく。私も再び、後方で燻っている銃撃隊に向けて発砲する。用意していた弾が底を尽きるころには、兵の数は十に満たないくらいになっていた。それで油断した私の目に、背中を斬られる総司の姿が映る。堪らず銃を捨てて駆け出した。

    透かさず別の男が突進して行くのが見える。刀を握りながら一目散に走って、斬りかかった。突然現れた私の存在に目を剥いた男の刀を弾く。一歩踏み込み、呻き声を漏らしているその頬に拳を食らわした。途端、隙を突いた総司の刀が男を斬り捨てる。

    「名前、こっちへ!!」

    伸ばされた手を取ると、勢いよく引かれて抱きとめられる。刹那、京で再会した日と同じだと思った。私達は命懸けで生きている。私を抱えながら、その剣が残党を屠っていく。最後の一人が倒れ込んでも、暫く沈黙が続いた。互いの息遣いだけが聞こえる。

    「終わった……の?」
    「ふっ、はははは!」

    呆然と呟いた私の声を掻き消すように総司が笑う。ぎょっと振り向けば、耐えられないとでもいった様子だ。怪我は背中の傷くらいだと思ったけれど、頭でも打ったのだろうか。気でも違ったのかと目を白黒させていると、私の疑問に答えるように総司が口を開いた。

    「まさか殴りかかるなんて!思わず見惚れちゃったよ」
    「……必死だったのよ、仕方ないじゃない」
    「そうだね、それだけ君が僕を好きってことだ」

    得意げに言われたのが少し悔しくて黙り込んだ。兎に角、守りたかった。つまり、総司の言った通りだ。何も言えない私に勝ち誇ったような顔をして、肩を抱かれる。擦り寄るように髪に顔を埋められて、擽ったい。

    日が昇り始める。それはとても綺麗なのに、総司にとっては身を焦がす業火。いつか以前のように、朝陽を綺麗だと感じられるといい。手を引かれるまま進もうとして、留まる。地に刺さった総司の刀。数多の死体の中で輝いている。刃こぼれが戦闘の激しさを語っているようだ。

    「置いて行くのね」
    「新選組の沖田総司は死んだ……だから、もう必要ない」

    戦友に別れを告げるように、背を向けて歩き出す。木陰へと移動して根元に腰を下ろしたその時、総司が声を漏らす。釣られて視線を追って見えた、守りたかったもの−−−土方さんの姿。

    「行かないの?」
    「……うん、あとは土方さん次第だ。名前こそ話さなくていいの?僕より君が生きてる方が、あの人は喜ぶと思うけど」
    「必要ないわ」
    「即答……流石の僕も同情するかも」

    そう、必要ない。私の信念は土方さんに預けてきた。だから未練はない。ここからでは表情を窺い知ることはできないけれど、もしかしたら総司は死んだと思っているのかもしれない。しかし、土方さんのことだから私の死体がないことに気が付くだろう。総司を見捨てて逃げ延びたのだと、幻滅するだろうか。真相は知ることはできない。だけど、私達が生きていると信じていてほしい。

    「どんな顔してると思う?泣いていたりして」
    「それは少し見たいかも」

    千鶴ちゃんに支えられて、土方さんの背中が小さくなる。その後ろ姿を総司は眩しそうに見送りながら、私にも聞こえないくらい微かな『さようなら』が鼓膜を揺らした。

    「−−−名前」

    色々な想いが詰まった声音。振り向く間もなく、抱き締められた。抗うことなく身を委ねる。とくん、とくん、と鼓動が聴こえた。生きている音だ。何故か涙が溢れてきて、瞼をぎゅっと閉じる。耳元で囁きながら、その水滴を拭う手は世界で一番優しい。

    「この景色を見られたのは名前がいたからだ。本当にありがとう。これからの僕の人生は全部君にあげる」
    「っ、ごめんね。伝えたい事いっぱいあるのにっ、上手く、言えないっ!」
    「僕は君の為に在る…だから、独り占めだよ」

    言葉を詰まらせる私を愛おしそうに見つめながら、額を合わせて。息を思い切り吸い込むと、大好きな柔らかな匂いがして笑みが溢れる。引かれ合うように唇を重ねた。

    復讐を誓った日もこうしてくれた。あの時はこれ以上の至福は二度と訪れないと思っていたけれど、違った。私は今が一番幸せだ。これからもきっと、それ以上の幸福が待っている。

    息継ぎをする間もなく、一度離れた唇が再び塞がれる。それに応えるので精一杯で、何も考えられなくなりそうだ。何度か繰り返したあと、肩で息をする私に総司が告げる。

    「名前、君が好きだよ。だから、ずっと傍にいて、髪を撫でて、名前を呼んでほしい……約束して」
    「っ、私も、総司を愛してる。約束するわ、ずっと貴方の傍に」

    ぎゅっと抱き締められた腕の中で、永遠を誓う。貴方に恋をして、どれくらい月日が経っただろう。こんな風に一番大切な誰かと愛を囁ける日が来るなんて、幼い私は考えもしなかった。ちっぽけな私の人生に現れた貴方は、紛れもなく光そのものだった。幾多の困難のおかげで今がこんなにも輝いているのだとしたら、全てに感謝しなくてはいけない。

    「総司−−−私と出逢ってくれてありがとう」

    潤む視界の中で見せた笑顔は、見たことがないくらい華やかで胸がきゅっと締め付けられて。堪らなくなって首元に縋り付いた。

    この瞬間を一生涯忘れることはない。何度も思い出すだろう。それだけで息ができる気すらして笑った。まるで花に水を与えるが如く、貴方との記憶が私を生かす。