- 新選組を見送った私達はその後、会津に腰を落ち着けた。会津には新選組の沖田総司を知る人もいないし、何より空気が澄んでいるから総司の病にいい。この土地に来てから咳き込む回数を減ったように思う。それに吸血衝動に苦しむ姿を見ることもほとんどなくなった。今までの人生と比べると、とても穏やかで幸せな日々。
「ちょっと総司、あと少しだから待って」
「そんなの明日にして構ってよ」
これだ。最近は、何かしているとこの調子で絡んでくる。繕い物然り、料理然り、掃除然り。加えて、眉を下げて悲しそうな顔を見せてくるから質が悪い。結局いつも私が折れてしまうのだ。仕方ないなと笑う私を、総司が目を細めて見つめる。それだけで心が幸せだと叫ぶ。これまで持ち前の意地っ張りで封じられていた想いが、今になって息を吹き返したみたいだ。
夏には、西瓜を食べた。小川で冷やされたそれは熟していて甘い。無意識に顔が綻ぶ。隣の総司がそれを見て笑うから少し恥ずかしくなって、慌てて表情を消す。
「残念、隠すことないのに。君、昔より表情豊かになったよね」
「子供っぽいって言いたいの?」
自分だって金平糖を食べるときは子供みたいな顔をするくせに。反論しようとして惑う。目に映ったのが揶揄うような表情ではなく愛しいものを見るときの、私だけが知る総司の顔。胸がきゅっと鳴る。この感覚を味わう度に思い知る、どうしようもなく好きだと。
「違うよ。僕と一緒にいて、名前が自分を偽らなくなったってことだ。色々な顔を見せるから心が追いつかなくて少し困ってるけどね」
「困る?」
「僕はずっと君が好きだけど、昨日よりも今日の方が好きになる。そのうち溢れて手が付けられなくなりそう」
穏やかに笑って、そんなことを言う。感情を表に出すようになったのは総司も一緒だ。昔は意地悪や冗談ばかりで、本心など見せなかったのに。それが今や息をするように愛を吐く。総司と同じ様に私の気持ちも日々膨れ上がっていく。だから知っている、追いつかない気持ちまでもが心地良いことを。今までは想いを持て余して碌な事がなかったのにと、目を閉じて気づかれないように笑った。
秋のある日。買い物に町へ出かける準備をしていると、寝癖をこさえたまま総司が歩いてくる。眠そうに欠伸をして。ぴょんぴょんと跳ねる髪が可笑しくて、くすっと笑った。
「名前、どこ行くの?」
「ごめんね、起こしちゃった?町へ買い出しに行くのよ。何か食べたい物ある?」
「……僕も行く」
「へ?」
予想外の返答に間抜けな声が出た。そんな私に構わず、すたすたと奥へ消えていったかと思えば着替えを済ませて満面の笑みで隣に立った。こうなった総司はもう何を言っても聞くまい。会津に来てから、総司が病人であるということを忘れそうになる。でも心配ばかりを押しつけて、外にも出ずにここで一生を終えるなんて想像しただけで心にカビが生えそうだ。
「そうね、行きましょう。今日はいい天気だし、散歩にもなるわ」
すっと手を取られて、歩き出す。総司の手は温かくて、指も綺麗だ。握ると堪らなく安心する。力を込めると握り返してくれる。たったそれだけで私は幸せだ。この幸せがずっと続いてほしいけれど、その願いはきっと叶わない。それくらい、分かっている。病のことを知って、それでも傍にいると決めた時からずっと言い聞かせている。目を逸らすなんて、らしくない。それでも今だけは、どうかこのままで。
「もうすっかり秋ね。春も好きだけど秋も好き」
目に映る木々は紅や橙に色を変え、思わず見惚れる。風に散る紅葉を手に取って見せようと振り返って。刹那、総司が口に手を当てて蹲った。咳き込んで、地面に敷き詰められた紅い落ち葉の上に血が滴る。紅が赤に染まる様を呆然と見つめた。
「総司!!」
「……は、はは。病か羅刹か、どっちが先に僕の命を刈りに来るのか見物だな」
それを聞いて心が冷たくなった。胸に湧き上がるのは怒りか悔しさか。言葉では表現できない。何か言わなければと思うのに、ただ立ち尽くした。
「先に帰って。町へは一人で行くわ」
「……分かった、気を付けてね」
声音から、たぶん総司が微笑んでいることは感じ取れた。けれど、とても目を合わせられる心境じゃない。少しでいい、一人になりたかった。ざっと地面を撫ぜる音が遠ざかって、下を向いていた顔を上げる。あんな寂しそうな背中を初めて見た。『大丈夫だよ』、『ずっと一緒だから』なんて言えるものか。総司はきっと私よりも先に逝く。その未来を見据えずに、一時の幸せに身を委ねられるほど器用じゃない。
「見届けるのは私の役目、か……」
町は賑わっていた。冬の間は中々来られない人もいるのだろう。手を繋いだ親子、肩を並べる男女。一人なのは私だけ。総司に会いたい。泣きたくなるのを堪えながら、通りを歩く。野菜や米、そして金平糖を買った。
「おや、お嬢さん。ちょっと見ていかねえか」
呼び止められて振り向く。旅の行商人だろうか。硝子細工や、簪、外国からの輸入品なのか、変わった物も並んでいる。ざっと流れ見て、一つ手に取った。びいどろ、だろうか。細長い筒状の容器。こんな物に何をいれるのか。掲げてみると、空の色に光る。
「ああ、それね。珍しいでしょう?何年か前に京の都で手に入れた物だよ」
これはいい鴨だ、と思っているのが見え見えだ。性格上、いつもなら絶対買ってやるものかと思うのだろうけれど、這い出たのは正反対の言葉。
「これ、買います」
「毎度!!」
思ったよりも遅くなってしまった。心配しているかもしれない。下を向いて歩いていると、視界の落ち葉が滲んでいく。それで初めて自分が泣いているのだと理解する。駄目だ、泣き止まなければ。言い聞かせながら蹲った。
「は、何よこれ…うぅ…あ、とま、れ。止まれ!!」
持っていた荷物を地面に置いて、子供みたいに泣きじゃくった。いくら大人になったって、これじゃ意味がない。ちっとも強くなっていない。あの頃の、何もできなかった弱い自分のままだ。『嫌だ』、『傍にいて』、『私も連れて行って』と心が叫ぶ。油断すれば音になって唇から出てきそうな気持ちを必死に押し殺す。溢れる雫が落ち葉を濡らす。自分の情けない声と共に鼓膜を揺らす足音。俯いていた顔を少し上げて、滲んだ視界に映ったのは見慣れた足先。思わず肩を揺らした。
「うわ、酷い雨だね」
「……っ、それなら総司が止めて」
こんな弱い自分を見られたくなくて、顔を隠した。目の前に座り込む気配がして、枯れる様子のない涙を止めようとした手は弱い力で制される。あっという間に両手を取られるけれど、目を合わせられない。あの翡翠色の瞳を見れば、きっと縋ってしまうから。
「今日、落ちていく葉を綺麗だと初めて思ったんだ。僕はさ、土方さんみたいに花を愛でて一句読むような人間じゃあない。むしろ、病に侵されてからは紅葉も桜も大嫌いになった…どうしてだか分かる?」
眩しそうに紅く染まる木々を見上げながら問われる。一体、何の話だろう。問いに対する答えも持ち合わせていない。首を振った私を総司は横目で見つめて、切なそうに呟いた。
「だってほら、僕に似ているでしょ。どんなに綺麗に咲いたって、最後は散っていく。そして地面に落ちたら見向きもされない。踏まれて黒くなってお終いだって…そう思ってた」
そこまで言って、愛おしそうに私を見る。心が死んでしまったら、綺麗なものこそ憎らしく映るのかもしれない。それでも同じものを慈しみたいと思うのは我が儘だろうか。
「だけど京で名前と再会して、生きたいって強く思った。そうしたら、憎らしく思っていた景色も色づいて見えてさ。君ならきっと、散った花弁も拾い上げて抱き締めて『よく頑張ったね』って褒めてくれる、一生をかけて慈しんでくれる」
「それは…全部自分の為よ」
怪訝な顔で本音を吐けば、くすりと笑われる。『君が自分の為にしていることは全部、僕の救いだよ』と、そう聞こえた。私にとって貴方がたった一輪の花であるように、私もまた貴方の中に咲く存在でありたい。
今できる精一杯の笑顔を向ければ、手を伸ばしてくれる最愛の人。
「帰ろう、名前。お腹減ったし」
「根性見せなくちゃね」
「今より根性見せられたら慰め役の僕はお役御免かな」
また冗談を言って、愉快そうに笑う。着物の裾で涙を拭ってくれる、この温もりは永遠じゃない。手を引かれて、立ち上がる。一人で歩けるように、練習しなくてはいけない。記憶を掘り起こさずに済むように、貴方を心に刻んで。そうしたらきっと、手と手が離れても私達はずっと一緒だ。見える景色も今と同じくらい綺麗で愛しく感じるだろう、たとえ総司が隣にいなくても。