1. 文久三年三月、私は京都にいた。総司達を見送ってひと月、周斎先生に自分も京都へ行くと告げた。彼には最初からそうするつもりだと言ってあったから止められることはなかった。もちろん兄の仇を探しに行くとは言っていない。

    『落ち着いたら皆を追って京へ行きます。それまで住まわせてください。近藤さんの許可も得ています』

    そう伝えた。兄が死んでから嘘ばかり付いている。周斎先生にも、総司にも、自分にも。

    そう、私は復讐を遂げるためにここにいる。あの日、兄を殺した男は『京に戻らなければ』と言っていた。このことは試衛館の皆には話していない。言えば、絶対に捜し出そうとしてくれる。特に総司は自ら手を下そうとするだろう。それだけは嫌だった。総司が私の復讐のために人を斬ることに耐えられそうになかった。

    総司に限らず、遅かれ早かれ彼らが人を斬るときがくるという確信がある。でもそれは信念に基づいた殺人。信念さえあれば人を斬ってもいいとは思わないけれど、私の復讐に信念などない。暴力に暴力で応えるだけ。獣と変わらない行為を総司にしてほしくないという私の我が儘だ。
    そして何より自分の手で殺したい、確かにそう思った。だから、これは私のための復讐。自分で成し遂げてみせる。

    −−−−−

    仇を捜すにしても一日二日で見つかる訳はないのだから、食い扶持の当てくらいは見つけなければならない。しかし、田舎出の小娘を住み込みで働かせてくれる所が運良く見つかるはずもない。せめて、もう少し愛想が良くて美人だったら違ったかもしれないが、そんなこと言っても仕方がない。次で駄目だったら諦めて今日は野宿をしようと決め、ひとつの料亭の戸を引こうとすると人が出てきた。

    「おや、お嬢さん。どうなすった?」

    齢六十ほどの老人が立っている。暖簾を下げようとしているところを見るに店主なのだろう。咄嗟に、働かせてくださいと頭を下げれば老人は華やいだ表情を見せて、部屋に通された。妻らしき女性が出してくれたお茶を飲み干す。
    兄が死んで農業だけでは生きて行くのが難しい、と半分嘘の理由を用意していたのに、是非お願いしたいと土下座までするものだから都会の人間は解らない。

    店の名は凪屋。働き始めて、生きるということが簡単ではないことを痛感させられる。そもそも京の街に来ることなど一生ないと思っていた私には予想の範疇を遥かに超える忙しさだ。
    やはり、というより当然なのだが野菜の世話とは訳が違った。しかし四日に一度は暇を貰えるのだから文句は言えまい。

    その暇は専ら仇捜しに費やした。左腕に刀傷があるという特徴を伝え聞き込みをしたが、結局夏になっても収獲はなかった。
    もはや京にはいないのかもしれないと、諦めて試衛館に帰ろうかと幾度も考えたが、できなかった。兄の無念が呪縛のように私を留まらせていた。

    −−−−−

    そして大嫌いな八月の或る日のことだ。

    「また壬生浪の奴らが暴れたらしい」
    「問屋を焼き尽くしたんだと。怖いねぇ」

    お客の話でも良く耳にする壬生浪は市中を警護する浪士隊らしい。見かけたことはないけれど、不逞浪士や脱藩浪人をを取り締まる役割を担っていると聞いた。

    「おいおい、壬生浪じゃねぇよ。あいつら今は新選組で通ってるぜ」
    「ああ、笑いながら刀を振り回すって話だ。副長の土方って奴は鬼みてぇな顔だってよ」

    ガシャン!!

    「あ…ご、ごめんなさい!すぐに片付けます」

    驚いて取り落とした皿を慌てて拾いながら、心は冷静を保てないでいた。

    「(土方?まさか。だとしたら噂の人斬り集団、新選組は近藤さん達のことなの?それじゃあ総司も新選組に…)」

    分かっていたはずなのに、動揺が隠せない。でもすぐに、仇討ちのためにここにいる自分に傷つく権利などあるものかと自嘲的に笑った。
    心のどこかで殺人などせずに夢を実現させてほしいと願っていたのかもしれない。自分は人を斬るために京に来ておいて、都合がいいにも程がある。

    近藤さんの為ならば総司は躊躇うことなく人を斬る。初めて会った日にあの燃えるような瞳を見てから、この日が来ると予感がしていた。そう、分かっていた。分かっていたはずなのに苦しい。たとえ人を斬ったとしても、総司は総司であってほしい。どうか、私の良く知っている貴方のままでいて。

    −−−−−

    仇を見つけることができぬまま、文久三年十二月。冬も深まり雪がちらつくようになった。

    いつも通り、あの男を捜すため街に出て気づいたら、すでに辺りは暗い。まずい。そこらの女性より剣は使えるが、街中を腰に刀を差して歩くわけにはいかないため、胸元に小刀を忍ばせているだけだった。こんな状態で辻斬りにでも遭おうものなら勝ち目はない。

    通りに繋がる角を曲がったと同時に衝撃が身体を走る。反動で後ろへ倒れかかったが右腕を引かれたことで何とか踏み止まる。瞼を開けたとき、目を疑った。傷だ。自らの腕を握っているその左腕の前腕に一文字の傷がある。あの日、稲光に照らされた光景と重なり、どくん、と身体が心臓に呼応する。

    「大丈夫か、君?」

    間違いない、こいつだ。こいつが兄を殺した。頭に血が昇るのを奥歯を噛みしめて耐えながら声を出す。

    「た、助けてください!追われているんです!そこの料亭まで付いてきてくれませんか!」

    今の自分では太刀打ちできない。得物は小刀だけだ。確実に殺すにはこれでは役不足。だからと言ってこの機会を逃すわけにはいかない。縋りつくように嘘を言い懇願すれば、男は料亭まで付いてきた。

    「ありがとうございました。私、ここで働いているんです。御礼をしたいので今度いらしてください」
    −−殺したい。今すぐその喉を掻き切ってやりたい。

    心で暴言を吐きながら、人生一の笑顔を向ける。今まで出し惜しみしてきた愛想も愛嬌も全て出し切る。こいつを殺す為に総司の手を放した。兄を失った私にとって一番大切なもの。
    もう戻らない時間を想っても意味などない。頭でそんなことを考えながら、男が『分かった』と言うのを待った。

    「へえ、凪屋で働いているのか。店主は元気か?私も昔は常連だったんだ。最近は生活が苦しくて飲みにも行けていないがな」

    勿怪の幸い。店主と顔見知りなら一度顔を合わせれば、名前や素性が分かるやもしれない。

    「それじゃあ御言葉に甘えて、今度一杯奢ってもらおう。暫く仕事で忙しいから少し先になってしまうかもしれないが」

    約束ですよ、と笑顔で返せば男は頷いて去っていった。力が抜けたのに手は未だ震えている。深く息を吸い、月を眺めると不思議と胸中は平常に戻る。自分を隠すのは私の十八番。本性を見せるのは最期だけ。

    −−−−−

    奴が姿を見せぬまま半年が経ち、店の前を掃除していた時だ。

    「お前…、苗字か?」

    聞き覚えのある声。隣に立たれたのに全く気配を感じないわけだ。彼はいつも静かなのに、剣を握ると別人のようだった。総司と試合をして引き分けるほど強い。
    この街にいれば、いつか試衛館の誰かに会うかもしれないと覚悟していたが最初が彼とは。

    「一君。久しぶりだね」

    振り向けば、変わらぬ無表情の斎藤一がそこにいた。
 - 表紙 -