1. ※沖田目線です。

    「あれ、土方さん。何書いてるんです?もしかしていつもの俳句ですか?見せてくださいよ」
    「うるせえ、違えよ!文だ、文。姉貴にな」

    邪魔だった芹沢さんが死んでからひと月。相変わらず街の人達からの視線は厳しくて平助あたりは巡察に行くたびに沈んだ顔で帰ってくる。そんなに気にすることないと思うんだけどね。

    まあ、今のところ僕ら新選組の扱いはそんなところ。巡察がない時間はこうして土方さん弄りを楽しむか、近所の子達と遊ぶか、あとは稽古くらいしかやることがない。

    「お前こそ、名前に文を書かなくていいのか?」
    「僕が文を書くような性格に見えるんですか?だとしたら土方さんの目は節穴ですね。文を書く時間があるなら剣を振るいますよ」

    手をヒラヒラと振りながら部屋を後にする。文なんか書く必要ない。辿り着きたいと望む場所まで近藤さんを連れて行く。近藤さんに僕の剣が必要なくなるまでは会えないけれど、必ず君のところに帰るって約束した。だから立ち止まるわけにいかない。それなら筆より剣を握るべきだよね。

    −−−−−

    最近、体調が悪い。池田屋の騒動で敵を斬り損ねたから虫の居所も悪い。
    そして、蝉の鳴き声が煩い季節に、松本先生から告げられた病名は労咳。『やっぱりですか』なんて言ったけれど、いざ真実を突きつけられると結構堪える。なんとなく予感はしていた。勘はいい方だし、命が短かろうと僕のやることは変わらない。新選組の剣として敵を斬る。近藤さんのために僕ができることはそれだけだし、それが僕自身の望みでもある。だから最初から新選組を離れる気はない。
    それでも生き急ぎそうになる。だって、走らなきゃ君に会えない。僕は君との約束を守れなくなるのが何より怖いんだ。

    平気だって言ってるのに、土方さんはお節介すぎて辟易する。しかも千鶴ちゃんは土方さんと同じくらい口煩い。風呂上りに日向ぼっこしてただけで怒り出して、髪を強引に拭かれる。病気のことを知ってるから余計に。それにしても、痛いんだけど。いい加減にしてと言おうとしたら、

    −−総司の髪って猫みたい。ふわふわね。

    名前の声が聴こえて戸惑う。いつも子猫を撫でるみたいに髪を拭いてくれた。他の誰かに言われたら苛々する言葉も、あの子に言われるのは心地良かった。想いを馳せたところで会えやしないのに。妙に切なくなって、振り向いて尋ねる。

    「ねえ、千鶴ちゃんって好きな人いるの?」
    「え!?な、なんですか急に!私にはそんな…」

    嘘が下手だなぁ。その反応、どう見たって"いる"じゃない。あんまり分かりやすくて笑える。

    「僕にもいるんだ、すごく大切な子。時々どうしようもなく会いたくなる」
    「……どんな方なんですか?」
    「素直じゃないし気が強い、そのくせ自分に自信がないんだ。優しくて温かくて僕には少しだけ眩しい」

    近藤さん以外の誰かにこんな感情を抱くなんて思ってなかった。目を閉じて最初に浮かぶのはあの人だけだったのに。近藤さんが知ったら何て言うかな。喜んでくれるといい。大切な二人が笑ってくれるなら、僕はどんな事でもする。

    −−−−−

    秋のある日のこと。日は沈みかけ、巡察が終わって屯所に戻ると千鶴ちゃんに呼び止められる。

    「あれ、千鶴ちゃん。どうしたの?」
    「斎藤さんに沖田さんを呼んできてほしいと言われたので探していたんです」

    一君が他人を使うなんて珍しい、なんて呑気な事を考えながら部屋に入って驚く。呼び出した本人だけがいるのかと思ったら見慣れた顔がいくつも並んでいる。

    「え…、何かあったんですか?」
    「斎藤君が我々に話があるらしい」

    僕以外の皆も見当もついていないみたい。とりあえず腰を下ろすと一君が話し始める。

    「ご報告が。苗字が現在この京にいます」

    頭が真っ白になる。近藤さんが立ち上がり一君に問いただすのが見える。苗字?名前が京にいる?そんな筈ない。あの子は試衛館にいる。

    「なに、それ…。どういうこと?」
    「俺達に会いに来たわけじゃないんだな?」

    動揺する僕とは対照的に土方さんが質問する。

    「はい。忠告はしましたが、目的は恐らく復讐。詳しい経緯は分かりませんが、誠志郎さんの仇がこの街にいるとみて間違い無いかと。自分の所在を伝えるのを許したことから明日にでも決行すると思われます」

    黙って聞いていられなくて、立ち上がる。復讐?あの子が人を斬るって?

    「待て、総司」
    「なに?止めるなら、一君でも斬るよ」
    「あんたに言伝だ。『待っていられなくてすまない』と、そう言っていた」

    それを聞いた瞬間、初めて自分自身を斬りたくなって刀を握る手が震えた。どうして、気が付かなかったんだろう。名前にとって誠志郎さんは僕にとっての近藤さんだった。当然仇を討ちたいと思うに決まっているのに。

    あの日、僕と約束をしたときには名前は決めていたのかな。僕はもう人を斬ることに何の感情も抱かないけれど、あの子にはそうなってほしくない。唇を噛んだせいで口の中に血の味が広がる。お陰で少し冷静になった。

    「くそ、あの馬鹿!全員で探すぞ、放っておくわけにはいかねえ。近藤さんはここに残ってくれ」
    「いや、俺も」

    問答する時間も惜しくて引き戸に手をかけたら、ドタドタと騒がしい足音が聞こえてくる。嫌な予感。

    「土方さん!」

    怒鳴り込んできたのは、いないと思っていた平助と、その後に山南さんが続く。

    「どうした?」
    「羅刹が三人脱走した!急いで捕まえないとまずい!」
    「んだと!?こんなときに…、チッ仕方ねえ。原田と新八、平助と斎藤は羅刹の捜索。確保が難しければ殺して死体を回収しろ。誰にも見られるなよ。総司、お前は俺と名前を探す、分かったな」
    「総司……」

    いつもの憎まれ口を叩くのすら億劫だけど、近藤さんが心配そうに僕の名前を呼ぶから『大丈夫ですよ』と強がってみせる。全然大丈夫なんかじゃない。今この瞬間にも名前が危険に晒されているかもしれないと思うと、気が狂いそうだ。

    「(名前…、どこにいるの?君が復讐を望むなら僕が代わりに斬ってあげる。すぐに行くから待っていて)」

    京の街を早足で進みながら左横の土方さんに尋ねる。

    「ねえ、土方さん。いつから名前はこんなに近くにいたと思いますか?試衛館を発ったときから仇が京にいることを知ってたのかな?」
    「あいつは生意気な女だが馬鹿じゃねぇ。所在を言えば俺達が止めることも分かっていただろう」

    名前が滞在していたらしい凪屋という料亭に土方さんが入っていく。いるわけない。土方さんの言う通りあの子は馬鹿じゃない。ここに誰かが来ることは分かっているはずだ。

    凪屋を後にして、一人で通りを駆けながらすれ違う人の中に名前を探すけれど、どこにもいない。いつも目を閉じれば容易く浮かんだ君の姿が滲んで消えていく。

    −−いってらっしゃい、総司。

    約束をしたあの日、君は泣くばかりで『待ってる』とは言わなかった。二度と会えないことが悲しくて泣いていたの?どんな気持ちで僕達を見送った?僕を選んでくれると信じたかったから、きっと気付いていたのに約束で縛ろうとした。今度は間違わない。泣かないで。君の手を放したりしないから、だから傍で笑っていてほしい。

    息を切らしながら川沿いまで走った。橋を渡れば街の外。名前は見つからない。頬を伝う汗を拭って、もう一度街の中へと目を向ける。

    「…そう、じ」

    周りの音が遠のく。名前を呼ばれるのが好きだったのに、その声があまりに苦しそうで戸惑う。幻聴じゃない、名前の声だ。それを頼りに一つ角を曲がって、その姿を捉える。
    横顔だけで怯えているのが分かったから、駆け寄って抱きしめようと手を伸ばした。さっきまで走っていたから苦しいけれど、そんな事はどうでもいい。伝えたいことが沢山あるのに言葉にならなくて、呼び慣れた名前を叫ぶことしかできなかった。
 - 表紙 -