「国内の捜査権は、我々公安局が与えられている・・・・とっとと帰れ、外務省!」
そして、彼女は口論の真っ最中。すでに頭に血が上っている様子。その相手は朱も見覚えのある女性、花城フレデリカ。一時期公安局刑事課に外務省から出向してきていた人物だ。その背後には、スーツ姿の男性がいる。
「ねえ、こちらは穏便に済ませたいの」
「うるさい!聞く耳なし!」
霜月とは対照的な、冷たく落ち着いた声。流石に冷静だ。しかし、それが却って霜月をヒートアップさせてしまう。このままではまずい。拗れる前に割って入り、フレデリカに訳を尋ねた。何故、外務省がここにいるのか。何故、捜査権を譲らねばならないのか。その全ての疑問が込もっていた。
「ご無沙汰しています」
「どうも、常守監視官。外務省海外調整局、局長の矢吹だ。詳細は言えないが、あの船は重要な外務省案件に関わる。捜査を委ねてほしい」
広い肩幅。厳格そうな顔つき。役人ではなく軍人と言われた方がしっくりくる見た目だ。紛争国や治安が崩壊した国との連絡調整、つまりは汚れ仕事。その長を務めているだけはある。しかし、頼まれたから「はい、わかりました」とは言えない。朱がさらに追求しようとした時だ。篤志がデバイスを操作し、公安局局長の禾生をホログラムで呼び出した。
「禾生局長、現着です。みんな揃っていますよ」
霜月が驚いて声を上げた。確かに話を進める為には手っ取り早い方法だが、些か乱暴すぎるように感じる。そんな朱の心情を他所に、篤志は涼しい顔をしていた。禾生が告げる。
「監視官。現場は外務省に任せ、君達は下がりたまえ。詳しい事情は公安局で話そう」
事務的な、反論を許さない言い方である。それだけ言い残し、ホログラムが消えた。通信終了だ。予想外の命令に、霜月から再び戸惑いの声。朱も同感だった。互いに顔を見合わせる。
「ま、そういうことで。ここは一旦引きましょう。大丈夫、釘は刺しておくから」
そう言って、篤志は矢吹の方へ向かっていく。あまりに早急な対応に、朱は訝しむ。事前に局長と話をつけていた?確かに短い時間なら可能だったかもしれない。仮にそうだったとして、その間にできることは限られていたはずだ。少なくとも、今回の事態を想定して対応策を準備でもしていなければ無理。局長と篤志。そして外務省も関わっている?まさか犯人の目星も?それどころか罠、もしくはマッチポンプの可能性も考慮しておく必要がある。罠だとすれば、かける相手は誰だ。状況から察するに、その相手がグローツラング号の襲撃に関与していると見るべきだろう。海外の紛争、あるいは移民政策そのもの。何が、誰が、どこまで関わっているのか。全容が見えない。思考を巡らせる朱のもとへ、調査を終えた執行官達が船から下りてくる。あれこれ考える前に、彼らの話を聞くのが先だ。
**
篤志と矢吹は、会話を聞かれないように他の面々から少し距離をとった。足元には、大小様々な石が転がっている。そのすぐ側は海辺で、潮の香りが強い。そんな彼らの背中を見つめる瞳があった。人口地盤上に停めてある、一台のバン。運転席を含め三列ある車内。その一番後ろ、三列目の席に響歌は座っていた。シートに足を伸ばし、一人で占領している状態だ。退屈そうにしていたが、篤志を視界に捉えた瞬間、彼女の纏う空気が僅かに変わる。濃くなった警戒の色。常に張り詰めている糸が、さらに強く両側から引かれた。少しでも触れれば、振動する。真冬にドアを開けた瞬間の、キンとした冷気のような緊張感。二列目にいた狡噛と赤井がそれを感じ取る。どうした、と敢えて微笑みながら赤井が問う。常人にはできない芸当だ。それによって糸が通常に戻る。響歌はあからさまに大きな溜息を吐いた後で、いえ、と短く答えた。
「ただ、これから荒れるな、と」
「お得意の野生の勘か?」
「いや、確信。どうやらこの案件、思っていたよりもずっと面倒で厄介みたい。一体どれくらい死人が出るのやら」
首を動かし狡噛が訊くと、響歌はいつもの調子で返事をしながらシートに身を沈ませた。そして締めに縁起でもない言葉を零す。これが後に現実になるということを、彼女はすでに持ち前の勘で感じ取っていたのかもしれない。一方その時、篤志は矢吹に問いかけていた。
「・・・連絡は取れたのか?」
「文書は手に入れたようだ。しかし受け渡しに手間取っている」
「命綱なしで、深く潜らせ過ぎだ」
うんざりしたように溜息をつきながら、篤志は石を一つ拾い上げ、海面に向かって水平に投げた。勢いよく水面を何度か跳ねた後で、沈んでいく。その様は、彼の末路にも見えた。命綱をつけず、海へと潜っていった男。彼はもう浮上できない所にいるのかもしれない。その場所は暗く、深い海の底。誰かが同じ深さまで潜らなければ、救い出すことはできない。
「もちろん、承知している。時間がない。動いた以上、止まることは許されない」
まるで他人事のように矢吹が言う。なにが承知している、だ。そもそも命綱の用意が難しい作戦だった。 彼もそれを承知していた。しかし、ならば良い、ということにはならない。世界がそれを許しはしないだろう。
**
朱と霜月の前に、執行官達が並ぶ。ふたりの向かって右から、宜野座、六合塚、須郷、雛河。
「黙って引き下がるつもりか?」
「局長命令よ。あんなお偉いさん連れてくるからですよ」
執行官を代表して宜野座が言う。それをピシャリと霜月が捩じ伏せる。もちろん彼女とて、納得はしていない。責めるように朱を見た。
「慎導本部長のゲストが船に乗っていたの。ストロンスカヤ博士という女性」
霜月の怒りを何とか抑えつつ、朱は執行官達へと視線を巡らせる。何か思い当たることはないか、という意味を込めて。船内を調査していた彼らは互いに顔を見合わせた後、六合塚が口を開く。
「船内に戦闘員と見られる多数の遺体を発見しました。ですが、損傷がひどく、詳細は不明」
「その中に一人、女性がいた。博士で間違いないだろう」
言葉を続けるように宜野座。そして一拍置き、少し視線を下げてから、告げる。
「ただ、本人確認には時間がかかるが」
「何故です?」
「殺害後に首を切断され、その頭部は見つかっていない」
眉を寄せ、声から怒りが滲んでいた。仕事だと言い聞かせても、許せないものは許せない。この怒りを、捨てたいとは思わない。むしろ捨ててはいけないとすら思う。いつからか、そう思うようになった。誰の影響なのかは正直わからない。いや、思い当たる人間が複数いて、断定できないと言った方が正しい。
「頭部が持ち去られた・・・他の死体も?」
「いえ、彼女だけです」
「船のログブックは?」
「解析中です。外務省に追い出される前に、博士の部屋にあったパソコンのデータもコピーできました」
雛河が答える。流石の仕事ぶりだ。データに滅法強い。そして、日本人の死体が数名分あったことを、宜野座が報告する。それに付け足すように、須郷が一丁の銃を朱に差し出した。
「登録データに該当あり。外務省海外調整局で登録された銃でした。どうも、ストロンスカヤ博士を警護していたみたいですね」
「ただ、妙な点がある・・・現場の状況を見る限り、博士の護衛についていた外務省の職員で同士討ちがあったようだ」
「こちらに無断で武装した職員を配置。やってくれるわ。花城も矢吹ってのも食わせ者ですよ。胡散臭い・・・ゴミの臭いがする」
宜野座の発言に霜月が顔を顰めた。瞳には軽蔑と怒りが宿っている。あまりに正直な発言に、音もなくやって来た篤志が、彼女の肩へと手を置き声をかけた。突然のことに驚き、霜月は小さく悲鳴を上げる。
「あまり人の悪口は言わない方がいい。あいつ、高性能の補聴器使ってるから」
矢吹を指差し、態とらしく声を潜めながら篤志が言った。確かに矢吹の耳には、黒い補聴器らしき物が装着されている。霜月は慌てて朱や宜野座の陰に身を隠した。
「博士が殺されたこと、ご存知でしたね?」
「ああ、矢吹からね」
朱が尋ねる。それ以上のこと、事件の全容も知っているのではないか、という疑念を言外に含ませて。ところが、篤志の表情にも声音にも、変化はない。手強い相手だ。
「外務省と共同で極秘に博士を招聘した。何故です?」
「極秘とは、誰にも知らせないから極秘なんだ」
あくまで笑顔で篤志が言う。少しも悪びれた様子がない。いけしゃあしゃあとは正にこの事。全くと言っていいほど本心が読めない。一体、何の為に動いている。どこまで彼の計画通りなのか。その時だ。パソコンの解析をしていた雛河が小さく声を漏らした。
「・・・監視官、パソコンの解析結果が出ました。博士は事件当日、1件だけメールを送信しています」
「国内の人物?」
「はい、雑賀譲二教授です」
その名前に、朱は驚きを隠せない。何故、ここで雑賀の名前が出てくる。この事件、何かがおかしい。自分達の預かり知らないところで、大きな物事が動いている。
「そっちは任せてもいいですか?一度公安局に戻ります」
雑賀のことが苦手な霜月は、露骨にそう言ってきた。彼女のこういう所は、響歌によく似ている。嫌なものは嫌。ただ、響歌が雑賀を苦手に思っていたのは、潜在犯だからではなかった。本当の理由はわからないが、それだけは確実だ。響歌はシビュラの価値基準で判断しない。霜月と響歌では、信じるものが全く違う。朱は早速車に乗り込み、雑賀を呼び出した。数秒後、応答がある。
「急に連絡とは珍しいな」
「先生に、お聞きしたいことが」
そこで、車の窓がノックされる。篤志だ。せめて終わってからにしてほしかったが、そのまま話し続けるわけにもいかず、朱は窓を開けた。不自然な間に、雑賀が声をかけてくる。それに答えたのは、朱ではなく篤志であった。
「譲二、久しぶりだな」
「何故・・・貴方が?」
「その言い方、敬意が足りないぞ」
「お久しぶりです、先輩」
「よ、隔離施設はどうだ?」
「悪くないですよ」
雑賀にしては珍しく不機嫌そうな声だ。この感じからすると、大学の先輩後輩なのだろうか。この後輩にこの先輩ありといったところか。優れた人間の周りには、優れた人間が集まるものだ。良くも悪くも、篤志は人を惹きつける何かがある。雑賀もそうだ。そして、響歌や狡噛、赤井も。朱の知るその多くが皆、今は潜在犯だ。この社会にとっての異分子は、隔離されるか、シビュラに取り込まれるか。またはシビュラの外に出るしかない。
「もう引きこもっていないで働け。お前は抜きん出て素晴らしい後輩だった。勿体ないだろ」
「用件はなんです?」
「ストロンスカヤ博士の件だ」
前置きは結構とでも言うように、雑賀が先を促す。篤志が端的に答えると、その一言で彼は全てを察したらしい。長い沈黙が落ちる。
「・・・そうですか、惜しい人を亡くした」
「そっちに話を聞きに行っていいか?」
「待ってください。その件については、常守監視官にしか話したくない」
なんとも我儘な要望である。しかし、この雰囲気だと譲る気は毛頭なさそうだ。雑賀は目の前にいないが、声だけでそれがわかった。朱を見やり、篤志は息を吐く。そして肩を竦め頷くと、そっと車から離れた。
**
雑賀のいる所沢の隔離施設に着く頃にはすでに、日は落ち始めていた。西の空が赤く染まっている。雑賀譲二───狡噛慎也の恩師にして、犯罪心理学の専門家。もともとの専門は臨床心理学で、潜在犯を含めた人達のカウンセリングを行なっていたが、頭を使う仕事に関して彼はあまりにも有能だった。そのため、公安局や外務省、国防軍の捜査部門向けに講座を開いていた。いわゆる雑賀教室。狡噛もその生徒だった。そして雑賀は、彼の逃亡幇助にも関わっている。反シビュラ的な考えの持ち主なのは間違いない。
「昨晩、ストロンスカヤ博士から連絡を受けた」
「博士とはどういう関係ですか?」
「慎導さんに紹介されてな」
二人分のコーヒーを用意すると、雑賀から本題を切り出してくる。時間もないので有り難い。先ほどの様子から察するに、雑賀にとって博士はただの知り合いではなかったのだろう。彼もまた、博士に何が起きたのか知りたいのだ。
「昔、彼女の研究協力者として国内の分析データを提供していた。会えばいつも激論になってな。いや、それはチャットでも同じか・・・」
「博士が最後に通信したのは先生です。どんな連絡を受けたんですか?」
「研究成果を渡したいという連絡だった。世界を変える可能性のある研究成果、新理論」
「ストロンスカヤ文書ですね。受け取ったんですか?」
「だとすれば話は早かったんだがな。俺に届いたのは・・・この番号だ」
言いながら、雑賀がメモ用紙を差し出す。そこには11桁の番号が記されていた。850-8799-9520。朱がそれに目を通したところで、彼は続ける。
「博士は乗船する前に、文書と思われるデータキューブを日本にある国際私書箱へ郵送していた。これはその私書箱番号。場所は出島の情報センターだ。念入りに、俺が直接行かなければ受け取れない仕様でな」
「同行していただけますか?」
「もちろん構わない…… 聞いたぞ。出世したそうだな。居心地はどうなんだ?」
朱の懇願するような言い方に、雑賀は微笑み了承した。そしてコーヒーを一口飲んでから、立ち上がる。クローゼットの中にあったコートを羽織りつつ、話しかけた。
「正直、頭がパンクしそうです」
「人は無意識に居心地の良さを求め、そこからいつしか動けなくなる・・・俺がいい例だろう」
「先生は違います」
雑賀が自嘲すると、朱はすぐに否定した。本心だ。不満そうで悲しそうな顔をするものだから、雑賀は苦笑しつつ向き直る。そんな顔をさせたかったわけじゃない。
「まぁ、実際。そうじゃない人間も中にはいる。あの娘がそうだ」
「・・・響歌さんですか?」
「ああ。あいつは、居心地の悪さを感じたら、避けるより先に理由を探すんだよ。雑賀譲二のことが苦手。何故か。ジロジロ見てくるから気持ち悪い。この社会にいると息が詰まる。何故か。全てをシビュラに委ねているから。と、こんな風にな。理由を見つけ、納得し、その後で見限る。だが興味深いことに、最後に会った時、あいつは居心地の悪さを感じているようには見えなかった」
「この社会から出ていく時が近かったからでは?」
床を見下ろし、雑賀は思い出す。昔は決して見せなかった顔で怒り、笑う響歌を。そんな表情をするようになったのは、いつからだったのか。明確な時期は不明だ。だが、理由ならわかる。朱の言葉に首を横に振ると、雑賀は答えた。
「いや、違う。あの時、狡噛が一緒にいた」
「狡噛さんが・・・」
「傍にいて心地が良い相手。あいつにとって狡噛は正にそれだったんだろう」
「はい。そして彼にとっても。でも、響歌さんは彼と一緒にいることを望まなかった」
「そうだ。何故だか分かるか?」
そう問われ、朱は考えてみる。響歌が求めていたら、狡噛は迷わず手を取ったのだろうか。わからない。しかし、事実として彼女はそれをしなかった。欲望に忠実な人が何故か。黙り込み考える朱を前に、雑賀は答えを教えてやる。無駄話をしている暇はない。無論、物騒な話題よりもこちらの方が俄然胸が躍るが、現実逃避はしていられない。
「同じくらい心地が悪いからだ」
「あ・・・異性として意識していたが故の居心地の悪さ、ということですか」
「その通り。そして、あいつには恋情抜きで心底信頼している相手が別にいた」
「ええ。彼も潜在犯でしたが、不思議な人でした。響歌さんとは深く固い絆で結ばれていて、家族のように見えることもあれば、戦友に見えることもあったり」
「その観点からすれば、響歌・ルートヴィヒも凡人ということだ。あいつは、狡噛慎也という居心地の悪さから無意識に逃避しようとした」
意地の悪い顔で雑賀が笑う。それに思わず朱も肩を揺らしてしまった。あの人も案外可愛いところがある。もし、もしもまた会えたなら、指摘してみようか。どんな反応をするだろう。苦い顔で文句を言うだろうか。恥ずかしがったりする姿は想像できない。
「さて、本題に戻るとするか」
「はい」
「慎導さんはどこまで関わってる?」
「博士を日本に招聘したのは本部長です。外務省とも何か連絡を取り合っていた。何か気になることが?」
「あの人は大学の先輩で、公安局に俺の教室を作ってくれたのは彼だ・・・ずっと利用されている感覚があった」
その言葉に朱は安堵する。雑賀が篤志に対して自分と同じ印象を持っていた。自分の警戒が、間違ってはいなかったのだと肯定された心地がした。
「私も利用されると?」
「火中の栗を拾わせる気かもしれん」
「文書の存在を確認するだけですよ」
「ストロンスカヤ文書の内容は・・・外務省や日本政府、ひいてはシビュラの告発に繋がる可能性がある」
「シビュラの告発、ですか?」
朱は驚き、言葉をそのまま尋ね返す。そこまで大きな話なのか。何が起きているのがすら分かっていないのに、重要性が増してきている。
「この国が国内外でしてきたことを暴露する、危ないネタさ。だから君にしか話せなかった」
雑賀は一体どこまでわかっているのだろう。ひょっとしたら、シビュラの正体までもお見通しなのではないか。時折、そんな風に思ってしまう。コートを羽織り、雑賀が部屋を出る。本当に、彼を連れて行っていいのか。一瞬そんな迷いが生まれる。それを振り払い、朱は彼の背中を追った。