素顔を暴こうか

スプーキーブーギーこそが、菅原昭子なのかもしれない。しかし、彼女が死んでもスプーキーブーギーが死ぬことはない。彼女が築き上げてきた名声は、彼女を殺した人間へと受け継がれた。そのことに誰も気付かない。ファン達が愛していたのはスプーキーブーギーであって、菅原昭子ではなかったということだろう。

「本当に虚しいですね・・・恐らく手口は同じ。下水管はドローンに任せて、部屋の中を調べましょう」

とは言ったものの、犯人に繋がる物が残っているとは思えない。この事件はネット社会が舞台。実社会で起きているのは殺人だけ。アバター以外の何かが盗まれたりはしていない。回数を重ねて、相手も手慣れてきている。葉山の時のように証拠を残してはいなさそうだ。一通り調べ終わると、部屋の扉が開く。

「首尾はどうだ?」

狡噛の問いに、響歌は無言で首を振った。朱に気を遣ったのかと思いきや、直後には淡々と結果を報告し始める。遺体の断片が発見されたこと、部屋は大方調べたこと。それを聞いて落ち込む朱に、狡噛と征陸が各々の言葉で前を向かせようとする。

「死は万物の終わり。どれだけ悔やんでも死者が生き返ることはない・・・私が何を言っても貴女は自分を責めるんだろうけど、背負わなくていいものもあるよ」

珍しいなと狡噛は思った。同情なんて、他人に寄り添うようなことは基本的にしない。いつか己の首を絞めることになると分かっているからだろう。だから今、朱に対して干渉しようとしているのが尚更解せない。
探るような狡噛の視線に苦笑して、響歌は言った。

「そんなに睨まないでよ。言われなくても、柄じゃないことは分かってる。私の優しさは残念なことに有限だから、あげられる人は限られてる。だから、これきり。朱ちゃん…貴女が昭子かのじょの人生まで背負い込む必要はない。私達は人の死に近いからこそ、客観視しないといつか壊れちゃうよ。貴女に潰れられたら困る」

その優しさは有限で、朱に注がれることはない。彼女にとって大切な人達にだけ与えられるものだ。今の言葉は忠告ではなく警告だと、理解したのは朱だけだろう。狡噛も征陸も、そして降谷も優しさからの言葉だと認識したに違いない。朱が監視官でなくなれば、あの約束は守られない。ただの口約束、法的な効力は少しもない。しかし、逃げ出すなど許さないと耳元で囁かれるような感覚に朱は身を震わせた。

「常守監視官、貴女が為すべきことは?」
「……犯人の逮捕です」
「その通り。戻りましょう、対策を練り直します」

綺麗に笑うと、響歌は降谷を伴い部屋を出て行く。狡噛はポンと朱の肩に手を置いた。釣られて前を向けば扉から入った外光に照らされた小さな背中。それなりの覚悟をして始めた仕事だ。当たり前だが生半可な気持ちのまま立っていられる場所じゃない。決して甘美な毒ではないのに、侵されるのが心地いいと思う瞬間がある。

「狡噛さんの言った通り、彼女は誰かの手に負えるような人ではないみたいです。でも本当にそれでいいんですか、手綱を握る人が必要なんじゃないですか?」
「ああ・・・だから、あの人が居る。最も適切な人選と言っていい。何しろ、響歌自身が選んだ相手だ。あいつは、誰よりも自分を理解しているからな」

理解した結果の判断、それこそが彼女が普通ではないことの証明だ。自身を律する役目を、他人に全て委ねるなど正気とは思えない。

−−−−−

「また1件、妙なのが見つかったよ」

唐之杜の言葉に全員がモニターを見る。そこには新たな幽霊アバターが映し出されていた。今回のは14歳の少年が持ち主らしい。しかし彼は既に事故で死亡している。まあ、ここまでくると本当に事故かも怪しい。響歌は欠伸を噛み殺しながら、半ば失いかけた意欲を持続させようとする。彼女が興味を持っていたのは行方不明事件であるという点のみであり、その絡繰りはなんてことなかった。加えて、馬鹿の一つ覚えに辟易してきている。そして、降谷零の評価についても定まりつつあった。つまる所、刑事としての正義感が欠けている彼女の胸中は『早く終われ』の一言に尽きる。

「退屈だと顔に書いてありますよ」

クスッと笑いながら降谷が言う。響歌は肩を竦め、狡噛の推理に集中するように努めた。犯人が殺人を対価に得たかったもの、それは理想的な偶像。3つのアバターは持ち主の死後も活動している。入れ替わった後の方が人気を博しているのが興味深い。笑みを浮かべる響歌の横で宜野座が理由を問う。それに狡噛は即座に答えた。

「本物も偽物もないからさ」
「好きこそ物の上手なれってね」

響歌が鼻で笑ってそう言えば、狡噛は頷いて説明を続ける。犯人は、本来の持ち主よりも彼らアバターを理解していた。偶像相手にそこまで熱心になれることに素直に尊敬する。狡噛の指示で、アバター奪取後のアクセス傾向から犯人が絞られる。最終アクセス元は六本木のビジネスホテル、自宅も同じ港区の元麻布。宜野座の号令で一斉に動き出す。車まで足速に向かう途中、響歌は降谷に尋ねた。

「犯人…27歳って言っていましたっけ?」
「ええ、それがどうかしました?」
「崇拝する存在に自分がなろうだなんて思想は、私には欠片も理解できません。でも一つだけ共通点がありました−−−童心を忘れていない所です」
「お前はともかく、犯人もか?」

言わんとしていることを理解し、降谷は成程と微笑んだ。その斜め前から会話を聞いていた宜野座が疑義を唱える。響歌が童心を忘れていないという点は、否定しないらしい。至極当然な意見に笑って説明する。

「宜野座も小さい頃やったでしょ、ヒーローごっこ」
「・・・一体なんの話だ?」
「ほら、映画とか本とかの登場人物の真似をしたりするあれだよ。実在の人でもいい、お父さんとかさ」

前を歩く征陸を見ながら響歌が言う。宜野座はこれでもかと言うほどに顔を顰めて彼女を睨みつけた。しかし、当の本人はどこ吹く風。後ろの狡噛が尊敬と呆れを込めて鼻から息を吐く。地雷を小枝でつつくのは今に始まったことじゃないが、しっぺ返しは響歌ではなく部下である執行官にくることを忘れないでほしいものだ。宜野座の視線を受け流し彼女は続ける。

「子供はさ、なりきる前によく観察しているんだよ。それは、大人になると止めてしまう行為。嫉妬や建前が邪魔をして、憧れも夢も素直に口にできなくなる。まあシビュラが与えてくれるから、必要ないのかもしれないけどね。その点、御堂は子供らしさを貫いたと言える。望んだままに偶像を演じ、好きなものを好きだと主張した。ヒーローごっこで済んでいれば、私達の仕事も減ったから残念ではあるけど」
「お前も他人に憧れたりするのか……」

呟きはあまりに小さく、恐らく無意識に出たものだろう。それを響歌の耳はしっかりと拾った。きょとんと見返す瞳は澄んでいる。見つめ返せなくて宜野座は歩く速度を上げた。その背中に答えを返す。

「憧れてばっかだよ。だけど追いかけようとは思わない。求めるほど遠くなるし、普通にはなれないって私が一番分かってる。それに・・・もし羨む存在ふつうになれたとしたら、私には何も残らない。目的を達成できなくなるくらいなら、憧れなんていらない」

聞いたことのない声音に、宜野座は思わず振り返る。覚悟と未練が混在する瞳は初めて見る。今度は響歌の方が先に視線を逸らした。彼女のような人間なら、何者にでもなれるのだと思っていた。しかしどうやら違うらしい。ずっと遠くにいるのだと決めつけていた背中が、少し近づいた気がした。

「大丈夫ですか?」

走り出した車の中で降谷が問う。まさか案じられるとは予想外で、思わずその横顔を凝視してしまった。今日は目敏く優秀な部下が不在だから油断していたというのもある。心情を表に出すほど不器用ではない。恐らく、この男が鋭いだけだろう。

「言葉にしたら虚しくなってしまって・・・20年近く続けてきた生き方なので、ここにきて揺らぐことはないですけどね。私、心配されるような顔してました?」
「いえ、面白いほどにいつも通りです。貴女は苦痛を伴ってなお、愉しむことができる人だ。それは稀有な才能です。それと同時に、弱さにもなりうる。配分を誤ると、いつか足をすくわれますよ」

柔らかい笑みを浮かべながら忠告とは、やっぱり好きになれない。そう思いつつ、響歌は内心かなり驚いていた。ただの上司である自分に過干渉に感じる。綺麗な横顔を見つめて、彼女はまたも地雷をつつく。

「それは、経験論ですか?」
「・・・僕の場合は、苦痛を苦痛としか感じなくなってしまっただけですよ」
「つまり、先程仰っていた苦しみと愉しさの配分で言えば、降谷さんは苦しみに振り過ぎてしまったというわけですね。ご心配には及びませんよ。私が私である限り、貴方と同じ轍を踏むことはありません」

根拠のない自信、ではないと直感的に理解する。1ヶ月も経っていないが、この上司は事実しか言わないと降谷は認識している。変な見栄で真実を捻じ曲げたり嘘を織り交ぜたりはしないのだ。隠し事はあるようだが、言葉にした時点でそれは真実。沈黙で先を促せば彼女は淡々と続ける。

「私はね、どうしようもないエゴイストなんです。他人のために心を痛めたりはしません。大切な人を守りたいと思うのも、結局は自己精神の安寧のため。もしそれを脅かすほどの苦痛に襲われたら、私は大切なものすら躊躇せずドブに捨てるでしょう。自分はそういう人間だと思っています・・・ただ今は、思っているだけで実際に選択を迫られたことがないので降谷さんのご忠告は胸に刻んでおきます。もしも今の言葉に反して私が壊れたときは、指を差して笑ってください」

挑発的な台詞を吐いて、悪戯っ子のように笑う。降谷は赤井に、最初で最後の同情をした。しかしあの男も彼女の同類だ。どちらも追い詰められた状況で笑ってみせるのだろう。その居場所を赤井に与えたのは彼女だ。かつての降谷と諸伏じぶんたちと似ているという考えは間違いだった。彼らの信頼は課程で培ったものだ。最初は何も無かったに違いない。歪な契約だと思いながらも降谷は少しだけ羨望を抱いた。この社会では、一度踏み外せば奈落行き。しかしその認識は絶対ではないらしい。赤井秀一という例外がいる。牢獄で息をするだけの人形から、首輪を付け苦しむ人間へと大出世。他の執行官と違うのは、あのふたりが対等だという点だろう。響歌はどんな賢者の言葉より、赤井の言葉に耳を傾ける−−−まさに異常だ。

「僕の嘲笑など、貴女には何の価値もないのでは?」
「イケメンに笑われるって精神的にキツいですよ」
「響歌さんの場合、傷つくより先に拳を食らわせそうですけどね。普通の人間なら一発KOでしょう」
「仕事でもないのに、降谷さんのような自分より強い相手に殴りかかったりしません。それに貴方は優しいから、私のことを一撃で殺してくれそうじゃないですか。どうせなら愉しみながら死にたいんです。今際の際で何も感じずに息を止めるなんて御免ですから」

降谷はイケメンだということを否定せずに茶化す。しかし返ってきた言葉に目を瞬かせた。その理由は2つだ。まず自分のような男を"優しい"と評した点。人を見る目は十二分にあるはずだ。笑顔を振り撒く姿が偽りであることくらいは分かっているだろう。そして普通、死ぬなら一瞬の方がいい。しかし、彼女は違うようだ。死ぬ間際まで享楽に身を賭すのが望みらしい。

「貴女に優しいと言われるのは複雑ですね・・・何を以ってそう思うんです?」
「さて、着きましたね」

話を半ば強引に中断すると、響歌は車外へ出る。嘆息してから、降谷もそれに倣う。常守・狡噛・征陸はホテルへと向かった。自宅にて待機するのは宜野座・六合塚・縢。響歌と降谷は宜野座達に帯同している。

「私達は裏口で張るよ」
「分かった・・・行くぞ」

声をかけ、宜野座達は建物の中へと消えていく。狡噛や征陸も一緒だ、きっと自分達の出番はないだろうと響歌は降谷の隣に並ぶ。

「諸伏監視官のことは赤井さんから聞きました。貴方は他人の死に憤り嘆くことができる、優しい人です。潜在犯になってしまったのは弱いからではなく、優しいからですよ」

降谷は、響歌の言葉に狼狽した。大事な相手の死を嘆き憤るのは当然だろう。それだけで優しいと評される資格などない。そこまで考えてふと気付く、彼女にとってそれは当然ではないのだということに。先の言葉を信じるとすれば、彼女は誰かの死を嘆き潜在犯に堕ちるよりも保身を優先する。

「ひとつお忘れではないですか、僕は貴女の部下を殺そうとしているんですよ?」

腕を組んで言いながら、降谷は察する−−−自分はどうやら、どうしても優しい人間に位置付けられたくないらしいと。あの日から、この胸には殺意が宿っている。それも彼女の赤井みぎうでに向けられたものだ。

「殺意って・・・それ、偽物ですよね」
「はい?」

一生に一度の阿保面と間抜けな声。ひょっとしたら、自分が響歌を見誤っていたのではと思うほどの衝撃。彼女は今、偽物だと言ったのか。この殺意を見抜けないほどの盆暗だったのか。否、そんなはずはない。あの男が背中を預けるほどの人間だ。そんなことは、あり得ない。二の句を継げないでいる降谷を余所に彼女は笑って続けた。

「ご自分で分かっていないのでしたら、私が教えましょう。貴方は私と同じく見極めようとしているんですよ。もちろん、対象は違いますけどね。降谷さんは、赤井秀一という人間が自分と共に親友の死を背負うに相応しいか否かを。そして私は、シビュラが真に巫女に相応しいか否かを。どうしてもそれを殺意と呼びたいのなら止めないですけど、もう私の認識は変わりません−−−貴方は優しい。そして、その胸にあるのは殺意ではなく信念です」

降谷はふらついた。得体の知れない恐怖と、離れ難い魅力。この女は何者なのだと思いながら、自分が歪に笑っているのが分かった。喉を鳴らす降谷を射抜く瞳はいつか親友と見上げた空のように澄んでいる。嘲笑でも、作り笑いでもなく、楽しくて笑ったのは久しぶりだ。髪を掻き上げながら、降谷はその背中をじっと見つめた。どうやら着信が入ったらしい。相手は恐らく宜野座だろう。

「(これが、響歌・ルートヴィヒ。まさか今になって他人に興味を持つなんて、笑えるよ。なあ、ヒロ)」

 - back - 

に痺れた!