幻想はいらない

それから約10日、また新たな事件が発生した。概要を聞く限りはそこまで血生臭さは感じない。現場へと向かおうとする部下ふたりを響歌は引き止める、正確には赤井を。言葉を待つ彼に躊躇うことなく告げた。

「赤井さん、今回は待機でお願いします」
「・・・なに?」

赤井が見たことない間抜けな顔をする一方、響歌は満面の笑みを向ける。さすがに降谷も驚いていた。口を挟めず傍観に徹する。まさか信頼している方を外すとは予想外。表情険しく赤井が前に出る。

「顔が怖いですよ、折角の美形が台無し」
「茶化すな」
「一度、降谷さんと捜査がしたいんです。それに、聞いた感じだと戦闘になる可能性は低いですから」

この上司は、その降谷が問題だと分かっているのだろうか。彼の獲物は赤井じぶん。そう言ってしまえば赤井がいない方が安全だと思うが、傍にいずに守れはしない。それに、たとえ凶悪な事件でなくとも危険は絶えず付き纏う。刑事とはそういう仕事だ。

「これはお願いではなく命令です。その意味は分かりますよね。ご安心を、背中を取らせたりしませんし、そう簡単に死んだりしないです。撃たれる前に撃ちますよ。そういう人間だと、よくご存知でしょう?」
「・・・ああ、一度決めたら突き進むこともな」

自主性を捨てるなと言われたのだから、構わず同行することもできる。だがそれは、彼女のためになる場合の話だ。今回は違う。響歌は赤井の上司、それは変えようのない事実なのだから命令である以上は従わざるを得ない。いくら抗議しようが、無駄だろう。赤井は大きく息を吐きながら「了解した」と低い声で返事をして背を向けた。

「というわけで…よろしくお願いします、降谷さん。今のところ信頼はしていませんが信用はしています」
「それは光栄です」

些か正直すぎるが、降谷は愉快そうに微笑んだ。宜野座に指定された場所まで車を走らせる。運転席に座るのは降谷だ。視界に入ってくる景色を拒絶するように響歌は視界を瞼で遮る。

「そろそろ着きます」

声をかけられて意識を浮上させた。降車して欠伸をひとつ。目前に建つマンションを見上げて歩き出す。問題の部屋に到着し、宜野座達と合流する。捜査に参加しているのは宜野座、朱、狡噛、縢の4人。各々が部屋の中を調べる。響歌は降谷とふたりで内容を整理していた。と言っても、推理の突合だ。

「んー…こりゃ死んでますかね」
「恐らく、としか言えません。ですが、自然に消えるのを待つより消す方が遥かに容易い」
「この社会から消えるのはとても難しい。殺してバラした方がずっと簡単で早いってことですね。それにしても、人を解体するのはかなりの重労働。加えて、犯罪係数の悪化は避けられない・・・それほどの犠牲を払ってまで何を得たかったのか」

瞬きひとつせず淡々と語る姿を、降谷は観察する。獲物を追ううちに自らも獲物と化す−−−監視官はそんな危険と常に隣り合わせだと、彼はよく知っている。しかし、響歌はそれを危険視していない。その瞳は無垢で澄んでいる、まるで子供だ。踊りながら綱渡りでもしているようにも見える。

「しかし、血生臭さ満点ですよ。本当にあの男を外してよかったんですか?」
「理由は先程述べた通り、貴方とペアで捜査してみたかったからです。それから行方不明事件とは何かと縁がありましてね、少し本腰を入れたいというのもあります。赤井あのひとは、私の守り手。それは私が望んだことですが、今回はストッパーなしでやってみたくて・・・そう見抜いたうえで我儘を許してくれた。私のような薄情な人間より遥かに優しいですよ、あの人は」

今回の一件は一言で表せば行方不明事件。それは響歌にとって縁のある単語。ホームセクレタリーの一斉点検でこの部屋のトイレが2ヶ月前から故障していることが分かった。にも関わらず苦情は一切なし。住人は無職で32歳の男性。口座情報からネット上の人気者だったらしいことも判明した。引き落としも2ヶ月間ない。狡噛の指示で内装ホロとズレて配置された椅子を移動させる。その下の床には小さな傷、さらに部屋の隅にはテープを貼った跡もばっちり残っていた。

「出血のない方法で犠牲者を殺し、それから部屋にビニールシートを敷いて遺体を細切れに分解する」
「骨って硬いのによくやるね・・・その割には杜撰」
「度胸と根性はあるが素人の殺しだな」
「んー、度胸と根性は私も見習いたい」
「響歌さんはどちらも既にお持ちでは?」

持ち前の観察眼で冷静に分析する狡噛と、軽い口調で返す響歌。最後に降谷が笑顔で締めた。宜野座は不愉快そうに顔を歪め思う−−−何故、彼女は自ら闇へと踏み込んで行くのか。その表情が、苦痛でなく愉悦に染まっているのが尚更理解できない。自分が藁をも掴む思いで必死に這い上がろうとする横を、笑顔で素通りされている気分だ。宜野座がぐっと歯噛みをし、刑事の勘はもう沢山だと言おうとしたときだ。

「おい、響歌。赤井さんはどうした?」
「今回は待機してもらってる。ああでも、何かやらかしたわけじゃないよ。私の意向でね」

狡噛が眼光鋭く響歌の隣の降谷を見る。大切な友人の側に、得体の知れない男がいる。彼女を任せるなら赤井だけだと思うのは、狡噛じぶんのエゴにすぎない。まさか「お前では役不足」などと根拠のない事を降谷に言えるはずもない。言葉にはしないが雄弁に語る視線を、当の本人は涼しい顔で受け流した。

「どうやら狡噛執行官は、響歌さんの猟犬として僕では役不足だとお考えのようですね」
「いや、そう言えるほど俺はあんたを知らない」
「あ、初めて会ったとき思ったんですけど…降谷さんって、犬より猫っぽいですよね」
「「………は?」」
「おい、どうでもいいから捜査を続けろ」

ひどい間抜け面を晒す執行官達に、いよいよ宜野座は我慢の限界だった。響歌は笑って謝罪をし、捜査を再開する。その間に縢がPCから住人、葉山が使用していたアバターを特定した。犯人の割り出しには暫く時間を要するかに思われたが、朱の呟きで捜査は一気に進展する。

「タリスマン」
「何?」
「私・・・今朝、このアバターに会っています」

職場に戻り、分析室へ。現場の下水道から葉山の遺体の断片が発見、これで行方不明の謎は解明された。残る謎は葉山の死後も活動しているアバター。結局、その幽霊の正体を暴くため件のタリスマンに接触することになったが、問題は人選。狡噛や縢がにやにやと宜野座を見る。思惑通り、宜野座と朱がその役目を担うことになった。硬貨のアバターに「その心は?」と響歌は声に出して尋ねてみたが、答えはない。

結局、本丸と直接話すことは叶わなかったものの、別の人気アバターであるスプーキーブーギーから朱にアクションがあった。どうやら中身は彼女のリアルな知り合いらしい。そして何故か公安局への協力を申し出てきた。デュエルマッチなるものを催し、誘き寄せると言う。確かに宜野座の硬貨アバターでは、そんなやり方はできない。知名度のあるアバター同士だからこそ使える手と言えるだろう。

「降谷さんはオフ会そういうのって参加するタイプですか?」
「昔なら兎も角、今は・・・まあ、首輪を引き千切ってでも会いたいと思う友人達はいます。彼らにはもう、仮想世界ですら会うことは叶いませんが」
人間わたしたちが見つめるべきは現実です、幻想じゃない」

仮の姿で仮想世界を歩けば、会いたい人に会えるだろうか。求める真実に辿り着けるだろうか。そう考えて自嘲した。あの従兄あにが現実を手放すはずがない。それに響歌は掴みたいのだ。実体のない幻想になど触れられるわけがない。

オフ会当日、場所は六本木のクラブ。建物内に朱・狡噛・征陸、そして響歌の4人。外を宜野座・六合塚・縢・降谷が見張ることになった。陰から様子を窺いながら征陸と狡噛が顔を歪める。赤の他人と肩を寄せ合ってダンスする様は確かに異常。概ね同意の響歌とは裏腹に朱はその考え方に否定的らしい。

「狡噛もあの輪に入って踊ってみたら?」
「お前も常守と同意見か、さすが考え方が柔軟だな」
「あれを正気と思うのが柔軟な考え方なら、私は一生頑固でいいや。どう見ても、有象無象じゃん」

肩を揺らして笑う響歌を戸惑うように朱は見つめた。その表情は征陸よりも、狡噛よりも、冷たい。二面どころではない。多面的で、毎秒のように仮面を変える。それでも彼女の主柱となる信念は一つなのだから奇々怪々だ。

「おい、奴だ」

征陸の声に3人は視線を向けた。確かにタリスマンの姿がある。朱がホロコスを纏い接近していく途中で音楽が止んだ。直後に響いたノイズに堪らず耳を塞ぐ。次に目を開けると異様な光景が広がっていた。見渡す限りタリスマン、同時ハッキングだ。どうやら勘づかれていたらしい。征陸と狡噛がドミネーターを構え、制圧対象になった人間を撃っていく。この混乱した状況のせいで、犯罪係数が正しく測れるとは思えない。響歌はその場から動かず、視線を巡らせた。逃げ惑う中に妙な動きをするアバターはいない。

「木を隠すなら森の中、ね」

結果は失敗。スプーキーブーギーは非難される形になり、朱も彼女に振られてしまった。宜野座・六合塚・縢は逆探知で、狡噛は別の方法でやってみると言う。

「我々はどうしますか・・・響歌さん?」
「あのクラブに私達がいたこと、どうしてバレたと思います?それも朱ちゃんが接触しようとした途端・・・主役に近付こうとするのは不自然ではないはず」
「もちろん常守監視官はホロコスを纏っていたんですよね?だとすれば、視界に捉えたからではないのかもしれません。つまり目撃されたからではなく、別の要因がある。他に引き金になるようなことは?」

そう、あの場にいた人間は全員アバターの姿をしていた。見た目では公安の人間かなど分かるはずがない。降谷の言葉に導かれ、響歌の脳内でひとつずつ可能性が消されていく。朱の行動をなぞり、硬直した。

「あの時、直前にドミネーターを起動させました。潜在犯を裁ける唯一の武器−−−その信号を感知した」
「なるほど・・・敵もなかなか厄介ですね」

唯のアバター野郎ならいい。いくら有能でも、力の使い方を知らなければ大したことはない。能力というのは、大きさとベクトルが揃ったときが一番恐ろしい。最悪なのは、裏に別の誰かがいる場合だ。その場合、今回の犯人を捕らえたところで根は残る。いつか別の場所から再びその茎を伸ばすだろう。

狡噛がスプーキーブーギーとの会話ログを洗う隣で、征陸が朱にネット社会が理解できないとぼやく。それに対し朱は、彼を絶滅危惧種だと言いながら丁寧にその仕組みを説明してみせる。そんな中、楽しそうな声が室内に響いた。

「それなら私も絶滅危惧種だ」
「・・・響歌さんって、20代ですよね?」
「通俗的なものって逆に興味湧かないんだよね。それに、赤の他人とコミュニケーションとるくらいなら美味しいもの食べるか寝てる方がずっと有意義だよ」

驚きと同時に納得してしまう。響歌は素直なのだ。恐らく、『友人がみんなやっているから』というのは彼女には何かを始める理由にならない。それよりも時間を費やすべき事項がある。かと言って、ネット社会を全否定しているわけではない。何かを調べるためにネットを使用するのは単純に有益だから。逆に生産性があれば、アバターを纏ってみるのかもしれない。征陸に「お揃いですね」と笑いかける様は親子のようだ。確かに無機質なネット社会より、こんな風に誰かと笑っている方が彼女らしい。

朱が小さく息を吐いて顔を上げると、響歌の姿が視界から消えている。慌てて見回すと、狡噛の斜め後ろに立つ彼女の姿。次いでその左耳にあるイヤホンを取り上げ自ら装着した。グイと画面を覗き込む彼女に、狡噛は驚いた様子はなくチラと視線をやっただけだ。どうやらスプーキーブーギーが朱に初めて接触してきた際の映像のようだ。暫くそのまま聞いていたかと思えば、響歌が表情を硬くする。些か乱暴にイヤホンを狡噛の耳に戻すと、出口へと歩いて行ってしまう。その後を降谷が追う。

「何か掴めました?」
「スプーキーブーギーが奪われました。1回目と2回目で言葉遣いに変化が。それぞれ"公安局"と"警察"」
「偶然の可能性もあります。裏を取りますか?」
「いえ、それは狡噛がやってくれます。私達は現場に向かいましょう。もし杞憂なら、それでいい」

そう言いながら分析室に連絡をいれる。簡潔にアバターの持ち主の割り出しと住所を調べるように唐之杜に指示をしてから、車へ。乗り込むと同時に住所が送られてくる。降谷の運転で現場へと急ぐ。その頃、一足遅れてスプーキーブーギーの言葉遣いの違いに気付いた狡噛達は、分析室に全く同じ依頼をしていた。

「それならさっき響歌に教えたわよ。なあに、別行動でもしてるの?まあ、もう出てるから送るわ」
「・・・頼む」

仲が良いわけではなくとも、スプーキーブーギーの持ち主は朱の知り合いだ。狡噛も征陸も言葉にはしないが、刑事の勘が手遅れだと言っている。車内の張り詰めた空気の中、征陸がポツリと呟く。

「それにしても…コウより先に気付くとは流石だな」

それは響歌に対する賛辞。ほんの少し会話を聞いただけで、アバターの中身が入れ替わっていることに気が付いた。朱も運転席から頷いて見せる。ところが、狡噛だけは違った。鼻で笑い、降参とばかりに両手を挙げて言い放つ。

「とっつぁん、流石なんて言葉で評価するのは間違いだぜ。普通、二者の相違点を探すなら片方だけを観察しても見つからない・・・普通・・はな」
「どういう意味ですか?」
「響歌がさっき聞いたのは、最初の会話だけだ。つまり、オフ会後のやり取りを聞いたのは分析室での1回きり。あんたはどうだ、監視官。2つの会話、一言一句復唱できるか?」

朱は息を飲み、征陸は頭を掻きながら息を吐く。狡噛の言うことが真実なら、確かに普通ではない。朱とスプーキーブーギーが会話したのは2回。最初は宜野座と共にタリスマンへ接触を図った際、2回目はオフ会の後だ。響歌はそのどちらも1回聞いただけ。それも連続してではなく、時間を空けてだ。会話の内容ならまだしも、言葉遣いの違いなど普通は気付かない。

「あいつを見てると"優秀"という言葉すら矮小に思える。そもそも持ってる武器が違う・・・まったく、とんだ化け物だよ。味方で良かったと心から思うぜ」

化け物だなんて、あの美しい女性を呼称するのに相応しくないと思う反面、その異質さと内に秘める強固な信念は他と一線を画しているのは間違いない。異形でありながら、魅せられる。朱は「敵になるかもしれない」と言われたのを思い出し、息が詰まった。目的地はもうすぐだ。


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に痺れた!