親の心子知らず

着く頃には辺りは暗くなり始めていた。長い運転を終えて、赤井は息を吐く。隣で寝息を立てる上司の肩を揺すった。ゆっくりと開いた瞳がやっと赤井の姿を捉える。欠伸を一つして、響歌が言う。

「お疲れ様です。調べるのは明日の朝からにしましょう。その方が捗ります。今日は、ご飯を食べて寝てください。養父には連絡しておいたので、夕食は用意してくれているはずですから」

揃って車を降りる。周囲に建物はなく、ホロではない植物が茂る場所にその家はあった。真っ黒な外装で一見どこが玄関なのか分からない。響歌がドアノブに手をかける前にそれは開かれ、中から彫りの深い顔立ちの男がぬっと現れた。響歌の養父、レオンである。

「急に帰ってくるとは何事かと思ったが・・・ふむ、どうやら年老いた父親の顔を見に来たわけではないな」
「ただいま、今回は捜査でね。彼は私の部下、赤井執行官。ここまで運転してくれたの」
「赤井秀一です」

言葉短に挨拶をすると、じっと見つめ返される。血の繋がりはないはずだが、心の内側を見透かすような瞳は娘によく似ている。見定め終わったのか、スッと目を細めると左手を差し出される。あまりに自然だったため無意識に握手を交わした。後からレオンが右利きだと分かって、この親にしてこの子ありだと納得する。玄関を開けてから、握手を交わすまでの間で赤井が左利きだと見抜いたのだろう。敵地ではないのに、警戒を怠れないなと苦笑した。

それから豪勢な夕食を囲む。赤井は食事に気を遣う方ではない。正直、腹に入れば問題ないと思っているくらいだ。だからか、飯が上手いと感じたのはえらく久しぶりな気がした。やはり料理も酒も本物が一番いい。隣の響歌も黙々と平げている。態度や口調が雑なことはあるが、食べ方はそれなりに上品だ。そう言えば以前、「養父は礼儀作法にうるさいんです」とぼやいていた。職場でしばしば口の端に菓子の食べかすを付けていることは言わないでおこう。それにしても、実の親の友人だと聞いたが、随分大事に育てられたようだ。

「わざわざ帰って来たということは、厚生省のデータベースにもない情報をご所望なのか?」
「いや、データ自体はあると思うけど調べ方が分からない。今あるのは視覚的な情報だけだから。たぶん、元にしている題材がある。昔読み漁ったときに見たんだろうけど、描いた人の名前なんて調べなかったし。それを明日から探す。さてと、ご馳走様でした。今日はもう寝るね。赤井さんもしっかり休んでください」

手早く皿を片付けると、スタスタと奥に消えて行く。実家でもマイペースは発揮されている。レオンはやれやれと嘆息すると、食後のコーヒーを赤井の前に差し出した。豆を挽いたのだろう、香りが強い。お礼を言って口に含むと、程よい苦味と深みに笑みが零れた。好みの味だ。

「苦労をかける、と言いたいところだが・・・君はあいつと同類だな」
「私では大切なご息女を任せられませんか」
「いいや、むしろ案じているのは君のことだ。響歌が刑事になった日から、会う度に言い聞かせるようにしている。次に対面するときは死体だと。あれには、そういう危うさがある。つまらぬ責任感で付き合うことはないと忠告しようと思ったが、違う。君は自ら望んで、そこにいる」

愉快そうに肩を揺らしてする話かと突っ込みたくなった。どうやらこの父親も、全てを楽しむ質らしい。あの娘が出来上がったのには、彼にも一因があるのではないか。内心そう思いながら、赤井はカップにあるコーヒーを飲み干した。

「なんにしろ、油断はしないことだ。こんな社会だからこそ−−− Curiosity killed the cat.好奇心は猫をも殺す
「ええ、肝に銘じておきます」

赤井の母国のことわざを引用したのは偶然だろうか。まさかな、と口角を上げる。響歌のあれは好奇心なんて言葉で片付けていいものか。言うなれば、執念だ。必ず暴いてみせるという強い思い。それこそが、彼女の原動力。レオンに案内された客間で赤井は息を吐いた。客人など滅多に訪ねて来ないだろうが、きちんと整頓されている。一人で住むには些か広すぎる家だ。宿舎のベッドよりも寝心地がいい。寝転んで目を閉じると、意識はすぐに沈んでいった。

次の日。朝食を済ませてから、いざ仕事だと立ち上がった赤井の肩を響歌が叩く。書斎だという部屋の扉を開けて、挫けそうになった。この時代によくぞここまで集めたものだ。膨大な量の本が並んでいる。広い部屋の端には梯子が掛けられ、天井までの3階層にみっちり敷き詰められている。大判から片手で読めるサイズのもの、種類も図鑑やら教養本に至るまで様々だ。

「赤井さんはこっちからお願いします」
「待て、響歌。お前は昨日、作者と言っていたな。それならば、この棚は調べなくてもいいだろう」

作者や描いた人と言うくらいだから、以前見たのは絵画や彫刻などの芸術作品なのだろう。ならば、動植物の図鑑やプログラミングの本は省かれそうだ。しかし、赤井の問いに彼女はキョトンとしてから暫く黙り込んだ。そして、納得したように頷くと返事をする。

「言い忘れていましたけど、見たのは紙切れなんですよ。本の一部ではないので、どこかの本の間に挟んであるはずです。ちなみに描かれているのは絵画です」
「何故そんな紙が本の間に挟んである?」

当然の疑問だろう。ページの一部ではないのなら、何の為に挟んであるのか。響歌は再び少し考えると答えた。どうやら先程から赤井が投げかけている問いは、彼女にとっては当たり前のことばかりらしい。

「そういうゲームなんです。7歳の時にここに来てからずっと。毎日一冊、養父がどこかの本に挟んだその紙を探すという遊びです。見つけるまでに開いた本で一度も読んだことがないものは必ず読んでから、次の本を開く。なので最初の頃は寝る時間もありませんでしたよ。見ての通り、量が膨大なので。13の時にやっと全冊終わりました。幸い読書は嫌いじゃなかったので、いいですけどね」
「なるほどな・・・やはりお前の親、なかなか面白い遊びだ。合点がいった。画集なら、お前が画家の名前を記憶していないわけがない。腹を括るか。それでその紙切れはどの程度の大きさなんだ?」
「ああ、このくらいの厚紙です」

両手で四角を作って見せてくる。ちょうどハガキくらいの大きさらしい。頷いて四方を囲む本棚を、赤井は1階から時計回りに、響歌は3階から逆回りで攻めることに。数分後、赤井はふと気が付いて尋ねた。

「例の現場写真をレオンかれに見せればすぐに作者が分かるんじゃないか?」
「それは無理です。ああでも、"出来ない"のではなく"してはいけない"と言った方がいいですかね。私と養父の約束なんですよ。己の目的のためにレオンじぶんを頼らないこと。全て自分の力で成し遂げろ、と。こんなに可愛い娘にスパルタすぎますよね」

飴と鞭がはっきりしている。尤も響歌本人は飴を飴と捉えていなそうだが。律儀に約束を守るところは面白いが、お陰で仕事が増える。あの養父ならば、一瞬で答えが返ってきそうなだけに遺憾の極みだ。ケラケラ笑いながらも、彼女は手と目を動かしている。相変わらずの集中力。それから2日間、ひたすら本のページを捲り続けた。そして、

「あ、あった・・・赤井さん、ありましたよ」

ひょこっと2階の端から響歌が顔を出した。赤井はやっと1階を終えた頃だった。視線をやると、彼女が梯子を降りて傍までやって来る。その手にある紙を横から覗くと、そこには確かにあの日見たものと似た作品があった。ペラと返すと右下にサインがある。

「王陵牢一」

響歌が知っているかと赤井を見上げる。生憎と文学ならともかく絵画に造詣は深くない。首を横に振った赤井に息を吐くと、歩き出した。書斎から出てきた二人をレオンが迎える。挨拶もそこそこに家を出ようとする娘を引き止めた。

「ほれ、持ってけ。お前のことだ。他の同僚にも世話をかけているんだろう?養父としてせめてもの礼だ」
「私、そこまで問題児じゃないよ。まあ、貰うけど。養父さんのマフィン美味しいし・・・こっちの箱は?」
「羊羹だ、よう噛んで食べろ」
「・・・言っとくけど、ツッコまないよ」

本当にギャグのセンスが皆無だ。これを面白いと思っているのだから、正気を疑う。半ば呆れたようにレオンを見ると、「じゃあね」と一言だけ残して今度こそ扉に手をかけた。まるで明日も帰って来るような声音に、思わず余計な言葉がレオンの口から這い出る。

「死ぬ前に一度くらいは墓参りをしたらどうだ」
「話すことなんてないのに?」

ハッと鼻で笑い、肩をすくめ響歌が言う。出て行くその背中を無言で見送りながら、目を閉じる。思い出すのは異形かのじょの生みの親。母親は聡明で優しい女性。父親は穏やかで繊細な人間。だから、呑まれてしまったのだろう。ただ凡庸だっただけなのだ。生きた時代が違えば、今も笑って過ごしていたに違いない。そして響歌かのじょもまた、平坦な道を歩けていたかもしれない。

「忘れるな、お前は望まれて生まれてきたんだ」
「・・・養父さん。私は何もあの人達を憎んでなんかいない。その身を以て気づきを与えてくれたことに感謝しているくらいだよ。ただ、もう分かり合うことはできない。二人はもういないから。それだけのこと」

彼女の人生を話して聞かせれば、その気づきが狂わせたのだと誰もが言うだろう。しかし違う。単なるきっかけなのだ。険しいその道を進むことを、彼女は望んでいる。むしろ好都合だと笑う。そういう娘だと、とうに理解しているはずなのに、また引き戻そうとしてしまった。自戒するようにレオンは目を伏せる。

「可愛い子には旅をさせよ、か」

扉の向こうへと消えていく背中を、目に焼き付けた。いつも通り言い聞かせる、これが最後の姿だと。

−−−−−

「へえ、これはビンゴかもしれませんね」

車内で響歌が嬉しそうに笑う。視線を向け先を促せばウキウキと話し出した。王陵牢一で検索をかけると、その娘が桜霜学園に在籍していることが分かった。そう、標本事件の主犯だとされる藤間幸三郎が教師として働いていたのが桜霜学園だ。偶然にしては出来過ぎている。狡噛の刑事の勘は当たっていたらしい。

職場に戻り、降谷と合流する。狡噛は大人しく待機をしているらしいが、そろそろ暴れ出す頃だろう。宜野座達は桜霜学園内部を探っているとのこと。降谷から調査の進捗を聞き、響歌の方からも結果を伝えた。

「ってことは、標本事件同様にプラスティネーションが使用されていたんですね」
「ええ。狡噛執行官が睨んだ通り、件の未解決案件と繋がっているのかもしれません。素材の出所を探りましたがやはり空振りでした。それから、先に連絡した通り二人目の被害者が出ました。両者共に桜霜学園の生徒だそうです。そちらの進捗はどうです?」

響歌は例の紙を手渡した。そこに描かれた絵画を見て、降谷は馬鹿にしたように笑う。その心意を理解してか響歌もそれに倣った。犯人はどんな気持ちでいるのだろう。人間を解体し装飾して、神にでもなったつもりか。所詮は模倣だ。それとも成り代わろうとでも言うのか。

「神なら、ゼロから創造して見せてみろって感じですよね。よっぽどこの画家が好きなんでしょう。しかし最近多いですね。どいつもこいつも真似ばっかり」

先日のアバター事件で執行された御堂のことを言っているのだろう。全く理解できない様子の上司に赤井は苦笑した。

「人間は弱いからな。他人の皮を被った方が安心するのかもしれん」
「赤井さん、面白いことを言いますね。私は全く逆の考えです。弱いからこそ信じられるのって自分だけじゃないですか。己を捨てるのは、死ぬのと同義です。ああでも、それは矛盾でした。例外がいます。貴方のことは自分以上に信頼していますから」

ビシッと赤井の鼻先に人差し指を突き出す。隣でその様子を眺めながら降谷は思う。今回の犯人や御堂と、彼女は違う。どんなに信頼していようが、彼女は赤井の皮を被ることなどしない。それに彼女に成り代われる存在もまた、どこにもいない。それだけのアイデンティティを持っている。いつだったか、彼女が自身を凡人と評していた。今更ながら笑える。これを凡人と言うならば、この社会の多くは人間ですらない。

「それで、どうやって追い詰める?堂々と学園内を歩くわけにはいくまい。ベビーフェイスの彼は兎も角、
「何か仰りましたか、赤井執行官」
「赤井さんと足して二で割ったら丁度いいんじゃないですか。まあ冗談はさておき・・・私が乗り込みます」

ニッと笑いそう言うと、降谷に視線を送る。頷いて、机の上にあった物を響歌に手渡した。赤井はそれを二度見する。そこには綺麗に畳まれた制服がある。話の流れからして、桜霜学園の制服だろう。正気を疑うように見てくる赤井に、まあ見てろと響歌は笑った。牢一の娘が在籍していると分かってから、これを手配するように降谷に頼んでおいたのだろう。

「これ結構イケてません?現役でも通用しません?」
「よくお似合いです」
「完全に楽しんでいるな」

くるりと舞って見せる。実年齢を知っているから些か無理があるように思うが、客観的に見れば学生に見えなくもない。この上司に常識を求めてはいけない。隣の降谷が学生服を着れば、カップルの完成だ。

「では明日、潜入します」

次の日。素知らぬ顔で校内を進む響歌を部下ふたりは見送った。何か進展があるまではここで待機することになるだろう。校舎の隅で煙草に火を灯す赤井に、降谷は顔を歪めた。

「そんなに吸って、お前の肺はボロボロに違いない」
「この社会の空気より何倍も新鮮だと俺は思うがな。響歌はどうだ、君も興味を惹かれるだろう?」
「・・・面白い人間なのは認める。しかし一つ言っておく。彼女はお前をストッパーのつもりで傍に置いているようだが、俺には爆弾と起爆装置にしか見えない」
「ははっ、せいぜい起爆しないように注意しないといけないな。この場所は譲らんぞ」

赤井が砕けたように笑う。その顔をぶん殴りたい衝動を降谷は必死に堪えた。この男をどうしたいのか、分からなくなっている自分がいる。行き場のない激情だけが胸にくすぶる。だからか、その姿を視界にいれるのが癪で降谷は目を閉じた。

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に痺れた!