己を手放すな

2112年、12月21日。朱は狡噛の付き添いで、プロファイリングの第一人者である雑賀譲二を訪ねていた。今回の目的は朱への短期集中講義、そして雑賀の受講生名簿を洗うこと。結局、名簿の方は空振りに終わったが、朱は大いに満足しているようだ。お礼を述べて立ち上がる狡噛に雑賀が尋ねた。

「ローズは元気か、帰って来たんだろう?」
「ええ、相変わらず化け物じみていますよ。顔を出すように言っておきますか?」
「いや…狡噛が言ったところで、あいつは自分のしたいようにしかしないだろうよ」
「違いないですね」
「あの……響歌さんのことですよね、どうしてローズなんですか?」

話の流れから、その単語があの女性を指すのだということは分かった。雑賀が彼女を知っていることも驚きだが何故、"ローズ"なのだろう。小首を傾げる朱に雑賀が笑って答える。

「綺麗な薔薇には棘があるってことだ。あいつの養父とは顔見知りでね。初めて会ったのは確か16の時だった。俺も色々な生徒を指導してきたが、あそこまで読めない相手は珍しい。所作に表れない、ブレないと言ってもいい。人間関係、生い立ち、過去、それらにあいつが影響を受けるのはあくまで精神ここの隅だけだ」
「その影響とやらも雀の涙ですけどね」

呼び名の所以に朱は納得する。肩を揺らす二人に、笑い事かと突っ込みたくなった。ふと彼女の横顔を思い出す。ころころと表情を変えるけれど、確かに周りに流される姿は見たことがない。『我が道を行く』という言葉がよく似合う。しかし、全く影響を受けないというわけではないだろう。少なくとも、従兄の存在はその人生に影響を与えている。雑賀は彼のことを知っているのだろうか。尋ねようかとも思ったが、ここには狡噛もいる。口止めされてはいないが、人の事情をペラペラ話すのは良くない。

「狡噛−−−棘の抜けた花と、花を失った茨、お前さんはどちらが見たい?」
「あいつがどちらかを捨てることはないですよ。両方持ち合わせてこその響歌・ルートヴィヒです」

どちらが見たいか。難題だと朱は思う。狡噛もまた、選べなかったのだろうか。どちらが恐ろしいかと聞かれれば、間違いなく後者。狂気だけを残したその姿はどんなだろう。有限だった優しさも、信念すらも捨て去ったその時、彼女は人間ではなく本当の化け物になる。想像するだけで身体が震えた。

−−−−−

「赤井さん!」

響歌が桜霜学園に入ってから1時間後。無言で煙草を吹かしていると、名前を呼ばれた。声の方へと視線を移せば、朱を伴った狡噛の姿がある。携帯型の灰皿に煙草を突っ込み近付いた。

「響歌は中ですか?」

赤井が黙って頷くと、狡噛は焦ったように歩き出す。その姿を降谷が冷ややかに見つめた。敷地内を狡噛がズカズカと進む頃、意気揚々と探索する響歌に慌てて声をかけたのはコミッサちゃんに扮した征陸だ。

「お嬢・・・か?」
「あれ、もしかしてマサさん?可愛いコミッサちゃんの中身がムキムキのおじさんだなんて…え、ちょ、

腕を思い切り引っ張られる。征陸は響歌を建物の影に連れて来ると、ホロを解いた。"お嬢"とは雑談をするときに征陸が呼ぶ響歌の渾名のようなもの。初めて呼んだ時は、小説に出てくるヤクザの娘みたいだと顔を綻ばせはしゃいでいた。しかし職務中はいつも"監視官"のはずだ。余程驚いたらしい。嬉しそうに自分を見つめる響歌に征陸は深い溜息を零す。

「宜野座監視官は知ってるのか・・・あー、いや。考えてみれば、お前さんとあいつは同僚だ。報告する義務はないってことか」
「今から行くとは伝えてあります。皆さんがここにいることは知っていたので。まあ、宜野座はこんな格好で乗り込んでくるとは夢にも思っていないでしょうけど。どんな顔をするのか楽しみです。女子校には女子の方が馴染みやすい。実際、可愛い女子学生にしか見えないでしょう?」

自慢げにスカートの裾を摘んでポーズをとる。確かに30手前の女には見えない。しかし些か丈が短すぎる気もするが、一部下が口を出すことじゃないだろう。征陸は苦笑して、ポンポンと頭を撫でてやった。嬉しそうに目を細める姿は、同期である狡噛や右腕である赤井には見せない顔だ。

「それじゃあ、ちょっと探ってきますね」
「探るって・・・まさかホシがどいつか分かったのか」

ニィと笑って建物内へと入っていく。その数分後、征陸は堂々と歩く狡噛を見つけることになった。廊下を進むその姿を生徒の群れに紛れて響歌は見つめた。狡噛はある一室に踏み入ると、静かに問う。

「動機は父親の復讐か?王陵牢一は二度殺されたようなものだ。まず科学技術によって才能を殺され、そして社会によって魂を殺された」

狡噛がドミネーターを構える。その銃口はひとりの少女−王陵璃華子−に向けられている。強引な捜査を制止しようとする教員によってできた隙を、彼女は見逃さなかった。ちょうど響歌がいるのとは逆方向へとその姿が消える。後を追い教室を出てきた狡噛の肩を響歌が叩いた。咄嗟にドミネーターを向けられるが、両手を挙げて笑って見せる。

「お前その格好・・・仮装大賞か」
「彼女、一人じゃない。協力者がいる」

その言葉に狡噛は目を細めた。それから監視室でカメラの映像を洗うが、この学園の内部セキュリティは穴だらけらしい。璃華子の姿を探しながら、宜野座が狡噛を問い詰める。どうして王陵牢一なる人物が浮上したのか、最初から藤間が犯人ではないと見抜いていたのか。狡噛は淡々と自分の推理を述べていく。今回の犯人には標本事件のようなオリジナリティが感じられないと言い切った彼を、響歌は眩しそうに見つめた。

そしてまた、新たな作品が発見される。だがそこに璃華子はおらず、監視室でその姿を探すが空振り。それどころか、小一時間前に映像を洗ったときには異常のなかった記録に、削除された痕跡が見つかった。残された僅かな音声データから聞こえた"マキシマ先生"に狡噛は唇を震わせる。あれは恐らく、王陵璃華子の最後の作品。彼女はもう見つからないだろう。ある意味では逃げ果せたのかもしれない。そう、あの世に。しかし代わりに、幽霊の尻尾を掴めた。

「響歌」
「お疲れ様、凄い活躍だったね」

部下達と話していると、背後から名前を呼ばれる。振り向けば、仏頂面の同期の姿。部下ふたりに軽く手を挙げてから、近付いて茶化す。険しい表情のままの狡噛を、響歌は不思議そうに見つめ返した。

「お前は俺より先に掴んでいたはずだ。何故、捕らえなかった?」
「怖い顔だね。何故、か・・・理由は二つある。一つは私情、もう一つも私情」
「なんだと?」

隠すことなく告げられた言葉に、目を見開く。この同僚に責務を全うしろなどと説教する気は毛頭ない。苛立ちの理由など、子供じみたものだ。勝ちを譲られたような気持ちがした、たったそれだけの対抗心。それを根元から引き抜かれる答えだった。そんな狡噛の心情など無視をして、彼女は続ける。

「動機が父親ってことに自分を重ねて、それに引き摺られて捜査の手を無意識に緩めた。これは完全に私のミス。いやぁ、自分では吹っ切れてるつもりだったんだけどね。今後はもっと気をつけるよ。んで、二つ目は意図的・・・私さ、狡噛の生き方が好きなんだ。だから、貴方が獲物を追い詰めるところを見たかった」

父親云々の話を突っ込む間もなく告げられた二つ目の理由。”意図的”という単語に反応して掴み掛かろうとした右手は空を切った。予想だにしない言葉に、胸に居座っていた感情が削がれる。潜在犯の生き方が好きだなんて宣う輩はそうそういない。そんな狡噛の様子を面白そうに見つめると、彼女は「怒った?」と尋ねながら微笑んだ。問い詰める機会を逃し、拳を握る。美女に愛を囁かれるのとは違う。声を聴くだけで高揚感を覚える、自ずと目で追いたくなる。それは導き出した”マキシマ”の性質とよく似ていた。

「私の身近にいる人で、狡噛は一番人間らしい。足が折れたら這ってでも、腕がもげたら噛み付いて、成し遂げるために使える物は全て使う。それができる人間が、今この社会にどれ位いると思う?幸せの定義を得体の知れないシステムに委ねて、よく笑っていられるよね。狂っているのは世界か私か。答えが出るまでは止まれない」

去って行く後ろ姿を、こんな気持ちで見つめるのは初めてだ。潜在犯としての今の生き方は、消去法で残されたものだと思っていた。しかし、幸せの定義は自分で決めるものらしい。その道を仕方なく進むのではなく、己の道にしてしまえと言われた心地がした。健常者筆頭の人間の言葉なのに、鼻で笑い飛ばせないのは相手が彼女だからか。ならばいっそ、乗ってみよう。都合のいい解釈かもしれないが、そういうポジティブさも捨ててはいけない。

職場に戻り、朱が報告書をまとめ終わったときだ。大きな欠伸をしながら響歌が入ってくる。目で追っていると、宜野座の机に何かを置いた。彼はちょうど席を外している。尋ねるよりも先に、今度は朱の席にもそれが置かれた。綺麗な包みだ。

「あの、これは・・・」

戸惑う後輩を差し置き、響歌は征陸、狡噛、六合塚、縢と順に包みを渡していく。最後の二人に至っては、ほぼ話したことのない相手からのアクションに顔を見合わせた。

「ルートヴィヒ家特製のマフィンだよ。ちなみに生地から手作り、中のナッツも本物です!!」

そう言いながら、自分でも一つ口に運ぶ。ぽかんとする面々の中で、狡噛と征陸は無言で包みを開いた。彼女の行動に理由を求めてはいけない。

「朱ちゃん、宜野座と一悶着あったんだって?」
「え!?えっと、その」
「いいねいいね〜、その調子!」

どこから聞きつけたのか。恐らく彼女の言った一悶着というのは、朱が雑賀と会った日のことだ。宜野座は狡噛を叱責した。その中で朱の能力を否定するような物言いに怒鳴り返してしまった。響歌は、宜野座が大切だと言いながら、彼を惑わす行為を良しとする。そんな彼女に朱はどう反応すればいいのか分からなくなった。頼りの狡噛は無言のままだ。

「朱ちゃんは疑うより信じる方が難しいと思う?私はね、思わない。だってこの社会の人は皆、生まれた瞬間から巫女を信じてる。私はその簡単なことが、ある時からできなくなった。でも結果的にそれで良かったなと思う。私は今、ちゃんと苦しくて楽しいから」
「ルートヴィヒ監視官は、他の監視官の方々と違いますよね。誤解を恐れず言えば、変わっています」

ド直球な六合塚の言い方に、隣の縢がギョッとする。朱は思わず苦笑いを浮かべたが、狡噛や征陸は静観を貫く。当の響歌は数回瞬きを繰り返したあと、小さく笑って口を開いた。

「宜野座や朱ちゃんが持っているものを、私は何一つ持ち合わせていないので当たり前です。ただ"違う"だけなんですけど、私みたいな人間の方が圧倒的に少数なので、変わっていると言われるんです」

講義でもするかのように話す。一定の歩幅で室内を歩いて、征陸の背後に立った。狡噛だけが、気にせずマフィンを食べ続けている。

「キャリアを積んで勝ち組になろうとか、この国の秩序を守るとか、脳みそを掠めたこともない考えです。それに、純粋に誰かの背中を追うこともできない」

態とらしく征陸の両肩に手を置いた。当たりの強い息子のことを言っているのだろう。とても純粋に背中を追われている気はしないなと、征陸は苦笑いで返す。

「おまけに最近は、一つ事件を解決する度にこの国の人達が嫌いになっていく。つくづく私は、刑事に向いていないんでしょうね。適性があることが甚だ疑問で仕方ないです。そんな私の座右の銘はなんだと思いますか?はい、興味なさそうな狡噛慎也くん!!」

突然の指名に、狡噛は呆れた顔を向けた。周りが哀れに思う中、嘆息しつつも彼は考える。この同期が大事にしている言葉は何か。数秒ののち、答えた。

「・・・常に愉悦を追求する」
「50点」

予想以上の高得点だ。狡噛が肩を竦めると、チッチッチと指を振って見せた。思わずストレートをお見舞いしたくなるが、なんとか堪える。それから部屋の中心に立つと、腕を広げて高らかに宣言した。

「心も体も生き生きと、です」
「大体合ってるじゃないか、80点はくれていい」
「どこが!狡噛が言ってるのは精神の話でしょ?この身が朽ちたら意味がない。まあ手足の一本や二本ならくれてやるけど、命は捨てない。いつ、どんな時も」

引き込まれる。もしかしたら、槙島に操られる人間もこんな感覚なのかもしれない。そんなことを思いながら狡噛の頭を反響するのは雑賀の言葉、カリスマ性とは何かを説明した時の会話だ。雑賀はカリスマ性には3つの要素があると言った。英雄的・預言者的資質、一緒にいて気持ちがいいという空間演出能力、そしてあらゆることを雄弁に語るための知性。どれも響歌は持ち合わせている。しかし、その割合が偏っているのだ。数字で表すならば、2:6:2だろうか。毒気を抜かれるほどの魅力が彼女を誘うのは、闇か光か。どんな結末であろうが見てみたいと思いながらも、どこかで道を違う予感がする。胸を刺す小さな痛みに、狡噛は笑った。

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に痺れた!