ご静聴願います

2113年1月某日、あれから槙島に動きはない。当然と言えば当然だ。メモリー・スクープは成功し、白い悪魔の顔は特定された。どこかの監視カメラに映り込もうものなら即座に刑事が飛んでくる。しかしこれは、嵐の前の静けさだろう。そう確信めいた予感がする。

「えー、興味のない人もいると思いますが、暫しお付き合いください。質問があれば都度お願いします。今日の議題は大きく2つ。どちらも私が刑事をしている目的についてです。狡噛が知りたいと言った"全て"はこの2つを話せば、ほとんど語り尽くせる」

今日は狡噛との約束通り、全てを明かす日。前に出て語る様は、さながら教授だ。ソファには一係の面々が並ぶ。響歌自身は、狡噛にだけ話すつもりでいたが、征陸や朱を含めた全員が各々の意思で集まった。赤井は壁に背中を預け、降谷は少し離れて目を閉じる。どちらも今日は傍観者だ。分析室で話し始めた響歌が確認するように視線を向けると、狡噛は続けてくれとばかりに小さく頷いた。

「まず最初に、先日の一件で私の身に起きたことをお話しします。槙島と接触後、私は彼といくつか会話を交わしました。その会話から分かったことを簡潔にまとめると、3点です」

指を3本立てて、一拍。狡噛は早くしろと心で急かしながら、こいつは教師も向いているのかもしれないと思った。行動に些か問題があるから生徒を選ぶだろうが、きっと講義は実に興味深いに違いない。

「まず1つ目、槙島はある人物から私について教えられていたということ。次に2つ目、その人物は私と繋がりが深いということ。最後に、槙島は私達を引き合わせて何かを試そうとしているということです」
「響歌さんっ、まさかその人って……」

その呟きに周りが声の主へと視線を送る。従兄のことは赤井と朱にしか話していない。赤井の方は表情を変えなかったが、朱は唇を震わせながら尋ねた。響歌が槙島と対峙したあの時、彼女はその場にいたが、どんな会話がされたのか正直記憶していなかった。不安そうな後輩を一瞥すると、スーツの右ポケットから取り出したメモリを唐之杜へと渡す。

「志恩、中のデータをモニターに映してもらえる?あ、画像ファイルの方ね」
「はいはい、お安い御用よ。えーと…はい、どうぞ」

その声を合図に全員がモニターを見る。驚く者、目を細める者、困惑する者、反応は様々だ。モニターには二人の人物が映し出されていた。真新しいスーツを見に纏った、まだ幼さを残した女性。隣には笑ってその肩を組む青年の姿。女性の方は紛れもなく響歌だ、今よりも若い。初々しい頃があったのかと全員が思う。

「その人物が彼、私の従兄です。名前は羽賀響輔。あの日、槙島と一緒にいました。そして恐らく彼も、ドミネーターで裁けない」
「−−−え?」
「恐らくってことは、実際にドミネーターを向けてはいないんだな。なら何故、裁けないと分かった?」
「本人から聞いた。自分は裁かれるだけの罪を犯したこと、それから・・・20年前に私が抱いた疑問への答えは自分だ、ってね。ドミネーターを向ける直前に気絶させられちゃったから、"恐らく"って言ったんだよ」
「その疑問とはなんだ?」

朱が動揺を隠せず声を漏らす。ほとんどが朱と同じ反応を見せる中、狡噛は問う。彼だけが冷静に受け止め響歌を見返した。否、冷静にとは少し違う。そう決めていたのだ。知りたいと言ったのは自分で、彼女はそれに応えようとしている。ならばこちらも誠意を見せるべきだ。たとえそれが、どんなに歪で冷酷なものでも受け入れる。そう決めて、狡噛は今日ここに来た。間髪入れずに質問をする狡噛と、的確に淀みなく答える響歌。あまりのペースの速さに周りは聞くことに徹するしかなかった。狡噛が問うた後、沈黙が落ちる。初めて響歌が答えに迷った。その問いは響歌・ルートヴィヒの核心を探るものだ。

「それは一番最初の目的の2つ目に関係してくる」
「そうか、なら後だな。質問を変える。お前の兄貴が自白した罪というのは、槙島の手助けをしていたってことか、それとも別にあるのか?」

裁けない、それはつまり"裁かれるだけの罪を犯したにもかかわらず、裁けなかった"ということだ。その罪が槙島に手を貸したことなのか、他に事由があるのか。狡噛はそれを尋ねたのだ。

「うーん、手を貸していたかは分からないけど、槙島が犯罪に手を染めていることは知っていたと思う。勘が鋭い人だから。それに本人も言っていた通り自ら罪も犯している。十中八九、事実だと思う。あの人は5年前、身内を数人殺している」
「なんだと?それを知っていて、野放しにしていたのか!槙島とは違う、顔が割れている殺人犯だぞ!」
「でもシビュラは裁けなかった。じゃあどうやって罰を与えるか、宜野座が殺すって言うの?もしあの人を殺すなら、私はたぶん貴方を許せない」

噛み付くように叫び、宜野座が立ち上がった。少しずつ影響が出てきている。規律と常識を重んじる彼が朱という存在によって変わりつつあるのを、響歌は嬉しそうに見つめた。表情とは裏腹に声はひどく冷たい。室温が下がった気すらした。たじろぐ宜野座を見て、彼女は大きく息を吐き出しながら瞬きを一つ。絞り出すように再び宜野座が問う。

「そもそも何故、そんな供述があったことを上に報告しなかったんだ?」
「・・・ごめん、ムキになった。自分でも矛盾は承知してる。私情だよ。ああいう特殊事例が、どう扱われるのか分からない状況で、動きたくなかった。たとえ人殺しでも、私にとっては大切で尊い人だから。責められるかもしれないけど、今の自分にちょっと安心してる。私はまだ、大事な人のために必死になれる。人間なんだって実感できるでしょ」

響輔をドミネーターで裁けないと分かったのは、つい先日。一方で"彼が殺人に手を染めたのでは"という疑念は5年前から常に胸にあった。それに蓋をし、自ら進んで彼を捜すことはしなかったのも事実。対峙した時、シビュラの神託のままに引き金を引く自信がなかったのだ。

「そう遠くないうちに、槙島と本気の喧嘩をすることになる。顔が割れた以上もう息を潜める時間が無駄ですし、準備ができ次第、動くでしょう。そこでお願いです、従兄あにのことは全て私に任せてほしい。先程述べた通り、槙島は私達を引き合わせ何かしようとしている。あの人と私が一緒にいることで、相手が仕掛けやすい状況を演出するんです。とまあ、御託を並べてみましたが、釣れるかは分かりません。私よりも狡噛の方が彼には魅力的かもしれませんし。運良く釣れたとしても、相手も馬鹿じゃない。必ず仕留められると約束はできません」

凛とした声が響いたあと、部屋を寂静が支配する。誰も答えられずにいる中で、狡噛は喉を鳴らした。追う相手がいる。それは自分と同じはずなのに、付随する感情が異なるだけでこうも違うのか。狡噛が槙島に抱くのは憎悪だ。少なくともそう自覚している。一方、響歌が響輔に抱くのは情景。彼女は怪物であってもケダモノではない。その瞳に澱みは影も無く、ただ澄んでいる。

「お嬢」
「はい、マサさん」
「敵の動きに目星は?」
「さぁ、どうでしょうね。他人の行動を読むのって基本的に苦手なんですよ。私の普通が通じた試しがないので。まあ朱ちゃんの話だと、槙島は人の魂の輝きを見たいと言っていたらしいので・・・従兄あにを殺して私の反応を見るか、その逆のどっちかじゃないですか」
「お前の普通は他人には普通じゃないからな」

征陸の問いに響歌が平然とそう答え、狡噛が呆れたように返事をする。宜野座や朱は突っ込む所はそこじゃないと内心思う。その予想だと、彼女か響輔のどちらかが命を落とすということだ。

「兄貴を撃てるのか?」
「撃たない。撃てないんじゃないよ、そもそもそんな選択肢は無いってこと。今まで悩んでいたのが馬鹿みたいだけど、至極当然だった。実際に銃口を向ける寸前になって、やっと気付いたよ。大事な人には生きていてほしいに決まってる。怖いのは、あの人が自分自身を諦めてしまっていた時。私の選択は関係なくなるし、最悪のパターンと言っていい」

宜野座はチクリと胸に棘が刺さるのを感じた。また、だ。また彼女は自分に出来なかった事を息をするように実行する。殺人犯だろうが潜在犯だろうが、大切なものは大切だと笑う。

「そうなった場合、お前はどうする?」
「どうかな・・・正直、分からない。壊れちゃうかもしれないね。そしたら私も見事にそっち側」
「おい、本気で言っているのか?」

狡噛の問いに、響歌は自嘲するように言った。堪らず声を上げたのは宜野座だ。絞り出すような声音に、少し驚いた顔をして彼女は吹き出した。心配性なところは父親によく似ている。笑う要素がどこにあるのかと周りが思う中、響歌はすぐに表情を戻して肩を竦めた。

「大丈夫だよ。今の私には、あの人以外にも楔があるから。私を私に繋ぎ止めるための、ね。どちらかと言えば、槙島の方が危なそうだし。ドミネーターで裁けないだけならいいけど、腕っぷしも強いのかな」
「ま、待ってください!そんな囮みたいな作戦、賛成できません。危険過ぎます!」

淡々と話を進める響歌と狡噛に、朱が戸惑うように声を上げた。命の危険など取るに足らないことだと言うのだろうか。狡噛はそれでいいのだろうか。彼女が彼を案じるように、彼もまた彼女を大切に思っているはずだ。なら、何故止めない。命を餌に使うなんて、正気じゃない。

「だからこそ、意味がある。餌はより美味しそうな方がいい。要は釣りと一緒。魅力的な響輔えさと鋭いはり。でも私は死なないよ。丈夫な釣り糸がいるからね」

そう言いながら、響歌は部屋の奥にいる赤井を見つめた。いつの間にか糸認定された本人は、微笑を浮かべる。主人が望むならば、どんな役割だろうとやり遂げよう。誰も止めようとしないのは、無駄だと分かっているからだろう。5年−−−その年月を覆せるほどの言葉を持ち合わせていなかった。

「でもごめんね、朱ちゃん。建前なんだ、さっきの」
「え?」
「あの作戦は、さほど重要視しなくていい。惑わす意図はないよ。できれば実行したいって程度だから。本音は、あの人と話す機会がほしいだけ。そんなことはせずに、槙島を捕らえられるのが一番いいに決まってるしね。だから、槙島のことは出来るだけそっちに任せるよ。私は、こんなところで死にたくないから」

少し眉を下げて、響歌が笑う。そして、一度だけ瞬きをしてから宜野座の傍まで来ると、表情を消してこう尋ねた。

「それで…どうする、宜野座」
「何の話だ?」
「嫌だなぁ、とぼけちゃって・・・私は、あの人を逮捕しないよ。それでもいいのかって訊いてるの」

響歌はじっと宜野座を見つめた。その唇は弧を描いているものの、空気はひりついている。免罪体質者がこの社会にとってどういう存在であるのか、それを知っているのはこの場で三人だけだ。禾生から直接聞かされた響歌と宜野座、そして彼女から情報を共有されている赤井。殺人を犯してなお、犯罪係数が上昇しない。その事実を知ってしまった以上、響輔は槙島同様に確保するのが刑事として最善の行動だろう。しかし、目の前の女は違う。

「刑事としての使命より、自分を取る。私がそういう人間だって、よく知ってるでしょ」
「俺が確保を命じれば、お前は従うのか?」
「監視官の宜野座が監視官の私に?冗談でしょ、従う義務がないじゃん……それとも、局長に報告する?あの女は私情を理由に職務を放棄しているってさ」

一歩踏み出し、真正面から宜野座を見上げた。誰も口を挟まない。それぞれ共通の心境であった。響歌の意思は決して変わらない。たとえ上から圧力が掛かろうと、彼女が己を曲げることはないと知っている。上が確保を優先するなら、響歌は刑事という肩書きなど簡単に捨てて、それを阻止するだろう。

「そうなれば、俺達はお前の敵に回ることになる」
「そうなるね。でも私は貴方達に死んでほしくないから、その時は手足何本か折る程度にするよ」
「・・・はぁ、お前はそうまでして我を通すのか。そもそも何故、自分が勝つ前提なんだ。正気か?」

額に手をやり、宜野座は盛大に溜息をつく。いつも通りの空気に、朱は胸を撫で下ろした。どうやら彼女が敵に回る事態は回避できたらしい。

「私にドミネーターは効かない」
「殺人犯の逃亡を幇助しても、か?」
「変わらないよ。もし私の犯罪係数が上がることがあるとすれば、心に傷が付いた時だけ。それに、たとえ素手でやり合うことになっても、私と張り合えるのは狡噛かマサさんか降谷さんくらいでしょ。ましてこっちには赤井さんがいるからね」

さも当然とでも言うように、響歌は赤井の隣に来てその肩を叩いた。当の本人は薄く笑って返事をする。

「相変わらず人使いが荒いな。流石に3対1は厳しいと思うぞ」
「貴方の相手など僕ひとりで十分です」
「あれ、じゃあ降参した方がいいですかね?」
「いや、その時は存分に楽しませてもらうさ」

喉を鳴らして肩を竦める彼に、降谷が冷たく返す。和気藹々と会話を繰り広げる3人を前に、周りは何とも言えない顔をした。くすくす笑う響歌を見て、宜野座は眉間の皺を深くする。立場と私情、常に自分はその間で揺れ動いているのに、彼女は何の迷いもなく後者を選ぶ。どうしたら、そんな風に生きられるのだ。一度目を伏せて奥歯を噛むと、険しい表情のままで口を開く。

「羽賀響輔については、物証が揃っていない。あるのは自供のみ。それだけでは確保の理由としては不十分だ。ただの狂言かもしれない。接触し、その真意を確かめろ。同僚として俺が言えるのはそれだけだ」
「流石、話が分かる。んでもって優しい。きっとお父さん譲りだねぇ」
「おい、それ以上続けるつもりなら今すぐ局長の前に突き出すぞ」
「……阿呆」

些か無理のある建前を並べた宜野座の腕を、響歌は嬉しそうに肘付きした。故意に地雷を踏んで行くところは、どうにかならないものか。再び青筋を立てる宜野座から逃げるように、敢えて征陸の背後に身を隠す姿はとても27の女とは思えない。その光景を見つめながら、狡噛は心底呆れたように呟いた。

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に痺れた!