演奏会の幕開け

「やっと動き出しましたか。約1ヶ月…お手並み拝見ですね。慎重に、且つ楽しんでいきましょう」
「狩りの時間、だな」
「その顔、どうにかならないんですか」

2月3日、信じられない事件が発生した。響歌達が会話している間に、一係が先に現場に入る。規制線が張られ、その間には物々しい雰囲気が漂っている。一方で、外から様子を窺う野次馬達に、そんな空気は微塵もない。それを無表情で見やり、響歌も犯行が行われた建物内に入って行く。

「そういえば、今日は節分ですね。皆で悪霊ばらいと洒落込むには絶好の日じゃないですか」
「響歌さんは古い慣習に興味がお有りなんですね」
「ええまあ、私は現代より100年前に生まれたかったと思っていますしね。でも人々が無意識なだけで、景色はそれほど変わっていないかもしれませんよ」
「どういう意味だ?」

口元に手をやってくすくす笑う響歌に、赤井が尋ねる。確かに彼女は、今はもう廃れた行事に人より敏感だ。この前もバレンタインに何が欲しいか訊かれた。自分にだけだと思ったのか、宜野座が一人で取り乱していたのは記憶に新しい。

「例えば、ハロウィンには人々が思い思いの仮装をして街を練り歩いたそうです。オオカミ男や魔女は定番で、アニメーションのキャラクターなんかも。現代と大して変わらないじゃないですか。クリスマスには槙島が現れ、節分には鬼達が暴れ出す。むしろ今の方が物騒だと思いません?」

奇怪な格好をしていなくとも、響歌にとってこの国の人間は異常で可笑しな集団だ。いくらプレイヤー気質と言えども、あの行列に加わるのは御免被りたい。鬼は外、福は内。それなら自分は鬼でいい。海から上がれるなら、鬼だろうが悪魔だろうがなってやる。

「巫女様の目は節穴、と」

現場に入り、響歌が第一声を放った。死体が二体。どちらも一目で殺人だと分かる。驚くべきは、これを実行した人間が逃亡しているということだ。監視カメラに残った犯行の一部始終を見て、各々が考えを述べていく。悲観的な意見が多い中、やはり彼女は違った。

「なんだ、普通の人間じゃないですか。てっきり、槙島2号が現れたのかと思いました」

ケロッと言う響歌を全員が見返す。犯人の見た目は明らかに怪しかった。このカメラをチェックしていたのが人間であれば、必ずそう思うだろう。いや、もしかしたら平和に毒された現代の人々は、怪しいとすら思わないのかもしれない。世も末だと、響歌はひとり笑った。逃げ果せることができたのは、犯人のサイコパスが正常値だったからに他ならない。しかし見た所、それには絡繰りがありそうだ。被っているヘルメットがその鍵だろう。つまり、八方塞がりというわけではない。赤井が笑みを浮かべて言う。

「大した事はないという顔だな」
「嫌だなぁ、そこまで楽観的ではないです。まあ、今までシビュラに頼りきっていたツケが回ってきたってところですかね……使えない巫女なら、要りません。100年前は、シビュラが無くとも犯罪を解決していたんです。先人に出来て、私達に出来ない道理はありません。自分達で考え、動きましょう。指を咥えている間に第二波が来ちゃいますよ」

そう言いながら、じっとカメラ映像を観察する。その姿と言葉が、半ば挫けそうになっていた朱を奮い立たせた。ここで匙を投げれば、100年間で人類は成長していないことを証明することになる。

「普通の人間だとは限りませんよ。まだ顔を隠す為に着用している可能性もあります。そうなると、この人物は槙島聖護と同じ体質ということになりますが…」
「彼みたいな人間が大勢いるとは考えたくないが、頭の隅に置いておいた方が良さそうだ」
「確かに、決めつけるのは早い。降谷さんが仰った可能性も考慮して進めましょう」

刑事に向いていないと、彼女はそう言っていた。朱も自分が、その言葉に心で同意したのを憶えている。信念、考え方、目的、全てがそう物語っているはずだ。それなのに今、目の前の女性は、この場にいる誰よりも刑事らしい。自らの過去を明かしてから、どこか吹っ切れたような印象を受ける。元々、強く逞しい人間だが、それに磨きがかかったと言うべきか。ゆらゆらとどこか怪しかった狂気が、今は不思議なほど澄んで美しくすらある。赤井と話す横顔を見つめ、朱は気が付いた。

「あの人は、刑事として魅力的なわけじゃない」

呆然と呟いた声に、周りにいた一係のメンバーが朱の方を見た。"あの人"が響歌を指していることを理解したうえで、それぞれが答える。その表情はみな穏やかで、声音は柔らかい。それは、彼女が決して畏怖の対象ではないという証明だった。

「まあ、あんたの意見それは間違っちゃいない。刑事の鑑とはとても言い難いしな、あいつは。何処でどんな風に生きようが周りの目を引く、そういう奴だ」
「手本にするのは避けた方がいい。正直、真似しようと思っても俺には無理だ」
「なんだ、ギノ。あれだけ気に食わないって顔して見ていたくせに、真似しようとしたことがあったのか」
「俺がいつそんな顔をした!」

青筋を立てる宜野座に、狡噛は肩を竦めた。朱は理解する。自分がたった今気付いたことを、彼らはとうの昔から知っていたのだと。ただそこに居るだけで人々を惹きつけ、導く。それはまるで神のようだと思いながら、想像する。彼女はきっと綺麗な顔を歪めて言うだろう−−−そんな役目は願い下げだと。

「お嬢の生き方は、芝居でも観ている気分になるんだよなぁ。非現実的で、ワクワクする。それはたぶん、本人が一番楽しんでいるからなんだろうさ。老いぼれの身から言わせてもらえば……最後に救いがあればいい。そう思わずにはいられんよ」

征陸が目元を緩め笑う。隣でそれを聞いていた宜野座むすこがフンと鼻を鳴らした。彼女は救いなど望んでいないことを、征陸は分かった上で言っているのだろう。目を背けたくなるような道を歩み、それでも笑う彼女に少しでも寄り添うために。

「芝居って…エキストラでも出たくねぇわ。俺はコウちゃん達みたいに付き合い長くないけど、危ない人だってことは分かる。一生倒せねえラスボスって感じ」
「挑むだけ無駄よ。不気味だからこそ、目を引くんだと思う。調和を乱すこともあれば、逆に良い結果を導くこともある。難しい人ね」

征陸の言葉に顔を歪めて縢が返す。六合塚もまたいつも通り辛辣だ。不思議なことに、散々な言い草なのにふたりは笑っている。ふと顔を上げると、響歌はすでに部下達を引き連れて外に行ってしまっていた。彼女は常に前へと進んでいる。目の前でどんなことが起ころうとも、使える武器を全て使い、道を切り開く。それは、現代の人々が失くしてしまった力。それを取り戻さなければ、槙島を捕らえることはできないのだ。

響歌の姿勢によって、ほんの少し前向きになった気持ちで朱は車に乗り込んだ。それに続く宜野座に、跳ねるような声で響歌が少し遠くから叫ぶ。

「あ、宜野座!私、帰りは乗らないから」
「乗らない?歩いて帰るつもりか?」
「ちょっと社会見学」

そう言って笑うと、軽い足取りで護送車へと歩いて行く。まさかと宜野座の顔が驚愕に染まる。想像通り、執行官達が乗り込んだその車に彼女は意気揚々と入っていった。正気じゃない。怒鳴る気すら起きずに、宜野座は車を発進させる。一方で、護送車に近付いてくる響歌を、執行官達は言い忘れたことでもあったのだろうと眺めていた。ところが予想に反しそのまま乗り込んで来た彼女に、赤井と狡噛を除く全員が口を半開きにする。

「一度乗ってみたかったんですよ、護送車。思ったより広いですね。狡噛、隣いい?」
「…お前、ギノの顔見たか?あれは相当キレてるぞ」
「心配してるの間違いでしょ。優しいよね、ほんと。宜野座はここを肉食獣の檻だと思ってるんだよ。そして私は哀れな兎。牙を剥かれたら骨も残らない」
「兎は俺達の方かもしれんな」
「俺も赤井さんと同意見だ」

執行官達の心情を、赤井と狡噛が代弁した。不服そうな顔をする響歌を、征陸が宥める。それを見て降谷は思わず笑みを零した。いつもは霊柩車のような雰囲気のこの車内も、彼女がいるだけでテーマパークに早変わりだ。

「あれ、狡噛。コート新調したの?」
「ああ…常守も良い気分はしないだろうしな」
「狡噛も宜野座に負けないくらい優しいよね。前から思ってたけど、そのふわふわ、必要なの?」
「俺に聞くな」

モッズコートのファーを手で触りながら尋ねる響歌に対し、狡噛は呆れたように返答した。他愛のない会話を暫く続け、5分が経過した頃だ。さっきまでその中心だった響歌が急に静かになる。怪訝そうに横を向いたのと同時に、狡噛は右肩に重みを感じた。言わずもがな響歌の頭である。

「え、寝てんの?」
「……呆れを通り越して、いっそ清々しいな。こいつには警戒心ってもんが無いらしい」

信じられないといった顔で、縢が尋ねた。それに狡噛が嘆息しながら答える。それでも決して振り払うことなく目元を緩める彼に、周りは些か驚いていた。思わず「どうしちゃったの、コウちゃん」と尋ねそうになり、縢は慌てて口を塞いだ。唯一人、その心情を揶揄う余裕のあった赤井が意地の悪い提案をする。

「そいつは、いつでもどこでも寝られるんだ。殺気を出さない限り起きない。重いなら代わろうか」
「いえ…大丈夫です」

狡噛は初めて赤井のことを、いい性格をしていると思った。いつだったか響歌が彼を、優しいが意地悪だと評していた。まさにその通り。なんとなく居心地が悪くなり、狡噛はそっと視線を逸らす。しかし、そんな和やかな時間は長くは続かなかった。唐之杜の声と共に写し出された映像に、空気が張り詰める。そこには、大通りのど真ん中で一人の女性が何度も殴られる様子が納められていた。

「槙島の犯罪。かけてもいい。いや……」

表情険しく狡噛が呟く。疑いなど微塵もない声音に、周りは目を細めた。確かにこんな映像がネットにアップされるなど異常だ。嫌な空気が車内を支配する。

「そもそもこの世界における犯罪とは?」

皮肉にもそれは、槙島が朱に問いかけたのと同じ疑問であった。何を以って犯罪と定義するのか。唯一の巫女を失った世界で、誰がそれを決めるのか。ひとり呟く狡噛に征陸が声をかけるが、答えはない。

「ただの犯罪じゃない…もっとこう…何かの土台を揺るがすような……、
「可笑しな話だよね。同じ人間なんていないのに、誰もが殺人は悪だって共通認識を持ってる。そのくせ戦争していた時は、より多く敵を殺した方が讃えられたって言うんだから不思議」

いつの間に目を覚ましたのか、響歌は笑いながら吐き捨てた。執行官達の視線が集まる。じっと映像を見つめ、何かに気付いたように彼女は小さく呟いた。

Hide and seekかくれんぼ、なのかな」
「何だと?」
「いや、ふと考えてみたんだ。何をしてもシビュラに見てもらえないってどんな気持ちなんだろうってさ。もしかしたら彼は待ってるのかもしれない…自分を見つけてくれる鬼を」

口元に手をやりながら視線を落とし、響歌は語る。この凶悪な犯罪を子供の遊びに例えるか。彼女の考えで言えば、自分達は今、鬼としての資質を試されているということだ。凛とした横顔に狡噛は問いかける。

「お前が槙島の立場ならどうする?」
「…環境に依るかな。貴方達がいなかったら、彼と同じように色々試してみたかもしれない」
「俺達?執行官がいることで何が変わる?」
「狡噛って実はプロファイリングの才能無いでしょ。ジョージ先生にもう一回弟子入りした方がいいんじゃない?まだ私がシビュラの価値観で物事を判断すると思ってるわけ?執行官じゃなくて貴方達・・・って言ったでしょ。卑下するのは勝手だけど、意味は正しく汲み取ってくれないと困る」
「…悪かった」

顔を顰めて叱りつける響歌に、狡噛は堪らず謝罪をした。自分を蔑む癖が付いている。それを当然だとする環境に慣れてしまった。今後は注意しなくてはならなそうだ、少なくとも彼女の前では。素直に謝る彼に小さく頷くと、響歌は再び口を開く。

「貴方達がいれば、私はきっと今と変わらない、楽しくて苦しい人生を送るに決まってる。人を肯定するのは巫女シビュラじゃない、人だよ。大事な人達に認めてもらえれば、それ以外何も要らない」

狡噛の問いに、惑うことなく響歌は答えた。人生でそれを知ることができる人間は、一体どれくらいいるのだろう。与えられた人生を、幸福だと信じたまま死ねればいい。それが出来なくなることを、世間的には不幸と呼ぶのだ。しかし彼女は、その不幸を大事に守って生きてきた。結局、幸も不幸も当人次第。瞳を閉じて笑う横顔を目に焼き付けながら、狡噛もまた口元を緩めた。

先の現場に到着し、遺体を取り囲む。繁華街の中心で横たわる女性、異様な光景だ。辺りには人々が行き交っている。目撃者達は大勢いたが、誰一人として通報すらせず、エリアストレス警報で事件が発覚したというわけだ。宜野座は人々をカカシと評し、朱は彼らを擁護した。目の前で人が殺される可能性なんて見当もつかないまま生きてきたのだから、と。友人を殺された時の自分と重ねているのかもしれない。

「同じ国に生まれたのに、こうも違うんだね」
「え…どういう意味ですか?」
「有り得ないことが起こる、そんなのは生きていれば普通のこと。少なくとも私にとってはね。それにどう対処し、乗り切るか、そこが人生の醍醐味だと思うけどね。やっぱり、相容れないな……全く。逃げ出すならまだ自然だけど動画を撮るとかさ、ここが外国ならその間に頭撃ち抜かれて死んでるよ。自分が如何に普通なのかよく分かった。それに、まさか巫女まで傍観を決め込んでいるとはいよいよ救いようがない」

笑みすら浮かべそう言うと、響歌は全てを記録していた街頭スキャナーを見上げる。そこには犯人の色相変化も記録されていた。やはりと言うべきか、女性を殴る瞬間すら正常値で推移している。数値が偽装されている可能性を縢が指摘する。それに六合塚がきっぱり無いと言い切った。打つ手なしの状況に朱は視線を落とす。その空気を裂くように、狡噛が呟いた。

「いや…こいつは妙だ」
「見ての通りだろ」
「そうじゃない。反応として正常すぎる」

そう征陸に返しながら、グラフを指差した。全員がそれに倣う。そこには不自然なまでに2つのグラフが重なっていた。片方は犯人の色相変化、他方はエリアストレスの推移。両者が重なっているということはつまり、犯人は周囲にいた目撃者達と同じメンタルで行動していたということだ。

「いつにも増してキレキレだね、刑事の勘」
「お陰様でな」

響歌は笑いながら、狡噛の肩を叩く。それに彼は喉を鳴らし答えた。糸口が見えてきたところに、水を差すような一報が唐之杜から入る。なんでも現金輸送車が襲撃されたらしい。古臭い単語だ。カードや電子マネーが一般的になっているが、銀行同士を繋ぐのは今も現金輸送車である。しかし普通の人間では襲撃するメリットがないと首を捻る面々に、狡噛が言う。

「現金をロンダリングする手段を確保している連中の仕業だ…唐之杜、そいつらもヘルメット装着者だな」
「さすが。その通り。数は3人。全員工具類で武装。さっきの事件とは別口ね」
「どう追いかけます?」
「班を二つに分ける。縢、六合塚、一緒に来い。常守監視官は、征陸と狡噛を連れて引き続き薬局襲撃犯を。俺達は現金輸送車を追う」
「しっかし武装強盗ねぇ…こいつが通用しない相手なら、俺達、丸腰と変わらないんじゃないスか?」
「余計なことは考えるな!……お前達はどうする?」

不審そうにドミネーターを見ながらぼやく縢に、宜野座はそう怒鳴り散らした。そして肩を竦める彼から視線を逸らし、響歌に尋ねる。答えを待つように、赤井と降谷も顔を上げた。数秒考えると、彼女は笑って言う。

「私と降谷さんは宜野座達と行くよ。赤井さんは朱ちゃん達に同行してください」
「え!?」
「大丈夫だよ、噛み付いたりしないから」

まさか執行官3人を任されるとは思っていなかったのだろう。朱が思わず声を上げた。それに響歌は手を振りながら軽く返す。ふと何か言いたげな赤井の視線に気付いて、さらに笑みを深くした。そしてその傍まで来ると、彼だけに聞こえるように言う。

「物欲で動いているうちはまだマシです。本当に危険なのは、その対象が人になった時。相手にも心がありますから、思い通りにはいかないものです。そうすると、欲を抑えられない人間の場合、どんどん膨れて最後は破裂する」
「薬局襲撃の方は後者というわけか」
「勘ですけどね。殺人の方も動機があるんじゃないかなぁ、と。そっちは頼みましたよ。丸腰でもやれるってとこ、見せてやりましょう」

トンと赤井の胸を右手で叩くと、宜野座の方へと歩いて行く。些か戦闘力が偏り過ぎた割り振りに感じるが、これはこれで面白そうだ。微笑を隠さず、猟犬は主人に背を向けた。

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に痺れた!