鬼退治は全員で

宜野座達が護送車で走り去った後、朱が解を導く問いを零した。犯人は何故こんなことをしたのか、と。薬局襲撃は薬のため、しかし女性を殺した理由は何か。それに反応したのは狡噛だ。その様子を征陸の横で見守りながら、赤井は喉を鳴らす。早くも響歌の勘が当たりそうだ。早速、唐之杜に依頼をし、被害者の周囲で怪しい人物がいないか割り出しがされる。あがったのは職場の同僚。ここ2週間ほど病欠続きで健康管理指導の通達中である、伊藤純銘という男だ。弦巻にあるその自宅へと向かう車中、後部座席に並んで座った征陸が赤井に声をかけた。

「お嬢がお前をこっちに寄越すとはな。傍にいなくていいのか?」
「響歌は気まぐれですからね。お忘れかもしれませんが、私はあくまで保険ですよ。彼女はそう容易く殺されるような人間ではない。それに、今回は降谷かれが傍にいますので。あの男は私を毛嫌いしていますが、響歌のことはそれなりに気に入っている様子。無茶をするようなら私の代わりに手綱を引いてくれるでしょう。相棒としては些か複雑ですが、まあ、たまには違う船に乗ってみるのも一興かと」
「だそうだ、監視官。舵を取るのはあんただ。安全運転で頼むぜ」

ビクッと肩を揺らす朱に、屈強な男が揃って視線を送る。はたから見れば、かなり危ない絵面だ。返事をしない彼女を、狡噛が怪訝そうに見返した。

「あ…すみません。なんだか緊張してしまって。赤井執行官とは、その…あまり話したことがないので」
「ふっ、そうだな。なにせ君は、俺のことが苦手だろう?いや違うな、いつも君を振り回す誰かさんに雰囲気が似ているからかな。トラブルメーカーが増えるのは勘弁願いたい、といったところか」
「あんた、そんな風に思っていたのか?」

ビクつく朱を容赦なくイジる赤井に、征陸が声を上げて笑う。その"誰か"が自分のことだと理解した狡噛が、呆れたように呟いた。図星を突かれ、朱はさらに身を縮こませる。事件のことはもちろん不安だが、別の意味で心配になってきた。自分はちゃんと彼等の手綱を握っていられるのだろうか。

「安心していい。君は俺の上司だ、命令には従うさ。狡噛君を止めろと命じてくれてもいい」
「響歌の奴……それが狙いじゃないだろうな」
「今回、俺が自分の意思で動くとしたら、あいつとの約束を違える可能性がある時だけだ。そうならない限り、君の手となり足となろう」

ぼやく狡噛を他所に赤井は続ける。低く深い声が朱の鼓膜を支配した。あの上司にこの部下あり。諭すような優しい声音に、思わず頷きそうになった。この男もまた、妙な引力がある。潜在犯だということを忘れそうになる。近付き過ぎてはいけないのに、触れたくなるのだ。隣にいる狡噛や、響歌かのじょと同じように。

−−−−−

踏み込んだ室内を、警戒しながら歩く。先頭に狡噛、その後を征陸、朱、赤井と続いた。留守かと小さく尋ねる征陸に、狡噛が当たりだと呟いた。リビングの奥に広がる光景に、執行官達は目を細める。壁一面に被害者である藤井博子の写真、どれも傷付けられていた。そして特に目立っていたのは、ホログラム機能が搭載されたマネキン。あちこちに精液らしきシミが付着している。狡噛は顔を歪めた。いくら堕ちようと、こうはなりたくない。愛情と狂気の境が分からなくなるような末路は、やはり御免だ。

「痴情のもつれ…いや、一方的なストーキングか」
「近頃ずっとこういう気分だったんなら、そりゃ部屋の外には出られないわけだ」
「っ、常守監視官!」

赤井が叫ぶ。その声に全員が身構えた。クローゼットからヘルメットを被った男が飛び出してくる。突き飛ばされた朱を赤井が右腕で受け止めた。男は不意を突かれた刑事達の間をすり抜け、部屋の外へと逃げ出そうとする。その背中に狡噛と赤井がドミネーターを向けた。しかし、巫女は信じられない言葉を吐く。

『犯罪係数32。刑事課登録監視官。警告、執行官による反逆行為は記録の上、本部に報告されます』

ふたりが息を呑んだ。赤井に小さくお礼を言って、朱は男を追おうとする。ドミネーターを向けていなかった朱と征陸は、状況が掴めていない。狡噛が通常なら有り得ない質問を投げかける横を走り抜けて、赤井は男を追いかけた。

「監視官、あんたの犯罪係数は?」
「はぁ!?」

端的に尋ね、ドミネーターを向ける。目を丸くする朱をその瞳に映しながら、巫女はさっきと全く同じ台詞を吐いた。そういうことかと呟いて、狡噛も部屋を飛び出す。閑静な住宅街を、男は死に物狂いで逃げていた。その20mほど後ろから赤井が追っている。ドミネーターが使えなくとも、制圧は容易い。このまま確保するかと足に力を入れた時、狡噛と唐之杜の会話が端末から聞こえてきた。見失わない程度にスピードを緩める。突然、付近で人がいない区画を尋ねてきた彼に、訳が分からないといったように分析官は狼狽えている。その様子に、赤井は走りながら少し口角を上げた。狡噛かれは頭が良いゆえに、些か説明が足りない時がある。端末の向こうから、あのヘルメットは近くにいる人間のサイコ=パスをコピーしており、スキャンの役割を担っているのだと叫ぶように教える狡噛の声。ようやく納得した唐之杜によって、職員のいない資材倉庫が特定される。ドローンを使ってそこに誘導するらしい。征陸に頭を抑えるように伝え、朱には二の舞にならないよう近づくなと狡噛が指示をする。元気よく返事をする彼女に、立場が逆だなと赤井は再び笑う。そして、逃げ惑う男の背を見つめながら言った。

「俺はこのまま追う。かなり混乱しているようだが、気付かれた場合に備えておこう」
「お願いします!」

安心したように狡噛が返事をする。気付かれる−−−道路を封鎖していようと、ヘルメットを装着していればドローンなど容易く突破できる。少し考えれば分かることだ。しかしどうやら、男はそれすら気付かないほど余裕がないらしい。上手く逃げられていると思っているとしたら、あまりに間抜けだ。袋の鼠とはまさにこの事だろう。狙い通り、男は無人の倉庫へと駆け込んだ。そこに狡噛と征陸が、数秒遅れて赤井が到着する。逃げ場を失い自棄になったのか、突進してくる男に執行官達は冷静にドミネーターを向けた。

『犯罪係数282。刑事課登録執行官、任意執行対象です。セイフティを解除します』
「…そりゃどうも」

勢いよく放たれたパラライザーが男へと命中する。悲鳴を上げて倒れた彼に狡噛は近付くと、ヘルメットを剥ぎ取った。その下には、惨めな形相で意識を失う男の顔がある。

「自分のサイコ=パスを撃たれた感想はどうだ?」
ドミネーターこいつがエリミネーターに変形しなくて、よかったよ」

それを聞いて、赤井と征陸は笑った。狡噛も笑みを返すと、視線を男へと戻し、その顔面を殴りつけ前歯を折る。続いて鼻骨を。ふたりとも止めようとはしなかった。殺された薬剤師やあの女性のための制裁。やっと追いついた朱が叱りつけるまで、彼は男を殴りつけていた。その様子を見て、赤井は佐々山を思い出す。刑事の勘だけではなく、人間性も後継した。佐々山とは親しかったわけではない。それでも、言葉を贈らずにはいられない−−−よかったな、と。死んでしまえば、人は記憶の中でしか息ができない。誰かに心を預けずに逝くことこそ、真の死だ。

────安心してください。貴方は特等席ですよ。私が死ぬまで、記憶ここにちゃんといますから。

赤井の鼓膜に、ここにはいない彼女の声が響く。死に急いでいるつもりはないが、その言葉に救われた。彼女の瞳に映る自分の姿が、死体とならぬように。それが生きる理由だと伝えたら、彼女は何と言うだろう。つまらないジョークだと笑うかもしれない。鋭く聡明なはずが、そういう勘は死んでいる。しかし当然と言えば、当然だ。狡噛とのそれがそうであるように、彼女は生きるために不要な愛は望まない。赤井じぶんと彼女の間にあるのが、生きるために必要な愛だっただけだ。ただそれだけのこと。いつかこれも不要になる時が来る。それでも赤井の表情に陰りはない。たとえその瞬間が訪れようと、この愛を容易く手放すつもりなど彼には毛頭ないのだから。

−−−−−

そして、このヘルメットによる悪意は伝染していく。2月5日には、街のあちこちで暴動が発生する。オフィス街では会社員がナイフで刺され、高齢者の住宅には強盗が押し入っていた。都内の高等教育機関では、生徒達が殺し合いを始める。公安局の刑事課フロアでは、刑事達がモニターに次々と表示される事件発生の通報を見つめていた。瞬きする間に数が増える。その様子を響歌は欠伸をしながら観察していた。その時、上司や他の係の監視官と連絡を取り合っていた宜野座が顔を上げる。

「禾生局長より緊急招集だ。非番の人間を含め、刑事課に総動員指令が下った」
「鬼退治の開始かな」

響歌が笑う。ゾロゾロと列をなして向かった大会議室。普段は講演会や研究発表以外では使用されない場所だ。大きなモニターには都内の地図が表示されている。やって来た刑事課の面々は係ごとに席につき、壇上にいる禾生の言葉に耳を傾けた。要約すると、次の通り。作戦は単純。暴動箇所をこの人数で手分けして潰していく。根源である例のヘルメットに対して最も有効なのは、電気衝撃警棒スタンバトン。これは対象の体を麻痺させるのにも、ヘルメットをショートさせるのにも効果的である。そして相手が大人数の場合は、緊急用の電磁パルス・グレネードを使用する。こちらはサージ電流によりヘルメットの無効化が可能となり、従来通りドミネーターで制圧できる。しかしホイホイ使えるわけではない。迂闊な場所で使えば、都市機能の麻痺に繋がってしまう。そして数も限られており、1人2個で品切れらしい。編成は3人でひとチーム。だとすると、今回は部下ふたりと共に行動することになりそうだ。拳で制圧したほうが早そうだなと響歌は笑みを浮かべる。赤井と降谷と並んで廊下を歩きながら、彼女は小さく笑った。

「それにしても聞きましたか、さっきの言葉。平和が長すぎた…貴女が言いますかって感じですよ。思わず吹き出すところでした」

局長の口調を真似る彼女を、部下達は面白そうに見つめる。車に乗り込んで大きく息を吐いた。また睡魔が襲ってくるが、全てが終われば、こんな退屈で愛しい日々からはお別れ。それまでの辛抱だ。巫女の腹から出るということはつまり、大切な人達との別れを意味する。それはとても苦しく悲しいものだろう。でもだからと言って、この生き方を投げ出せるはずもない。

「大きく出ましたね、槙島は。パーティーも大詰めってところでしょうか。一体今回は何が目的なのか」
「どうします、敵の狙いを先に推理しますか?」
「いや、それは対槙島に長けている狡噛ブレーンに任せます。私達は鬼退治に集中しましょう。それに見たところ、たぶんこのチームが一番武闘派ですよ。適材適所ってやつですね。今日は私も猟犬です。鎮めてあげましょう、哀れな魚達の御心を」

そう言って、響歌は勢いよくアクセルを踏んだ。その口元には笑みが浮かんでいる。緊急事態だ。自動運転にはしない。法定速度を遵守する必要もない。割り当てられた地区へ到着すると、まるで戦場だった。ヘルメットをしている者も、そうでない者も、好き放題暴れている。

「とりあえず、テンプレ通りに警告はしておきますかね……えー、公安局です。武器を置き、速やかに投降してください。繰り返します。暴力行為を止め・・・、
「どうやら効果は無いようですね」
「大した人数じゃない。武器は不要だろう」

大人しくなるどころか、連中は標的をこちらに変えたように向かって来る。その様子に降谷は肩を竦め、赤井が溜息を吐いた。まあ予想はできていた。こうなれば実力行使しかあるまい。揃って車を降りると、響歌の左に赤井が、右に降谷が並ぶ。それぞれ利き腕を外側にして、敵の攻撃に対応しやすくするためだ。

「1人当たり10人ってところですかね。それじゃ、互いをフォローしつつ、30秒で片付けましょう」

フォローという言葉に、降谷は一瞬だけ顔を顰めた。しかしすぐに赤井と声を揃えて了解と返す。響歌はそれに笑うと、走り出した。先頭にいた男が鉄パイプを振り下ろす。それを軽く去なし、後ろ首に手刀を見舞った。次いで、例のヘルメットを装着している相手の鳩尾に蹴りを入れる。

「響歌!」

赤井の呼びかけに顔を上げると、拳が目前に迫っていた。しかし彼女には、その背後で右手を振りかざす降谷の姿も見えている。そしてそのさらに後ろから別の敵がそれを阻止しようと鉄バットを振りかぶっていた。響歌は瞬時に降谷の意図を察知し、まず右に飛び退き敵の拳を躱す。見事に空ぶった男の頭に降谷の強烈なパンチがヒットした。同時に、その背後にいた鉄バット野郎へ、響歌の回し蹴りが炸裂する。その後、何事もなかったかのように次の標的へと突き進む。3人の口元には揃って笑みが浮かんでいた。その渦中にいた市民達は知る由もないが、完全なるワンサイドゲームである。時間にして僅か27秒、決着がついた。

「Case Closed.だな」
「初めてにしては中々いい連携でしたね」
「響歌さん、お怪我はありませんか?」
「ええ、お陰様で。ナイスファイトです」

自分を気遣う部下に笑いかけ、響歌が拳を差し出す。それにキョトンとしたあと、何故か寂しげに微笑むと降谷も拳を合わせた。彼女もその変化に気づいたが、何も言わずに視線を逸らす。そして赤井ともハイタッチを交わすと、地面に転がっている市民達と壊されたドローンとを手錠で繋ぎ始める。すぐに次のポイントに向かわねばならない。しかし、このままにしておいては目覚めた彼らが再び暴れ出すだろう。そうなっては制圧した意味がない。せめて簡単に動けなようにしておくべきだ。

「いい準備運動になりましたね。次に行きましょう」

車に乗り込み、マップを表示する。それから約30分で2つの暴動を鎮めた。響歌達は支給された武器を一つも使用していない。殴り倒すのも感電させるのも大差ないと考えているからこそ、なんの戸惑いもなく拳を振り上げられる。いくら刑事課と言えど、こういう人間は少数だろう。その時、響歌のデバイスに連絡が入る。朱からだ。

「首謀者の目的は厚生省本部タワーの襲撃です!暴動は全て囮なんです!」
「馬鹿な!そんな根拠のない憶測で持ち場を離れるな!こっちは人命がかかってるんだぞ!」

その声に響歌は口角を上げる。最後の一人に手錠をかけ終えた赤井と降谷も、同じく笑みを浮かべた。流石は優秀なブレーン、仕事が早い。一方、朱の言葉に宜野座は声を荒らげる。その背後からは怒声や爆発音が響いている。あちらも大変らしい。宜野座の返事に朱は必死に食い下がる。

「でも監視官も執行官も全て出払った中央区の官庁街はもぬけの殻ですよ!」
「確かに勝負に出てきているのは間違いないね。あのヘルメットは彼らにとっても切り札だったはず。それを私達の目に触れる使い方をしてきた。それだけその先にある目的が大きいってことだろうね」
「響歌さん…槙島達の手にかかったら、警備ドローンなんてカカシも同然です!このまま後手後手に回っていたら、今度こそ取り返しのつかない事態になります。せめて私達だけでも!」

縋るように朱が言う。宜野座は答えない。見えなくとも迷っているのが感じ取れる。それは恐らく、彼女の言葉はイコール狡噛の言葉だ。その事実が宜野座を惑わしている。そこに畳みかけるように口を開いたのは響歌だ。

「穴が空いた分は私達が受け持つよ。割り当てられた箇所はもう制圧したし、渡されてる武器も手付かずだから。それなら問題ないでしょ?」
「…相変わらず仕事が早いな。まるで軍隊だ」
「まぁね、うちの部下達は優秀だから」

さらりと落とされた言葉に、朱と宜野座は息を飲んだ。当然だろう。自分達は慣れない仕事にこんなに手を焼いているのだ。やはり彼女も、その部下も普通ではない。運転席で聞いていた狡噛が喉を鳴らして褒めると、響歌は謙遜せずに自慢げに返した。

「……わかった。まずは君達が先行して状況を確認しろ。こちらは引き続き市内の鎮圧を続行する。何かあったらすぐ連絡を」
「あ、朱ちゃん。私達には特に報告いらないから。それと狡噛、聞いてる?」
「ああ」
「五体満足でとは言わないから息して帰って来てよ」
「・・・了解だ」

楽しげに笑う狡噛に、朱と縢は顔を見合わせた。上手く言えないが、響歌と話す時だけ雰囲気が柔らかい。しかしそれを指摘するほど、彼らも野暮ではない。もしかしたら狡噛自身、気付いていないのかもしれない。通信を切り、響歌は部下達へ向き直る。

「と言うわけで、すみません。成り行きで仕事が増えました」
「構わん、暴れ足りないと思っていたところだ」
「本当、野蛮ですね」

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に痺れた!