大嫌いな巫女様へ

宜野座から呼び出しによって、1時間と経たずに一係及び特別対策室の面々は、再び大部屋に集合することになった。少し遅れて来た響歌達三人が目にしたのは、ひどい間抜け面の狡噛の姿。状況が読めない赤井と降谷を他所に、響歌はスタスタと傍に寄ると、手を伸ばし狡噛の頬を思い切り引っ張った。

「なに、してる」
「いや…あんまり面白い顔だったから、もっと面白くしようと思ってさ。んで、狡噛にこんな顔させたの、まさか宜野座?私達も交ぜてよ、その楽しい話」

赤井の隣に戻り、響歌は宜野座を見つめる。唇は大きく弧を描き、早く早くと急かすようだ。そんな彼女に溜息をついて、宜野座はついさっき狡噛に指示した内容を復唱する。

「狡噛には当面、二係で縢秀星の捜索を手伝ってもらうことになった」
「へえ、いいね。危ない橋は皆で渡れば怖くない」

一係と二係、そして特別対策室の刑事達が揃って地下駐車場へと向かう。響歌は赤井と降谷と共に最後尾を歩いていた。前方では青柳と宜野座、それから狡噛が会話をしている。狡噛を檻の外に出す口実としてはこうだ。まず、縢の失踪については手がかりが少なすぎる。故に少し大胆な推理で動くと青柳は言った。それは、彼が槙島逃亡の幇助をした内通者だった、というもの。この推理によって、槙島が姿を消したエリアを捜索することが可能になるというわけだ。もちろん捜すのは縢ではなく槙島である。宜野座にしては思い切ったなと、誰もが思っているだろう。かく言う響歌もその一人だ。駐車場に到着する。そして二係の面々と共に護送車に乗り込もうとする狡噛を見送ろうとしたその時、濁流のように奥からドローンの群れが押し寄せてくる。そしてそのさらに後ろから姿を現した人物に、響歌は口角を上げた。

「こんな小賢しい計略で出し抜けると思ったなら、舐められたものだな。私も」
「あんたがそこまで熱狂的な俺のファンだったとは意外だよ。禾生局長」
「ここで減らず口を叩ける君の精神構造は、全く以って理解に苦しむな」

飄々と返す狡噛に、禾生は吐き捨てる。宜野座が慌てて割って入るが、彼女は異常なほどに穏やかな微笑を浮かべ言った。始まった、と響歌は深く息を吐く。この局長はどうすれば宜野座を御すことができるか、よく理解している。

「個人の裁量による判断も、必ずしも咎めるべきものとは限らない。要は満足いく結果さえともなえばいいのだ。評価の基準はそれだけだ。だからこそ、危険な賭けに打って出る際は、引き際の判断が重要になる。自らの不始末をどれだけ速やかに、断固たる態度で清算できるか……そこで人物の資質が問われることになる。さて、宜野座伸元監視官。君の監視下にある執行官がいま重大な背任を犯そうとしているわけだが。この場面にどう対処する?愚にもつかない弁明をただ並べ立てるより、もっと明晰で非の打ち所のない決断力を示すことはできるかな?」

つらつらと御託が並べられる。響歌にとっては戯言でも宜野座にとってはそうではない。彼は素早くドミネーターを抜いて狡噛に狙いを定める。その横顔を見て、響歌は無意識に臨戦態勢に入った。もしもの時は、この立場を捨ててでも阻止するために。赤井と降谷だけがその変化を感じ取る。

「うん、結構。君は順当に自らの有用性を証明している。だが詰めの甘さも否めない」

そう言って、禾生は宜野座に寄り添うとドミネーターの銃把に触れた。それを合図にパラライザーモードであった銃は、エリミネーターモードに変形する。響歌の口から嘲笑が零れた。ついこの間、赤井と推理した現象が、いま目の前で起きている。殺すべきでない相手も、殺すことができる。少なくともこの局長には、その権限があるのだ。見てみたいとは思っていたが、銃口が大切な相手に向けられているならば、傍観を決め込むつもりはない。スゥと息を吸い動きだそうとする響歌を、赤井が止めた。眼光鋭く見返す彼女に、視線で教えてやる。その先には同じくドミネーターを持つ朱の姿。それを見て、響歌は一度矛を収めた。

「何故ここに狡噛執行官がいるのか、たまたま通りかかっただけの青柳君は知る由もない……そうだな?そして宜野座君、君もまた狡噛の勝手な行動については一切感知するところではない。この場で彼が逃亡し、事実関係について問い質す機会が永久に失われると…私としても、君達のそういう証言を鵜呑みにするしかなくなる。さあ、宜野座君……君の責任者としての采配を、情に流されない計算高さを、私に見せてくれないか?」

禾生の手が、震えるエリミネーターの照準を狡噛へと合わせる。宜野座は苦しげに親友の名を呼び、瞼を閉じて抵抗している。響歌は胸の底から言い様のない激情が湧き上がるのを感じていた。それは、宜野座に対するものではない。禾生と、それから狡噛に対するものであった。しかし今は、この状況を打破するのが最優先。響歌が足に力を込めたその時、ドミネーターが発砲された。だがそれは宜野座のものではなく、朱による射撃。狡噛は肉片になることはなく、その場に倒れ込む。張り詰めていた空気がふっと緩んだ。

「犯罪係数300以下の対象には、パラライザーモードが適用されます。宜野座さん、そのドミネーター、故障していますよ。すぐメンテナンスに出さないと」

事務的に言う朱の横顔を、禾生はまじまじと見つめた。それも束の間、そっとドミネーターを下ろした途端に、朱は全身から汗が吹き出すのを感じた。青柳を含めた二係の面々も、そして宜野座も、朱同様に身体を硬直させる。空間一帯を覆うように、禍々しいまでの殺気が立ち込めていた。出所を探すまでもない、響歌だ。コツコツと足音を響かせながら、中央で足を止めた。赤井は、征陸の横で険しい表情をしている。相手は公安局のトップだ。迂闊には動けない。いざとなったら、響歌を力づくで止めなければならない。そんな考えが一瞬脳を掠めた。しかしすぐに我に返る。

「(止める?何を馬鹿なことを・・・手綱を引くのは、約束が違える可能性がある時だけだ。そうならない限り俺はお前の選択を尊重する。心に従え、響歌)」

赤井は笑った。相棒として、今は背中を押す時だ。彼女がこの国から追われる立場になったとしても、最期まで共に。ほんの数秒間であったが、誰も動けずにいた。動けば、あの殺気の矛先が自分に向くかもしれないという本能的な恐怖があったからだ。しかし実際のところ、それは有り得ない。響歌が見つめていたのは唯一人であり、全身から溢れ出る殺気もその対象である禾生にだけ注がれていた。他の面々が感じているのは、その断片にすぎない。ひりつく空気の中、禾生は宜野座より一歩前に出て、響歌と向かい合う。そして興味深げに言った。

「随分と立腹している様子だね」
「今の私の精神状態を、そんな矮小な言葉で片付けないでいただきたい。大事なものが害されるのを黙って見ていられるほど、良い子ではないんですよ。一刻も早く私の視界から消えてください。でないと、この手が貴女を殺してしまいそうです」
「ほぅ……それは興味深い」
「っ、長官!?なにをっ、

宜野座は思わず声を上げた。禾生は朱の腕を掴み、その手にあったドミネーターを強引に響歌へと向けたのだ。朱は咄嗟に抵抗するが、振り解けない。しかし当の本人は涼しい顔でふたりに近付くと、左手で銃身を引っ掴み自分の胸に引き寄せる。銃は、変形しなかった。

「あらら、こっちも壊れてるんじゃないですか。こんなに荒んだ心を検知できないなんて……教えてください、今の私は何色ですか?」
「やめて、ください・・・響歌さんっ!」

朱は叫びながら、腕を力一杯引いた。が、ビクともしない。唯一の救いは、否応なしに聞こえてくる指向性音声が、彼女はこの世界に必要だと告げていることだろう。朱の悲痛な叫びに、響歌はやっと手の力を緩めた。しかしすぐに、今度は右手で禾生の手首を掴み朱から引き剥がす。反動でよろめく後輩を庇うように前に出ると、額が触れ合うほど禾生に迫り、笑った。

「もう一度言います。早急にご退場ください。見ての通り、狡噛慎也は動ける状態ではありません。それとも、医務室に運ぶまで見届けなければ不安ですか?でしたら、私がお供いたしましょう」
「やはり君は、面白いな」

これでもう、狡噛慎也を檻の外に出すことはできなくなった。少なくとも今回のやり取りで、宜野座の心はこれ以上ないくらい擦り減っている。あとは獲物を取りに行かせるだけだ。薄く笑って背を向ける禾生に、響歌は無表情で尋ねた。

「局長、貴女ならシビュラに謁見できますか?」
「……言っている意味がよく分からないが」
「そうですか、残念です。では今から私が吐くのは独り言ですね。シビュラの為に人間が居るのではなく、人間の為にシビュラが在るんです。何に生かされているのかを、ゆめゆめお忘れなきように」

皆が立ちすくむ中、降谷は手早く唐之杜に連絡し、狡噛を医務室に運ぶように依頼する。禾生が去った後も響歌は暫く動こうとしなかった。その周りには未だ肌を刺すような殺気が滲んでいる。宜野座も朱も声をかけることができないでいると、赤井がそっと彼女の肩に手を置き、諭すように耳打ちした。

「響歌、殺気を仕舞え。他の者まで当てられる」

宥めるような声音に、体の力が抜けた。支えを失いふらつくその身を、赤井は皆の視線から隠すように自分の胸元へと引き寄せた。ゆっくり髪を撫でてやると、響歌は意図を汲んだように深呼吸をする。次に瞼を上げた時にはもう、いつもの彼女であった。礼を言うように目を細めてから、響歌はまず朱に向き直り笑う。

「朱ちゃん、ありがとう。貴女が撃ってくれなかったら、私は局長を殺してた」

綺麗に微笑んでそう言った彼女に、朱は何も返せなかった。たとえそうなっていたとしても、彼女は後悔などしなかっただろう。眩しい人だなと朱は思った。大切なものを傷付けられたとき、たとえ相手が誰だろうと立ち向かう。それがきっと彼女なりの正義なのだ。

「宜野座」
「殴りたければ好きにしろ。お前になら俺はっ・・・おい、何をしてる」

名を呼ばれ、宜野座は俯き叱責を待つ。それに響歌が腕を上げた時には、本当に殴り付けるのではないかと周りは一瞬肝を冷やしたが、杞憂に終わった。彼女はそっと宜野座の肩に触れ、労うように叩いて見せる。その様子を見て、赤井と征陸は顔を見合わせ笑った。

「馬鹿だなぁ。怒ってなんかいないよ。宜野座はちゃんと抗ってたじゃん。どこかの誰かさんと違ってね」

その言葉に皆が戸惑う。響歌の視線は、ちょうどストレッチャーで運ばれようとしている狡噛に注がれていた。赤井は思わず喉を鳴らす。恐らく彼女が言っているのは、禾生にドミネーターを向けられた時の狡噛の反応についてだろう。あのとき彼は「どうにでもなれ」と言った顔をしていた。正直あの状況で抗う方が難しいだろうと思うが、響歌にはそれが許せなかったらしい。目覚めたとき、狡噛は一発殴られるに違いない。赤井は少し同情しながらも、良かったなと内心そう言いたくなった。その行為こそ、響歌にとって狡噛が特別だという証明だ。彼女は他人の生き死にに無関心である。たとえ目の前で自殺を試みようと、それが他人なら止めることはしないだろう。好きにしろと笑う姿が目に浮かぶ。こんなにも憤るのだから、狡噛慎也は他人ではなく、むしろ真逆の存在なのだ。

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2月8日未明。仮眠室を出た響歌はふと足を止める。前方には、見飽きたと言ってもいいドミネーターの装備運搬ドローン。それは、まるで誰かを待つように静かにそこに居た。スッと目を細めて響歌はその横を通り過ぎる。五歩進んで、再び立ち止まった。振り向けば、ドローンは真後ろにピッタリと張り付いている。それを合図に荷台のカバーが開き、いつも通りドミネーターの銃把が顔を出す。響歌は不愉快そうに顔を顰めてから、それを手に取った。

『響歌・ルートヴィヒ。貴方にこの世界の真実をお見せしましょう』

ひとり廊下に佇み、響歌はその声に耳を傾けた。巫女からの招待状といったところか。もし紙面で送付されてきたら、その場で破り捨てていただろう。静かに待つ巫女に、彼女は優雅に微笑み返答した。

「結構です。どうぞ他を当たってください」

再び沈黙。響歌は知る由もないが、この時ノナタワーの地下では予測されていなかった返答への対応策が検討されていた。本来なら巫女が沈黙することなど有り得ない。"悩む"などという人間臭い行為を、巫女が実行しているという事実に響歌は口角を上げた。

「人選ミスじゃないですかね。私のような反骨心を持った者より、もっと御しやすく物分かりのいい人間はいると思います」

まるで隣にいる誰かと話すように、響歌は笑う。大嫌いな相手なのに、不思議と楽しく会話できている自分を褒めたくなった。そんな彼女に、巫女はまず己の見解を示す。

『我々は、シビュラシステムの正体を暴くことこそが貴方の目的であると認識しています』

その発言に、彼女は浮かべていた笑みを消し目を細めた。いま確かに"我々"と聞こえた。成程どうやら巫女はひとりではないらしい。こんな一市民との会話でボロを出すとは、まさか動揺しているのだろうか。血の通わないシステムのはずが、先程から人間みたいな反応を見せてくる。響歌は一瞬、その矛盾に既視感を覚えた。それが何なのか、思考に没頭しそうになる脳を制し、冷静に返答する。

「少し、違いますね。どんな姿かは、さほど重要ではないんですよ。あなた方がどんなに神々しい見た目をしていようが、無能ならばただのゴミです。すでに答えは出ている。今更ヒントなど必要ありません。牽制するのが狙いですか、それとも私を餌にして響輔あのひとを捕らえるつもりですか。残念ながら、あなた方に付き合うほど暇じゃないので、丁重にお断りします・・・さて、どうします。勝手に踊るマリオネットは今ここで壊しますか?」

床に向けていた銃口を自身の額に当て、響歌は問う。勿論ここで殺される気など、彼女には毛頭なかった。その行為に理由を付けるとすれば、好奇心だろう。懐に入らないギリギリのラインで待てば、さらに面白い事実を知ることができるかもしれない。そうすれば、この証明をより華やかに彩れる。

『いいえ、貴女はその特異性と比較しても有り余るほどに優秀な人材であり、善良な市民です。ゆえに我々は貴女を生かし、今まで通りその生涯に貢献します。響歌・ルートヴィヒ。今後もこの社会に秩序と安寧を齎し続けることを期待します』

響歌の顔から笑みが消えた。ドミネーターを下ろし、左手で胸を撫ぜる。色も温度もない、この感情はなんだ。幻滅−−−違う、端から期待などしていない。もっと適切な言葉がある。そう、無関心。嗚呼これだ、と響歌は再び笑みを浮かべた。今初めて、この生き物シビュラに対する興味が無くなったのだ。

「落第点です。まず、優秀と善良の一般的な意味を再度確認した方がいい。客観的に見て、その命題は偽です。そして、私を生かしているのはあなた方ではありませんし、あなた方が今後、私の生涯に有益な影響を与える可能性はゼロです」

静かに、それでいて明瞭に響歌は一つずつ論破していく。そして一旦言葉を切ると、まるで子供にでも語りかけるように唇をドミネーターへと近付けた。

「いつまでも私があなた方の目の届く範囲にいるとは限りませんよ−−−さようなら、最低最悪な巫女よ。二度とこうして言葉を交わすことはないでしょう。それとも、人の姿で私を消しに来ますか?別に構いませんよ。その時は存分に殺し合いましょう」

歪に笑い、乱暴にドミネーターをドローンへと放る。響歌は最後に凍てつくような視線を向け、何事もなかったように廊下を進む。巫女はもう、その後を追うことはなかった。

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に痺れた!