死を感じて遊べ

「しかし、どうするつもりだ?狡噛君の居場所に見当が付いているのか?」

走り出した車の中で赤井が尋ねる。響歌がこの世界でやるべき事はあと一つ、狡噛の行く末を見届けることだけだ。そのためには、彼の動向を知らなければならない。頭がいい彼のことだ、闇雲に槙島を探すなんてことはしないだろう。

「ああ、それならここに」
「それは?」
「狡噛からの手紙です。ここに行き先が記されていました。読みますか?」
「いや・・・流石に遠慮しておこう」

まさか狡噛も、他人に見られることは想定していないだろう。全てを共有する契約だが、恋路は範囲外だ。そこに記されている情報があれば、一係は容易く狡噛を捕らえられる。しかし響歌は、自分の為にしか使用しないに違いない。

「どうやらジョージ先生の所に行くようです。確かに助っ人としては最適だと思います。あの人の知恵を借りて、槙島の次の狙いを探る腹積もりでしょう」
「居場所が分かっているなら、無理に追わずに公安局に留まった方がよかったんじゃないか?俺達まで逃亡したと知れば、宜野座君の胃が潰れかねない」

まあ今はそんな余裕すらないだろう。槙島の確保、かつての相棒の逃亡、彼の関心は専らその二つに向いている。しかし狡噛を止めるなら、響歌は必要なカードだ。宜野座もそれは分かっているはず。居ないとなれば、連絡が入るに違いない。

「そうですね。一係からの連絡には極力応答しようと思います。ただ、こちらから特に何か伝えることはありません。彼らの邪魔をするつもりはないですが、私の目的は見届けることであって、狡噛を捕らえることではない。役に立たない人間など不要でしょう」

全く恐ろしい。心を許している一係の面々対しても、何の真実も告げず、去るつもりらしい。罪悪感の欠片もないのだろう。だからこそ、誰も疑わない。つくづく飽きない奴だと思いながら、赤井は宜野座や朱に少し同情した。

「とりあえず県境付近で留まって、槙島からのアクションを待ちましょう」
「何故、彼からお前に?」

目を細め尋ねる。槙島から連絡があることをどこか確信しているような言い方だ。怪訝そうな赤井に、響歌は口角を上げて答える。

「私は彼にまだ、魂の輝きとやらを見せていません」
「今の彼は追われる身だ。そんな余裕はないだろう」
「槙島は私同様、童心を忘れていない。一度知りたいと思ったことは、たとえ死の間際だろうと探究するでしょう。私はひとりの人として、彼を信じています」

なんでもない事のように響歌は言う。殺人犯だろうと健常者だろうと、尊敬できる点は躊躇わず賞賛する。素直なものだ。彼女が断言したのなら、必ずそうなるに違いない。方針に文句はないので、赤井は無言で頷いた。数時間後、響歌のデバイスが鳴る。宜野座からだ。彼女は意気揚々と応対する。

「早かったね。捜査方針は……聞くまでもないか。槙島を確保、狡噛は始末。必死だね、ボスは」
「そうだ、今は猫の手も借りたい時。どこにいるか知らないが、さっさと合流しろ」
「デバイスの位置情報を探ればすぐに分かるのに、相変わらず優しいね。本当に従うと思ってる?ま、安心してよ、手も口も出すつもりはない。仮に宜野座が狡噛を殺すとしてもね。私は、別で動く。意思を共にしない仲間なんて、貴方にとっては毒でしょ」

デバイスの向こうで宜野座がどんな顔をしているのかよく分かった。怒鳴り散らさないのは消耗しているからか。否、元来の優しさだろう。自分の存在がその心を擦り減らす一因になるとしても、譲ることはできない。響歌はふわりと笑う。その気配を感じ、宜野座は喉の奥でうめき声を漏らした。彼は馬鹿ではないし、鈍くもない。何を言おうと無意味だと、よく理解しているに違いない。彼女には刑事としての信念も正義もない、あるのは人としての意地だけだ。誰より強靭で生半可な暴力では傷を付けることすらできない心は、どこまでも美しく澄んでいる。宜野座は実感した。自分はずっと、それを憎らしく思いながらも、憧れていたのだ。恐らく赤井も狡噛も、その心に触れた者全てがそうだった。

「確かにお前は、俺にとって理解し難い存在だった。だが・・・居なくなればいいと思ったことはない」
「そっか……嫌われてると思ってたよ」
「その割には遠慮なく絡んできたな」
「はは、怒ってるの?ごめんね・・・私は宜野座のこと好きだったから。感情的な所とか…皮肉じゃないよ」

狡噛なら、ここで「俺もだ」と容易く言ってみせるのだろう。こうなると、覚悟していた。父親と相棒は、なんの心構えをする間もなく自分を置いて行った。だが彼女は違う。いつかその背を見送ることになると、根拠のない確信が常にあった。

────伸元って、戦国武将みたいな名前だね。

初めて話した時に、微笑んでそう言われた。無垢な表情を見て、こんな奴に務まるのかと顔を歪めた自分に肩を揺らして笑った姿を憶えている。鮮烈で異質で、どこにいても目に付いた。どんな凄惨な現場でも取り乱すことなく、潜在犯とも笑顔で話す。セオリーが通用しない人間。そんな彼女が時折、ふっと儚げな横顔を見せることがあった。その存在が霞んだ気すらするほどに。いつかそのままこの世界から消えてしまうのだろうと、そう思った。

「好きにしろ。この世界は、お前には不自由すぎる」
「………驚いた。本当お人好し、まさか背中を押されるなんて予想外だよ・・・ありがとね、宜野座」

不器用なエールに響歌は笑う。それきり宜野座は何も言わない。最後の言葉を待っているのだろう。ふたり共、これから槙島と狡噛を捜索する。また会えるかもしれない。それでも確信はない。それなら、伝えられる時に伝えるべきだ。

「それじゃ」

"さよなら"も"またね"も違う気がした。二度と会えなくなるのか、それは誰にも分からない。微かな音を立てて、通信が切れる。真っ暗になったデバイスを見つめ響歌は笑った。横で聞いていた相棒に向かって肩を竦める。彼女同様、赤井も内心驚いていた。朱の影響か、宜野座も随分と丸くなったものだ。

「ほんと、優しいですよね。結婚するなら宜野座みたいな人がいいと思います」
「やめておけ、振られるのがオチだ」
「一般論ですよ。私のことではありません。交代で少し仮眠を取りましょう。でないと夜に動けない」
「了解」

最初に響歌、次に赤井。そして夜が来た。意識を沈ませていた赤井の耳に、デバイスの通知音が聞こえる。そっと瞼を開け、視線だけを彼女へ寄越した。デバイスには登録されていない番号が表示されている。チラと相棒に視線を送り、表情を引き締め応じた。

「響歌・ルートヴィヒ監視官の番号で間違いなかったかな?」
「ええ。こんにちは、遊びのお誘いですよね」
「察しが良くて助かるよ。僕はね、一人遊びが苦手なんだ。付き合ってくれるかい?ふたりで遊ぼう」
「いいですよ、是非」

まるで子供同士のように会話する。赤井は無言でそれを聞いていた。"ふたりで"と指定してきたということは、響歌はその通りにするだろう。彼女は槙島に勝ちたいとは思っていない。もちろん死ぬつもりもないだろうが、狡噛や一係のように復讐や逮捕を望んでいるわけでもない。では何故、誘いに乗るのか。気まぐれか、それとも純粋に遊びたいのか。シビュラを嫌悪する者同士、理解できる部分があるのかもしれない。

「君は、生きるとは何だと思う?」
「選ぶことです。今夜何を食べるか、何をして過ごすか、誰と生きるか・・・目の前の人を殺すか。選択を繰り返すことこそが生きるということです。私は常に、心に従い選択をしてきました。だからこそ、選択を自分ではない巫女ものに委ねてしまった人々の中に紛れることを拒んだ。貴方が入れなかった輪に敢えて入らなかった私が、憎いですか?」

その声音は、挑発するでも憐れむでもなく、ただ静かだった。しかし感情が込もっていないわけではない、純粋な問い。自ら背を向けた響歌、端から認識すらされなかった槙島。どちらも巫女に囚われることはない。似ているようで、全く違う。僅かな沈黙の後、槙島は笑った。

「いや、より興味が湧いたよ。その光のほどを見せてくれ。これから巫女の息の根を止める。そのために、とある人物を殺さなければならない。ただ場所を教えるのではつまらない。かくれんぼをしよう」
「へぇ、いいですね。ノーヒントですか?」
「これでも忙しい身でね。ヒントついでに試させてもらうよ、君が僕にとってどれほどのトラブルなのか。三代欲求・・・これからその中の一つが危機にさらされる。さあ、僕を見つけられるかい?」

愉快げな声を残し、通信が切れる。響歌は数秒沈黙した後、笑った。どうやら答えは出たらしい。手早くデバイスを操作し、どこかに連絡を取り始める。赤井は黙って見守った。

「ちょっと、随分短いお別れじゃない?」
「ごめん、一つだけ調べてほしいことがあるんだ。お願い、情報分析の女神様!!」
「もう、仕方ないわね。んで、なに?」
「管巻宣昭の現住所を教えて」

聞き慣れない名前だ。恐らく彼女の脳内の引き出しに入れられていた記憶だろう。不思議そうな声を漏らしながらも、唐之杜は手を動かす。すぐに位置情報が送られてきた−−−千葉県市川市。流石、仕事が早い。微笑んでお礼を言い通信を切った。

「目的地は決まったようだな」
「ええ。超記憶症候群この能力って、時間が経つほど有益ですよね。記憶量は増える一方ですもん。赤井さんは分かりましたか?さっきの槙島の問いの答え」
「食欲だろう」
「流石ですね」

赤井が迷わず即答する。優秀な相棒に、響歌は誇らしげに目を細めた。微笑んだまま車を発進させる。無言で先を促せば、動き出した景色を横目に、彼女は順を追って説明をし始めた。

「色々な説がありますが、一般的には食欲、睡眠欲、性欲の三つですね。内一つを揺らがせることでシビュラを崩壊させる、槙島はそう言いました」
「ああ。その中で食欲だけがシビュラを内と外、両方から突くことができる。食糧不足に陥れば、国民の犯罪係数悪化は免れない。加えて、この国は鎖国解除を余儀なくされる。それで、管巻宣昭とは誰だ?」
「現代の食糧制度の立役者。バイオテロにより自給体制を崩壊させる、それが槙島の目的です」

その声を聞きながら、赤井は後部座席へと手を伸ばした。縦長のバッグを開き取り出したのは、ライフル。彼女と槙島がふたりで会うのなら、自分は傍にはいられない。拳でやり合うのも好きだが、こちらが自分の本分だ。その様子を眺め小さく笑う響歌に、赤井は念を押すように言った。

「油断するなよ」
「勿論です。それと、これを」

差し出されたのは2つの小さな黒い物体。受け取り観察すると、どうやらイヤホンと端末のようだ。無言で視線を返す赤井に、響歌はスーツの左の襟元を裏返して見せる。そこには目を凝らさなければ分からないほど小型の機器が取り付けられていた。

「盗聴器と発信器、両方の役割を担ってくれます。ただ、会話はできません。これで声を拾って状況を把握をしてください。もし私が拉致された場合は、そっちの端末に位置情報が表示されますので、その時は迎えをお願いします」
「そうならないように努力してほしいものだ」
「嫌だなぁ、常に最悪を想定するのは当然でしょう」

命の話をしているとは思えないほど穏やかな声で、笑い合う。それきり赤井は黙り込み、慣れた様子でダッシュボードからPCを取り出し電源を入れる。どこに何があるのか把握しているところが、ふたりの関係の深さを物語っているようだ。赤井はいつも以上に鋭い目付きで画面の端から端へ視線を巡らせる。何をしているのか、なんて野暮なことは響歌は尋ねない。彼は狙撃手だ。最も適切なポイントを探しているに違いない。目的地まで5キロほどになった所で響歌は車を停めた。あと30分もすれば夜が明ける。

「どうです、位置取りは」
「問題ない、正面を狙える。だが、室内だと対処しようがない。その場合は俺も乗り込むぞ」
「了解です。あと、それを忘れないでくださいね」

後部座席を指差し、響歌が笑う。ずっと気になってはいたが、やはり使うのかと赤井は息を吐いた。そこには、黒いヘルメットが2つ。あの暴動事件の時に拝借したのだろう。ちゃっかりしている。まあ、潜在犯の自分が堂々と住宅街を歩けるわけがない。長い腕を伸ばし片方を引っ掴んだ。

「ちょっと臭うのは許してくださいね。加齢臭ってやつでしょう」
「明日は我が身だな」
「いやいや、それはないです。赤井さんは100歳になっても薔薇の香りですよ」
「それはそれで化け物だろう」

喉を鳴らしてそう言うと、笑みを浮かべたまま車を降りる。最後に一度視線を合わせれば、運転席で響歌はふざけて敬礼をして見せた。軽く左手を上げて返事をして、赤井は走り出す。それを合図に再び車を発進させる。薄暗い閑静な住宅街、人の姿はない。その中の一軒、管巻宣昭の家の前で槙島聖護は待っていた。見るからに怪しいが、そう思う人間はこの国には少ない。車を降り、近付く。揺れる白い髪は夜の闇によく映える。響歌は純粋に綺麗だなと思った。彼女の姿を認め男は目を細め笑う。その顔に、遠い記憶の響輔あにの面影を感じた。

「やあ、遅かったね。片割れがいないようだけど、本当にひとりで来たのかい?」
「ふたりで遊ぼうと言ったのは貴方じゃないですか。用件は・・・なんて、聞くまでもないですね」
「君との会話は楽だがとても退屈だ。まあいい…本題の前に一つ、狡噛慎也にこの場所を教えていないようだね。何か理由があるのかな。君は、彼の復讐を止めたいわけではないだろう?」
「教える必要がないからです。私が何かしなくても、彼は必ず貴方の前に現れる」

さも当然と言ったような顔で響歌は答えた。槙島はそれを嬉しそうに受け止めると、次の瞬間表情を消す。そして持っていた荷物を徐に地面に置き、柔らかい口調で再び語り出した。

「さて、本題に入ろうか。藤間幸三郎のことは知っているかな?」
「ええ。もちろん、貴方や従兄あにと同じ体質だったことも承知している」
「その通り。この体質の所為か、僕も藤間も他者への同調意識が極端に乏しい。ところが、同じ体質であるはずの彼には例外がいた。そう、君のことだ。彼が君の身を案じる姿に、僕の中で一つの疑問が生まれた」

地平線が微かに明るくなる。しかし日の出はまだだ。暗闇では一層、真白い髪は異質だ。しかし同時に眩しく見えた。シビュラという闇によく映える白。皮肉だなと、響歌は思う。美貌、知性、肉体、全てに恵まれていても、巫女の目に映らない−−−それだけでその全てが意味をなくす。どんなに優れた人間も、異物になる。そんなにも欲しいなら、この席を譲ってやりたい。自分には何の価値もない場所だ。

槙島は一旦言葉を切ると、ゆっくりと響歌の方に歩いて来る。会話、敵の動き、五感で捉えられる全ての情報に気を配る。少しの油断も見せない彼女に、槙島はそっと口角を上げた。2メートル程の距離まで近付くと、流れるように白い剃刀を取り出し、切っ先を響歌へと向ける。

「君を失ってなお、彼は変わらずにいられるのか。彼が壊れれば、君への愛が本物だという証明だ。そしてその色に変化がない場合、君達の巫女はやはり万能でなかったということになる。逆に平静ならば、彼は君を擬似的に愛することで自分という存在を示したかっただけということだね。僕としては、前者が望ましい。それこそが、羽賀響輔の魂の輝き。シビュラには測れない、尊い光だ・・・さあ、遊んでくれるかい?」

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に痺れた!