その正義は才能

勤務初日、響歌はひどく憂鬱だった。理由は明確。初めて気心の知れぬ相手を部下に迎えるからである。彼女の性格上、初日というのは今までも面倒臭いものだった。元来、意欲的な方ではないからか、やる気とは今まで縁がない。鏡の前で深く息を吐き出した。

「(厄介な事件が舞い込んでこなきゃいいけど・・・)」

仕事着に身を包み、顔を左右に動かしてみる。相棒とは違い、隈一つない目の下を撫ぜた。どんなに嫌な仕事を控えていても眠れない夜を経験したことはなく、常に快眠だ。心が身体に影響されることはあっても、その逆はない。この身が休息を求めれば、時と場所など関係なく眠ることができるのは、ある意味で特技なのかもしれない。苦笑しながら職場へと向かう。欠伸を噛み殺しながら廊下を歩いていると、背後から名前を呼ばれた。

「赤井さん、おはようございます」
「ああ・・・今日も眠そうだな」
「これは生理現象です」

赤井とふたり軽口を叩きながら、特別対策室と書かれた部屋に入る。新人はまだ来ていないようだ。それにしても、3人体制だからか部屋が狭い。横になって仮眠をとる空間すらない。PCの電源をいれたところで扉が開いた。

「おはようございます」
「おはようございます、降谷さん」
「………」
「あ、そうか。赤井さんは初めてですね。こちらが今日から配属になった降谷執行官です」

赤井の方を振り向いて、響歌は硬直してしまう。あまりに険しい彼の表情に、思わず「人相悪いですよ」と言いそうになり慌てて唇を結び直す。まあ赤井が笑顔を振り撒きだす方が、響歌の犯罪係数がおかしくなりそうだ。それにしたって、初対面でその顔はないだろうと思ってしまう。

「あー、えっと・・・そしてこちらが赤井執行官です。今日から3人で頑張りましょう!」
「よろしくお願いします。響歌さんが頼りにするくらいですから、とても優秀な方なんでしょうね。同じ執行官同士、色々ご教授いただければと思います」
「ああ、こちらこそ」

部屋を包む空気に息が詰まりそうになる。体感温度が絶対零度だ。養父の図鑑にハムスター2匹を同じ檻で飼うのは駄目だと記してあったが、犬と猫(仮)ははたしてどうなのか。この様子だと雰囲気の良い職場は程遠い。勘弁してと悲鳴を上げそうになったとき、小さな電子音が響く−−−宜野座からの着信だ。即座にボタンを押して応じる。

「宜野座、ナイスタイミング!流石できる男は違う、
「ふざけたことを言っている場合じゃない。出動だ、今すぐ現場に来い」
「・・・さて、行きましょうか」

無言のまま車に乗り込み、現場に向かう。運転席には響歌が、続いて助手席に赤井、後部座席に降谷が乗った。先程の重い空気は未だ残っている。溜息を鼻から吐き出して、宜野座に事件の概要を尋ねた。

「で、どういう状況?」
「対象は大倉信夫。街頭スキャナーで色相チェックに引っかかり、セラピーを拒否して逃亡中だ。しかも、目撃者の証言によると若い女性を人質にしている」

街頭スキャナーとは街中のあらゆる所に設置されている、いわば監視装置である。これによるサイマティックスキャン−−体温や脈拍など読み取れる情報から対象の精神状態を解析する−−で潜在犯か否かを即座に判別できる。大倉信夫はこの街頭スキャナーによって潜在犯に認定されたのだ。

「位置情報を見ると、対象が逃げ込んだのは廃棄区画のようですね」
「ドローンが使えない以上、足で追うしかないな」
「(あんなに仲悪そうにしてたのに、捜査指針は同じですか。2人とも優秀でこっちは助かりますけど)」
「おい」
「あの、こちらに監視官の宜野座さんは・・・」

執行官ふたりの優秀さが気に入らなかったのか、宜野座がガミガミメガネになりかけたところに、女性の声が聞こえた。それと同時に通信が切れる。

「え、ちょ、宜野座!今の誰?」
「恐らく僕と同様、本日付で一係に配属になった常守監視官だと思います」
「ホー、向こうには新しい監視官が来るのか」
「そうなんですか!?可愛い子だといいなぁ・・・。あ、もう着くので二人共降りる準備してください」

車を降り、人混みを掻き分けて進む。呑まれそうになる響歌の腕を赤井が掴んだ。グイと強い力で引かれて、気づけばテントの下にいた。自然と腕を解いた部下に小さくお礼を言って、宜野座に駆け寄る。横にいるのが新しい監視官だろう。小柄で大きい瞳が印象的だ。心で「可愛い」とガッツポーズをしてみる。

「宜野座、いきなり通信切るとか冷たくない?」
「来たか・・・彼女は刑事課特別対策室の響歌・ルートヴィヒ監視官だ。君にとっては先輩にあたる」
「しばらく会わない間にスルースキル上がってる気がするんだけど。初めまして、よろしくね・・・えっと、
「常守朱です、こちらこそよろしくお願いします!」

ビシッと敬礼をする彼女につい微笑ましくなってしまう。如何にも真面目そうな女性だが、意志の強そうな瞳に胸が高鳴った。背後に立つ赤井と降谷に視線を向ける彼女に軽く説明をする。

「後ろの2人は私の部下だよ。でも、自己紹介は後だね。宜野座、私達はこっちの通路から行く」
「分かった。対象を発見次第、連絡しろ」
「了解!行きましょう、ふたりとも」

タイミングよく護送車が到着し、中から執行官達が出てくる。視線を感じて顔を上げると、狡噛と目が合った。響歌が軽く手を振れば、あちらも手を挙げてくれる。同僚として現場に立つことは二度とないことに少しだけ胸が軋んだ。視線を移せば初めて見る執行官がふたり。流れるような黒髪の女性と、明るい髪色の男性。然して興味はないため、すぐに視線を外す。響歌と赤井に続き、降谷もカート型のドローンからドミネーターを手に取る。赤井が位置情報を見ながら先を歩く。その間に響歌がドミネーターの説明を始めた。

「降谷さん、面倒なのでざっと説明します。要点だけ頭にいれてください。この銃は携帯型心理診断鎮圧執行システム。ぶっちゃけ名前は長いので覚えなくていいです。ドミネーターと呼ぶ方が一般的なので。認証機能が付いていて適性ユーザー以外はトリガーにロックがかかる仕組みです。ドミネーターは対象の犯罪係数を即座に計測し、犯罪係数によって狙撃効果も更新されます。基本モードはパラライザーと言って、ただの麻酔銃です。ただし、犯罪係数が300を超えるとエリミネーター。あの世行きですね。まあ、この銃の言うとおり行動すれば何も問題ありません」
「分かりました。一つ質問なんですが、執行官が執行官を撃つ事は可能ですか?」
「・・・私達が優先すべきは対象の確保です。貴方の言う"執行官"が誰なのかは問いませんが、言っておきます。狩るべき相手を見誤らないでください」

足を止め睨むように自分を見据える上司に、降谷は面白そうに目を細めた。降谷は赤井と初対面じゃないのではという疑念は、すでに確信に変わりつつある。それもただの知り合いではない、暗くドロドロとした憎悪を感じるほどだ。一体、何がそうさせるのか。全くときめかない三角関係に逃亡したい気持ちになった。執行官ふたりを伴って廃棄区画を走る、できるだけ静かに、かつ速く。

「人質の女性が心配です」
「サイコハザードですね。犯罪係数は伝染する。特にストレスに耐性のない現代の若者はその影響を受けやすい。たとえ人質といえど、犯罪係数が悪化すれば執行対象になりえます」

響歌の言葉に繋げるように降谷が答える。ドミネーターの指示通りに撃てとは言ったが、今回の場合「はい分かりました」という訳にはいかない。サイコハザードを模範的に説明してみせた降谷に響歌は頬を引き攣らせた。優秀であることは知っていたが、こうも完璧に返されると監視官の威厳もへったくれもない。

「彼女は偶然その場にいただけなのに、社会から隔離されることになるかもしれない。嫌な世の中ですね」
「そうなる前に俺達が保護すればいい」
「・・・善良市民であっても、幸せとは限りません」

冷たい声で降谷が呟く。チラと彼に視線を向けた赤井とは裏腹に、響歌は聞こえていないかのように進み続ける。妙な沈黙を破り、端末が着信を知らせた。宜野座からだ。

「対象を発見。ハウンド4が確保を試みたが、薬物に手を出しているようだ。パラライザーが効かない」
「それで、どこに逃げたの?」
「KTビル4階の窓から逃亡した。恐らく下の階だ」
「了解、すぐに向かう。KTビルだと少し距離がありますね、走りましょう」

響歌の声を合図に目的のビルを目指す。一回で制圧できなかったのは痛い。興奮剤か何かを服用していたのだろう。ドミネーターは興奮状態だと効果が薄くなる場合がある。KTビルに踏み込むと同時に征陸の怒号が響歌達の鼓膜を揺らした。

「この街のシステムそのものが彼女を脅威と判断したんだ!その意味を考えろ!!」
「だからって何もしていない被害者を撃つなんてできません!」

会話の内容から最悪の事態だと理解する。"彼女"とは人質の女性のことだろう。危惧していた通りの展開に息を吐く。せめてパラライザーで済めば良い。

「どうする、響歌」
「やはり、執行対象になってしまったようですね」
「聞こえたのはマサさんの声だった。と言うことは、大倉と接触したのは朱ちゃん達。狡噛も一緒なら大倉は執行されたはず。たぶん、人質を撃つのを躊躇してしまったんでしょう・・・正義の味方が実在するとは驚きです。連携の取れていない状況では普段通りの力は発揮できない、追います!」

声のした方へ走る。進むほどに嗅ぎ慣れない臭いが鼻に付く−−−灯油の臭いだ。さすが廃棄区画といったところか。すると、3人の視界に人質の女性にドミネーターを向ける狡噛が映る。執行モードはエリミネーターだ。このままでは彼女は肉片と化してしまう。

「やめてええええ!」

朱の叫び声が聞こえるのと同時に、狡噛の体が痙攣したあと倒れ込む。一瞬、何が起こったのか分からなかった。朱が狡噛を撃ったのだ。ドミネーターの言いなりではなく、狡噛を止めるために。

「もうやめて・・・でないと、この銃があなたを殺しちゃう。お願い、あなたを助けたいの」

震える声で朱が言う。その光景を目に焼き付けるように見つめる響歌を赤井の瞳だけが映す。口元には笑みを浮かべ、余すことなく記憶している。今の朱の言葉も行動も、響歌が死ぬまでその本棚のうないに保管されることだろう。

『対象の脅威判定が更新されました。執行モード、ノンリーサル・パラライザー。落ち着いて照準を定め対象を制圧して下さい』

脳内に機械的な声が響く。ドミネーターの指向性音声だ。響歌だけでなく、銃把を握る執行官達にも届いているだろう。女性が持っていたライターを手放す。脅威判定が更新された。朱の言葉が彼女を連れ戻したのだ。

「ひぐっ!!」

途端、女性が体をしならせ倒れる。さっきの狡噛と同じ、パラライザーに撃たれたのだ。撃ったのは、響歌でも赤井でも、そして降谷でもない。振り向けば、冷えた瞳をした宜野座の姿。

「常守監視官、君の状況判断については報告書できっちりと説明してもらおう」

容赦がない。流石は宜野座と言ったところか。確かに監視官としては褒められた行為でないかもしれない。しかし、その姿は紛れもなく"人間"。苦しみ葛藤する姿は美しい。

「あらら、叱られちゃったか。まあ、宜野座は24時間365日怒ってるから、そんなにヘコまないで!我の強さは大事だよ、とってもね。少なくとも貴方の行動で1人の命が救われたんだから、誇っていいと思うけど。私なんて走ってただけだし。それに、刑事って人を救う仕事でしょ?」
「…………おい」
「というわけで、撤収しましょう。狡噛は・・・廃棄区画の外までは引き摺ってもいいかな?」
「俺が担ごう」

今にも狡噛の首根っこを掴んで歩き出そうとする響歌に赤井が声をかけた。平均より重いだろう身体を軽々と持ち上げて、出口へと向かう。他の面々もそれに倣う中、未だ茫然自失の朱の視界に影が差した。ハッと顔を上げるより早く、目線を合わせるようにしゃがむ響歌せんぱいの姿。大きく真っ黒な瞳がこちらをじっと見ている。目が離せないでいると、彼女は笑った。ツンと鼻をつく灯油の臭いと薄暗い空間の中で、それはとても美しく可憐、かつ異質だ。

「戻ろう、朱ちゃん」

そう言って歩き出した背中を、慌てて追いかける。自分と背丈も変わらないはずなのに、遠い。無意識に手を伸ばしたくなる感覚に戸惑いながらも歩き出す。ふらつく朱を気遣う素振りはない。響歌は一度も振り返らなかった。

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に痺れた!