巫女の思し召し

地獄の1日の翌日。響歌は半日休暇を貰い、職場近くで昼食をとっていた。狡噛は意識は戻ったものの職務に復帰できる状態ではないらしい。降谷が着任してから初めての休暇であり、響歌は狡噛のことよりも自分の部下達がきちんと仕事をしているのかを心配していた。特別対策室の監視官は彼女だけであり、その彼女が休暇の際は一係の監視官から指示を仰ぐことになっている。しかし、そもそも出動する必要がなければ狭いあの部屋でデスクワークに没頭するのみ。決して雰囲気がいいとは言えないだろう。

「(赤井さん、大丈夫かな・・・ま、気にしてても仕方ないし、狡噛の見舞いに行こう)」

切り替えの早さは流石である。狡噛への見舞い品を片手に歩く。休暇中に職場に行くのは気が乗らないが、明日以降行ける保証もないので仕方ない。

「志恩、おつかれー!」
「あら、響歌じゃない!慎也くんのお見舞い?」
「そ、狡噛起きてる?」
「ええ、退屈すぎて死にそうな顔してるけど。さっきまで新しい監視官ちゃんも来てたのよ」
「朱ちゃんが・・・へえ」

小さく笑って分析室を出て行く。そんな響歌の様子を珍しそうに唐之杜は見送った。病室に向かう足取りは軽い。風邪をひいた友人の家を訪ねる気分である。ちなみに見舞い品は征陸から勧められたスルメイカだ。現代では珍しい品だが、ひとり部屋で食べるよりはいいだろう。

「し・ん・や、くーん!具合はどうですかー?」
「響歌か・・・その呼び方やめろ。仕事はどうした?」
「そこは"響歌ちゃん"って呼ぶところ!休暇とったの。はいこれお見舞い」
「ああ、悪いな・・・なんだこれは」
「嫌だなぁ、スルメイカだよ。知らないの?」
「とっつぁんだな・・・お前、俺が怪我人だって忘れてるだろ。暇なら少し話し相手になってくれ」

聞いていた通り本調子ではないらしく、会話のテンポもいつもより遅い。響歌は頷きながら近くにあった椅子に座った。流れるように持ってきたスルメの封を切ると、狡噛が目で抗議してきたが構わず口に入れる。噛むほど口内に広がるクセになる味だ。

「お前、あの新人どう見る?」
「朱ちゃんのこと?どうもこうも将来有望でしょ。宜野座はそう思ってないだろうけどね」
「ああ。まさか撃たれるとは思ってなかった」
「どの口が言ってるんだか。『できるものなら撃ってみろ』って顔してたくせにさ、自業自得」

喉を鳴らして笑う狡噛に呆れ顔を向ける。確かに彼女に対する評価については、響歌も彼と同意見だ。有望と言うよりは面白そうな子といった印象だろうか。真実に辿り着く為には、この社会うみを泳ぎ続けなければならない。どうせ抜けられないなら、退屈よりも愉快な方がいい。

「なんだ、見られてたのか。そういえば・・・お前のところの新人だが、見覚えがある」
「え、なになに?もしかして友達・・・じゃないよね。降谷さんが狡噛ときゃっきゃうふふしてるところなんて想像できないし」
「残念ながら違う。あの男は、俺と同じだ」

脳内でふたりが笑い合う情景を思い浮かべてから「うげえ」と舌を出して見せる。しかし、次の言葉に響歌は惑う。語る狡噛の眼差しは真剣で、声はワントーン低い。同じ−−−一体何がだろう。見た目は少しも似ていない。性格も然りだ。狡噛の様子からして、ふたりは親しい間柄ではない。にも関わらず"似ている"ではなく、"同じ"と言い切った。親しくなくとも断言できるような部分は限られる。

「刑事課にあんな人いたっけ…どちらにしても、面倒くさいな。狡噛、なんとかしてよ」

思考を終えて、出てきた感想をそのまま投げかける。響歌が至った結論は的中していた。個人的にでなく社会的に近かったということだ。つまり降谷かれは、狡噛と同じ道を辿ってきた。高く華やかな場所から奈落へと堕ちていってしまった。

「元監視官かぁ〜。成程ね・・・ほんっと、嫌!!」
「御名答だ。だが、どこの係かは知らん。俺も監視官ということしか教えられなかった。本人から何も聞いてないのか?」
「ないよ。息をするように嘘つきそうだから、探りをいれても煙に巻かれるだろうし。あとたぶん、赤井さんとは顔見知りだと思う。敵意が凄くてさ・・・ドミネーターで執行官を撃てるのか訊かれたよ。監視官だったんだから知らないはずないのにさ、怖い怖い」

薄く笑ってとんでもない質問をしてきた部下を思い出しながら響歌は言う。全く怯えているようには見えない。それどころか楽しんでいる様に感じるのは気のせいではないだろう。目的の為なら命すら差し出す。普通ならイカれてると思うかもしれないが、生憎と狡噛は普通ではない。頭のネジの一つや二つ飛ばしていなければ、ここには立っていない。ケラケラ笑う彼女を狡噛は眩しそうに眺めた。

「殺意を抱くほど、ね・・・お前が訳を知らないってことは、日本こっちにいない間か、赤井さんが執行官になる前の出来事か。過去の事件を調べてみれば何か分かるかもしれないな。監視官権限なら造作もないだろ?」
「それ、調べるより直接訊いた方が早いよね?」
「お前・・・相変わらず凄いな」

肩をすくめて彼女は再び笑った。これだ。躊躇なく、容易く、踏み入っていく。どんな相手の心にも。もしも土足で踏み荒らされようものなら嫌悪感を抱くところだが、違う。一度許せば最後、氷が水に溶けるように自然なのだ。擬態と言ってもいい。透明な足跡を残していく。恐ろしいなと、狡噛は少し身を震わせた。そんな中、放送音が部屋に響く。

『エリアストレス上昇警報−−足立区伊興グライスヒル内部にて、規定値超過サイコパスを計測。当直監視官は執行官を伴い、直ちに現場へ直行してください』
「うわ、大変」

棒読みで響歌が呟くと同時に着信が鳴った。赤井からだ。スッと目を細めている間に横から手が伸びてくる。言わずもがな狡噛の手だ。長い指が流れるように応答ボタンを押した。

「響歌、出動要請だ。宜野座くんが外しているらしい、常守監視官が出るようだが」
「それなら朱ちゃんの指示に、
「赤井さん、狡噛です。場所はどこですか?俺達もすぐに向かいます」
「え・・・ちょっと、慎也さん?絶対安静だからね!」
「いいから行くぞ」
「私の休暇は!?」

文句を言う響歌の腕を狡噛が引っ掴む。不満を垂れつつも、並んで走れることに胸が鳴る。小さく声を上げて笑えば、チラと狡噛が目線を寄越す。ニィと歯を見せながら視線を絡ませて、スピードを上げた。万全の状態ではない狡噛を気遣いながら車に向かっていると聞き慣れた声が響歌を呼ぶ。

「響歌!…それと狡噛!?」
「宜野座!ちょうどいい所に・・・狡噛をよろしく!」

狡噛には悪いが1人で走った方が速そうだ。顔の前で両手を合わせて「ごめん」とジェスチャーして、駐車場に向かう。狡噛は足手纏いなのが不服なのか、顔を顰める。それを見て彼女はまた笑った。

「おい、一体何事だ」
「ギノ、足立区のグライスヒルへ連れて行ってくれ」
「・・・お前、動いて平気なのか?」

執行官ふたりを拾うため、指定された場所に車を走らせながら赤井から内容を聞いて整理する。足立区にある商業施設内部でのエリアストレス−その区画が人間に悪影響を与える度合いの数値−が上昇したため現場へ急行しろというものだ。エリアストレスは事故や事件が起きた場所で上昇する。今回は規定値が超えたために警報がなったのだろう。途中で赤井と降谷も合流し、車に乗車する。

「私、休暇なんだけど」
「落ち着け。手当は出るんだ、そう気を落とすな」
「そういう問題じゃないです!まあ、ここまで来たら行きますけど。それで、朱ちゃんと他に誰が?」
「征陸さんだ」
「マサさんか・・・飛ばします」

征陸が一緒ならば心配は無用。それでも急ぐのは、朱を観察するためだ。そこには理由があるが、それを知るのは響歌ほんにんだけだろう。車の中で朱に通信を繋ぐ。

「響歌さん?」
「ああ、朱ちゃん。もうすぐ現場に着くんだけど、状況を教えてくれるかな?」
「あ、はい!えっと…たった今、南館でエリアストレス上昇の原因と思われる人物を発見しました。これから接触するところです」
「了解」

返事をすると、ちょうど現場に着いた。赤井と降谷が車を降り、続いて宜野座と狡噛が遅れてやってくる。宜野座が南館を封鎖している間に狡噛が走り出す。その後を響歌、赤井、降谷と続いた。狡噛に足として使われることになった宜野座の眉間に、いつにも増して皺が出来てることは誰も気づいていない。朱達を見つけると、一人の男が征陸に押さえつけられている。

「放してくれよ!相性テストじゃ俺の方がいい判定だったのに、何だよあの女!」

この社会では全てがシビュラに支配されている。恋愛も例外ではない。シビュラが選んだ相手ならば間違いないと考える人がほとんどだ。そこには盲目的な信仰心があることを、一体どれくらいの人が気づいているのだろう。それとも盲目だから気づかないのか。現場の状況を一瞬で理解し、響歌は足を止めた。釣られて赤井も立ち止まって、その横顔を見つめる。表情からは何も読み取れない。赤井の視線に応えるように響歌は話し出した。応援で来たにも関わらず手を貸すつもりはないらしい。

「この仕事で関わるのは、最大多数の最大幸福から漏れた人達。生まれてから就職、恋愛、全てがシビュラに決められる。彼もある意味被害者なのかもしれないですけど、そんなこと言ったら日本国民全員が被害者です。なので同情する気は少しもないですが、こうして声を上げた人から摘まれていくんですね。出る杭は打たれる。その杭を打つのが私達の仕事・・・はは」

自嘲的に笑う姿を咎めるように、赤井は目を細める。それを気にする素振りはない。社会から弾かれた人々を裁く自分達は一体どちら側にいるのだろう。響歌には、そこが海と陸の境に見えることがある。隊列をなして泳ぐさかな達より、群れを外れて抗う方がずっと人間らしい。どこか眩しく映る相手にドミネーターを向け続けてきた。これからも、それは変わらない。

「私は、見定めなくてはいけないんです」

降谷は、一歩後ろでその呟きを拾った。黒いスーツを纏う上司の背中は小さい。その隣にいる憎き赤井おとこと比べれば何倍も。今なら、殺せるだろうか−−−ほんの少しの殺気が漏れる。警戒するように赤井が振り向くが、その動作も途中で止まった。赤井だけでなく降谷も身構えてしまう。研ぎ抜かれた切先を喉元に突きつけるような気配。油断していたのは降谷じぶんの方だと後悔しても遅い。出所は彼女だ。響歌は真っ直ぐ前を見据え、何も言わないままで、執行官ふたりを牽制した。

「降谷さん。るなら私からですよ・・・でも今はやめてください。少し苛々してるんです。監視官と執行官で正当防衛が成立するのはどちらか、貴方なら分かりますよね?こう見えて快楽殺人者ではないんですよ。仕事以外で人間が肉片になるのを見るのは御免です」

これで話は終わりと、響歌は朱達に近づく。拘束されて興奮したのか、男の犯罪係数が危険値まで上昇する。危機を感じた征陸にドミネーターを使うように言われたが、朱は手に取ろうとしない。

「(ああ、初任務でこの社会における正義のあり方に疑問を持っちゃったか。罪を犯していなくても潜在犯として裁かれる社会。生きていればやましい事の一つや二つ考えるものだけど、巫女様は見逃さない。ならいっそシビュラの奴隷と化した方が楽なのかもしれないけど、朱ちゃんは葛藤している。思った通り、貴方も人間みたい。これで安心して、託せそう)」

響歌が代わりにドミネーターを掴もうとするより先に隣にいた狡噛が手に取った。朱が叫んで、制止する。狡噛は問う、選択しろと−−−自分を止めるか否か。

「撃たないで下さい。このまま彼を保護します」

その言葉に従い、征陸と赤井が男を連行する。同時に狡噛が膝をついた。後遺症だろう。すぐに朱が肩を貸し車に向かうのを見て、響歌は朱に声をかける。

「朱ちゃん、今日の夜に時間ある?」
「はい・・・ありますけど」
「じゃあ、一緒に夕食を食べよう。時間と場所は後で連絡するから」
「え、あの・・・行っちゃいました」
「響歌のことだ。話したい事でもあるんだろう」

去っていく後ろ姿を見つめて、狡噛は目を伏せた。彼女が何を考えているのかなんて分かるわけがない。人を惹きつけるが、自分の領域に迎え入れるのは特定の人間だけだ。狡噛じぶんはまだ許されてはいない。たぶん、これからもその場所には行けない。

「響歌さん」
「降谷さん、お疲れ様です。戻った方がいいのでは」
「どうやら僕は、随分嫌われているようですね」
「はは、嫌いというよりは苦手なだけです」
「え、正直すぎませんか?」
「まあ本当のことですし。これでも仲良くしたいと思っているんですよ。ただ天秤にかければ赤井さんに傾くのは必然というだけです。もし私の目を盗むなら、暴力よりハニートラップとかの方が効果的では?」
「・・・本当におもしろい人ですね」

キョトンとした顔をして笑うと、降谷は背を向ける。響歌はそれを見て「普通に笑った方がいいのに」と純粋な感想を述べた。普通に笑えなくなった理由が赤井にあるのか。それとも環境シビュラか。踵を返し、端末から赤井にメッセージを送った。

「聞きたいことがあるので、後で時間を貰えますか、と・・・うわ、返信はや」

短く『了解』とだけ記されている。くくっと笑って大きく伸びをした。釣られて欠伸が漏れる。今日は少しばかり脳みそを使いすぎたらしい。

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に痺れた!