真善美など糞食らえ

※本編W章の内容を含みます。時系列は本編前なので夢主の潔さが健在です。

「おいおい・・・マジかよ」
「油断大敵。女の取り柄はお尻だけじゃないよ。舐めてると、いつか痛い目を見る」

公安局内のトレーニングルームにて。横たわっているのは刑事課一係の執行官、佐々山光留。その眼前に拳を突き付けているのは特別対策室の監視官、響歌・ルートヴィヒだ。

「おーおー、よぉーく分かりました。んじゃ、もうひと勝負お願いしましょうかねぇ」
「嫌だよ、疲れた」

リベンジしようとする佐々山に、響歌はふいと視線を逸らすと床に大の字に寝転んだ。あまりの色気の無さに襲う気すら起きない。そもそも、油断していたとはいえ自分から一本取るような女だ。佐々山は起き上がると、胡座をかいて水を一気に飲み干した。

「みっちゃんはさ、どうして潜在犯になったの?」

唐突な問いに、思わずペットボトルから口を離して隣を見た。彼女は天井を見つめたまま、佐々山と視線を合わせようとはしない。トレーニングルームでする話かと笑いそうになりながら、親切に答えてやる。

「父親を殴り殺した」
「へぇ、ワイルドだね」
「・・・ほんと、肝据わってんな。お前は今、人殺しの隣にいるんだぜ」

いい天気だねとでも言うようなトーンで返答する響歌を、佐々山は楽しそうに見つめ喉を鳴らす。初めて会ったときから感じていた、こいつは自分と同じ匂いがする。社会的地位は正反対のはずなのに、不思議とそう思った。

「人殺しねぇ・・・じゃあ私とお揃いだ」
「ははっ、確かにな!」

ドミネーターか、素手か。それは大きな違いだと普通は思うだろう。巫女の意思か、自分の意思か、なのだから。しかし聞いた話では、この監視官は一風変わっているらしい。エリミネーターに変形してなお、引き金を引かなかったことがあるのだと、宜野座が苦虫を潰したような顔で語っていた。つまり、だ。彼女がドミネーターを撃つのは、本当に殺すべきだと自分・・で判断した場合のみということだ。故にそれは巫女の意思ではなく、自分の意思。殺したのは自分だと、そう認識しているのだろう。

「お父さんを殺したのって、誰の為?」

また、質問。嫌な問いだ。確信犯じゃないだろうかと一瞬疑う。ひょっとしたら、すでに自分の過去などリサーチ済みで、そのうえで尋ねているのではないだろうか。しかしすぐに結論が出る−−−有り得ない。この女はそんな面倒なことはしない。

「俺の為だよ」
「あはは、嘘へったくそだね」
「ど突くぞ」

やっとの思いで絞り出した答えは、容易く笑い飛ばされた。無意識に出た脅しも、どこ吹く風。余程面白かったのか、響歌は腹を抱えて笑い転げる。『なんなんだこの生き物は』と思いながら、佐々山はその様を見下ろした。彼女は一頻り笑い終わると、悠然と口を開く。

「自分の為なのに誰かの為って言う奴はろくでなし。その逆もまた然り、すごくいい奴は誰かの為なのに自分の為だって言うんだよ」
「なんだ、その理論は」
「私の持論。そういういい奴って大好き」

佐々山は舌打ちをして響歌を睨み付けた。どこかの本に載っていた理論なら、熨斗つけて返していたところだろう。響歌・ルートヴィヒの持論、自分と同類だからか、それはどんな賢人の言葉よりも重く感じた。

「煙草、吸っていいか?」
「事前に断るなんて珍しいね、どうぞ」

一々癇に触る野郎だと思いながら、火を点けた。くゆる煙を見ながら、なんで胸糞悪い過去を話そうとしているのか考えてみたが、面倒になる。まだ残っている煙草をぎゅっと握りつぶし、重い口を開いた。

「俺には妹がいてな」
「え、みっちゃんに似てるの?それは怖いね」

まじまじとこちらを見て、げんなりした顔をする。その表情に、佐々山は怒りという感情を放棄した。彼にそんな行為をさせた人間は、後にも先にも響歌だけだろう。

「いきなり話をぶった切るんじゃねぇよ。どんな妹想像してんだ。あいつに謝れ」
「だよね。みっちゃん、眉間の皺がなかったら普通に格好いいし。きっと美人さんだろうな。ごめんね、妹ちゃん。ちなみにお名前は?」
「マリだ」

あくまで妹だけに謝るところも流石である。「マリちゃん」と、彼女の名を復唱しそっと目を閉じた。まるで見たことのないその姿を思い描くように。可笑しな女だが、人に寄り添う心はそこらの人間よりあるらしい。仕切り直すように息を吐くと、佐々山は続けた。

「あのクソ親父は、あいつを性欲の捌け口にしていやがったんだ」
「それ本人から聞いたの?」
「いや、直感」
「なるほど、そりゃ確実だね」

語るだけでも激情が湧き上がってくる。声を震わせる佐々山とは対照的に、響歌は淡々と質問した。直感だと答えれば、小さく頷く。佐々山はさらに詳しく話して聞かせた。カメラが好きで、被写体として妹を撮っていたこと。レンズ越しの表情の変化で、その事実に気が付いたこと。響歌は口を挟むことなく、耳を傾けている。

「あいつは女の目をしていた。あろうことか、兄貴の俺に触れてほしがっていたんだよ」
「それで、してあげなかったんだ?」
「当たり前だろ、実の妹だぜ」
「そういう倫理観ってよく分からない。好きになったのがたまたま兄妹同士だっただけでしょ。それは諦める理由にはならない」

絶句した。当時の佐々山に葛藤があったことなど重々承知したうえでの言葉。その瞳は真っ直ぐに佐々山を見据え、返事を待っている。彼女には、自我より優先すべきものなど存在しないのだろう。だからこそ、律する役目を赤井という別の人間に委ねている。潜在犯の自分から見ても、異常だ。もしも響歌の言ったように妹を受け入れていたとしたら、今頃はこんな牢獄ではなく、ふたり笑っていられただろうか。ふとそう考えて、佐々山は鼻を鳴らす。

「ふざけんな。手を出した時点で、俺はあのクソ親父と同じじゃねぇか。そんなのは死んでも御免だ」
「同じ?どこが?」

説明する気すら起きない。言葉にすることが堪らなく嫌だった。彼女マリを欲を満たす為の道具にしようとしたのだ。あの父親と同じ劣情を抱いた時点で、兄失格。これ以上ないくらい顔を歪めて響歌を見返したが、惑ったのは佐々山の方だった。本当に分からない、表情がそう語っている。思わず唾を飲み、身を引いた。このまま見つめていたら、己の選択を疑いそうになる。

「私はね、処女なんだ」
「は?」
「だから間違ってるかもしれないけど、セックスをする理由って二つあると思ってるんだ」

聞きたくもないカミングアウトに狼狽えている佐々山を他所に、響歌は続ける。本日二度目の持論が展開されようとしていた。勘弁してくれと思う暇すらない。

「一つは性欲を満たすため。これは、心が伴っていない。みっちゃんのクソ親父のこと。んで、もう一つは愛情を確かめるため。こっちは心在りき。どう考えても、みっちゃんは後者でしょ。同じなのは行為だけだよ。相手がみっちゃんならマリちゃんは悲しまない」
「・・・その言葉、親父をぶん殴っている俺に言ってやってくれ」
「後悔してるんだ…やっぱり優しいね」

優しい、そんな風に言われたのは初めてだ。慣れていない褒め言葉にだからか、無性にこそばゆい。彼女はあの殺人を、妹の為だと言いたいのだろう。だがやはり、佐々山の結論は変わらない。自分の為に、自分の心を守る為に殺したのだ。あの拳は決して妹の為ではなかった。

「お前の"優しい"は定義が分かんねえな」

2本目の煙草を咥え、笑う。あの記憶を思い起こせばいつも父親や女の顔をしたマリの姿が浮かんできた。それなのに、今はどうだろう。無垢な少女だった頃の妹を思い出したのは初めてだ。こんな思いは柄じゃない。佐々山は乾いた笑いを零し、瞳を閉じた。今さら気付いたところで後の祭りだ。胸中を誤魔化すように煙を吐き出すと、呟くように名前を呼ばれる。視線で返事をすれば、響歌はいつものトーンで言った。

「私さ、本当に人殺しなんだ」
「ああ、だがそれだって誰かの為だろ。強いて言うなら社会の為。つまりさっきの持論だと、お前も優しいってことだな」
「いや、あれは私の為だよ。私が優しいのは自分にだけ。でも…一理あるかもしれないね。マサさんみたいな刑事じゃなかったから、生きてても社会に貢献はできなかっただろうし」
「刑事?おい、何の話だ?」

今日はよく喋るなと思いながら聞いていると、話が噛み合っていないことに気付く。彼女が犯した殺人とは監視官の職務−−−つまりはドミネーターによる潜在犯の執行だと、佐々山はそう認識し話していた。しかし彼女は"あれ"と言ったのだ。佐々山の認識通りなら彼女の殺人は一つに限定はされない。強いて表現するなら"あれら"になるはずなのだ。まるでたった一つの殺人について話しているように聞こえた。

「何って人殺しの話でしょ。私もね、みっちゃんと同じ。この手で実の父親を殺したんだ」
「・・・冗談だろ」
「そう見える?」
「見えねえな、本気の目だ。かぁ〜、たまげたな。なんでお前、監視官んなとこにいるんだよ」
「さぁね。自分の為だって信じてるからかな。あるいは、我らが巫女が無能なのか」

膝を抱えながら愉快げに笑い、響歌は言った。エリート気触れのお嬢さんだとは思っていなかったが、ここまでの変わり種だとは流石の佐々山も驚いていた。殺人という同じ罪を犯していても、彼女は監視官、自分は執行官。巫女が無能なのか、はたまた彼女が異常なのか。不自由な側に選別されたのだから隣の女に苛立ちを覚えてもいいはずだが、そんな感情は微塵もない。むしろより一層、響歌・ルートヴィヒという人間に興味が湧いた。

「お前のいる部署・・・なんてったっけ、なんたら室」
「特別対策室」
「そうだった。そこに俺のことスカウトしてくれよ」
「え、なんで?」
「面白そうだからに決まってんだろ」
「絶対、嫌」
「即答かよ!」

終始浮かべていた微笑を消し、響歌はゲテモノでも食したように顔を歪めた。佐々山の提案は一瞬で突き返される。あまりに潔い対応に思わず笑ってしまう。まぁ確かに、この女は兎も角として、あの相棒と上手くやれるかと言われると自信はない。中々に厄介そうな男だ。現場では人を殺しそうな目をしているが、彼女と話すときの瞳は優しく柔らかい。あれで恋人同士でないのだから、人間というのは色々だ。

「これ以上、入って来られると困る」
「なんだそれ」
「大事になっちゃったら、走れなくなるでしょ。みっちゃんを枷にはしたくない。私に目移りさせないで」

そう言いながら、響歌はそっと自分の足首を撫ぜる。比喩なのだから当たり前だが、もちろん枷など付いていない。しかし彼女には見えているのかもしれない、己を縛る鎖が。着実に付加されていく重みに気付き始めている。

「はっ、誰がお前みたいな暴れ馬。願い下げだ」
「はは、そりゃ良かった」
「あー、しっかし無様に死んで笑われるのは癪だな。少しくらいは泣けよ」
「それは無理。でももしそんな結末があるとしたら、私にできる事はただ一つ。その時は一生、貴方のことを忘れない。ずっと憶えてるって約束するよ」

ふわりと微笑みながら、響歌は瞳を閉じた。佐々山は鈍感ではない。直感の類は普通より遥かに鋭い。だからこそ、彼女の"一生忘れない"がどれだけ特別なことなのか理解できた。この女は生きる為なら息をするように人を殺せる。そういう人間だ。そんな、ひどく動物的な彼女が、死んだ奴のことをずっと憶えておいてやると、そう言ったのだ。

「ふはっ、そりゃ嬉しいね。なら、華やかに散るとするか。しょうもねぇ死に様だと、簡単に忘れられちまいそうだからな」

そんなことを言って笑った彼は、もう居ない。記憶に染み付いた横顔は、いつも楽しそうだった。最後の会話も憶えている−−−五体満足で帰って来いよと、そう言って見送られた。

「自分が死んでるじゃん」

真っ暗な部屋で、響歌は映し出された光景を見つめ喉を鳴らす。視線の先には佐々山光留の死に様がある。凄惨な写真をスクロールしながら、記憶のページに次々書き綴っていく。そうして一冊の本が出来上がるのだ。全て見終わり息を吐くと、天井を見上げ呟く。

「タイトルはどうしようか・・・光を留める人、とか」

宣言通り少しの涙すら見せないどころか、口元には笑みを浮かべていた。「気色悪りぃ」と少し照れながらそう言うに違いない。確かに、柄じゃない。

「文句言うなら自分で決めてよね」

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に痺れた!