抗う姿は美しい

『常守監視官、貴女に全ての真実を告げよう』

その声には明らかな意思が宿っていた。ドミネーターの装備運搬ドローンに導かれ、朱は厚生省本部ノナタワーに向かう。案内されたのは、縢が消えたとされる機械室通路の行き止まり。先日念入りに調べたとき何の異常もなかった壁が動き、地下深くへと続く階段が現れる。

『どうぞ奥へ。足場に気をつけて』

また、巫女の声。朱の胸で不安が肥大化していく。縢もここを通ったのだろうか。だとすれば、その痕跡を消したのは厚生省以外ありえない。現実味を帯びてきた嫌な予感、厚生省は味方ではない。眼下には奈落のような闇が見えた。

『今から貴女が目にするのは、この世界の頭脳であり、心臓部でもある場所です』
「・・・世界の中心?」
『いいえ。世界そのものです』

辿り着いた場所に広がっていたのは、異常を体現したような光景だった。殺風景な広大な空間に規則正しく配置された大量のパッケージ「脳」。禾生のほか様々な容姿の全身義体。頭蓋骨が開放された、空っぽの機械の身体が数十体、専用の充電デッキに凭れ掛かっている。伸びてきたアームが脳を運び、その頭部にセットする。その顔は全て見覚えがある。この国の高級官僚ばかりだ。

『−−−以上がシビュラシステム、即ち我々についての真相です』

まず最初に驚愕。それから次に怒り。震える声と身体で朱は尋ねた。縢はここで死んだのか。巫女はそれに淡々と答えてみせる。彼が生涯を通じて社会に果たす貢献と、自分達の機密漏洩の危険を比較検討し、後者の方がより重大であると判断したと。

「ふざけないでよ!何が重大だってのよ!槙島を裁けなかった役立たずのくせに!」
『その通り。シビュラシステムがサイコ=パスを解析できない免罪体質者の発生は、不可避です、いかに緻密で堅牢なシステムを構築しようと、必ずそれを逸脱するイレギュラーは一定数で発生します』

涙を滲ませ激昂する朱の言葉を、巫女は肯定した。そしてさらに続ける。ただシステムを改善し複雑化するだけでは、永遠に完璧さは望めない。ならば機能ではなく運用の仕方によって、矛盾の解消を実現するしかない。管理しきれないイレギュラーの出現を許容し、共存する手段を講じることで、システムは事実上の完璧さを獲得する。巫女がここまで語ったところで朱が口を挟む。言わんとしていることが理解できなかったからだ。

「どういうことよ?」
『システムを逸脱した者には、システムの運営を委ねればいい。これが最も合理的結論です』

息を飲む。つまり、今眼前にみえている脳は全て免罪体質者のものということだ。狼狽する朱を他所に、巫女は無機質な声で話し続ける。その中には槙島より遥かに残忍な行為を行った個体も多数あるのだと。狡噛の人生に影を落とした元凶すら、氷山の一角。言い様のない感情が湧き上がってくる。恐怖、軽蔑、そのどれもが暗く黒いものばかり。嘘で塗り固められた真実に朱は押し潰されそうだった。御託を並べ始める巫女に言えたのは「何様のつもりよ」、その一言だけ。胸が無力感に支配されていく。

『ここにいる各々が、かつては人格に多くの問題を抱えていたのは事実です。だが全員の精神が統合され、調和することによって、個々の特性は均質化し、集合無意識の具現として普遍的価値基準を獲得するに至っています。むしろ構成因子もなる個体の指向性は、偏った特異なものほど、我々の認識に新たな着想と価値観をもたらし、思考をより柔軟で多角的なものへと発展させる効果があります。その点において、槙島聖護の特異性は極めて貴重なケースであり、ひときわ有用な構成員として期待されます』

合点がいった。何故、槙島の確保を最優先したのか。狡噛や響歌が推理したとおりだ。もしふたりがこの場に居たら、どんな反応をしたのだろう。想像してみて、驚いた。脳裏に浮かんだふたりの顔は、あろうことか笑顔だった。響歌に至っては、腹を抱えて大笑いしている。自分には、とても無理だ。

「何故、そんな話を私に?」
『今あなたは我々を生理的に嫌悪し、感情的に憎悪している。それでもシビュラシステムの有意性と必要性は否定できていない。シビュラなくしては現在の社会秩序が成立しえないという事実を、まず大前提として弁えている。正当性よりも必要性に重きを置くあなたの価値基準を、我々は高く評価しています』
「秘密を守るために・・・縢くんまで殺したくせに」

絞り出すように言う。そんな朱の胸中を見透かしたように巫女は告げる−−−常守朱はシビュラシステムと共通の目的意識を備えている。故に、彼女が我々の秘密を暴露しシステムを危機に晒す可能性は、限りなく低いと判断した。その言葉に朱は涙ながらに叫ぶ。

「舐めるんじゃないわよ!あんたなんか、あんたなんか・・・」

言葉が続かなかった。できない。20年間信じてきたものを、ここで容易く捨てることなど不可能だ。嗚呼そうかと、朱はひとり納得した。だからあの人は、息をするように巫女を否定できたのだ。彼女は20年もの間、シビュラを疑いながら生きてきた。信頼と疑念、自分達は正反対のものを抱いてきたのだ。どちらにしても、積み重ねてきたものを壊すことなど簡単にはできない。

『再確認しましょう。常守朱、あなたはシビュラシステムのない世界を望みますか−−−そう、頷こうとして躊躇してしまう。あなたが思い描く理想は、現時点で達成されている社会秩序を否定できるほど明瞭で確固たるものではない。あなたは現在の平和な社会を、市民の幸福と安息を、何より重要なものと認識している。故にその礎となっているシビュラシステムを、いかに憎悪し、否定しようとも、拒絶することはできない』

全てその通りだった。だからこそ激情が湧いてくる。この化け物の言う通りに思考する自分の脳が憎い。響歌や狡噛、縢の為にシビュラを裏切ることができない。実際、朱は今までシビュラの加護の下で生きてきたのだ。いくらその正体が受け入れ難い姿をしていても、ベールで覆われていれば人々は神として崇める。痛感すると同時に、朱の脳裏にいつかの響歌の言葉が過った。

────相容れないな。

彼女はきっと、本能的に分かっていたのだ。監視官という同じ立場にいようとも、朱と響歌の正義は水と油なのだということを。羨望すら無意味だ。生まれ変わりでもしない限り、あちら側に立つことはできない。

『虚勢を捨て、腹を割って話し合いましょう。この会見の目的は、あなたに屈辱を与えることではない。我々はあなたと協力関係を構築したいのです』

声を上げることに疲れ、虚ろな表情で朱は尋ね返す。協力関係、まるで人同士のような言い方だ。取り合う手すら無いくせに。また彼女が羨ましくなる。こんな化け物と踊ろうとしている自分、片や彼女には全てを預けられる相棒がいる。肯定し合い、触れ合える、血の通ったパートナー。どれも目の前の怪物とではなし得ないものばかり。

『刑事課一係は、目下のところ危機的状況にあります。狡噛慎也の暴走と宜野座伸元の消耗により、チームは機能不全の兆しを見せ始めている』
「宜野座さんが・・・消耗?」
『さらに、響歌・ルートヴィヒの離反により、特別対策室の協力は見込めない状況です』
「離反?笑わせないで、あの人は最初からあなた達に追従なんかしていない!」

つい声を荒らげてしまう。まるで彼女を手駒のように語る様に、苛つきが募る。恐らく本人は笑い飛ばすのだろう。きっと、本気で話すことすらしない。巫女との会話に割く時間など、彼女にとっては無益以外の何物でもない。そんな暇があるなら大切な人と過ごすことを選ぶに決まっている。

『響歌・ルートヴィヒの身柄については、現在、捕縛の準備を進めているところです』
「捕縛・・・何を言っているの?そんなこと、許されるわけないじゃない!まさかあなた達っ、正体を明かしたの?これ以上、あの人から何を奪おうってのよ!」

枯れかけていた怒りが再び溢れ出す。たとえ響歌自身が容認しているとはいえ、その人生を狂わせた張本人は目の前にいるこいつだ。それなのに、やっと解放され飛び立とうとしている彼女を、再びその腹の中へと引き戻そうと言うのか。見過ごせるはずがない。

『響歌・ルートヴィヒについて、あなたが介入する必要ありません。我々が選出した人材に委ねています』
「別の人材・・・それって、
『響歌・ルートヴィヒの監視については、全て降谷零に一任しています。故にあなたには、自身の役目のみに注力することを期待します』
「降谷執行官が・・・」

朱の脳裏に降谷の姿が浮かぶ。確かに彼は、他の執行官とは雰囲気が違う。皆どこか執行官という立場に慣れてしまっている中、あの男の瞳には異なる色が宿っていた。肩書きと信念が噛み合っていない、そんな感じ。だがまさか、響歌を監視するのが目的だったなんて。朱は唇を震わせた。彼女本人はこの事を知っているのだろうか。

『新たな統率者が捜査の主導権を握らない限り、槙島聖護の追跡は続行を望めません。常守朱。あなたもまた余計な葛藤に囚われて、本来発揮しうる潜在能力を発揮できていなかった。状況に対する理解の不足が、あなたの判断力を鈍らせていたのです。そこで我々は特例的な措置としてシビュラシステムの真実をあなたに開示しました。真相を教えることが、あなたという人物にモチベーションを与えるうえで最善の方法と判断したからです』

鼓舞するように朱は手の甲で涙を拭った。人の言葉で話す目の前の怪物は、自分には絶対に倒せない。それでも、屈服はしない。巫女は構わず続ける。朱もまた槙島に対する狡噛の私的制裁を否定している。感情論による無益な犠牲を避けようとしている点で、自分と朱の価値観は共通している。

「私は槙島の罪が正しく裁かれるべきだと思っているだけ。あなたたちだって、法を犯した前科があるならそれに見合った償いをすべきなのよ」
『我々は現在の理想的社会形態の要となる存在です。社会に対する我々の貢献は、過去の被害に対する補償として充分に過ぎるものです』
「……都合がいいのね」
『槙島聖護もまた我々の構成因子となることで、自らの犯罪を償って余りある利益を公共にもたらすことでしょう』

決意を固めたことで、朱の心は凪いでいく。やっと怒りを飼い慣らす余裕が生まれた。顔を上げ、条件を提示する。それに承諾をした巫女に、朱は毅然と言い放った。槙島を生きたまま捕らえた暁には、狡噛の命も保証すること。即座に巫女が返事をする、理論的に等価性の成立しない提案だと。それに朱はさらに反論した。狡噛が助からないならば、槙島を見殺しにする。その声には断固たる意思が宿っていた。サイマティックスキャンでなくとも、感じられる程の決意。沈黙する巫女に、朱は挑発的に追い討ちをかける。

「それとも言いなりにならない私をこの場で殺す?いいわよ。縢くんみたいに殺しなさいよ。そうして他に利用できそうな手駒を探すのね」
『・・・了解しました。槙島聖護が無事確保された場合に限り、狡噛慎也には特例措置を講じましょう』
「約束よ」

地上へと出た朱を待つ者がいた。カツ、と響く靴音に咄嗟に顔を上げる。全く気配がなかった。金糸の髪の間から青い瞳が覗いている。均整のとれた体躯のその男は、いつも通りグレーのスーツを身に纏いそこに佇んでいた。

「降谷、執行官・・・何故ここに」
「新しい手駒を用意したと、報告がありまして。貴女が言葉通りに動くのか、とても不安のようです」

優雅に微笑み、降谷は徐に腕を上げる。その手には小さな紙が握られていた。朱は怪訝そうな顔をしながらも、そこに書かれた文字を黙読する。

『ドミネーターを床に置いてください』

声ではなく紙面でのやり取り。そうすれば、シビュラに聞かれることはない。小さく頷いて、朱は指示に従った。それを認め、降谷はさらに紙を裏返す。

『彼女には、全て話してあります。僕の一存で上司に報告はしていません』

そこまで読んでやっと、朱は先の行為の理由を理解した。降谷が己の監視役であったことを、響歌は知っている。そしてこの男は、巫女の指示通りに彼女を捕らえることはしない。そのことに朱は安心したのだ。銃把を握ったままでは、サイマティックスキャンによって全て筒抜けになっていたに違いない。すぐに再び、別の紙が目の前に差し出される。

『安堵を悟らせないように気をつけてください。彼女が飛び立つまでは、僕が優秀な道具であると思わせておきたい。ですので、精神状態を整えてからドミネーターを取るように。何故手を放したのか尋ねられても動揺しないことです。出来ますか?』

品定めでもするように、青い瞳が朱を見返している。そこに揺るぎない信念を感じ、彼女は大きく頷いた。降谷はそれを見て笑う。どうやら適切な人選だったようだ。中身はどうあれ、シビュラの人を見る目は本物らしい。

「では、僕はこれで。悠長にしている時間はありませんから。お互い、捕らえるのは骨が折れそうな獲物ですね。この国の為に、全力を尽くしましょう」

ふっと微笑み、降谷は背を向ける。その言葉は巫女にも聞こえているだろう。とても演技とは思えない声音だ。嘘を吐き慣れている。本当の降谷零は見えない。朱は一瞬、恐怖を覚えた。自分は、彼と同じ立場にいるのだ。仲間にすら真実を告げられず、シビュラに従う。あんなふうに上手く出来る自信がない。それでも今は、ただ進むしかない。

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に痺れた!