深海はすぐ近く

一係の捜査に同行するため、響歌は執行官ふたりを連れて廊下を歩いていた。大きな欠伸をして進む彼女に赤井と降谷が続く。駐車場に着いて、いつも通り助手席に乗り込もうとする赤井に響歌が言う。

「赤井さん、運転をお願いしてもいいですか?」

返事をする前に後部座席に乗り込んでしまう。いつものことだが、気まぐれだ。街中に映し出される反吐が出るような広告を無表情で見つめた。別の車から宜野座が話す事件の概要を頭にインプットする。現場は八王子のドローン工場。テスト中のドローンによって身体をバラバラにされた死体が発見されたらしい。しかも、その工場での死傷者はここ一年で三人目。もしも事故だとしたら逆に呪われているに違いない。

責任者が柔和な態度で一行を迎えると、響歌は先頭には行かずに赤井と降谷の間に立つ。ふと視界に入った黒い物を思わず掴んだ。両隣がぎょっとするのも当然だろう。その手には、六合塚の黒髪が握られている。

「綺麗な髪・・・日本人形みたい」

狼狽えたままの六合塚を置き去りにして、スタスタ歩いて行ってしまう。残された部下達はなんとも言えない顔をした。結局、赤井が小さく「すまない」と謝罪をすることになった。工場内を見学しつつ、責任者と朱達のやり取りに耳を傾ける。昔は全て手でやっていた工程も、今は殆ど機械任せだ。しかし最終チェックは今も人間が行なっていると言う。しかもここは電波暗室でオフラインらしい。つまりはドミネーターも使えない。使う場面がないことを祈りながら、黙々と作業を行う作業員を見て響歌は顔を顰めた。まるで人間きかいが機械を作っているようだ。

続いて死体発見当時の記録を見せられる。被害者、塩山大輔の最期が映し出された。征陸が簡単な質問を投げかけるが、責任者は事故だと言い切る。証拠がなければ押し通されてしまうだろう。なんと言っても、ここは経済省管轄の官営工場。殺人なんて起こればドローン生産どころではなくなる。

「俺は郷田主任ともう少し話がある」
「降谷さん、宜野座監視官に同行してください」

響歌の言葉に宜野座は眉間に皺を寄せた。鋭い視線を満面の笑みで受け入れる。たとえ殺人だとしても事故として処理したがっている相手には、話術が必要だ。それは響歌よりも、赤井よりも、降谷の得意分野。捜査は適材適所。正反対の表情で睨み合う監視官達を差し置いて、当の降谷はにこやかに了承した。

「とんだテーマパークですね」
「ああ、しかし中々に酷い殺され方だったな」

工場内の食堂でコーヒーを飲みながら響歌が呟く。それに隣の赤井が応じた。とても死体の話をしているとは思えない、昼下がりのワンシーンのようだ。その様子を少し離れた位置で見ていた縢は狡噛に尋ねる。

「なあ。あそこにいる美人、コウちゃんの同期なんでしょ?紹介してくんないかなぁ」
「やめておけ、とてもお前の手には負えないぞ」

声のトーンで本心からの言葉だと分かり、朱も縢本人も戸惑いを見せる。縢が再び響歌へと視線を向けたその時、大きな物音が室内に響いた。皆が弾けるように音の出所を見れば、跪く一人の職員を何人かが取り囲んでいる。床には綺麗に盛られていたであろう食事が散らばっていた−−−穏やかじゃない雰囲気だ。

「よお、黄緑野郎!今日もまた優雅に個室でランチかい?」

その様子をコーヒーを啜りながら響歌は窺った。赤井の表情にも特段変化はない。一方で嫌悪感を露わにする朱に、「よくある事だ」と責任者は笑う。

「それを笑って見過ごせるあんたも、ここの責任者がお似合いってわけだ」

狡噛は皮肉を込めて言い放つと、席を立って黄緑と呼ばれた彼に手を差し伸べた。それを見て響歌は小さく笑う。この社会に見習わせたい光景だ。食事を終えた後に工場の一室で会議が行われ、征陸が考えを述べていく。常に一人だけ色相が悪化している社員がおり、例外なく転属処分を受けている。しかし、ここ一年は配置換えがないと指摘した。短時間でさすがの着眼点だ。

「この一年間ずっと同じ職員がいじめの対象になってるんだ。データで一目瞭然だな。他の連中はクリアカラーなのに、サイコパスを濁らせてる奴が一人だけ…
「金原裕治、色相判定イエローグリーン」

だが最新の計測値は好転している。しかも濁りがピークだったのは塩山の死の前日ときた。あんな殺され方をされたのも納得だ。いじめに対する報復ができ、色相もクリアにできる。まさに一石二鳥。事件の大筋が見えてきた。そんな中、人を殺してサイコパスが好転する事象に朱が疑問をぶつけ、それに征陸が答える。

「金原以外の職員は金原を痛めつけることでストレスを解消してるんだ。なにも不思議なことじゃない。サイマティックスキャンなんてなかった時代には別段珍しいことじゃなかったんだぜ」
「ふざけるな!またお得意の刑事の勘か?そいつはただの妄想だ!貴様のような潜在犯がただの社会のクズに過ぎないという証拠だ」

今この空間には潜在犯の方が多い。いくらなんでも言い方というものがある。栓が外れたように宜野座は怒鳴り散らした。響歌は目を閉じて小さく息を吐く。「俺にやらせろ」という狡噛をピシャリと黙らせる始末だ。さすがに目に余る。戸惑いがちに朱が宜野座に声をかけるのを遮り、響歌は口を開いた。

「マサさんが社会のクズなら、私は塵かなぁ」

しん、と沈黙が落ちる。狡噛や征陸、赤井は肝を冷やした。何を言うか分かったものではない。余計ややこしくしないでくれと願うばかり。一方で、彼女をよく知らない縢や六合塚は戸惑いを見せる。

「そんな塵の私から見れば、潜在犯より宜野座の方がよっぽど息苦しそうだけどね」
「お前はまた、潜在犯こいつらの肩を持つのか・・・フッ、まさか飼育の過程で情が移ったか?」

会話の流れはすっかり宜野座と響歌に変わっている。嘲笑と嫌悪を含めた言い方に彼女は笑う。その美しさに周りは息を飲んだ。普段なら諌めるはずの狡噛も無言を貫いている。宜野座には潜在犯である自分の言葉よりも、同じ場所に立つ彼女の言葉の方が重い。

「私が絆されているって言いたいの?潜在犯に同情するほど優しくないよ。単純なこと。普通、右手が塞がっていれば左手を使うでしょ。シビュラの加護が受けられないなら、自分達でどうにかするしかない」
「だから根拠のない刑事の勘を信じろと?」
「"疑うな"じゃない、"否定するな"ってこと。宜野座もよく言ってるよね。執行官は獣を狩るための獣、何の為の執行官なわけ?シビュラの評価だけを信じて生きるなんて人形でもできる。でも私達は人間。思考を止めてはいけない。今こそ猟犬の嗅覚を活かすべき」
「お二人とも、落ち着いてくださいっ!宜野座さん…ちょっと」

再度言い返そうとする宜野座を朱が部屋の外へと連れて行く。途端、響歌は脱力したように椅子へと座る。リセットするように深呼吸をした。一瞬の沈黙を挟み、赤井が言う。

「珍しく感情的だな」
「あー、反省してます・・・少し熱くなりすぎました」

彼女は基本、他人に干渉しないのを知っている。淡々と話すのが常だから、あんな風に感情を曝け出すことは滅多にない。つまり、宜野座は彼女にとって他人ではないということだ。額に手をやり反省しているところを見るに、どうやら無意識だったらしい。

「ダメですね。大切な相手だと、こうあってほしいと願う姿を押し付けそうになる。それは私の理想であって、その人の理想ではないのに」
「いや、その理想は捨てんでいい。おかげで伸元は考えることを止めずにいられている」

慰めるように征陸が響歌の髪を撫でた。温かくて優しい父親の手だ。宜野座にはこの温もりを憶えていてほしい。執行官に頭を撫でられる監視官など一生見られないだろうと、その場にいる全員が思った。

「それにしても、シビュラの恩恵が受けられない辺鄙な工場で起きた事件にしてはユーモアがありますね」

クスクス笑う響歌を執行官達は怪訝そうに見た。彼女が独特な物の見方をすることを知る赤井と狡噛は黙って先を促す。彼女の考えは不条理な現実ばかりの社会を少しだけ面白くしてくれるスパイスだ。

「まるで、この社会の再現です」
「お前さんは相変わらず面白いことを言うな」
「あのー、全然分からないんですけど・・・」

顎に手をやって感心する征陸に縢が不満そうに呟く。さすがの縢も、話したこともない、しかも狡噛が厄介だと認識している女を前に緊張していた。くるりと振り向いて、初めて目が合った。黒く大きな瞳はずっと見ていると呑まれそうだ。大画面に映し出された金原の写真を指差して、話し出す。

潜在犯かねはらという存在によって己の精神を安定させているその他大勢しょくいん。この構図、まさに現代社会そのものじゃないですか。『あいつに比べれば俺は綺麗だ』と自分より惨めな人を見て安心する。人間はなんて愚かなんでしょうね」

話の途中では「潜在犯じゃない奴に何が分かる」と言いそうになった縢も、最後の言葉の冷たさに何も紡げなかった。まるで自分も同じ生き物であることを嫌悪しているようだ。

「しかし、完璧な再現とは言えませんね」

それまで一言も発していなかった降谷が笑う。指摘が入るとは予想外で響歌は弾かれたように彼を見た。首を傾げる上司に、降谷は整った笑顔を見せて答えた。

「ここには貴女がいません」
「私ですか?」
「降谷くん。こいつは変わっている自覚こそあるが、こう見えて擬態しているつもりなんだぞ」
「貴方と話はしていません」

突然の冷笑に周りは戸惑う。大人しく口を噤む赤井に響歌は笑いそうになった。宜野座とは違うタイプの喧嘩腰だ。殺し合いは勘弁願いたいが、この程度のやり合いはいい刺激になる。怒らせまいと振る舞う犬と、警戒心の強い猫を見ている気分だ。

「楽しそうだな」
「あ、宜野座。方針は決まったの?」

先程のやり取りが嘘のようにケロッと響歌は尋ねた。横には居心地が悪そうに朱が立っている。ぐっと眉間に皺を刻み、宜野座が言い放つ。

「今回は常守監視官が手綱を握る。俺よりも上手く飼い慣らす自信があるようだ」
「そ、じゃあ狡噛の作戦でいくのね。どうするの、ちょっと刺激すればボロ出しそうだけど」
「ああ、俺がやる」

狡噛の言葉を合図に準備が始まる。宜野座は傍観を貫くつもりらしい。部屋を出る直前、響歌はそっと目を伏せた。気遣うように赤井がその肩に触れる。それに応えるように瞼を上げてから呟く。

「黄緑、結構好きなんですよ」

−−−−−

オフラインの工場内でドミネーターを使用するためにはケーブルを伸ばさなくてはならない。つまりケーブルが届く範囲でしか使えない。執行官達が準備をする中、朱がとんでもないことを言う。

「宜野座さんって征陸さんと何かあったんですか?」

落とされた爆弾発言に縢は高笑いをし、六合塚は冷静にそれは地雷だと教えてやる。ふたりの関係は一係にいれば自ずと分かると言ったが、案外その時は近そうだ。真っ暗な空を見上げれば、眠気が襲ってくる。欠伸を噛み殺しながら、隣に立つ気配に視線を移す。暗闇に映える金糸の髪、降谷だ。青色の瞳が興味深げに彼女を見ている。こんなに美しい色なのに、あの銃を使えば一瞬で消し飛んでしまう。

「貴女の目には、一体何が見えているんですか?」
「見え方は違いますが、見えている物は同じですよ」
「響歌、狡噛君が金原やつを誘き寄せる。俺も出るぞ」

能動的な物言いに響歌は満足そうに笑う。交わした約束を忘れてはいないようだ。降谷に視線を戻し頷く。

「赤井さんは狡噛の援護を、降谷さんと私はドミネーターを使用範囲内まで運びます」

その声を合図に各々走り出す。ドミネーターを運ぶのが縢・六合塚、響歌・降谷。目的の場所まで対象を引っ張ってくる役目は朱と狡噛、そして赤井。小型ドローンに捕まる響歌の横で降谷は関節を鳴らす。

「体重差でバランスが取りにくいですから、僕は走ります。ちゃんと離れずに付いて行くのでご心配なく」

仔猫のような顔で言うことかと響歌は内心毒づいた。会話をしている暇はない。その言葉を信用してドローンを発進させ、縢と六合塚とは別経路で走り抜ける。言葉通り降谷はピッタリ張り付いている。チラと見れば息一つ乱していない。背中は合わせられずとも肩を並べることはできるかもしれない。高揚する心を隠すことなく響歌は笑う。

「響歌!!」

左手を挙げた赤井の姿が見えた。オンラインになったドミネーターを力の限り放る。その背後には金原が乗っている他に2機のドローンが視認できた。今にも赤井に鉄槌を振り下ろそうとしている。降谷とふたり滑り込むように進入し、それぞれ左右に飛んだ。迷うようにドローンが揺れる。それを見逃す赤井ではない。

『対象の脅威判定が更新されました。執行モード、デストロイ・デコンポーザー。対象を完全排除します』

銃口から放たれた電磁波がドローンに大穴を開けた。息を吐いて顔を上げれば、狡噛も2機目を仕留めた様子だ。彼の瞳は、獲物を追い詰める最中のまま。それを戸惑うように朱は見つめた。響歌の脳内にまた新たな記憶ページが追加される。 

「先走るほどに首輪は食い込む、か」

あるじ狡噛りょうけんを御すにはまだ力不足。彼女が立派な主人になるまでは、見届けねばならない。そこまで思考し我に返る。己に課したルールを無意識に破っていたと気付き、自戒を込めて拳を握った。これのどこが俯瞰的か。

「無意味な境界線だな。他人に任せるより自分で握った方がいいと思うが・・・何故そうしない?」
「赤井さん、もしかして身体中に目が付いていたりします?こういう時は見て見ぬフリでお願いします」

目敏すぎる部下に呆れたように呟く。話してもいないのに、全て分かっているみたいだ。持ちきれないのに欲張って、大切な存在ものを増やしすぎた。そのツケが回ってきた。

「できるなら、そうしてます。それだけの技量や覚悟が私にあればですけど。何も犠牲にしないで得られるほど安くないってことですかね」

全てを背負ったままでは泳げない。その重さでこの身は深海へと沈んでしまうだろう。目指すのは底ではなく海面だ。そのために、重石は取らねばならない。大切であるほどに足枷となる。

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に痺れた!