愛しき家族と貴方

「名前ちゃん!!」

久々のリビング。階段を降りると弾丸の如き衝撃に襲われる。誰だ、寝てるとか言ったのは。隣の棗に抗議の目を向ければ素知らぬ顔。お腹に押し付けられている頭を撫でる。しゃがんで頬にキスをした。さすがに棗より上の兄弟にはしないけれど、弟達にはいいだろう。だって可愛いんだから。

「弥、背が伸びたね」
「えへへ」
「おかえり、名前」
「雅臣兄さん・・・ただいま」

棗に釘を刺されたから、ちゃんと笑顔を見せる。
のんびりしているのに隠し事はいつもバレるから、下手くそな作り笑いは意味がないかもしれない。
突然ぐいと肩を組まれて、慌てて隣を見れば真っ白な頭−−−椿だ。

「笑顔下手くそか、京兄みてえ!」

途端、ゴツン!とゲンコツが振り下ろされる。眉間に皺を寄せた右京兄さんの愛の拳。半歩後ろで呆れた表情の梓に笑みが溢れた。それを見て皆が安心したような顔をするから調子が狂う。

「何の騒ぎだよ・・・って、名前姉!?」
「昴、侑介。二人とも久しぶり」

昴はまた背が伸びたし、侑介にも抜かれてしまった。わしゃわしゃと髪を撫でて軽くキスをすれば、照れたような顔をするのが微笑ましい。光はまだイタリアだろうか。風斗はたぶん仕事で、琉生の姿も見えない。

「祈織は、いないの?」
「今日はまだ帰って来ていませんね」
「そう・・・」

昔から何でもできるから頼ることが苦手な子。こと人間関係に対しては、本当に時々だったが要に相談していた。私もよく外に連れ出したりしていたけれど、今思えばお節介だったのかもしれない。一人になりたいくせに誰かといたいなんて矛盾した気持ちになる時には、祈織の横で本を読んだりしたものだ。

「あっ!」

慌てたような声に顔を上げる。そしてまた小さな後悔をした。一瞬、いないと言っていた椿を恨んだけれど、驚いた声を上げたのは他でもない彼。きっと帰って来る予定じゃなかったに違いない。文句を言うのはお門違いだ。玄関を開けて走って来たのだろうか、息を切らしているのは会いたくて堪らなかった人。ああ、やっぱりまだ死んでいない。どくん、と恋心やつが胸を押した。名前−−−と、その唇が私の名前を紡ぐ。

「要」

咄嗟に逃げようとした身体が包み込まれる。鼻腔を支配する独特の香り。視界が潤んで、反射的に背中に回ろうとする自分の腕を阻止するので精一杯だ。何してるの、早く離れなくちゃ。上げかけた腕を身体の間に滑り込ませ、思い切り胸を押した。反動で数歩後ずさって、口を衝いたのは疑問の言葉。

「どうしてそんな風に触れるの・・・っ、

ぽたぽたと頬を涙が伝って床に落ちる。弥だっているのに、こんな子供みたいに泣くなんて情けない。情緒不安定じゃないの、私。真っ直ぐに目を見られないなんて、2年前のあの日と同じ−−−まだ好きな証拠。居た堪れなくなって駆け出した。

「名前!!」

棗が私の名前を呼んで、追いかけて来る気配がする。まずい、追いかけっこで勝てるわけない。履きやすい靴でよかったと思いながらパンプスに足を滑り込ませて、扉を開けた途端に誰かとぶつかった。倒れそうになるけれど、腕を掴まれる。

「・・・姉さん?」

ああ、大人になったな。鮮やかなグレーの髪が眩しい。目を見開いて私を呼ぶ祈織を抱きしめてあげたいのに、そんな時間がないのが残念だ。男の子にしては細い腕を振り払って階段に走る。すぐ後に棗が玄関からまた私の名前を呼んだ。

5階まで上るのはきついけれど、下るのはそうでもないはず。必死に走ったのに、3階の踊り場で肩を掴まれて止まらざるを得なかった。もう放っておいてほしい、こんな惨めな女。自暴自棄な考えが胸を覆う。

「落ち着け」
「できないよ、そんなの!なんで、こうなの私・・・・もう嫌っ、うう・・・」
「泣くなって。悪い、安易に連れて来るべきじゃなかった。引っ掻き回す形になっちまったな」

棗は少しも悪くないのに傷ついた顔をするから、私の方が胸が痛くなる。鈍いくせに、こういう所は本当ずるい。同い年の男に頭を撫でられて、安心するなんて本当情けなさすぎる。きっと私の顔面はドロドロだろう。まあ棗だし、見られても幻滅されたりはしないはず。そうこうしているうちに階段を降りて来る影。

「棗、名前のこと送っていくよね?僕も行くよ」

真面目な顔の梓が言う。まあ、椿に比べたらいつも真面目だけど。横にはその片割れの姿はない。やっと涙が引っ込んできた。今になって何故か気恥ずかしくなってきて、顔を覆う。

「かな兄は?」
「椿に任せてきたから大丈夫。見たことない顔してたよ。流石、名前」
「まあ確かにこいつくらいだな、かな兄にあんな顔させるのは。今日はとりあえず帰るぞ・・・立てるか?」
「馬鹿にしないで」

口先だけは一丁前。言い返しはしたけれど、足に力が入らない。溜息を吐きながら差し出された手を素直に取れば、強い力で引き上げられる。左に棗、右に梓。男女が逆だけど、客観的に見れば"両手に花"な状況。まあ私とっては見慣れた顔だし、泣き顔を晒した手前ちょっと気まずい。

「どうして追いかけて来てくれたの?悪いのは私なのに・・・自分で言うのもなんだけど甘やかしすぎ」
「振り回されるのには慣れてるからね。今更トラブルメーカーが一人増えたって変わらないよ」
「ああ、何年椿の弟やってると思ってるんだ。大体お前は昔から椿そっち側だろ」
「あのさ、念の為に聞くけど・・・慰めてくれてるのよね?」

散々な言い様なのに笑みが零れた。言葉の裏にある優しさに気づかないほど鈍くはない。椿そっち側に位置づけられるのは少々不服だけれど、確かに幼い頃から椿の悪戯に便乗するのは梓でも棗でもなく私だった。

根本的な問題は何一つ解決していないのに気持ちが軽くなるのは、相手がこの二人だからだろう。ありがとうを伝えたくてそれぞれの腕を組む。家までの道のり他愛のない話をしながら歩いた。

−−−−−

家が見える場所まで来て、声を漏らす。我が家の愛車がちょうど車庫に入るのが見えた。なんてタイミングで帰って来るんだ、あの人は。本当は2年ぶりの帰国だから笑ってコーヒーを飲みたいけれど、この歳になって泣き腫らした顔を実の親に晒したくはなかった。咄嗟に棗の陰に隠れた私を苦笑混じりに見つめる。

「明かりが点いてないからどうしたのかと思えば・・・2人もボディーガードを侍らせて帰って来るなんてやるじゃないか」
「和眞さん、ご無沙汰しています」

やはり父は容赦なく茶化してきた。棗が律儀に挨拶をする横で、梓も頭を下げる。父−苗字和眞−と朝日奈家とは顔馴染み。特に三つ子には対私と同じように接するくらい溺愛している。その手があまりに自然に成人男性の頭を撫でる中、2人が何とも言えない顔をしているのが面白い。

「2人とも明日は仕事か?」
「いえ・・・休み、ですが」
「それなら泊まっていくといい。ちょうどシュークリームがある。どうせなら椿も呼ぼう」
「え、ちょっと何言ってるの、むぐっ、

ここまで送ってもらったうえ、まだ付き合わせるのはいくら幼馴染みと言えど気が引ける。抗議しようと開きかけた口が大きな手で塞がれる。と言うか、小学生じゃないんだからシュークリームで釣れるわけない。

「美味いワインもあるんだ。それとも、おじさん相手に晩酌はしたくないか」
「いえ、ご一緒します」

その返答に満足気な顔をして、玄関へと歩いて行く。絶対に自分が飲みたいだけだ。本当にいいのか聞こうと2人を見れば、意外に乗り気なようで何も言えなくなった。

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とヒロインの関係が好き