一人しか知らない

※棗視点

「久しぶり、棗」

アメリカに行っていた幼馴染が、2年ぶりに帰って来た。何の連絡も寄越さなかったから驚いたが、いつものことだ。日本を発つときも事前に相談はなかった。和眞さんにはさすがに言っていたんだろうが、せめてかな兄には決める前に一言あってもいいんじゃないかと思ったものだ。

しかしそれは無理な話だ。あいつは大抵のことを一人で決めてきた。少なくとも俺は相談なんてされた記憶はない−−受験も、就職も、恋愛も。ただ単に深く悩まないだけなのかもしれない。それで目も当てられない人生になっていたらかける言葉もないが、俺の知る限りは全て良い結果に落ち着いているから驚きだ。

「はあ!?理学部って、お前・・・本気か?」
「嘘をつく必要ないでしょ。本気も本気、大真面目」

小6のとき『5,000円の3割引は?』という問いに解答できなかった奴が、高校で理系を専攻して研究職に就くなんて普通は思わない。恋愛についてもそうだ。名前はかな兄を慕っていたが、ある種の憧れだと思っていた。それが気づけば恋人同士ときた。かな兄が『振られちゃった』と言った時はさすがに笑えなかったが、少しも諦めていない兄の目を見て妙に安心したのを覚えている。

つまり、だ。大人になった今は、名前の生き方はある意味で美徳だと感じている。たとえ最初は悩まず決めたことでも、あいつは投げ出したことはない。貫いて結果に結びつくように生きている。悩み抜いて陸上をやめた結果、昴に幻滅されて未だに確執が残っている俺からしてみれば羨ましいくらいだ。

「どうしてそんな風に触れるの・・・っ、

そんなあいつが俺ら家族の前で泣いた。泣く所を見たのは、幼馴染の俺でさえガキの頃を除けば初めてかもしれない。だから、弟達にとって強い姉だった名前の泣き顔は、さぞ衝撃的だっただろう。そのくせ15分後の帰り道にはいつも通りの顔に戻っているあたり、流石にリカバリーが早い。俺も梓も心配を言葉にはしなかったが、名前はちゃんと汲み取ったようで嬉しそうに笑った。

本当は送り届けてすぐ帰るつもりだったが、久しぶりに会った和眞さんに誘われて酒を飲むことになった。たぶんそれは口実で、本当は娘の涙の理由を知りたいだけだろう。この人は、12人いる兄弟の誰にも似ていない。もちろん俺にもだ。まあ極端に言えば他人だから似ていなくて当然だが、近しい間柄なだけあって新鮮に感じることがある。
頭を冷やせとばかりに名前はすぐに風呂へとぶち込まれた。当分は出てこないだろう。

「確かここに・・・お、あったあった」
「それかなりの年代物ですよね、いいんですか?」

梓が驚いたように訊くのも当然だろう、嬉しそうに出してきた3本のボトルは俺でも知ってる銘柄のワインばかりだ。そんな風に俺がぼんやりと観察している間に、梓が食器棚からグラスを出す。声優という職業柄か、元々の性格か、梓はよく気が利く。

「いいんだよ、こういう時じゃなきゃ開けないままだ。なにせ家は2人しかいないからな。ところで、椿は呼んだのか?」
「ああ、連絡してみます」

本気で言っていたのかと、慌ててスマホを開いて文字を打つ。1分もしないうちに返事がきた−−『行く行く!着くまで乾杯待って☆』−−何で☆なんだ。

「すぐに来るみたいです」
「そうか・・・つまみになるもの何かあったかな」

そうこうしていると、20分も経たないで椿が姿を見せた。4人でテーブルを囲む。京兄の飯も美味いが、和眞さんの料理も格別だ。並ぶのはアヒージョにカルパッチョ、塩辛に煮物−−−余り物でも十分すぎる。夕食を済ませたはずなのに腹が鳴った。ボトルを1本開けて乾杯する。

「それで、うちの娘は今度は何をやらかしたのかな」
「あー、今回は俺が悪かったんで・・・すみません」
「その歯切れの悪さからすると、そうでもないな」

バツが悪そうに椿が手を挙げる。名前が泣いたからだろう、珍しく反省しているらしい。仮に全面的に自分が悪ければ潔く謝る性格(少なくとも和眞さんには)を知っているからか、椿に全責任があるわけでないことをすぐに見破ったようだ。

「連れて行ったのは俺です、申し訳ありません」
「棗、悪いが順を追って説明してくれ」

謝るばかりの俺達に笑みを向ける姿は、父親そのものだ。椿と梓に目配せをして、俺の口から顛末を話す。

「今日、名前と会ったのは偶然です。それで一緒に夕食を食べて別れるつもりでした。でもせめて、椿と梓には帰って来たことくらい知らせておこうと思って連絡したんです」
「それで俺が、電話で家に来るように言っちゃって。久しぶりだから皆会いたいかなって・・・すんません」
「兄は今日、帰って来ない予定だったんです」

こいつは本当、梓と和眞さんには素直だな。まるで別人、猫被りもいいところだ。話終わると、あからさまに溜息を吐く音が聞こえた。一瞬、怒られるかと思ったが違った。

「全く・・・2年も待ちぼうけさせた挙句、突き放すとは我が娘ながら恐ろしい。要くんに愛想尽かされないか心配だよ。あいつの相手をできる男が人生で2人も現れるわけないだろうに」

娘を庇うどころか散々な言い様だ。柔和な口調のくせに辛辣なのは昔からで、俺達には優しくても名前には人一倍厳しく接していたように思う。片親だからこその愛情なのだろうが。

だがまあ、かな兄が名前に愛想を尽かすなんてことは起こらない。昔は名前の方が執心していると思っていたのに、恋人同士になってからはむしろ逆だった。人との距離を詰めるのが上手いくせに自分の領域には容易く踏み込ませない、そのかな兄が名前の前では素直に笑う。俺達に見せる顔が偽りだとは思わないが、家族に向ける顔とはまた違っていた。名前も同じだ。かな兄と話しているときが一番自然に心から笑っていたと思う。

「兄の方は、心配ないです・・・むしろ名前の方が問題だと。よりを戻すつもりはなさそうでしたし」
「意外に頑固だからなー。両思いなのにあれじゃ、見てるこっちがモヤモヤするんだけど!なあ、梓?」
「そうだね。まあ、かな兄に任せておけば問題ないだろうけど・・・僕も2人にはこのまま終わってほしくないから、何かできるならやりたいとは思う」

確かに梓の言う通り、こと恋愛に関して俺達がかな兄に言えることはない。三人寄れば何とやらと言うが、全く妙案は浮かんでこない。
頭を抱え始めた俺達に、笑みを浮かべて和眞さんが声をかける。

「そろそろ出てくる頃だ・・・悪いな3人とも、付き合わせて。少し俺が話してみるから、そんなに心配しないくていい」
「全然!半分は和眞さんの料理目当てだし!」
「椿・・・少しは遠慮しようね」

梓が呆れたように言う。相変わらずの椿を叱るどころか、もっと食えとばかりに皿を差し出す和眞さん。その光景が、血の繋がった俺と昴きょうだいよりも余程家族らしく見えて笑った。

あの2人には、お互い以上の相手はいない。そんなことは第三者の俺達でも分かる。かな兄はともかく、名前の方はそのことに気づいていなそうだから不安だが、とっとと元の鞘に収まってほしいものだ。この兄二人だけでも心労が絶えないのに、さらに気苦労が増えるのは困る。

「(意地張ってないで、さっさとケリつけろよな)」

俺達以上に頭を抱えているだろう幼馴染に静かにエールを送る。悩むなんて名前らしくないと思いながらも、少しだけ見てみたいとも思った。

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とヒロインの関係が好き