朝日奈家に来て初めての大きなイベント−−美和さん所有の別荘でのバカンス−−は、とても刺激的で甘い熱を私に残した。あの夜、要さんにキスをされた感触を思い出す度に恥ずかしくなる。あれから暫く経つけれど、未だに彼とは顔を合わせられていない。どんな顔をしたらいいのか分からないし。
その所為・・・ではないと思うけれど、ずっと続いていた倦怠感が数字に表れた。体温計には37度2分と表示されている。それからまあ色々あって、結局しっかり休むことになったのだけど。
その後もキョーダイが次々とお見舞いに来てくれた。侑介くん、祈織さん、そしてこの人。
「ごめんね。寝てたかな」
−−要さん。話をするだけで、あの時のことが思い出される。顔が赤いことを指摘されて何も言えずにいると、お見舞いとお詫びだと言って白い箱を渡される。お見舞いは分かるけれど、お詫びって何のだろう。首を傾げる私に要さんが言う。
「君があのキス以来、口を聞いてくれないからさ。怒ってるのかと思って」
「怒ってなんかいません!要さんは誰にだって、キスとかしたりする人だって分かってますから!」
まさか掘り返されるとは思わなくて、つい早口になってしまう。要さんは私の言葉にスッと目を細めて、いつになく真剣な顔をした。
「別に見境なく誰にでもキスするわけじゃないよ?少なくとも、あのときの君は俺に『可愛いな、キスしたいな』と思わせた・・・・・でも確かに、誰でもよかったのかもしれないね」
「え?」
「君があのキスに頭を悩ますのは俺の本意じゃない。その資格がないって言った方がいいかな・・・俺は、君に口付けながら別の女のことを考えてたから」
つまり、どうゆうことなの。気の迷いってこと?混乱した頭でも、私がこの人に振り回されたってことだけは分かった。今まで悩んでいたのが馬鹿みたいで、胸の奥底から苛々が湧き上がってくる。
「ごめんね」
文句の一つでも言ってやろうと開きかけた口はそれ以上動かなかった。謝罪をするその顔が、あまりに切なそうで胸が締め付けられる。こんな顔するんだ、いつも余裕で飄々としていて冗談ばかりのこの人が。絶句する私を他所に会話は続く。
「ねえ妹ちゃん・・・2年って短いと思う?」
「えっと、時と場合によるんじゃないですか?」
「待つには長いのに、忘れるには短すぎる。もし君を好きになることでこの痛みが消えるなら俺は・・・っ」
「え!?」
とんでもないことを言われた。とゆうか、たぶん・・・じゃなくて確実に、要さんには心に想う人がいる。それなのに、あんなことを言うなんて信じられない。そう思うのに体が熱くなるのは、この人にここまで想ってもらう彼女が少しだけ羨ましいからかもしれない。
「ごめん、忘れて。俺もまだまだだな」
そんな私を見て小さく呟くと、要さんは去っていってしまう。情報量が多すぎて、処理できそうにない。ヘタと座り込んで、ジュリが呼びに来るまで動けなかった。
それから数日。それにしても、あの要さんが好きになるなんて・・・どんな人なんだろう。まさか片想いじゃないよね。私からキスしたわけじゃないけれど、もし両想いだったとしたら少し気まずいな。
脳裏に蘇る光景を消すように頭を振って、ふと思う。他の人に訊けば何か知ってるかもしれない。詮索するみたいでなんとなく気が引けるけれど、このままじゃ色んなことに支障が出そうだもの。
リビングに行くと、ちょうど椿さんと梓さんがいた。
「あ、おっかえりー!!」
「おかえり」
「ただいま帰りました」
いつも通り二人が迎えてくれる。よし、今がチャンスだ。他に誰もいないことを確認して、私は質問を投げかけた。夕食の準備をする前にスッキリしたいもの。
「あの、ひとつ質問してもいいですか?」
「なになにー?今日一緒に寝てもいいですか、ならもちろんオッケー☆」
「椿・・・それで質問って?もしかして勉強のこと?」
「いえ、その・・・要さんのことで」
「「かな兄?」」
見事に声を重ねて、二人が顔を見合わせる。どうやら予想外の質問だったみたい。怖気づきそうになるけれど、訊かなくちゃ。
「要さんって彼女がいたりしますか?」
「えー!もしかしてキミ、かな兄のこと好きになっちゃったとか、イデッ!いてーな、なにすんだよ梓ぁ」
「ふざけてる場合じゃないでしょ」
お決まりのテンションで返す椿さんを諌める声は、いつもより少し真剣な気がする。叩かれた所をさすりながら文句を言う椿さんに、ふうと息を吐いて梓さんが口を開く。
「どうしてそんなこと訊くの?」
やっぱりいつもと違う。優しい梓さんらしくない、心なしか責められている気すらしてくる。椿さんも静かに私の答えを待っているみたい。案の定、理由を尋ねられた。当たり前か、いくらキョーダイだからってプライベートを知ろうとするのはおかしい。
「実はこの前、要さんの様子が少し変で・・・」
私は正直に話した、もちろんあのキスのことは除いてだけど。二人は黙って聞いてくれた。
「つまり、あくまでかな兄を心配しての質問ってことかな。さっき椿が言ったような理由じゃない?」
「なっ、もちろんです!ましてや要さんはキョーダイですし・・・」
「まあ悪いことは言わねーから、かな兄はやめた方がいいぜー!優しい兄からの忠告☆」
だから違うって言ってるのに、と声を上げそうになった。でも気になっているのは確か、だってあんな風にキスされたら誰だって気になっちゃうよ。だけどそれ以上に、あの人にあんな顔をさせる彼女の方が気になる。
「かな兄の相手できる女は名前だけだからな」
「名前・・・さん?」
「そういえば、キミは会ったことないよね。僕らの幼馴染で今はアメリカにいる」
「ほら、これが名前!他の女と何しようが、かな兄には名前しかいねえから」
携帯の画面に映る写真を見て、息が止まりそうになった。これが、要さん?学生の頃なのか、幼さが残る顔立ち。あの何か含んだような笑みじゃなくて、子供みたいな笑顔に唖然としてしまう。その隣には同じように微笑む女性が写っている−−−この人が名前さん。
「かな兄が彼女以外を好きになることはないよ」
梓さんにそう言われたけれど、会ったこともない私ですら頷かざるを得ない−−−それくらいの説得力があった。ついさっきまで要さんに抱いていた憧れにも似た想いが、別の感情に変化していくのを感じる。見てみたい、写真の中のこの笑顔を。そのとき私はどんな気持ちになるんだろう。
「あ、その顔!キミも俺らと同じ気持ちになった?」
「同じ気持ち、ですか?」
「二人には、幸せになってほしい。まあどちらかと言えば、名前にだけどね。男ばかりの兄弟だからかな、幼馴染である彼女はやっばり特別なんだ」
そう話す二人の顔はとても穏やかで、胸がきゅっと音を立てた。要さんが私にキスをした理由はよく分からないし、まだ少し意識してしまう。でも家族として応援したい気持ちも確かにある。そして、ふと気づく。
「もしも、お二人が結婚したら名前さんは私のお姉ちゃんになるってことですよね!」
「ああ、うん。そうなるね」
少し食い気味で言う私に、梓さんが戸惑ったように頷いた。たくさんキョーダイができたことは、もちろん嬉しい。でも"お姉ちゃん"という響きに胸が高鳴る。ましてや、要さんが好きになるような人だ。
「なんか・・・椿と同じ匂いがする」
「えー!どうゆう意味だよ!!」
仲良くなれるといいな。でも要さんと私の間にあったことを話したら、やっぱり嫌われちゃうかな。期待と不安が混ざり合う。まだ見ぬお姉ちゃんに想いを馳せた。
「要さん!!」
たまたま見かけた後ろ姿に声をかけた。私の声に驚いたように振り向く。今日は袈裟を着ていないから、お仕事じゃないのかな。駆け寄る私をじっと見つめる目はまだ驚きに染まっている。
「どうしたんですか?」
「まさか普通に話しかけてくるとは思わなかったからさ・・・それで、お兄さんに何か用かな?」
「あの、諦めないでください!」
なんの前置きもなくそう言った。要さんは目をぱちくりさせて、数回瞬きをした。そして暫く無言で真意を探るように見つめてくる。
「つばちゃんかな?それとも、あーちゃん?・・・君に入れ知恵をした人物だよ」
「えっと・・・ごめんなさい。私が訊いたんです」
「へえ、俺の事が知りたいなら俺に訊いてほしいね。どこまで話したの?あのキスのことも?」
「いえ、それはっ、
慌てて否定して、我に返る。どうして私がこんなに取り乱さないといけないの。好きな人がいるのにキスしてきたのは要さんじゃない。
「他の兄弟には言わないでくれる?俺以外の口から名前に伝わるのだけは嫌だから。自分の不始末は自分で片付けるよ」
知られたくないから言わないでほしい、という意味じゃないみたい。好きな人には誠実なんだな、と失礼なことを思った。
「諦めないで、か。俺もそうしたいんだけど、なにせ手の届く所にいないからな。楽な方に走りそうになるのは人の性だね。でも妹ちゃんが応援してくれるならもう少し頑張ってみようかな」
手をヒラヒラさせて去っていく。どうかその隣に立つのが