心の叫びを上げて

9月の最後の週に日本を発った。雅臣兄さんから帰国後にパーティーをしようと提案があって、今から楽しみで仕方ない。祈織はその場にいなくて、顔を見ることもできないままだけれど要を信じる他なかった。

というのも最初のひと月は、とにかく研究の毎日。2度目の海外生活だから言語の問題はなかったけれど、日本にいる愛しき家族に思いを馳せる余裕はなく、疲れて帰っては泥のように眠った。11月になって、要から電話が入る。

「祈織と話をしようと思う」
「そう・・・あの日言ったこと忘れないで」
「ああ、俺達は家族、あいつは俺の弟だ。それだけは変わらない。守ってみせる」

携帯を握る手が震えた。胸騒ぎがする。一刻も早く帰りたいけれど、仕事を放り出すわけにはいかない。暫く経ってから『満足に話もできなかった』とメールが来た。それに妙に安心してしまう。『お前は結局、祈織より要の方が大切なんだ』と心が教えようとしている気がした。

11月の中旬には研究自体は終了し、あとは結果をまとめるのみになった。つまり部屋に篭ってひたすらデータを集計する、地味かつ面倒な仕事だ。だけどこれを終わらせなければ成果を出せたとはいえない。ひとりブツブツ言いながらパソコンと向き合う中でも、食事と睡眠はしっかりとるように心がけた。昔から右京兄さんに耳にタコができるくらい言われていたから。

「終わったーーーっ!」

ダンッと机に頭を叩きつける。ヘトヘトだけと達成感が勝った。相手方との調整も終わり、帰国できたのは12月22日の夜。しかし、ゆっくり休む暇はなさそうだ。来週からはまた通常出勤だし、24日の夜はパーティーだ。というのも、雅臣兄さんに帰る日付を電話で伝えたときのこと、

「22日か・・・実は、24日にクリスマスパーティーをすることになったんだ。だから、名前の帰国祝いは暫く先になっちゃうかもしれない。ごめんね」
「それなら併せてでもいいよ。私もクリスマス、参加していい?弟達にも会いたいし」
「本当!?もちろん、みんな喜ぶよ」

こんな感じでクリスマスイブは朝日奈家に行くことになった。結局、時差ボケと疲労でパーティー当日の朝までベッドから出られず終わってしまう。そして24日の早朝、父さんに起こされてリビングに行くと見慣れた顔が3つ。すっぴんだとか、部屋着だとか、もうどうでもいいや。

「うわ、めちゃ疲れてんじゃん」
「朝からお前の声がうるさいからじゃないのか」
「いや、朝から棗の顔見たからじゃない?」
「こんな早くから、一体なんなの・・・」

順に椿、棗、梓。こんな朝早くから訪ねてくるなんてよっぽどの用件じゃないと許さないぞ。無言の私に棗がこれまた無言で紙袋を差し出してくる。流れで受け取ると椿がイイ声で言った。

「俺らからの帰国&元鞘祝い!」
「長かったな、全く」
「とりあえず、おめでとう」

袋には有名なブランドのロゴがはいっている。中には落ち着いた色味のワンピース。うわ、よっぽどの用件だ。胸が熱くなって、3人まとめて抱き締める。3人もいるから腕の長さが足りないのは仕方ない。

「ありがとう、大好き」

その後は父さんもいれて5人で朝食を囲んだ。椿達は仕事でパーティーには不参加らしい。なるほど、それでこの時間に来たのか。折角だから、貰ったワンピースを着て行こう。要も途中から参加するみたいだし。数ヶ月振りの恋人との再会に胸躍らせた。

夜の7時半。ワンピースを着て鏡の前でチェックしてから、さあ行こうと玄関に立った途端に携帯が鳴る。名前を見て驚いた−−−要からだ。少しヒールの高い靴に足を通しながら電話に出ると、私が話し出す前にひどく焦った声が聞こえた。

「名前、まずい、祈織が彼女を連れて行った!」
「っ、場所は分かるの?」
「たぶん、冬花ちゃんのお墓だ。嫌な予感がする。今から住所を送るから来てくれ」

電話を切って、家にいた父さんに車を借りることを怒鳴るように伝える。何か言われたけれど、返事をしている暇はない。運転席に乗ってから、ヒールのある靴を選んだことを後悔した。送られてきたメールにある住所をナビに入力しながらそれを脱ぎ捨てる。最悪のクリスマスイブになりそう。

脳内に今までの祈織の姿がちらつく。私はまた後悔するのだろうか。張り詰めたままの心で辿り着いた場所は、クリスマスらしい華やかな雰囲気は少しもない、ひっそりとして白い十字架を模した墓石がいくつも並んでいる。身体が震えたのは寒さからじゃない。携帯だけを持って柵沿いを足速に進む。ふたりは、それに要はどこにいるのか。

「ダメーッ!!」

悲鳴が聞こえた−−−絵麻ちゃんの声だ。目を凝らすと誘導灯に照らされた後ろ姿が柵越しに見えた。これじゃ近づけない。

「やめてください、祈織さん!祈織さんはわかっていません!要さんのこと、何もわかっていません!」

見回すと少し離れた所に門が見えて、走り出す。そこまで行く間も彼女の叫びが聞こえていた。それに返答しているであろう祈織の声は全く聞こえない。つまり声を荒げているのは彼女だけだということだ。

「確かに、要さんは嘘をついたかもしれません。でもそれは真実が人を傷つけてしまうことがあるのを要さんがよく知っているからなんです。要さんの嘘は、人を傷つけるための嘘じゃないんです。そうじゃなくて全然逆で、人を守るための嘘なんです」

息を上げて近づいて呆然とする。ヒーローは遅れて登場するとか嘘。だって私はヒーローなんかじゃない。墓石の影になって見えていなかった光景を目に映したそのとき、思考が停止して足が全く動かなかった。

「は・・・・」

声とは呼べないほど小さい息が漏れた。倒れた要の首に見覚えのあるチェーンが巻かれている−−−要が祈織に冬花かのじょの形見として渡した物だ。

「・・・信じられないな、そんなの。第一、嘘が人を守るなんて、そんなことあるはずがない」
「そんなことありません!」

段々と、チェーンの端を持つ祈織の手に力が込められていく様をただ見つめた。巻き付いたチェーンが要の首に埋もれて沈んでいく。なんで抵抗しないのよ、ねえ、要。心が叫ぶだけで、声にはならない。

「私も同じことをしました、あの夏祭りの夜に」
「え?」
「祈織さんにキスされたとき・・・・・私は拒むべきでした。なのに、そのまま受け入れてしまったんです。だから、私は嘘をついたんです」

彼女は続ける。夏祭りでのキスのこと、祈織を男としては愛していないことを、毅然とした態度で告げた。その度にチェーンが要の呼吸を奪う。
そのとき、動けずにいる私の姿を認めた要が小さく唇を動かした−−『愛してる』−−なにそれ。そんなこと知ってるし、言うなら面と向かって言いなさいよ。

「やめて・・・お願いだからもう、やめて!」

咄嗟に叫ぶ。気づけば走り出していた。絵麻ちゃんの肩を掴むと、祈織の冷え切った瞳が私を映す。貴方も邪魔をするのか、とそう言っているみたいだ。
渇いた音が響く−−−ああ最悪、何が最悪って言葉じゃなくて手が出た自分だ。その拍子に解放された要に絵麻ちゃんが駆け寄る。寒さで感覚がなくなりかけた掌がじんじんと痛む。

「っ、ふざけ、ないで・・・このまま続けてみなさい、許さないから」

言い様のない感情が胸を突き抜けて、衝動のままに祈織を抱き締めた。たった今、平手打ちしておいて自分でも意味不明だ。

「ごめんね・・・私、要が好きなの。そして愛情の意味は違うけれど、貴方もとても大切で、失いたくない。我儘でごめんね。でも、大事な人同士が傷つけ合うのを黙って見てることはできない。貴方の行為を許すわけにいかない」

お願い、届いて。そう願いながら目を瞑った。暫しの沈黙。私の腕に祈織がそっと触れる。優しい力で腕を解かれて目が合った−−−深い海の底みたいに暗かった瞳は、私のよく知る本来の色彩を放っている。その視線が絵麻ちゃんに向く。

「嘘じゃ、ないんだね。君は、僕を愛していない」
「はい」
「・・・そうなんだ」

私の腕から抜け出すと、祈織が立ち上がる。私達に背を向けて、門の方へと歩いて行く。

「祈織!!」

私の叫びに足を止めたけれど、振り返ってはくれなかった。それでも言葉を待ってくれている。その優しさは紛れもなく私のよく知る祈織のもの。

「私も要も、そして彼女も、一緒に闇の中を歩くことはできない。でも・・・光の下に導くことならできる」

ぴくり、と祈織の指先が動くのが見えた。今なら届くはず。私の、私達の思いが届く所に祈織がいる。じわりと涙が出そうになって、拳を強く握った。

「呼んで。叫んでくれたら絶対に迎えに行く。私と要で、必ず貴方のところに行くから」

少しだけ振り向いたその顔が確かに微笑んだ。私にだけ見えるように。それを見たら胸が熱を持った。やっぱり貴方が笑ってくれたら、それだけで幸せ。

「もし僕が名前を呼ぶとしたら、姉さんだけだよ」

そう言い残して行ってしまう。だけど、引き止めようとは思わなかった。今度はきっと笑って話せるから、そのときは抱き締めてキスを贈ろう。

「妹ちゃん、聞いた?こんなボロ雑巾みたくなってるのに俺は呼ばれないって、あんまりだと思わない?」

自分の表情が消えるのが分かる。一度鎮まったはずの怒りにも似た思いが再び湧き上がってきた。振り向いて要を絵麻ちゃんから引き剥がすと、へらへらしているその頭に拳骨をお見舞いする。

「いたっ!!」
「名前さん!?」
「何が『愛してる』よっ!あのとき、どうしようとしてたわけ?今ここで言葉にして言ってみなさい!」

問い詰めると、要は黙り込む。絵麻ちゃんもはっとした様子で身を引いてくれる。勝手に諦めようだなんて絶対許さない。

「言ったはずよね、犠牲の方が大きかったら意味がないって。それともなに、貴方の命より祈織の命の方が価値があるって思ってるの?だとしたら、要を一番愛してる私に、喧嘩売ってるってことよ」
「名前・・・・」
「それに、貴方のしようとしたことは祈織を一番傷つけるやり方だって分かってたでしょ!それならっ・・・死ぬ気で抵抗して!!」

こんなに感情を露わにしたのは人生で初めてかもしれない。心がぐちゃぐちゃで、もう訳が分からない。泣いたら負けな気がして、眉間に力を込めた。何も言い返してこない要から視線を外して、絵麻ちゃんの手を取る。

「え、あのっ、名前さん?」
「帰るよ、車で送るから」

助手席に彼女を、要を後部座席に押し込む。八つ当たりだ。本当は、自分に一番苛ついている。心のどこかで蚊帳の外にいることに安堵していた。所詮、恋人の弟という認識で一線を引いていたのは私。要を責める資格なんて私にあるはずない。一人になりたい。そうしないと自分を責めきれない。涙を我慢しながら、車を走らせた。

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とヒロインの関係が好き