傍観者にはなれず

春だなぁ、とぼんやり思いながら桜を眺めて歩く。夜桜見物だなんて、なかなか粋なこと考える。私は今、井の頭公園に向かっているところ。いきさつは簡単で『花見をするからアンタも来なさい♡』と光から連絡をもらって、特に予定もなかったから了承したのだ。

「あ、名前姉さん!!」

指定された場所に行けば、最初に気づいた風斗が私の腕を引く。こっちを見て微笑む要の顔が思ったよりも元気そうで安心したのに、逆に祈織がいないことにも少しほっとした自分に気づく。なにこれ、祈織あのこに会えなくて安心するとか最低。

「姉さん、何飲む?僕が口移ししてあげるよ」
「今日、餃子食べたからやめた方がいいと思う。とりあえず、オレンジジュースお願い」
「なにその斬新な返し!!」

聞いていた光がけらけら笑う。そりゃあ風斗のことは産まれたときから知ってるんだから、これくらい訳ない。そういえば、祈織だけじゃなく絵麻ちゃんと・・・昴の姿もない。ぐるりと見回してみるけれど、やっぱり居ない。

「ねえ、絵麻ちゃんと昴は?」
「買い出しだよ。昴は荷物持ち」

棗の袖を引いて尋ねれば即答される。ほう、意外に進展してるのかな、あの二人。そんなことを考えつつ、目に映った弟のひとりに声をかけた。

「そういえば侑介、来年受験だよね?」
「ぶふぉ!!名前姉・・・花見の席で出す話題じゃないだろ。まだ1年あるんだし、今日くらいっ、
「お馬鹿、それしか・・ないのよ。それに本番までは1年切ってるでしょ。どこに進学したいの?」

素直でいい子だけど成績に関してはなかなかに酷い。姉と呼ばれている以上は、少しくらい協力してあげたいしな。私の問いに、もごもごと口籠って全く何を言っているか分からない。

「それがさぁ、なんと妹ちゃんと同じ志望校なんだって!すばちゃんの大学だよ」
「え・・・・負け戦じゃないの?」

面白そうに答える要に、つい本音が出てしまう。だってあの侑介が明慈に?たぶん・・・いや確実に動機が不純だけれど、それもまた頑張る理由になるのかな。

「分かってるよ!今のままじゃ難しいって・・・」
「仕方ない、名前お姉さんが勉強見てあげよう」
「え!ホントかよ!?」
「国語と社会は無理だけど、それ以外なら教えてあげる。もし受かったら、そうだな・・・アイス奢って」
「そんなんでいいのか!やった!!」

飛び回る侑介に苦笑する。そのあと絵麻ちゃん達が戻って来て、椿のとんでも発言があるわ、騒いで池に落ちる奴がいるわで大変だった。祈織が姿を見せないままで花見はお開きになる。残ったのは要と光、そして私と絵麻ちゃん。完全に帰るタイミングを逃してしまった。明日も仕事だから早く帰らないと。

「やあ、お待たせ」

その声に胸が嫌な音を立てた−−−祈織だ。私達の存在など気にも留めないで、絵麻ちゃんの手を引こうとする。まるで冬花かのじょにしていたみたいに。それを止めようとした要に向けられる声が、あまりに冷たくて耳を疑う。

「要兄さん、頑張っているみたいだけど、いつまで続けられると思っているの?」
「・・・・俺が生きている限り」
「要っ、貴方・・・」
「姉さんは応援してくれるよね、僕と彼女のこと」

やっと目が合った祈織が問いかけてくる。貴方は誰、と言いそうになった唇は震えるだけで言葉を紡いでくれない。そんな私を庇うように要が前に出た。嫌だ、外から見てるだけなんて絶対にしたくないのに。

「光、二人を送ってやってくれ」

こっちを見て、行かないで。喉の奥に言葉が張り付いて出てこない。光が私の腕を引いて連れて行こうとする。大切な二人に伸ばした手は空を切った。

−−−−−

マンションに着いてから光と絵麻ちゃんが何か話しているのが聞こえる。内容はひとつも脳内に入ってこない。なんで私はのこのこ帰って来てるんだろう。鈍い頭痛がしてきて、側頭部を手で押さえた。エレベーターが止まった反動ですら、ひどい揺れに感じられて身体がふらつく。

「名前さん!!」
「おい!はぁ、無理もないか。要と祈織だからな」
「光・・・・女装でその口調はエグい」
「アンタねえ、口だけは減らないわね」

私に付き添おうとする絵麻ちゃんを部屋へと押し込んでリビングに連れて行かれる。まだ起きていた兄弟達が何事かと駆け寄って来るけれど、光が『ちょっと体調が悪いだけ』だと言って遠ざけてくれた。1時間後には、リビングに残っているのは光と私だけになる。

「要なら大丈夫だ。それは名前が一番分かってるはずだろ?愛は何よりも強い・・・・・信じな。それが要の為になる。もちろん祈織にとっても、な」

いつになく光が優しいのに、涙は出なかった。悲しいのに、その理由がよく分からない。誰かと喧嘩したわけでもないのに、胸が苦しい。

「ただいまっ、名前・・・帰ってなかったのか」
「遅い。見ろよ、お姫様は完全にご機嫌斜めだ」

鼓膜を揺らした声に、俯いていた顔を上げる。堪らず駆け寄って抱き着いた。胸に顔を埋めて、思い切り息を吸う。要だ、そう脳が確信した途端に涙が溢れた。

「要・・・あんたの恋人である前に、こいつは俺の妹。泣かせるやり方しかできないなら巻き込むな・・・と言っても、本人は巻き込まれたかったみたいだけどね」
「ああ、悪かった」

光の足音が遠ざかった後も、暫く要は髪を撫でてくれていた。誰もいないリビングで、何も言わずに。その手があまりに優しくて温かいから泣き叫びたくなる。

「俺の部屋に行こう。今日はもうシャワーを浴びて寝た方がいい」

流れるように手を取られて、足を前に出す。部屋に着くまでお互い何も発しなかった。部屋の数歩手前で要が声を漏らす。視線を追うとドアに袋が掛けてある。

「何それ?」
「光から、名前の着替え。部屋に泊めるってことは、お見通しみたいだね」
「着替えって…なるほど、女装も役に立つのね」

絵麻ちゃんはもう寝てしまっただろうし、この家で他に女性の服を持っているのは光だけだ。ご丁寧に化粧落としまである。要のシャツ一枚で寝る羽目になっていたかもしれないから感謝だ。玄関を閉めると、振り向きながら要が言う。

「先に入って、その間に紅茶でもいれておくから」

大人しく従ってバスルームに入る。設定温度を1℃上げて、シャワーを頭から浴びた。どうせなら胸にくすぶる思いも流れてしまえばいいのになと思う。そうしてやっと気持ちが落ち着いてきて、今日起きたことを客観的に見る余裕ができた。

「祈織・・・・別人みたいだったな。結婚式で会ったときはそんなこと微塵も思わなかったのに」

お湯を止めて頭を振ると、思考が戻ってくる。要と祈織の会話を思い出しながら、下唇を噛んだ。用意されたタオルで身体を拭いて、鏡に映る自分を見て笑う。

「ひどい顔」
「俺には凄く綺麗に見えるけどね」
「っ、なんで普通に入って来るのよ!?」

ドアの前に佇む要に、慌ててタオルを身体に巻いて追い払う。恥ずかしがってみたけれど分かってる、心配して見に来てくれたことくらい。光に借りた少し甘すぎな部屋着を羽織ってバスルームを出る。

「はい、これ。熱いから気をつけろ。俺もシャワー浴びてくるから、寝てていいよ」

渡された紅茶を口に含む−−−美味しい。飲み終わったコップを洗って、布団に潜り込む。付き合っていた頃も、よくこのベッドで眠った。要の匂いがする、変態みたいなことを考えながら目を閉じる。思考に靄がかかり始めた頃にベッドが軋む音がした。

「名前」

名前を呼ばれて、後ろから抱き締められる。体の向きを変えて首元に顔を近づければ、あのタトゥが見えて胸が疼く。それをなぞるように指で触れて、瞼を閉じた。身体を密着させると、返事をするみたいに腕の力が強くなる。せっけんの匂いが鼻腔を支配するのが心地よくて、あっという間に意識は沈んだ。

パチッと目を開ければ、寝息を立てている要の姿がある。一緒に朝を迎えるのは久しぶりだ。お腹に絡みついている腕をゆっくりと解いて、ベッドから降りる。冷たい水で顔を洗って服を着た。もう一度だけ要の顔を見てから部屋を出ると、誰にも会わないように階段を足速に下りきる。携帯を開いて、光にはお礼と服は洗って返すことを伝えた。そして、要にも連絡をいれておく。

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昨日はありがとう。よく眠ってるみたいだったから起こさなかった、ごめんね。私も一晩眠って少し余裕ができた。祈織のこと、私も一緒に向き合うから。

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あの日、いつだって味方でいると祈織に言った。だけど、味方の意味を取り違えちゃいけない。心に言い聞かせながら顔を上げると、朝日がひどく眩しい。昨晩よりもほんの少し軽くなった足取りで歩き出した。

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とヒロインの関係が好き