心揺れて、崩れる

季節は夏になった。最近は仕事が忙しくて、色々なことを考える暇がない−−−祈織とそれから要のこと。祈織とは、あの花見以来まともに話していない。無意識に避けているのかもしれないなと思う。そして要への想いは次第に膨れ上がっている。1週間に1度は会うし、キスをするのに躊躇いがなくなった。

「好きだって言わなくちゃ・・・有耶無耶にはしない」

仕事帰りに独り呟く。恋心あいつはもう目の前に居る。あとは笑って伝えるだけ。今までの人生で深く悩んだことがないから余計にこんな自分に戸惑う。生ぬるい風が吹く中、思考を巡らせていると、現実に引き戻す音が鳴る。メールの受信音−−−相手はたった一人の妹。

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こんばんは。突然ですが、お願いがあります。再来週の土曜日、要さんのお寺で法要が行われるそうです。法要といっても夏祭りのようなものみたいなので、名前さんもご一緒にどうですか?要さんからは仕事が忙しいみたいだと伺いましたが、気分転換も必要だと思います。あと名前さんの浴衣姿見たいです!

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要みたいな坊主が蔓延る寺を想像してみて苦笑した。確かに気分転換は大事だけど、この文面からすると要と一緒に見て回るのは無理だろう。ちなみに誰が行くのか訊いてみると、雅臣兄さんと弥、それから絵麻ちゃんと侑介だそう。え、絵麻ちゃんと一緒にいたら完全に邪魔者だよね?その途端、着信音が鳴り出す。

「名前ちゃん!!お祭り、行こーよ!僕と回ろう!」
「わ、弥ちゃん!」

弥の声だ。どうやら断るのは難しそうだな。浴衣、どこに閉まったっけ、押入れ臭かったら嫌だなぁ。そんなことを思いながら返事をする。

「OK、じゃあ一緒に行こう。雅臣兄さんに伝えておいてくれる?」
「やったーー!!まーくん、名前ちゃんも一緒!」
「もしもし名前さん・・・ごめんなさい、無理言ってしまって。お節介でしたよね」
「そんなことないよ。ひとりじゃ外にも出ないで休み終わっちゃうし、誘ってくれてありがとう」

何故か異様に嬉しそうな妹に小首を傾げながら電話を切る。浴衣を念押しされた理由を知ったのは数日後。我が家に浴衣が届いて、度肝を抜かれた。

「雅臣兄さん・・・私もう成人してるんだけど」
「絶対似合うから。琉生が選んでくれたんだよ?」
「うわ、ズルい!・・・・じゃあ有難くいただきます」

絵麻ちゃんには一緒に回ろうと言われたけれど、さすがに侑介に悪くて断った。テンパる侑介を傍で観察したかったから残念ではある。

−−−−−

当日、浴衣を着てから琉生の店に行った。事前にアレンジしてもらうことになっていたから、特に待つことなく席に案内される。正直言って、既に疲労困憊だ。

「名前姉さん・・・着付け、上手」
「本当?器用な琉生に言われると嬉しい、ありがと」

鏡越しに微笑みあってから、琉生の指が髪に触れた。要に髪を撫でられると安心するけれど、琉生に触れられた時の感覚は少し違う。例えるならそう、そよ風とか陽の光。急に触られても驚かないくらい自然で、優しい。

「出来た、完璧」
「うわぁ!名前さん、すっごく綺麗です!!」
「え、絵麻ちゃん・・・・いつの間に」

胸の前で両手を組みながら迫ってくる。最近、押しが強すぎてお姉さんはちょっと怖いです。ちらと時計を見ると、そろそろ出ないとまずそうな時間だ。雅臣兄さんと弥を待たせてるから悠長にしてられない。2人に手を振ってから店を出て、マンションへと急いだ。

「わあ!名前ちゃん、可愛い!!」
「ほんと、可愛いよ。よく似合ってる」

いや、可愛いのは貴方達です。ほわほわした空気に包まれながら胸を押さえた。祭りは予想以上に混んでいて、人混みが苦手な雅臣兄さんのHPは早々に尽きてしまった。仕方なくベンチで休ませて、弥と2人で見て回ることに。そんなことはお構いなしにお面や綿飴を強請るあたり流石だ。確かにこの人混みはかなり疲れる。ふぅ、と息を吐いて隣の弥に声をかける。

「ねえ、弥。少し休んでも・・・・っ!?」

−−−いない。え、なんで。きょろきょろと辺りを見回すけれど、それらしい姿はない。あの子は背が小さいから余計に見つけづらい。頭が真っ白になる。捜さなくちゃと走り出そうとしたとき、携帯が震えた。

「あ、名前さん?絵麻です。実は今、弥ちゃんと一緒にいて・・・私と侑介くんを見かけて付いて来ちゃったみたいなんです」
「は・・・そっかぁ、よかった。心臓縮む。ごめん、私の不注意だ。迎えに行くから、
「いえ!弥ちゃんは私達が看ているので、要さんの所行ってあげてください」

いやいやそれ、私が侑介に恨まれるやつじゃん。それに要は仕事中だろうし、檀家の人達に甘い台詞を吐く姿なんて見たくない。そう返事をしようとしたけど、彼女の声がいつもより真剣で何も言えなくなる。

「要さん、祈織さんのことや私の出生のことで気を張ってばかりだったんです。でも、名前さんと会った次の日はすごく元気そうにしてて・・・それに今日の名前さんとても綺麗だから、要さんにも絶対見せてあげたいんです!!」
「ズルいなぁ、そんなこと言うなんて・・・それじゃ少しだけ顔出して来ようかな」
「っ、はい!」

嘘だ。だからそんな嬉しそうにしないで。どこにいるかも聞いてないし、要は檀家さんからかなり人気がある。それを無視して呼び出す女なんて、視線で殺されそうだ。まあ私も女だし、着飾った姿を見てもらいたい気持ちはあるけれど仕方ない。

電話を切る。どこかで少し休んでから帰ろう。屋台であんず飴を買ってから、人混みを避けて本堂のうしろへと歩いた。祭りの音が遠くなる。それが妙に切なくて、小さくなった人の波をぼんやり眺めた。ふと、こっちに近づいてくる足音が聞こえて視線を移す。

「あ、絵麻ちゃん・・・・っ、

出かけた声を押し戻して、咄嗟に木の影に隠れた。幸い木立が並んでいて見つからずに済んだらしい。見間違うはずない、彼女が一緒にいたのは祈織だ。今動いたら絶対バレる。最初に隠れてしまった手前、出て行きづらい。その間も無防備な耳が会話を拾う。最初は受験の話だったのが、彼女の出生の話に移る。

「ショックだっただろうね。今までなんの疑いもなく信じていられたことを、急に奪われてしまったんだから。そのとき、思ったんだ・・・僕と同じだな、って」

同じ−−−あの冬の日のことを言ってることはすぐに分かった。やっぱりまだ、祈織あのこは囚われたまま。

「君が感じている痛みは、誰にでも分かることじゃない。でも、僕なら・・・それを分かち合い、癒すことができる。今、君は、闇の中で、1人でもがいているような状態だと思う。そのつらさを、よく知っている」

まるで同じ痛みを分け合う仲間を探すみたい。祈織が彼女を自分と同じ場所に連れて行こうとしている。要はこれを止めようとしていたに違いない。私でも分かる、このままにしては駄目だ。すると、それまで黙っていた絵麻ちゃんが口を開いた。

「わたしは、そこまで傷ついていません。確かに、初めて聞いたときはショックでした。でも、もう大丈夫ですから」

彼女がそう言った瞬間から祈織の雰囲気が変わった。自らを卑怯者と卑下し、助けがいるのは彼女ではなく自分だと言う声は、あまりに淡々としていて迷いはまるで感じられない。早く止めないと、手遅れになる。一緒に墜ちて行ってしまう。

−−−姉さん

古い記憶の中で、祈織が私を呼んだ。動けないのは、心の端で期待しているから。彼女が祈織あのこの心を取り戻してくれることを。私は彼女を利用しようとしてる。

「僕はまだ過去に生きている。それを振り切って未来に生きたい。でも今の僕には、まだそれだけの力がない−−−僕に、その力を与えてほしい」

衣擦れの音が聞こえた。違う、戻って来てほしかったのはからっぽの祈織あなたじゃない。優しくて、愛しい私の弟。そんな冷たい声は知らない。堪らず耳を覆った。数秒、ゆっくり手を耳から離して聞こえたのは、

「帰るんだ、早く」

怒ったような要の声。その声に足音がひとつ遠ざかって行く。下駄の音−−−絵麻ちゃんだ。残った要と祈織が話し続ける。彼女から離れろと言う要に、祈織は訳が分からないといった様子で返す。それどころか彼女と自分は互いに求め合っているとまで言った。それは思い込みだと要が諭そうとする。

本当は立ち去りたい。冷たい祈織の声を聞いていたくないけれど、『一緒に向き合う』−−−私は要にそう言った。腹を括って出て行こうとしたとき、

「ちょっと、見苦しいんじゃない?」
「何?」
「ようするに、嫉妬でしょ」

半歩踏み出した足が震えた。嫉妬?誰が、誰に?頭が混乱する。今まで辛うじて掴めていた会話の流れが突然分からなくなった。波に攫われるみたいに思考が呑まれる。

「祈織!」
「ああ、真剣な顔してるね。・・・まあ、気持ちは分かるけど。だって、誰よりも先に手を出したのは、要兄さんだったんだから」

パキッ、と音がした。ひび割れるような、硬い物を無理矢理折ったみたいな音。ゆるゆると足から力が抜けて座り込んだ。声を出さないように口元を覆う。

「彼女が風邪で寝込んだときのこと、覚えてる?要兄さん、彼女のお見舞いに行ったでしょ」
「えっ?」

驚いたように聞き返す要の声がやけに近くに感じる。祈織は頭がいい、たぶん兄弟の中でも一二を争うくらい。だから話をするときも順を追って話す。そのおかげで流れが掴めなかった私にも全容が分かってくる。

「要兄さんが行く直前に、僕もお見舞いに行ったんだよ。それで、まだ階段のところにいたとき、要兄さんがやって来たんだ。・・・・もちろん、立ち聞きするつもりなんかなかったけど声が聞こえたんだ」

ピキピキ−−−分かってる。勘は鈍い方じゃない。このまま聞いていたら、恋心わたしには致命傷になるだろう。だけど、2つある手は口元を覆っていて耳を塞ぐことはできない。

「要兄さん、扉のところで言ってたよね。『君があのキス以来、口をきいてくれない』って」

ほらやっぱり。ああ、そうか。あれは恋心あんたが死ぬ間際の音−−−断末魔だったわけね。

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とヒロインの関係が好き