資料室の扉を開けると先客の後ろ姿があり、それがナマエだと気づいた瞬間うっかり魔が差し、彼女の腰に手を回しそっと耳元に唇を寄せてみる。

すると、いつもならお得意のポーカーフェイスで何にも動じた様子無く『暑苦しい』とか『邪魔』とか文句を言う筈なのに、今日はその肩がビクリと揺れ、腰に回した腕が触れる前に掴まれた。まるで、誰かを警戒するような素振りで。

「・・・・・ナマエ?」

振り向いた途端篭っていた力をふっと抜き、はぁーっと深々溜め息をついたナマエの首元にふと目が止まる。

「毎度のことだけどさぁ、もっと普通に声掛けてくれないわけ?」
「ほう、警戒した理由はこれか?」
「は?」

親指で耳たぶの延長線上辺りについた赤い跡を擦ると、その手を振り払うように彼女が首元を覆い隠す。そんなの、肯定しているようなものだ。

「──誰だ?」
「聞いてどうするつも、り─!?」
「さぁ、どうしようかな」

両の手首を掴んで壁に押し付けると、左手で持っていたファイルが地面に散らばった。いつもなら正々堂々真っ直ぐ見据えてくる瞳も、少し宙を泳いだ後ふいっと真横へ向けられてしまい、そのじれったさにまた胸がざわついた。どれもこれも、彼女らしくない。

「・・・ナマエ、こっち向け」
「却下」
「大丈夫なのか?」
「・・・・・・何が」
「怖い思いしていないなら、いい」

少しの沈黙の後、目は逸らされたままだが、大して力の入っていなかった拘束から手をゆるゆる引き抜き、その手が私の背中に回った。胸に埋められた頭に手を置くと、もごもごと何か呟く声が聞こえる。

「どうした?」
「キモイくらい言い当てるから改めて凄いなぁと」
「キモイは余計だな」
「・・・大丈夫。多分肋は何本か逝ってると思うけど命までは奪ってないよ」
「人の話聞いてたか?"君が"怖い思いをしていないならいいと言ったんだ」
「そりゃあ怖いよ」

話を逸らすのも冗談っぽい口調も、彼女が弱みを隠そうとするときの癖だ。そして私は未だに、これに対する正しい対処法をわかっていない。

ようやく目が合ったが、まさかついさっき誰かに襲われかけた女性にこのタイミングでキスするなんて出来るわけなく。慰めるにも、そうすぐには気の利いた言葉も思い浮かばず、頬に手を添えて撫でるくらいしか出来なかった。全く不甲斐ない。

その時、撫でる手を掴んだナマエの方から唇が寄せられた。触れるだけの、子供っぽいキス。

「・・・・別に、ロイは怖くないよ」

いつも真意をうやむやにする彼女から出た精一杯の本音を噛み締めながら、出来るだけ優しく、腕の中に彼女を閉じ込めもう一度触れるだけのキスをした。
──視界に入る不愉快なキスマークは、どれがどいつのか分からなくなるくらい付けてやればいいだろう、なんて思いながら。


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