『──君には優秀な尉官が二人も居るんだ。さぞ仕事も捗ることだろう。』

先月の軍議でそんな言葉をかけられた事を思い出す。もはや我々の業務範疇で無いことすらなすり付けられていたが、そこは"優秀な尉官"らが押さえてくれていたため回っていた。が、ここに来て中尉とハボックを別案件の応援で抜かれるという鬼畜の所業。これにはフュリー、ファルマン、ブレダも相当参ってしまったようで、重い空気が職場を包んでいた。

「大尉、これなんですけど・・・」
「あぁ、そこ置いといて」
「しまった、まだ報告書書いてねぇ・・・!」
「それ昨日回した。はい、原本」
「えっ・・・!あざっす!」
「他は?ファルマンは?」
「あ、あとこれの校正が済めば終わります」

「私がやる。みんな帰っていいよ。」

その言葉に書類に落としていた視線を上げると、昨日、一昨日、いや一週間以上前と少しも顔色の変わらないナマエが平気そうな顔して「定時おめでとう」と後輩を労っている。それに比べて彼らの憔悴し切った顔といったら、情けない。

彼女のポーカーフェイスもなかなか考えものだ。そんなにタフではない、ただ慣れてるだけだ。おそらく誰より寝ていないだろう。それを見破れない彼らは、深々私達に頭を下げると意気揚々と執務室を後にした。

「終わるのか、それ」
「無理な仕事受けるタチじゃ無いし」
「・・・・・程々にしとけよ」

上司の心配もどこ吹く風、返事もせずファルマンから受け取った資料に黙々とペンを入れ始めた。こういう事を自然体で出来るのが、彼女の人徳であり人望であるのだと思う。
ふと、ヒューズの顔が頭に浮かび引き出しを開けると、いつだったか手土産に持ってきた焼き菓子の詰め合わせが出てきた。

「ナマエ」

こちらに視線が向かずとも軽く放ればキャッチ出来てしまうのが、ほんの少し悔しかったりする。顔の横でパシリと受け止めたそれを見て、やっとこちらを振り向いた。

「君がそれを食べ終わるまで、私の休憩に付き合ってくれるかね」

もう温くなったコーヒーを掲げてそう言うと、苦笑いをこぼしながら「お気遣いどうも」と袋を破った。流石の彼女もこの時間帯の空腹には勝てなかったらしい。

「大丈夫だよ」
「ん?」
「疲れてないし、多分ロイより寝てる」
「そう言っておいて、帰らずに仮眠室で爆睡するつもり満々だろ」
「・・・ねぇ、本当にロイのそういうところすごいと思うんだよね、私」

大きな瞳をぱちくりさせるナマエは、純粋に驚いているようにも見えるし、大袈裟に言って内心気味が悪いと思っているようにも見えた。彼女は基本、読めないのだ。故に、彼女を知ろうと思ったらそれはもう統計学に程近くなる。要は彼女の"傾向"を観察するほか手は無いのだ。

「ヒューズは私が楽しんでても悲しんでても、未だに『何怒ってんだよ』って言ってくるのに」
「アイツはそういう奴だよ。私はナマエをちゃんと見てるからな」
「見るのは結構、贔屓はやめてね」
「まぁ、善処するよ」

しばらくそんな他愛もない会話をし、袋の中のチョコが一欠片残されたまま数十分経った。温いコーヒーも底が見え、それでも口に運ばれる様子のないチョコを見て思わず席を立っていた。

「──ナマエがそれを食べ終えるまで、休憩に付き合えと言ったわけだが。」

わざとらしくナマエの座る椅子に後ろから手を掛けると、背もたれに怠そうに体を預けたナマエが上目遣いでこちらを見上げる。その姿のなんとあざといことか。

「"休憩"に付き合って貰おうかな」

そのまま唇を寄せると、自然に伏せられた瞼にドキリと胸が鳴る。───彼女が出す合図なんていうのは、散々統計を積み重ねてきた私くらいにしか気付けない程些細なもので。否、私以外に知る者などいなくていい。
もう一度重ねようとした唇に突然甘い物が浸入してきたので驚いて目を開けると、いつもの調子でへらりと笑ったナマエが「はい、おしまい」と言い人差し指で最後のチョコレートを口に押し込んでいた。この呆気なささえ、彼女らしい。

「・・・してやられた」
「ん、ドンマイドンマイ」

チョコを舌で転がしながら給湯室へ向かっている途中、ふと足を止める。

もしかして、後輩の仕事を貰ったのはふたりになる為?──いや、まさかな。彼女がそんな回りくどい事・・・・・いや、やりかねない。

なんて考えながら浮き足立って執務室に戻ったところ、先程までナマエのデスク付近に山積みだった書類が綺麗にクリップ留めされ嫌がらせのように私の席のド真ん中に置かれていたのだった。


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