ちょっとは意識してほしかった大瀬くんと
カリスマハウスの紅一点だが女扱いされていない(と思っているが真偽は定かでない)設定夢主です。
ーーーーーー
カリスマハウスのリビングは暑い。盛り上がっているということではなく、気温的に暑い。特に今の時期、盛夏の猛暑日の午後三時頃なんて最悪だ。
空調がないわけではない。わりと新しめのエアコンが一台ついている。けれども何しろ、部屋の面積が広い。それ一台きりでは、部屋の隅々まで冷気を行き渡らせるのにすこし時間がかかる。
加えて、高い天井に三つ並んだ天窓。冬場や気候のいい時期には採光の面で重宝するが、初夏を過ぎる頃からこの存在が仇となってくる。
天頂高くから降り注ぐ夏の日射しを、思いっきり部屋の内に取り込んでしまうのだ。
入居当初はおしゃれでいいな、なんて呑気な感想を抱いたけど、一度目の夏を迎えたとき、それだけでは済まないことを思い知った。
ロールスクリーンでも取り付ければいい。けれども手が届かないので、業者に頼まねばならない。そしてそんなこと、依央利くんが許してくれない。他の皆もなんだかんだ発注の手間を嫌って、二の足を踏み続けて今に至る。
「うわ、あっつ……」
リビングに足を踏み入れた途端、襲い来る熱気に顔をしかめた。日射しを避けて這う這うの体で帰宅したところだけど、これなら風が通るぶん、外のほうがまだいくらかマシだ。
当然、部屋には誰の姿も見当たらなかった。私はリモコンを手に取り空調のスイッチをオンにし、そのまま荷物と一緒に一番広いソファへと倒れ込んだ。
少しだけ、めまいがしている。軽い熱中症かもしれない。今はとにかく、すこし横になって休んでいたかった。
シャツの裾を、ぺろんと指で持ち上げた。はしたないとは思いつつ、それをぱたぱたとやって服の内に空気を送り込む。そうしていると、ふと、思い出すことがあった。
こないだ、理解くんから聞いた話だ。ちょうど私一人、つまり、この家で唯一の女が外出していたとき。
理解くんを除く皆が、あまりの暑さに全裸でリビングに転がっていたらしい。
最初聞いたときは思わず噴いた。そして同時に、何をしているんだ、と呆れた。
けれどもまあべつに、そんな感じでもいいんじゃないかと今は思う。
どうせそのときは、その場に男しかいなかったのだから。加えてこの家は四方を木々に囲まれ、外から屋内の様子を覗かれることもほとんどない。
つまりは、自由だ。例えそれが昼日中のことであっても。
公序良俗に触れない限り、人間には好きな格好で過ごす権利があるだろう。たぶん。
そしてそれはそのまま、今の私に当てはめても罰は当たらない話なわけで。
むっくりと、ソファから半身を起こす。一応、右と左と確認。部屋にはやはり、誰もいない。リビングのドアの向こうで人が動くような気配もない。おそらく皆出かけているか、部屋の中で涼しく過ごしていることだろう。
私はスカートの下で下半身を戒めていたストッキングを脱いだ。
それを適当に床に落っことし、また横になり、膝を立ててみる。スカートが少しめくれてずり上がる。蒸れて汗ばんでいた脚全体に空気が通る。その清々しさに、深いため息をつく。
ちょうどそのタイミングで、ようよう冷房が効き始めた。火照った頬に触れる冷気が心地いい。
疲れた体は寄せるまどろみに抗しようもなく、私は重い瞼をゆっくりと閉じた。
***
少しだけ、のつもりだった。誰かがこの部屋に姿を見せるまでの間。あるいは、気配がしたらすぐに服装を整え自室に移ろうと、そういう手筈だった。
けれども私の体は意に反して、自力での覚醒を諦めていたようだ。
何か軽いものが被さる感触がして、私はそこでようやく、ハッと意識を取り戻した。
まず視界に映ったのは、高く開放的な、明るい天井。梁に取り付けたシーリングファンが、音もなくゆったりと回り、空気を攪拌している。
天窓の向こうに見える空は変わらず眩しくて、よかった、それほど時間が経っているわけでもないと判断する。
そこから右手へ少し視線を傾けると、なにやら青い色が見えた。これは何だろう、と思う。ソファの色だろうか。まだかすかにもやがかった頭は、一瞬そんな検討外れの思考を打ち出す。けれどもすぐに、いや、それは違うと思い直した。
それはソファの背もたれから、少し飛び出ていた。ふんわりと、緩く波打つ海のような色。鮮やかなその髪色。腕を支えに身を起こすと、彼はビクッと身を震わせたようだった。
「大瀬くん?」
覗き込んで、声をかける。けれどもすぐには動かない。返事もない。私もそれきり黙りこむ。
待つこと三十秒ほど。
背もたれの向こうでしゃがみこんだまま、彼はおそるおそる、顔を上げてくれた。ライムイエローが上目にこちらを窺う。その色は叱られることに怯える子犬のように、ゆらゆらと揺れている。彼は何も、悪いことなどしていないというのに。
むしろ私のほうが、この状況に謝罪とお礼を申し上げねばならない。
「ごめんね……全然気づかなかった。私、寝てた?」
首を傾げてそう問えば、彼はややあって、小さく頷いた。「はい……」応じる声はいつもながら自信なげだ。
「起こしてしまって、ごめんなさい」
「いやいや、むしろ起こしてくれてありがとう。ちょっと休むだけのつもりだったのに、爆睡するところだった」
「爆睡……お疲れですか……?」
「うん、まあ、ちょっと。さっき帰ってきたところなんだけど。外があんまり暑かったから」
そう言って苦笑を見せると、彼の表情がようやく、ほんの少しだけど和らいだ。
小さく丸まるような姿勢は相変わらず。けれども、何かしらの緊張感はほどけてくれたようだ。
「……気をつけてください。熱中症、多いみたいですから」
「うん。ありがとう。気をつけるよ」
「水分補給も」
「うん。大瀬くんもね?」
「? 自分は、部屋から出ないので大丈夫です」
「部屋の中でも脱水ってあるらしいよ。ちゃんと水分補給してる?」
彼の目が一瞬泳いだ。
「……………………はい」
頷くまでには、随分な間があった。
はぐらかすように引き結んだ唇を少し動かして、「それでは、自分はこれで」と大瀬くんは立ち上がる。逃げるつもりだな。
苦笑と共にその姿を見送ろうとして、
「……っと、そうだ。ちょっと待って」
思い出し、私はお腹から下を覆う白いブランケットに手をやった。軽く、柔らかく、さらさらとした手触り。これが体に被さる感触がして、私は目を覚ますことができたのだった。
「これ、大瀬くんが持ってきてくれたんだよね?」
引き留めつつ尋ねると、大瀬くんの動きが一瞬静止した。その表情が、ぴしりと強張るのがわかる。立ち上がった姿勢そのまま、棒立ちになってしまう。
これはどうやら、やってしまったなあ。私は天を仰いだ。
大瀬くんは肩をすぼめ、視線をさまよわせている。「は、はい。あの……その」と何事か言い淀む。その様子に、私の胸中は申し訳なさで満ち満ちていく。
「ご、ごめんね……お見苦しい姿を」
「っそ、そんなことないです! ……って、いや、あの。それは、その、そういうことではなくて……えぇっと……」
あわあわと、低い位置で両手を揺り動かす大瀬くん。彼がこんなに一生懸命フォローしてくれようとする姿を、もしかしたら私は初めて見たかもしれない。
本当に、恥ずかしいったらない。いい歳した大人が。ほんのちょっとと思い寝入っている間に、いったいどんなだらしない姿を晒してしまったのだろう。
わざわざ聞くわけにもいかないし、そんな勇気もない。ゆえに私はもう一度、「ごめんね」と頭を下げた。
そして、目が覚めて彼の姿を確認した瞬間、心の底から思ったことをそのまま口にした。
「でも、見つけてくれたのが大瀬くんでよかったよ……」
これが他の誰かだったら、と想像してみる。まずそのまま、放置される可能性が高い。
あるいは謎に誉め称えられたり、甲斐甲斐しく世話されたり、叩き起こしてマフィアの烙印を押されたり、写真に撮られてそれをネタに甘いものたかられたり。
基本女扱いはされていないので、そんなしょうもない展開ばかりが頭を過る。
こうやって、ただそっとブランケットをかけてくれるなんて、大瀬くんくらいのものだろう。ありがたい。
単純にそう感謝して、私は彼を見上げた。
けれども彼の顔は、どうしてか何か複雑な感情をたたえていた。
あれ? と私は胸中で首を傾ける。
どうしたの? 軽くそんなふうに尋ねるのもなんだか憚られるような雰囲気だった。
ややあって、大瀬くんは少し目を伏せたまま、いつもより低いトーンで呟いた。
「…………自分も」
ふたりきりの、静かなリビング。空調の稼働音だけが小さく聞こえる部屋。そんな空間でもない限り、ちょっと聞き取れないくらいに幽かな声だった。
「自分も一応、男です……けど……」
けど、と付け足すあたりが彼らしいな、と頭のどこか切り離された部分でぼんやり思った。
「……すみません、間違えました。やっぱりゴミでした。死にます」
「えっ、あ! 待って待って! ごめん!」
一転、決然とした調子で踵を返す大瀬くんに、私は慌てて手を伸ばした。かろうじて、彼の袖口を捉える。ソファの背もたれ越しに身を乗り出したものだから、そのままつんのめって落っこちそうになるのをすんでのところでこらえた。
顔を上げると、大瀬くんも振り返ってこちらを見下ろしていた。軽く目をみはり、唇がちょっと開いている。よく見るとその両耳がほのかに赤らんでいて、つられて私の頬もじんわりと熱を持ち始める。
部屋じゅう、冷房は確かに効いている。間違いなくこれは、暑さのせいではない。
「なんか……あの。いろいろと、失礼しました。その、そういうつもりでは、なくて……」
「……! っい、いいえ、滅相もないです。自分こそ、その、おかしなことを……」
もごもごと、二人して呟いて、俯く。
あとからあとからこみ上げる恥ずかしさに、気づけば私の手はつまんだ彼の袖口から指を離していた。
「……そ、それでは。自分は、これで」
大瀬くんがまた、ちょっと前と同じ台詞を口にした。
「う、うん。ごめんね、引き留めて。ありがとう」
私はせいいっぱい笑顔をつくり、その背中を見送る。
ほとんど音も立てずに彼がリビングから引き上げたあと。
「……あ、ブランケット」
しばし呆然としていた私は、ようやくその存在を思い出した。傍らでくしゃっとなっていたそれをもう一度手に取り、伸ばして、畳んで、膝に置く。
柔らかな手触り。大瀬くんのブランケット。大瀬くんが、わざわざ掛けてくれたブランケット。
不満げな顔で、呟く彼の声がよみがえる。
「っ〜〜〜〜!?」
私は体をくの字に曲げ、しばらく混乱していた。
prev / next
main / top