カリスマハウスに住んでる夢主、大瀬くん視点。大瀬くんがポエミィかもしれない。
ほんのり大瀬くん→夢主。

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 草木も眠る丑三つ時。でも、自然の理から外れたクソは時々こうして寝つきが悪い。
 寝袋のまま何度寝返りを打っても寝つかれなかったために、ため息と共に身を起こし、部屋から出た。

 とりあえずトイレに行き、手を洗い、さてこのまま戻るかどうか暗い廊下を見渡し悩んでいると、ふと、突き当りガラス戸の向こうのバルコニーに、人影が見えた。
 ひっそりと差し込む月明りを受け、映えるその後ろ姿。

 「……なまえ、さん?」

 そっとガラス戸を滑らせて、開いた隙間から思わず声をかけていた。そのひとが振り向く。

 「あっ、大瀬くん。こんばんは」

 今日はやけに月が明るい。微笑むなまえさんの顔はくっきりとよく見えた。

 「何をしているんですか……?」

 尋ねてから、それは自分にも返ってくる問いだとはたと気がつく。くだらないことを聞いてしまった。瞬間的に後悔するも、なまえさんは一向気にしたふうもなく、「ちょっと、寝られなくて」そう言って頬をかいた。

 「もしかして、大瀬くんも?」
 「……あ、はい」

 頷き返すと、なまえさんはどこかほっとしたように眦を下げる。そしてそのまま、体を少し横へとずらした。

 「よかったら、ちょっと話さない?」

 その言葉と、空けられた一人分のスペース。意味を解するのに、やや時間がかかった。

 「……えっ!? い、いいんですか、そんな」
 「いいも何も」

 なまえさんはこちらの反応に、おかしそうに笑う。
 けど、ふとその笑みを引っ込めて、

 「……あ。もう寝るつもりだったら、ごめん」

 そう言って、数度まばたきした。
 自分は慌てて首を横に振る。

 「ぃ、いいえっ! 全然寝ません!」
 「ほんと? じゃあ、どうぞ」

 促され、自分はスリッパのまま、おずおずとバルコニーへ足を踏み出した。
 なんということだ。こんなこと、許されるのだろうか。二、三歩も行けば、彼女の隣に並んでしまう。

 けれども、その僅かな距離の中で、ふと別のことに気を取られた。天頂から音も無く降る、清かな光。
 やがて届いた手すりに両の指をかけ、自然と空に目を向けていた。柄にもない動作に、上向けた首の裏側が軋む。それでも、その輝きから目を離せなかった。

 「月が……」

 つい、呟きそうになったフレーズを、既のところで飲みこみ別な言葉を探す。

 「……丸いですね」

 何だそれは、と自分でも思う。風情もクソもない。しかし恐らく、間違ってはいない。隣でなまえさんも頷いてくれて、ひそかにホッとする。

 「丸いよね」
 「月って、こんなに明るいんでしたっけ……」
 「中秋の名月らしいよ。だからかどうかは、わかんないけど」

 耳慣れない言葉。けど、知らないわけではない。縁がないというだけで。
 きっと、世間様では今日一日、季節の話題と言えばこのことで持ち切りだったのだろう。けれども、社会の営みと関わりのない自分には知る由も無く、なまえさんから聞いて初めて「そうだったのか」と頭の足りない感想を抱いた。

 そんな単細胞にも、なまえさんは続けて説いてくれる。

 「しかも、満月なんだって」
 「へえ……」
 「次に満月と中秋の名月が重なるのは、七年後らしいよ」
 「七年後ですか……」

 おうむ返しに呟いて、そのままぼんやりと月を眺め続ける。明日を望まないこの身には、ピンと来ない歳月だ。「ピンと来ないよね」見透かしたような言葉をかけられ、ばか正直に頷くしかなかった。

 なまえさんのほうを見ると、彼女もまた月を眺めていた。その横顔に浮かぶ物憂げな色に、少しどきりとする。夜目にも見える、つややかな唇が小さく開いた。

 「でも私、ちょっと考えちゃって」

 何気ない、ひとり言を呟くように静かな声だった。

 「七年後、私は何してるのかな、って。この家にいるのかな。それとも、新しい場所で暮らしてるのかな、とか。……なんか、いろいろ。そしたら、眠くなくなっちゃって」

 だから、しばらくお月見してたんだ。
 そうして、つと口をつぐむ。声の余韻は穏やかな夜風にとけ、そっと流されていく。
 月明りを弾く睫が、僅かに伏せられた。

 自分はそんな彼女から目を逸らし、知らず、項垂れていた。
 彼女の言いたいことは、わかるつもりだ。先のことを考えたときに、襲い来る不安。自分にだって経験はある。
 けど、自分のそれと彼女のそれは、たぶん、本質的に違う。彼女には歩むべき未来があり、自分にはない。クソでは今の彼女の気持ちに、本当の意味で寄り添うことはできない。

 七年。干からびた脳みそをいくら絞って考えても、徒に長いだけの、時間の連なりにしか思えない。

 ただ、そんな茫漠とした想像の中にも、ふと過るものがあった。
 この家に住む、皆さんのこと。
 一緒に暮らし始めて、早二年が経とうとしている。一日一日と積み重なっていく、目まぐるしくも何気ない日常。皆でごはんを食べたり、遊んだり、お風呂の順番でもめたり、揃って寝落ちたり。気づけば、ほぼ毎日、それぞれの顔を見ることが当たり前になっている。

 けれども、これから更に七年の先、どうなっているかはわからない。思いがけず始まった共同生活。始まったものには、必ず終わりがやって来る。
 仮にそのとき、卑しくもこの命が永らえていたら、自分はどうするだろうか。
 皆さんは、どんな道を選んでいくだろうか。

 考えてみたところで、馬鹿の頭にわかるはずもない。けど。

 こうしてこの場所で過ごす時の中、巡ってきた。次は七年後にしか巡り合えない。

 「……そんな月を、今日、なまえさんと見られて……自分はよかったと、思います……」

 心のまま、そう呟いていた。


 ハッとして、なまえさんのほうに顔を向ける。見開かれた目は月よりも丸く、光を反射してきらきらとまたたいて見えた。
 喉の奥で、ひゅっと息がつまる。

 「っす、すみません。こんなスッポンですらないクソ虫が、脈絡もなく。そろそろ死のうと思うので今のは忘れてください」
 「……ううん。忘れない」
 「はい、そうしてくだ……えっ!?」

 素っ頓狂に裏返った声に、なまえさんは一瞬の後、なぜか笑み崩れた。
 組んだ腕をバルコニーの手すりに預け、一つ息を吐く。その横顔から、さっきまでの憂いは消えていた。

 「忘れないよ。大瀬くんが言ってくれたことも、この月も」

 そうしてこちらを見上げる。その眼差しは、まどろむようにやわらかだった。

 「ありがとう」
 「……え、ぁ」

 一拍遅れてやってくる、羞恥と混乱。頬が、首筋が、全身が、火を吹くように火照りだした。何か返さなければと口を開いても、意味をなさない呻きが漏れるだけ。時折吹く夜風は涼しいはずなのに、じわじわと汗すらにじんでくる始末だ。
 ちかちかと目がくらむ。何だこれは、と考え、遥か天上で輝く存在を思い出す。

 ああ、月の光さえ、この目にはまぶしすぎる。


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