ワールドセクシーアンバサダーを自称する彼、天堂天彦は、ものごとのセクシーな面を見出す力に非常に長けている。多くの人が理解不能だとして目を背けるような事象に接しても、その裏に隠された何らかのセクシーを拾い上げ、前向きに捉える。数々の変態行為に表されるそうした彼の人となりに、なまえはついていけないながらも密かに憧れ、尊敬もしていた。故に、今ここにおいても、きっと彼はこう言ってくれるだろうと信頼しきっていた。「セクシーな状況ですね」と。
四方を壁で囲まれた、白い空間。あるのは深い紫色の羽織と、自分達のみ。扉も窓も見当たらない。しかし壁面には、そんな状況から脱する手段がはっきりと記されている。ならばやるしかあるまい。
「やりましょう!」
意気込んでそう言ったなまえを見下ろし、しかし天彦はどこか歯切れ悪く返した。
「……いいのですか?」
あれ? となまえは首を傾げる。予想外の反応だった。生気満ち溢れる彼ならば、二人羽織程度の芸事など朝飯前だろうと思ったのだが。
何かをためらうように揺れる薄水色の瞳を見上げ、しかしなまえはハッと思い直した。
「あ、その、すみません。私とそんなことするの、お嫌でしたか……」
「いいえ。断じてそういうことではないのですが……」
美形が苦汁を滲ませる表情は、些かの迫力が伴う。
彼自身、ふとそのことに気がついたものだろうか。やがて目元の力を抜いて、「わかりました。やりましょう」と頷いた。
得体の知れないものをなまえの身に着けるわけにはいかないと、天彦は進んで羽織に袖を通した。
「では、なまえさん。こちらへ」
迎え入れるように袷を広げた天彦に頷き返し、「失礼します!」と言いつつなまえはそこへ収まった。
そして直後、衝撃を受ける。
天彦の胸が、広い。それは見た目からしても、前々から思ってはいたのだが、こうして懐に収まってみると実感としてまるで違う。これが大人の男の包容力、というものなのだろうか。
顔から火を噴く代わりにじわりと身体に汗が滲みだして、なまえは慌てて口を開いた。
「あっ、も、もういいですかね?」
そうして共有した羽織の内から抜け出そうと、半身を前へと倒しかけたとき。
行く手を阻むように回された両腕に、まんまと引き戻されてしまった。そのまま背中から抱きすくめられ、高まる密着感に今度は口から心臓を噴き出しそうになる。
「あ、ああま、天彦さん!?」
「まだ何も起きていませんよ」
「えっ、あっ、そっ、そうですね! そうですけど、でも」
「……あなたがいいと言ったんですよ」
一段低くなった声に、なまえはびくりと震えて硬直する。
「どうかもう少し、このままで」
なまえから、天彦の顔は見えない。囁くようにかすかなその声に、符号する彼の表情も思い当たらない。それでも少なくとも、ふざけているわけではなさそうだ。
まだ部屋に何の変化も起こらないからと、その言葉だけを頼りになまえはどうにかこうにか、小さく頷いた。
そこに隠された切望の響きに気づくのは、もう少し先のこと。
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