「……あれっ、朔サン?」
「あ……ご無沙汰してます」
「よっ! 仕事捗ってるかー與儀、ツクモ」
奇しくも夜では無くお天道様が輝く昼間に顔を出した朔に、デスクワークに勤しんでいた與儀とツクモは一様に小首を傾げた。しかも朔の後ろには同じく状況が詳しく理解出来ていない无と心底めんどくさそうな憮然とした表情の花礫まで居て、滅多に見られない組み合わせと朔の楽しそうな顔付きに今度はいったい何を企んでるんだろうと與儀は内心訝しむ。そんな與儀の警戒さえ彼にはお見通しなのか、「まあ気難しい顔すんなって」と心なしか身構える二人にリラックスを促してあっけらかんと笑った。
一見爽やかでうっかり絆されそうになるが、この人は守りが手薄になったところに意表を突いてくる。今回だって油断ならないと用心の姿勢を貫けば、日頃の行いが祟ったかと苦笑いした朔は面白いモンが見れるぞと正直に用件を暴露した。
「……面白いモノ?」
ツクモが濁された部分を不思議そうに反芻する。それは无や花礫も興味を持つほどの大層なモノなのか。思わず與儀と顔を見合わせれば、にんまりと怪しい笑みを深くした朔が咳払いを一つ。
「──名前の昔の写真、見てみたくないか?」
成る程確かに大層なモノだ、と固唾を飲んだ。あの大らかで生い立ちや力量といったものは全て謎に包まれたままの名前の過去を映した写真。貴重であるに違いない、と瞬く間に緊張が走る。
……結果、ツクモと與儀両名ともに花礫たち同様好奇心に勝ることは敵わなかった。

「……どうしたんですか、ぞろぞろと大所帯で」
どこぞの胡散臭い宗教行列みたいですよ?と足並み揃え食堂にやって来た與儀達を見て名前が目を丸くする。ちょうど一足遅れて皆と外れた昼食を口にしていた喰まで隅っこの方で驚いたように固まっていて、案の定ごく稀にしか見ない朔の姿を一目見るなり胡乱げに金の双眸を細めた。
どいつもこいつも俺を厄介事の種みたいな扱いすんなぁ、とあんまりな待遇に朔が不貞腐れる。無論それはあなたの普段の悪ふざけが原因でしょうと名前に痛いところを抉られ一蹴されたが。
「で、どうしたんです?」
無駄を省くため率直に喰が本題を問う。平門さんに用事があるなら此処には居ませんよ、とも。
艇長である朔とて暇では無い。わざわざ平門に呆れられることを承知の上でサボる為に貳號艇にトンズラしてきた、なんてことは余程でない限りあり得ないだろう。
こんなとこで道草食ってる時間あるんですか?と厳しく追及してくる二人をまあまあと宥め、男は懐から後ろの四人を誘き寄せたものでもある目当てのブツをひらひらと翳した。
「名前、これに見覚えあるか?」
「……げぇっ!! それは私が卒業するときに全て情報官から奪い取って焼却処分したハズの史上最悪な黒歴史……!! なんでまだ此処に?!」
「おう、説明サンキュ。どんだけ悪どい方法で脅されたってあの情報官が全部渡すなんて失態犯すと思うかー? ないない。まだ残ってたらしいんだよ、時辰んとこに」
「時辰様あのやろう……!!!」
「名前さんの昔の写真だってっ!? ヤだなぁ朔さんどうしてもっと早く言ってくれなかったんですか水臭い! 僕らの間には今更秘密なんて無いでしょう? 勿体振らずにそのポケットの中隠してるもの出してくださいよほら、ほらほら!!」
「喰くんカツアゲみたいだよ……」
「……かつ、あげ?」
「无君、見ちゃダメ」
「オマエは知らなくていーんだよ」
凄まじい勢いに一部の人間がドン引きだった。
鬼気迫った表情で朔に圧力をかける喰と悔しげに歯噛みする名前。平穏を保たれていた皆の憩いの場もとい食堂は朔が持ち出した数枚の写真により一気に騒然となり、置いてけぼりを食らっている與儀たちはとりあえず座って興奮して息巻いてる喰が落ち着くのを待とうと結論に至った。
怒涛にまくし立てる喰を名前が痛恨の一撃としてチョップで沈めた、否、鎮めたのはそれからおよそ五分ほど経ってのこと。
飲み物を淹れるから待っててください、とどうやら取り返すことは諦めたらしい名前に促され、面白がっている朔と頭にたんこぶを作った喰が席に着き、素早く出てきたお茶が皆の前に並べられたところで朔が写真を机の上にばらまいた。
明らかに隠し撮りと思われるものが大半。今よりほんの僅かに幼い顔をした名前が欠伸しているところや居眠りしているところ、朔の尻に蹴りをかましている姿や平門と対峙して睨み合っている光景など、現在の彼女しか知らない朔以外の彼らは信じられない写真の数々に唖然としていて、名前は気恥ずかしそうに目線を逸らした。
「お前らは今の名前しか見たことねーからびっくり仰天だろ。こいつ今こそ物腰柔らかになったけど、昔は凄いスレてたんだぜ?」
「意外だわ……名前さんが……」
「たまーに花礫くん並みに口が悪くなるなぁって思ってたけど……まさかやさぐれてた時の名残だったなんて……」
「やだ、花礫君ほど拗らせてないです」
「ぶっ殺すぞテメェ」
「や、でもホント花礫みたいな感じだったよ。一匹狼で誰ともつるまなくてさー、平門みたいにかるーくちょっかい掛けるとものすげえ目付きで睨みつけてくんの」
「この料理長……平門さんと仲、よくない?」
「おっ、賢いな无。いや鋭いか? 実はクロノメイに在学してた時、平門と名前は犬猿の仲だったんだよ。常にお互いを目の敵にして廊下でばったり出会したりしたらもー大変。お互いの揚げ足取って満面の笑み浮かべながら壮絶な口舌戦だぜ? 見てるこっちがヒヤッとしたわ」
現在も二人が喧嘩すると満面の笑顔を浮かべながら嫌味の応酬が始まるが、昔からそうだったのかと想像すると背筋が凍るものがある。ただでさえ平門か名前、どちらかの機嫌がすこぶる悪いと艇の中はピリッと禍々しい空気が漂って闘員達は皆静まり返って萎縮するというのに。
「じゃあなんで名前さんは平門さんを選んだんですか?」と素朴な疑問に喰が怪訝に首を捻った。彼女がかねてより平門だけでなく朔にも勧誘されていたのは周知の事実。そんなにも仲が悪かったなら普通は朔を選ぶんじゃないかと、ごもっともな見解に名前は苦い笑みを見せた。
「俺が名前に勝ったからだよ」
「っ平門!?」
「………勝った?」
「手っ取り早くある日名前に一騎打ちを申し込んでね。俺が勝ったら否が応でも俺のところに来てもらう。名前が勝ったら必要最低限関わらない。そう条件付きでな」
「卑怯ですよねえ。男と女の力量差なんて最初から知れてるのに」
「性別にこだわって女だから甘く見られるのは嫌だと言ったのはお前だろう?」
まさしく正論でぐうの音も出なかった。
黙りこんだ名前を見て隣に座っていた朔がからからと笑う。自分の仕事があるだろうにも関わらず呑気に居座る同期の姿に平門は少々呆れ顔を浮かべたが、やがてなるほどね、と合点がいった様子の喰に満足げに微笑んだ。
喧嘩、したの?とおずおず問い掛けてきた无には首を振る。喧嘩ではなく大事なことを決めるために少し話し合っただけだよ、と。もちろん嘘っぱちで取っ組み合いなんて優しい言葉じゃ済ませられないほどの熾烈な争いだったが。鼻で笑った花礫や苦笑したツクモは恐らく感付いている。
勝負は言わずもがな平門の圧勝。名前も最後の最後まで諦めることはなく粘っていたが、惜しくも彼に背後をとられ地に伸された。
──約束は約束だ。心底腹立たしいとばかりに名前は顔を顰め、その場は一旦平門の許から去っていったが翌日の艇長就任の前に、再び彼の前に姿を現した。長かった髪をばっさり切って、左胸に拳を当てて。凛とした佇まいで声を発した。
私の心臓を貴方に捧げる。
自分のことを疎んじ嫌っていた彼女の口から放たれた、嘘偽りない言葉。今までの粗暴な振る舞いはどこへやら、口調も、態度も改まって目上に対する丁寧なものへ。
「正直一か八かの賭けだったんだがな……名前は勝敗がどうであれ自分の意思を曲げてまで俺のところに来てくれるとは到底思わなかったから」
「条件を飲んだ上で上等だと啖呵を切ったのは私ですから。女に二言はありません」
「さっすが名前、勇ましいよなあ」
「てか心臓を捧げるって……重くね?」
「花礫くんそんなズバッと……」
「良いですよ與儀、私だって重いと思うんですから。……けどその言葉は、私にとって過去との決別のようなものでしたから」
「……決別?」
意味深な言葉にツクモが浮かない面持ちで聞き返せば、けれど名前はにこりと笑ってただツクモの頭を撫でるだけで何も答えてはくれなかった。深く掘り下げないでほしい、ということだろうか。彼女の心情を推し量った少女も空気を察してそれ以上話題を続けることはしなかった。无にもつらい?と聞かれたが、名前は静かにかぶりを振る。確かに幼い頃からずっとズルズルと未練がましく引きずっていた過去を断ち切るのは、容易なことでは無かったけれど。
物憂いげに微笑を落とした名前に、彼女の複雑な心境を汲み取った平門と朔は目線を交わした。これ以上言及されるのは名前にとって毒となる。どことなく暗くなったかの雰囲気を吹き飛ばすように、朔は懐からもう一枚隠してたとっておきの秘蔵写真を机に出した。
「まあお前らよーく見ろ。このダークマター誰が作ったと思う?」
「なっ……!」
「………え、まさか」
「……名前さん?」
「ぶっ、マジで?」
「正解!! 名前はやさぐれてただけでなく、料理も壊滅的だったんだぜ」
「すっとこどっこい床に座れ。私が直々に手を下してあげる」
地雷だった。鬼のような形相で朔に掴みかかろうとする名前を與儀と无が羽交い締めしたり抱き着いたりで必死に留め、ささくれ立った神経をツクモが懸命に慰める。そんな光景を目にしても朔は気楽に「これ焦げの味しかしなかったよなー」などとしゃあしゃあ抜かしていて、殊更名前の怒りに火を着けた。
話を逸らすにしてももう少しマシなものは無かったのか……と平門は悩みがましく頭を抱えた。名前の憂いを晴らすためとは言え半ば強引過ぎる。効果覿面といえばそうだが。
そして火の粉は壁際で傍観していた平門にも回ってきて、朔から「これ平門も食べたよな?」と何気無しに訊ねられ頷いた。
「死ぬかと思った」
「殺すつもりで渡しましたから」
「………ほう?」
「………はっ、」
あ、ヤベまた始まった。
年甲斐もなく牽制し合う大人二人。與儀と无がプルプル震えててもツクモがオロオロと狼狽えてても眼中になく笑顔で火花を散らす。いつかデスゲームでも勃発しそうな勢いだ。巻き込むのだけは勘弁しろよ、と花礫が面倒そうに溜め息を吐いた。
「……まあでも、名前さんの意外な一面っていうか人間味溢れたところを知れて得したかな。ああホント可愛い」
「…………あれが可愛いとか冗談だろ」
「名前ー。花礫が名前のこと可愛くないってよー」
「バッ、!」
「りょっ、料理長はかわいい、よ?」
「……うん、ありがとう无君。でも複雑……」
「もう若くないからな」
「お黙り」
年のことはタブーだと言ったでしょう。ジロリと睨み付ければ胡散臭さたっぷりに微笑まれた。そうやって名前の癪のツボをつついてちょっかい掛けるから昔から喧嘩が絶えなかったんだろうに、と朔が失笑する。
どれだけ喧嘩しようと何だかんだ垣間見える信頼関係。名前も平門には素を晒し、平門も名前には弱さを見せる。
そりゃ敵いっこねえわな。
交わることの無い筈の水と油が上手く調和して融けている。懐かしい写真を見て感慨に耽る朔は場の喧騒を他所に、愛しむようにふと微笑んだ。

(でもこのダークマター……この前料理長が作った創作料理に似てるような……)
(……與儀?)
(何でもないっ!!)



@「料理長の昔の写真を見た皆の反応」、「心臓を捧げる、と宣言された時の話を貳號艇の子供達にする平門さん」。昔の写真、は小さい頃と憂喜様のご要望でしたが、それは流石に戸籍と共に抹消されたかなと思ってクロノメイに在学してる時の写真にさせてもらいましたすみません。リクエストありがとうございました!
ALICE+