気になるヤツが、いる。

そいつはぶっちゃけハッキリ言っちまえば、なんの取り柄も、これと言って目立った特徴もない、何処にでも居るようなありふれた女だ。
才覚に恵まれたワケでもなく、成績も至って凡庸。運動神経も平均か少しばかり優れてるくらいで、外見だって特別可もなく不可もなく、まあ十人に一人くらいは可愛いなんて気に入る野郎も居るんじゃねってくらいか。

…………つったら、なんか俺がそいつの悪口を叩いてるようにしか聞こえねーだろうけど、事実的を射てるんだからしょうがない。
そんなヤツを俺が何で好きになったのか、その端緒を具体的に言葉にしろとか言われても出来るワケねぇ。
俺だって未だに理解出来てねェんだ、自分でもいまいち分かんねーことを噛んで含めるようにいちから説明しろとか無理難題にも程があるだろ。

けど重箱の隅を突ついてこれだけボロクソに言っときながら、あいつが、……名前が微笑った顔とかはフツーに、可愛いと思う。ああそうだよ、十人のうちの一人が俺だよチクショウ。
あいつは俗に言う八方美人ってやつで、誰が相手だろうが嫌な顔ひとつせずに当たり障りなく平等に接する。相談を持ち掛けてきたヤツには親身になって聞き役に徹し、必要に応じて的確な助言をする。頼み事を任されれば徹頭徹尾責任を持ってやりこなす。どんだけくだんねー世間話にも笑顔で対応する。まあ、つまりは皆に好かれるイイコちゃんな委員長タイプって言えば手っ取り早いか。その分「周りに媚び売ってる」とか疎んじる奴等も多いっぽいけど。

最初は俺もそんな偽善者臭がプンプン漂う名前に好い印象は抱いて無かったし、あまつさえ意図的に避けてさえ居た。こういう人間は表では猫被ってンのが大概で、化けの皮が剥がれたりしたらとんでもねぇ一面が隠れてたりとか良くあることだから。
なにより俺自身、他の連中と無意味につるむのは得意じゃねーし、自分の利にならないことにまでわざわざ好き好んで首を突っ込んで行こうとは思わねぇ。
だから俺からすればあいつは実に奇特な人間で、同時にこれから先も深く関わることはねーだろと、興味対象外としてどうでもいい存在だった。

そんな認識が一転したのはあいつと初めてまともに会話を交わした日か。
その日はたまたま教室に忘れ物をして、めんどくせえなと思いながらも続きが気になってるとこで止まってる本だったから、しぶしぶ踵を返して取りに戻った。すると夕陽が射し込む教室には黒板の文字を消す名前がいて。
ああ、日直の当番かと関心もそこそこに、俺はさっさと自分の席に行って机を物色し、目当てのブツをバックに入れた。

(今度こそ帰るか)
ふと目線を上げた時、黒板の高い位置に書いてある文字を消そうと、背伸びして懸命に励むあいつの姿があった。
黒板消しは届きそうで届かない。焦ったさに、俺はため息を落として。重い足取りで教壇に近付き、名前の後ろから手の中にある黒板消しを抜き取ろうとした。……ら、

「 や……っ!!」
「っ!?」

少しでも肌が触れることが怖いと物語るように、相手は顔面蒼白にしながら飛び退いた。
借りようとした黒板消しはカタンッ、と俺らの手の間をすり抜けて床に落ちる。その音で我に返ったのか、名前はハッとした表情で「ゴメンね」とバツが悪そうに謝った。ただ驚いたにしてはリアクションがオーバー過ぎる。
…………意味が、分からなかった。

後から與儀のヤツに訊いた話だが、どうやら名前は潔癖症らしい。それを耳にした時、俺は当然納得するワケもなく「ウソだろ」と一蹴した。
だって潔癖症ってアレだろ? 汚れを過剰に気にして、強迫観念とかも強くなって、神経質になるっつーかなんつーか。詳しくは俺も知んねーけど、潔癖が本当なら黒板消しとか公共物にも迂闊に触れねえモンなんじゃねぇの?

俺が矛盾点を指摘すれば目の前に居る與儀はカレーうどんを啜りながら「ううーん……そういえば何でだろうねえ?」と首を捻った。そん時どさくさに紛れて汁がこっちに跳ねてきたから、とりあえず憂さ晴らしに一発殴っといた。
「不可抗力だよ!」とかなんかウダウダ屁理屈吐かしてきやがったが知らね。定石通り無視を決め込む。

そんなこんなで、改まって会話を交わしたと言って良いのかすら危うい接触の日から、俺はしげしげと名前の観察を始めた。あいつはまるであの日の事なんかとうに忘れたかのように平然としている。
けど、たった数日の間でも分かったことがひとつあった。
名前は確かに八方美人で、誰と話そうが笑顔を絶やすことはない。無い、が、必ず相手との合間に一定の間隔が保たれていた。しかし相手もその距離感を不審に疑うことはない。何故なら名前が潔癖症だと信じきっているからだ。
(やっぱホントに潔癖症なのか……?)と俺も一時騙されかけたが、それにしたってあの反応は腑に落ちない。あれは紛れもなく拒否っつか防衛に近い動作だったし。
しかも公共物にはいっさいの躊躇いもなく触れている。
ますますおかしい。

考えれば考えるほど真相は藪ン中に埋もれていって、いい加減痺れを切らした俺はいよいよ今日、強行手段に出ることにした。
いつまでもこんな状態が続くなんざ釈然としねーし、……なにより名前に告るどころか触ることすら儘ならねーし。ンなの我慢出来っかよ。
そうと決まれば颯爽と動く。
ちょうどタイミング良く校門で見付けた目的の後ろ姿に、俺は怪しく思われないようあくまで自然を装って話し掛けた。

「……はよ」
「っ、花礫くん……? おはよう。珍しいね、花礫くんがこんな時間に学校に来てるなんて。いつも遅刻ギリギリなのに、いったいどういう風の吹き回し?」
「うっせ、たまにはいーだろ」

そうですかー、と俺が早く登校してきた理由をそれ以上掘り下げず、微笑って流した名前に密かに胸を撫で下ろす。
こいつのこういう、しつこくなくてアッサリしてるところは好感が持てる。與儀や无みたいに粘り強く「教えて教えて」って強請ってこねぇから、手間が省けてラク。
とは言え、こいつはまだ俺に対してどことなく警戒してるようにも見える。俺がいま声を掛けた時だって若干身構えたしな。不意打ちに弱いのか、もしくは何かに怯えてんのか。
名前と昇降口までの道のりをゆっくりと辿りながら、冷静に思考を巡らせることは怠らない。
黄色に彩られたイチョウの葉が視界の端をふと横切った。

「……あ、」
「なに?」

家に忘れもの? と思わず間の抜けた声を漏らした俺に名前が小首を傾げる。キョトンと不思議そうに見上げてくる双眸。その髪には小さな赤い紅葉が絡まっていて、名前が気付く様子はない。
──またとないチャンスだ、と邪な企みが脳裏を過ぎった。

名前には敢えて教えてやるなんてことはせずに、俺はおもむろに手を伸ばして細い髪の毛に纏わり付く邪魔な葉を取った。たちまち強張る名前の身体。
この前みたく逃げられないのを良いことに、スルスルと髪の柔らかい質感を堪能しながら毛先の方へと下りていく。
案外手入れとかはしっかりしてんだな。滑らかで肌触りも良く、梳いてる途中で一度も引っ掛かったりしないサラサラの感触に感心してると、名前が小刻みに震え出した。

(……やべ、少し調子に乗りすぎたか)
真実かどうかは兎も角として、こいつ一応潔癖症らしいし。
まあ一言「悪い、」つってすぐ離せばいいだろ、安易に結論付けて名残惜しくも名前の髪から手を引こうとした。ら、誤って耳を引っ掻いてしまった。
爪は伸ばしてねーけど、それなりに痛みはあったはず。

大丈夫か────そう俺が慌てて問い掛けるよりも先に名前の肩が今までより大きく震えて、蚊の鳴くような声で「ひ、ぁッ」と咄嗟に目を瞑りながら名前が身を竦めた。

「……は?」
「……!!」
「お前……今の、」
「あああ、私、用事思い出しちゃったー!!! さ、先に教室行ってるねっ! 花礫くんこのまま授業サボッちゃだめだよ!」
「、オイ!!」

……上手く尻尾を巻かれた。
舌を打って、手元にただ一つ残された紅葉を握り締める。くしゃりと音をたてたそれは、散り散りに破れて手の中をすり抜け、地面に零れていった。
……今の、間違いなく「そういう」声だったよな。
くすぐったくて、っつーよりも、あたかも情事を彷彿とさせるような……。

さっきの名前の色っぽい声と表情を思い出して、瞬く間に顔に熱が集中する。誤魔化すためにその場に一旦しゃがみ込んで項垂れた。
ああ、ックソ。らしくもねえ、不測の事態に一本取られた。まさか今までひた隠しにしてきたのはこの事だったのか? けどいったい何なんだよアレ。
ビビりとか単なるくすぐったがりとか、ンなレベルの反応じゃねーぞ。敏感過ぎる。

これはとことん問い詰める他ねーよなァ?

もしかしたらあいつに近付ける打ってつけの口実になるかもしんねぇ。潔癖症の謎を解明するだけでなく、かこつけて利用出来るきっかけまでも得られるなんてな。
実はすげー強運持ってんじゃねェの俺。
知れず知れず、口角がつり上がった。

「……俺から逃げきれるとか思ってんの?」

もしそう勘違いしてんなら残念だったな、二度目はねぇよ。あんな声聞かされて、あんな顔見せられて、俺が見過ごすなんざ天と地がひっくり返ってもそんなことあり得ねえから。
鳴りを潜める? ジョーダン。
逆に燃えてきたっつーの。
性懲りも無く逃げ続けるならどこまでも逃げりゃあ良い。どうせ最後は俺の手で窮鼠に追い詰められんだから。
思う存分、気が済むまで悪足掻きしてろよ。

「ぜってえ捕まえてやるからな」
──覚悟しな。

胸の内で宣戦布告。あいつの髪に触れた指をひと舐めすれば、妙に甘い味がした。
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