「さーて、どっから回るかな……」

約束通り、お昼集まったメンバーが放課後再び集い合わせたものの、これからいざ、という時に考えあぐねる声で咲羽がボソリと呟いた。てっきりもうアポイントを取り付けたとばかり思っていたが、見たところ当てが外れたようだ。
目星も付いていなさそうな咲羽の様子に、祐喜は当たり障りのない応えを返す。

「教室に居るんじゃないのか?」
「いんや、それは無いな。祐喜は姫君の愛譚での肩書きを知ってるか?」
「えっ……。んと、生徒会長代理って聞いたけど」
「はい。同時に美化委員長も務めておられますの。なので姫様が教室に居ることはごく稀で、空き時間は敷地内の見回り、または校内のクリーン活動に鋭意努力されています」
「へぇ……二足の草鞋なんだ」

掛け持ちなんて大変だなー、と呑気にぼやいた祐喜だが、だんだんと雪代の言葉に突っ掛かりを覚えるようになる。
……敷地内? 祐喜の聞き間違いで無ければ、雪代は今とんでもなくスケールの大きいことを言わなかったか?

「ちょ、ちょっとごめん。敷地内? 学園の?」
「はい」
「この、バカでかい、学園中を?」
「そう。この、バカみたいにデカい、学園中を、うちの姫君は歩き回ってるんだぜ」

(あ、やばい。オレ死ぬかも。)気が遠退くような話だった。昼に咲羽が言った、「死ぬほど歩かせてやるからな」という言葉はあながち虚仮威しでも無かったらしい。
獣基三人は涼しい顔して名前が居そうな場所を相談し始めたが、たった今、咲羽の発言に合点がいった祐喜と紅は青ざめた面持ちで固まっている。はたして彼らの気力に自分たちの体力はついて行けるのか。微妙だ。
歩くことには慣れていると言っても、祐喜の場合、プラス災い体質だ。彼が歩けば連鎖的にトラブルも付いてくる。ある種トラップでもあるそれに事あるたび対処しながら、この「バカでかい」学園中を闇雲に歩き回るのは、荊棘が生い茂る森に素足で踏み入る無謀に等しいかもしれない。

「まぁ、そんな先行き不安ですって顔すんなよ祐喜。オレらもちゃんと策は講じてるんだぜ?」
「策って?」
「お前もつい先日、その目で見ただろ。そこの犬の能力を」
「ああ……あのビジュアル台無しな……」

つい先日の出来事が脳裏を掠めて、祐喜は目が据わった。
戌の獣基というだけあって、雅彦の嗅覚は人並み外れたものだった。訳あって逃げ出した祐喜をその驚異的な嗅覚を活かして臭いを探り当て、逃げ果せていた祐喜を背後から押し倒す形で捕まえたのである。逃げてから数分で確保。警察犬と渡り合える程のスピード解決だった。
しかし覚醒具で顔が見えないからといえど、世間一般から見れば美形の枠内に入る雅彦が四つん這いになって犬のように駆けていた事実に変わりはなく、祐喜と咲羽には「ビジュアル台無しな能力」と評されている。
だが能力の高さは折り紙付きで、ならば今回の探し人も早々に発見できるのではないかと一同から期待が寄せられた。

「雅彦……案内任せても平気か?」
「お任せください。祐喜殿の為ならボクは骨身を惜しみませんぞ」
「おー、頑張れ頑張れ」
「感心してないでお前は働け!!」

他人事のように横槍を入れた咲羽に、祐喜に頼られて有頂天になっていた雅彦が水を差されたような顔をして憤慨した。が、どうも咲羽は雅彦の雷が落ちるのは慣れているようで、がなり立てられても知らん振り。
咲羽の気分によっては「お? やるか?」と喧嘩に発展することがあると祐喜は知ったばかりだが、今日は名前を探すという優先事項があるため軽くいなしたようだ。
未だカリカリと怒る雅彦の頭に手刀を決め、「んなことよりさっさと始めろ」と作戦実行を促した。納得しきれていない顔をするも、祐喜や雪代を待たせていることに違いは無いので(この時、雅彦の頭に紅の存在は無い)、渋渋と腕に巻き付けていた覚醒具・牙厳を外して面に装着。
すると雅彦は一瞬だけ狂暴な犬のような剣幕をちらつかせたかと思うと、「ワンッ」と吠えて即座に地面に這いつくばった。ポメラニアンが地獄の番犬ケルベロスに化けたのはほんの一瞬で、あまりの変わりように紅が呆気にとられている。

「も、桃君……あれ……」
「……さすがに二回目ともなると慣れたな……」

何も知らない生徒が見たら「変質者だ」とドン引きするだろう。もしかしたら警備委員に通報されるかもしれない。それくらい今の光景は衝撃的かつ、異様だった。
四足歩行で熱心に臭いを追う男子生徒と、その様子を近くで見守っている男子・女子生徒、計五名の塊。見ようによっては集団リンチか羞恥プレイの類にも見える。
(頼むから通ってくれるなよー……)
と、人が来ることを懸念しつつ、祐喜はなるべく早めに雅彦が名前の匂いをキャッチしてくれることを願った。

「……む、」
「きたか?」
「いや、……今日は風が強く吹いているから厳しいな」

彼の言うとおり、今日は晴れているものの少々風が強い日だった。匂いは確かに流れてきているのだが、風が吹くたびに四散されてしまい、正確な居場所までは把捉し切れないと雅彦は話す。
「なら明日に延ばすか?」と祐喜は提案したが、それではまた堂々巡りだと口に出してから失言に気付く。
前言撤回し「ごめん、やっぱり今日中に見つけよう」と言い改めると、みな首肯した。

「明日は雨の予報ですし、探すとしたら今日のほうがいろいろ好都合ですわね」
「雨だと何か不都合が?」
「名前ちゃんって確か生徒会だよね? なら、雨天時は美化委員の仕事は出来ることが限られてくるから、生徒会役員棟のほうに行っちゃって見つからないと思う」

紅の補足に納得した。……が、なにやら咲羽が胡乱げな眼差しで紅を疑っている。
「なんで知ってるんだ」とでも言いたげな目だ。いかにも、不審な点が多い紅に疑問は募るが、彼は欺こうとして言っている訳ではなく、むしろ助力するつもりで名前の動向のヒントを教えてくれている事くらい祐喜にも分かった。だから咲羽も直接的には問い掛けず、あえて看過しているのだろう。

「紅、」
「うん?」
「ありがとうな」

オレこの学園来たばっかだし、まだまだ知らない事が多いから、些細な情報でも助かるよ。
血の呪縛で、身内のことを話せない紅を責めるでも無く、祐喜は飾り気のない笑顔で礼を言った。名前のことも、名前の周りを取り巻く環境も、学園のことも、転校してきたばかりの祐喜は今ようやく知り始めたところだ。
今の名前については自分よりも咲羽たちや紅のほうが詳しい、それは……今もまだ正直さびしいと思うが。でも。

「……桃君の役に立てるなら、ボクも嬉しい」

少しはけじめを付ける事が出来たのか、この学園に来てから増えた″友達″の存在に背中を押されて、心にゆとりを持つことが出来たからか。
(知らないなら、これから知っていきたい)と祐喜自身、不思議と前向きになる事が出来た。
紅とふたり笑い合い、この昂然とした気持ちを維持したまま名前とも向き合おうと自ら気力を奮い起こす。……しかし、

「〜〜っ祐喜殿ぉっ!!」
「のわっ!?」
「ボクも、ボクも張り切りますから!! そこな鬼には負けません〜〜!!」
「祐喜様……」
「わ、わかったから! 鼻水拭いてくれっ。雪代も泣くな、咲羽は舌打ちしない!」

紅と創りだした男の友情の世界に、どさくさに紛れて入り込めなかった三基は歯噛みしながら世界もろともぶち壊しにかかった。元より「我が君命」な三人だ。祐喜が笑っていることが嬉しいとは言っても、他の人間、それも数日前まで敵として対峙していた鬼と仲良くなんて、三人にとってはさぞ面白くない絵面だったろう。
祐喜と紅の間に割って入った雅彦が覚醒具を装着したままグスグスと鼻を鳴らしている。そんなに鼻が詰まった状態じゃ嗅覚なんて使いものにならないだろうに、お構いなしに祐喜の腰に縋りついている。雪代は雅彦ほど酷くはないが、やはり唇を噛み締めて泣いているし咲羽に至っては、紅に向かって怨嗟まがいな言葉を連ねていた。
(これ……いつになったら動けんのかな)と、さっそく出鼻を挫かれた感が漂う祐喜は空を眺めながら、事態が収束するのを待ったのだった。


「取り乱したりして、申し訳ありません……」

宥めるのに十数分ほど費やした祐喜は回りまわってやっと獣基をあやす係から解放され、今は雪代とふたりで名前を探していた。
その道中しょぼん、と眉を下げて非礼を詫びる雪代に、まさか「本当にな」なんて軽口を返せるはずも無く「いや……」と言葉を濁して苦笑する。
困ったのは本当だが、彼らを蚊帳の外に弾いてしまった自分にも非はある。なので祐喜は怒っていないと意思表示をする為にも、ポンポン、とうつむく雪代の頭を撫で、「名前、見つかれば良いな」といつも通りの声音で話をすり替えた。

雅彦曰く「専科の方角から姫君の匂いを感じます」とのことだが、どうやらその一帯は薬品だったりナマモノだったり、とにかく様々な臭いが立ち込めていて、名前の匂いが不快臭によって掻き消されているらしい。
ゆえに風に乗って運ばれてきたとしても既にその匂いは薄れていて、本人が専科に留まっているか、識別は実際に行ってみなければ分からないと雅彦は呻吟の末、ため息を吐いた。
そこで、「だったら手分けして探そうぜ」と手間を省いた咲羽の案により、祐喜たちは専科を取り囲むようにして三手に分かれた。名前がその辺りに居るのは間違いないと雅彦が太鼓判を押したのでその言葉を信じ、専科の教室に乗り込む役目は咲羽、専科のある校舎内を探すのは雅彦と紅、そしてその校舎周りを探すのは祐喜・雪代ペアとなって、……現状に至るのだった。
雪代とふたりだったら無駄に騒がしくなる事も無く、捜索もスムーズに進むだろうと祐喜は胸を撫で下ろしたのだが、雪代はなにやら隠していることがあるようで、周囲に気を配れていないようだった。具合が悪いのかと問いかけても首を振られてしまうから、祐喜としてもそれ以上は追及できない。妙にぎこちない空気に(うーん)と頭を悩ませながら、祐喜は雪代の横顔を一瞥した。

(……やっぱ、綺麗な子だよなぁ。)
祐喜が顔を近付けたり笑ったりすると凄まじい勢いで鼻血を吹くのでこんがらがるが、雪代はとてつもない美少女だ。というか獣基はみな美形だ。
紅だってモデル業を熟してるだけあって(黙ってれば)クールな面差しで格好いいと人気だし、冷静に考えると祐喜は何気なく有名な人たちに囲まれているんだと実感する。
影をつくる長い睫毛。サラリと細い髪が頬にかかるその仕草につい見とれていると、ふいに顔を上げた雪代と目があった。刹那「あ、」と心臓が高鳴るが、けれど雪代は祐喜のどぎまぎとした様子を変に感じることも無く口を開いた。

「姫様も過去に一度だけ、会いたいと本心を零されたことがありました」
「……え?」
「誰に、とまでは仰られていませんでしたが……。今なら、分かるんです。姫様はきっと、ずっと長い間、祐喜様に会いたがっておられたのだと」

切り出された話に、前に進んでいた祐喜の足は自然と歩みを止めた。つられて雪代の歩みも止まる。息を飲んで祐喜が雪代の顔を正面から見つめれば、今回は彼女も怯むことなく真っ直ぐと見つめ返してきた。何を迷っていたのかと思えば、名前の許可もなく勝手に話して良いものか悩んでいたらしい。それにお昼に祐喜が怒ったことも、雪代が躊躇っていた原因となっていたのだろう。
名前と彼らに面識があったと知った今、雪代も根拠がなくあんな慰み言を言ったのでは無いと理解している。そもそも雪代は適当な事は言わない。それが名前や祐喜の関わることならば尚更だ。だから声を荒らげることも、話の腰を折ることもせず、祐喜は黙って聞く態勢になった。

「姫様が私たちと対面したのは、それぞれが初等部に進級して三年ほど月日が流れた頃でした」

祐喜と名前が別れたのはふたりが幼稚園の年長組の時だ。名前は「いろいろあって」と事情をうやむやにした上で、愛譚に来たと告げた。雪代たちと会ったのは小学三年の時と云うならば、名前を引き取った妹夫婦の家で彼女が過ごしたのはおよそ二年くらいの月日だという事になる。
……たかが二年、されど二年。
名前が家から離れたいと思うような何かが、その二年の間で起こったのだろうか?──真相は藪の中だ。今はひとまず雪代の話に集中するとしよう。
彼女らが名前と会ったのは正式に設けられた場ではなく、この愛譚学園の敷地内だったという。
そして桃の木の下で眠っていた名前を第一に発見したのは咲羽。彼は名前が退鬼師の姉姫だとは伝えられていなかったにも拘らず、名前がその生まれ変わりだと見抜いたらしい。

「姫様の転生は実に数百年ぶり……姫様が今世に生まれ落ちている事すら教えられていなかった私達は、それはもう歓喜にわきました。驚きや困惑はもちろん有りましたけれど……そんなもの、姫様の前では微々たるものに過ぎなかったのです」

「とても、とても嬉しかったんです。」と雪代は当時を懐古しながら語る。
涙ぐんでいるその表情から汲むに、名前の転生は彼女たちにとってよほど嬉しい事象だったのだろう。そんなに大事に想ってくれる人たちが早くから側に居た名前の事を密かに羨みながら、祐喜は「うん、それで?」と話の続きを促した。

「姫様は、とあるお方のお話をよくされていました。名前を出されることはありませんでしたけれど、たびたび話題に上がるんです」
「……もしかして、」
「祐喜様のことだったのだと、私達も先日感づいたばかりですわ」
「ああ……やっぱり……」

祐喜が知らなかったように、雪代たちもまた名前、否、姉姫と桃太郎の生まれ変わりがとうに関わりを持っていたとは知らなかったのだ。姉姫が転生していたこと自体知らなかったのだから無理もない。
だから名前が日常的に話していた人物は祐喜のことだと、空いていたパズルのピースが雪代たちの中で当てはまったのは祐喜が転校してくると訊いた日で、(回りくどいことするな、あいつ)と名前の言い回しに祐喜自身、頭を抱えた。

「……私達を、気遣ってくださったんだと思います。当時の我らは、その、……我が君への理想を膨らませていましたから……」
「……ごめん、現実はこんなで……」
「いいえっ。祐喜様は私達が思っていた以上に素敵なお方です」

にこり、とフォローを忘れない雪代に気恥ずかしさが込み上げる。そんな大仰に言われると面映いのだが……。
「……ありがと」と目を逸らして一応礼を言うと、彼女は静かに微笑んだ。

「……祐喜様の話をされる姫様は、ほとんどの時が笑われていましたが……時折、すごく寂しそうに微笑う時がありました」
「……っ」
「そういった時の姫様はだいたい話を中断されて、お一人でどこかに行ってしまわれます。けれど私……一度だけ姫様が膝を抱えて顔を隠している姿を見たことがあって、」

顔を埋めている膝の合間から、すすり泣く声が聞こえたんです。
「ごめんね、ゆうき」。
聞いているだけでも胸が締め付けられるような、底知れない悲痛を帯びた声で、名前は別離した幼馴染みに向かって己の無力を影で懺悔し続けていた。時には雨に紛れながら。時には雪の寒さに曝されながら。時には堪え切れない嗚咽をむりに噛み殺し。何度も何度も、繰り返し。何年も。

たった、ひとりきりで、耐えてきたんだ。

「──そっ、か……」
「大切な人に置いて行かれてしまった祐喜様の心中もお察しします。……ですが、姫様にも相当の苦悩と葛藤があったんだと云うことは伝えておこうと思い、私が独断で話しました。差し出がましい真似をしてしまい、すみません……」
「いや、うん……そっか。そう、なんだ……。その話を聞けて、よかった」

おかげで判然たる想いが明らかになった。
(……名前、ごめん。ごめんな。)
ちょっと前まで彼女と会うのが気まずい、なんて保身に走っていた自分を殴りたくなった。
名前は「心待ちにしていた」と、あの頃と変わらない温かい笑顔で自分を出迎えてくれたのに、祐喜はその想いに背くような行為をしてしまったんだ。
幼い頃に別れたきりだから、どう思われているか不安? 相手はもう友達なんて思っていない? ──祐喜が抱いていたそんな憂慮は、全部が全部、杞憂でしかなかった。
名前は離れてから今日まで、自分のことを想い続けてくれていたのに。

「……オレ、謝らなきゃ……。それと、名前の呪いも解かないと」
「ええ」
「……また、やり直せるかな?」
「祐喜様がそう願うならば、必ず。」

ありがとう。
力強く頷いてくれた雪代に、心をこめてそう言った。
名前に会ったら、まず謝ろう。それと、「待っててくれてありがとう」と、「また会えてうれしい」と自分も伝えよう。

(きみに話したいことが、たくさん出来たよ。……名前、)
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