雪代が二人の想いを斟酌した上で気を回してくれた事によって、祐喜の胸に芽生えていた不安の種は小さく萎んだといっても、愁いが晴れて切り替えの早くなった心は「早く名前を見つけ出さねば」という使命感に拍車をかける。
この想いが褪せてしまわないうちに、本心を伝えたい。名前の心が本当に離れてしまう前に、繋ぎ留めたい。逸る気持ちが底意に居座りつつ、祐喜は雪代と共に捜索を再開した。
しかし仕切りなおした矢先だった。
専科の教室に押し入……訪問したはずの咲羽が廊下側の窓からひょっこり顔を出したのは。彼は二人の位置を捉えるなり、こいこいと手招く所作をとる。

「……上がって来いってことかな?」
「そうみたいですわね……では、僭越ながら私が」

咲羽の合図に雪代が反応し、後頭部に付けていた覚醒具・螺鈿を先ほどの雅彦と同じように顔に装着する。すると彼女の背から放射状に光が伸び、それはやがて真っ白な翼となって顕現して、一度強く羽ばたくと幾つもの羽を散らした。
「え、もしかして、」と祐喜が目を白黒させる間にも、雪代は浮遊して祐喜の背後に周り、脇の下に両腕を差し込んで抱き上げる。こんな華奢な腕のどこに自分を持ち上げられるほどの力が有り余ってるのか驚きが隠せないが、今回は前もって飛ぶと知らされてる分、地に足がつかない危うさにもう畏れは感じなかった。

(まあ、びっくりはするけどな……)
なにせ一階から三階までひとっ飛びなのだ。ジェットコースターのように落ちるまでのジワジワと這い上がるような怖気を体感する間もなく、思わず「え? もう終わったの?」と肩透かしを食らうような短い時間。
たじろぎこそすれ、怖いという印象は残らなかった。それはきっと、主人に出来るだけ負担を強いないようにと配慮した、雉の才幹が成せる技だろう。
廊下に足を着けて重力に逆らう感覚が抜け落ちた祐喜はホッと一息ついて、合流した咲羽にどうしたのか問いかける。

「悪ぃ……姫君を見かけたと思ったんだが、よそ見した隙に見失っちまった。今しがたのことだし、さすがにまだ遠く離れちゃいないだろうから、祐喜たち呼び寄せたほうが手っ取り早いと思って。そっちの進捗は何かあった?」
「……ごめん。オレらはまだ」

ただ道草食ってただけです、と馬鹿正直に咲羽に打ち明けてしまったら、いくら祐喜と云えど頬を抓られるだろう。それも良心の呵責に苦しむような満面の笑顔と嫌味付きで。
オールマイティな雪代、理系の雅彦に比べ、咲羽は完全な体育会系なので、三基の中では最も力が強い。と、思う。デコピンもチョップも(祐喜に対しては)加減されていても、それでもかなり痛いのだ。その握力で頬をギリギリと絞られたら……考えただけでも涙が出そうだ。
なので目を滑らせて本当のことを悟られまいと取り繕うと、まさにその時、「姫君ー!! みつけましたぞー!!」祐喜にとっては、否……三人にとっては聞き捨てならない言葉が校舎のどこかから聞こえてきた。
雅彦が騒がしいのは彼らの中ではわりといつもの事だが、今回ばかりはスルーする訳にもいくまい。
息を潜め、よーく耳を澄まして声の出処を探ると、ギャンギャン喚く声はどうやら二階から響いているようだ。

「えっ、あっ、姫君っ!? なぜボクに背を向けるのですっ!? な、待っ、あ゛あー!!」
「……逃げたな」
「逃げられましたわね……」
「逃げたくなる気持ちは分かるよ……」

同い年の男に舐めまわされたくは無いもんな。
まして名前は女子だし、と聞こえてくる声だけで状況を把握した祐喜たち。
「赤鬼ー! なにボサッと突っ立ってるんだ追えー!」「はいい!!」とパシリ的な会話も聞こえてくるあたり、分担するとき首根っこを掴まれて引きずられていった紅もあれからちゃんと雅彦と行動していたらしい。
祐喜たちも後手を踏んではいられない。
パンッ、と自身の拳を左手で受け止めた咲羽は競争心を唆されたのか好戦的にほくそ笑み、心なしかワクワクと弾んでいる声色で全体を差配する。

「うっし。これ以上、姫君にちょこまかと逃げられる前にオレらも動くぞ! 雪代は窓の外から、祐喜は中央階段から、オレは教員用の西階段から挟み込む」
「今以上の強固な包囲網だな」
「そろそろケリつけねえとオレらの顔も立たねえし。長丁場になるのはもっっと御免だ。だからお前もしっかりケジメ、つけろよ」
「わかってる。もう、逃げないよ。」

毅然とした眼差しで言い放った祐喜の姿に咲羽は瞠目したが、祐喜の後ろに控えていた雪代が微笑んでいることから、彼女が何か言って導いたんだと直感する。
咲羽を見つめる祐喜の瞳に迷いは生じていない。昼は不承不承といった心構えだったのにどんな心境の変化があったのか、なんて一目瞭然だった。この様子だと、自己の押し問答に対する解答を見出したのだろう。
──余計なお世話、だったか。
申し分ない応えに「上等だ」と咲羽が頷き返し、三人は直ちにその場で解散して指示通りに各自動いた。

先ず雪代が窓の外で飛行しながら名前を見つけ、一階に降りたとジェスチャーで祐喜に伝達する。了解、という意を親指立てて示唆し、二階に降りた祐喜はそのまま大急ぎで階段を駆け下りる。
今のところ滞りなく作戦が進んでいることに妙だなと思いつつも空を確認したら、トラブル吸引体質に引き寄せられたボールは雪代が全てなぎ払ってくれているようだった。
感謝してもしきれない。全面バックアップしてくれる彼女の存在に頼もしさを感じつつ、祐喜は協力してくれた友人たちの想いを無碍にしないためにも走る、走る。
そして最初に再会した時、撥ねつけてしまった温もりをまた掴むんだ。
────大きくなったこの、手で!

「 名前っ!!」

特徴的な薄桃色の髪。大き過ぎず、かといって小さくもない平均的な身長に、凛と綺麗に伸ばされた背筋。
──ああ、やっときみを見つけられた。一日千秋の思いで待ちかねていた、幼馴染みとの再会。いや、実質には学園に来てから二度目の対面となるが、自身の蟠りが吹っ切れた祐喜には、まさしく待望の再会だったと言えるだろう。しかし探されていた側である当の本人は、脇目も振らず気分上々に駆け寄ってくる祐喜の姿をひと目見てサッと顔色を変えた。

「……祐喜? だめ、そこは慎重に歩かないとっ」
「え?」

カチッ。名前の忠告の声とともに軽やかなスイッチ音を耳にしたのは、祐喜が(何かを踏んだ)と足元にある違和感を認識したのと同時だった。
恐る恐る自身の足に視線を下ろす。見れば祐喜の右足が踏んでいる床の一部がへこんでいて、周りの床とは明らかに違う細工を施されていることが判明した。
少々距離のある所で名前が「あちゃあ……」と頭を抱えている。え、なにこれ、もしかして?
そんなありきたりな言葉が羅列として脳裏に連ねるも、導出される答えはひとつだけ。
もしかして、もしかしなくても。

「っうわーー!! ナニコレー!!?」

必ずしも体質に引き寄せられるトラブルがボールだけとは限らないのだった。
真っ二つに開いた天井から落ちてきた霞網に絡め取られた祐喜は、まさか一人で網を振り切れるはずもなく、まんまと罠にかかって喚き立てる。(こんなのありかよー!?)と自身の不運さを呪いたくなったが、いやそもそも呪われてるから不運なんだったと我に返った。
わたわたと慌てるほど胴体に絡まってゆく網目。
どうすりゃいいんだと半泣きになりながら解決法に行き詰まった時、救いの手が目の前に差し伸べられた。

「これ、専科が家畜用に仕掛けたトラップなの。注意を払って歩かないと皆引っかかるのよ」
「家畜?! そんなの校舎内をほっつき歩いてんの!?」
「あ。間違えた、人体実験用だった」
「もっと物騒な響きなんですけどー!」

専門知識修得科。通称「専科」と呼ばれるこの学科は、呪術師や薬師の血を引く生徒が多く、普段どんな授業を受けているかなど全てが謎に包まれた学科である。
専門知識、とは一概に言っても、それが後ろ暗いものなのか、それとも人の役に立つ知識なのかは一切の不明。だがこうして校舎内にトラップを仕掛けるなど目立った行為(?)も多いため、ちょくちょく被害にあった生徒からクレームが届くのだと名前は話す。
語りながら彼女の手が祐喜に絡まった網を丁寧に解いていってるのを見て、祐喜は裏で胸を撫で下ろした。一人じゃなくて良かった。出れる。
同じ目に遭った生徒たちに同情の念を寄せながら、真剣な表情で手元に集中する名前を見上げる。

「雅彦も同じ罠に引っかかってたよ」
「それであんな騒いでたのか」

「あ゛あー!!」って叫んでた時だろうか。確かにその時、何かに押し潰されたような音はしていた。が、すぐ後に雅彦の声が聞こえてきたので、無事だと思って様子は見に行かなかったと話すと名前は可笑しそうにクスクスと笑った。彼女はその現場を見ただろうに放置してきたのだから、なかなか良い性格をしていると窺える。
けれど、……そう。祐喜が見たかったのは、この笑顔だ。曇りのない、見てるだけで力が湧くような、花のかんばせ。数日前に分かれた時、彼女の顔は悲痛を孕むものだったから今の調子に安心して、……ほんの少し、切なくなった。

(だって、ずっと、会いたかったんだ)
疫病神ではなく、自分のことを「友達」だと胸張って言ってくれた彼女を。彼女の面影を、声を、ずっと追い求め、彷徨ってきた。降り積もる悲しみを、孤独を抱えながら、名前の笑顔を思い浮かべて必死に寂しさから目を逸らしてきた。
でもそれは、

「祐喜、……ごめん、ね、」

名前も同じだったと、自惚れてもいいのだろうか。
網を解く手は、細細と震えていた。

「本当に、心の底から会いたかったの。でも、抗えきれなかった自分が許せなくて、悔しくて、……合わせる顔が無いとも思ってた」

「やだ! いきたくない! ここにいる!」戌の家から迎えに来た大人の獣基たちの手を振り払って、何がなんでもこの家を、おばあちゃんが遺した家を守ると泣き喚いた、遠いあの日。
「あなたの為なのです」と諭されても全然嬉しくなんか無かった。「ひとりでは寂しいでしょう?」と揺さぶられても、ひとりじゃないと言い張った。
祖母は逝ってしまったけれど、自分には祐喜がいる。大切な幼馴染み、大切な友達。あの子をひとりぼっちには出来ないの、そう庇護欲に突き動かされて、頭を振り続けた。
しかし結局、大人の力の前では子供の抵抗なんて無に等しい。暴れる体をあっさりと押さえつけられ、車に乗せられた。そしてその後、新しい家族に歓迎されて、その環にすっかり溶け込んでしまった自分が恨めしかった。祐喜をひとりぼっちには出来ないなんて、どの口が言えるの、と。
矛盾している言動に胸焼けがして、自己嫌悪感が常に心の根底に息づいていた。

だから名前は自ら壁を作った。
祐喜のことも重ね重ね口に出して、置いていってしまった事実を忘れないように自分を戒めた。寒さも、怖さも、寂しさも、共有してるものは同じだよって、同じ風景を同じ目線で見れなくても、同じものを離れていても感じたかった。
そうすることで、彼女は後ろめたさを紛らわせていた。勝手に償いだと名目をつけて、獣基たちとも適度の距離を保って接して、進んで祐喜と同じ″ひとりぼっち″になりたがった。

「祐喜との思い出が他に上書きされるくらいなら、ひとりで良いと思った。ひとりが良いと思ってたの。だけど、ここは、あったかくて……」

名前をここまで育ててくれた叔母さん夫婦も、「守る」と言ってそばに仕えてくれた雪代や雅彦、咲羽も、美化委員と生徒会の仲間たちも、みんな名前に優しかった。みんな彼女の心に寄り添うように、ただ見守ってくれていた。
生まれ育った故郷を出て、初めて祖母と幼馴染み以外の温もりを知った。どんなに意地で突っぱねても、雪代たちが与えてくれる情愛は心地よかったのだ。

「……うん。オレも。ここに来て、雪代たちと友達になって、その気持ちが痛いほど分かるようになったよ。──ここは、すっごく」

泣きたくなるほど、あったかいな。
そう噛み締めるように囁かれた言葉に、名前は俯きがちに、けれどコクリと頷いた。
祐喜の体質のことをとやかく言って、爪弾きにする者は一人もいない。恫喝怒号を浴びせる者も、嫌忌に歪む眼差しを向ける者も、誰も。授業が中断されることに反抗する者は居ても、祐喜の存在そのものを否定したりはしない。それは祐喜にとってとても擽ったくて、奇跡のようなことで、でも疑いようもなく本当のことだから。
自分に自信を、持てるようになった。そして、名前の気持ちを慮ってやれるくらい。

「なぁ名前。オレは、──オレも、ずっと名前に会いたかったよ。会えてスッゲー嬉しい」

一歩前進できた、気がするんだ。
(本当はこれを伝えたかった。)
面映ゆくなりながらも、ハッキリと正面から言いたかったことを素直にぶつけた。
言葉を飾るなんて見栄っ張りなことはしない。回りくどく言ったって自分たちは、またすれ違うだけ。
なら、ありのまま本音を伝えよう。そうじゃなきゃ、名前の心を溶かすことは難しいと思うから。

「オレも、戒めてたんだ。名前が離れたのは、オレが自分本位な考えしかしてなかったからなんだって。だから、神様がオレたちを引き剥がしたんだって。これに懲りたらもう友達なんか作るなっていうお達しなのかなって、そう思い込んでた」
「そんなの、」
「でも違ったんだな。オレたちは、あまりにも狭い世界に居たから。自分たちの世界を創造してしまっていたから。その世界に閉じ籠もるなって、神様が告げてたんだな」

外の世界は、こんなにも眩しくて、こんなにも爛々と輝いている。引きこもってちゃ勿体無い。
見て、触れて、感じて。いろんなことを吸収して、成長しなければ衰退の一途を辿るだけだ。
名前にはもう、一人で味わう寒さも怖さも寂しさも、感じさせたくないけれど。祐喜ももちろん、あの絶望の淵に落とされたくは無いけれど。
────それでも、

「……こんな姿じゃカッコつかないけどさ」
「?」

やっぱりきみとふたりなら、
どんな絶望的な状況に置かれても、希望の光を見いだせるって勇気を絞り出せると思うんだ。

「オレと、友達になってくれませんか」
「……。何、言ってるの」

震えているのを懸命にひた隠しているような声だった。やはり、今さらこんなことを言うのは卑怯だろうか。虫が良すぎるだろうか。あんなに大きな声で怒ってしまったんだ、もうそんな乱暴な人とは友達になれない、とか……。
数日前の出来事を想起しては沈み込む。
網は依然として祐喜の体に絡まったまま。けれど網目から抜けだしていた右手が、そっと柔らかい手のひらに包まれた。

「 祐喜は、今も、昔も、私の友達でしょ」

「おれは、なんだろう……?」「わたしのともだちでしょ」今も色褪せない思い出の中、交わした会話が蘇った。その刹那、祐喜の鼻の奥がつーんと痛くなって、目が、急激な熱さを帯びる。
彼女ほど自分を喜ばせるのが上手い人物は居ないだろう。名前が発する一言で祐喜は簡単に落ち込んだり、浮足立ったり、多種多様な情動を覚えさせられる。
けどそれは、決して疎ましいものでは無くて。

「……っありがとう……名前……」
「……こちらこそ。見つけてくれて、ありがとう」

名前の手を、ぎゅっと握り返した。
一度は離れてしまった手。幼い頃から焦がれていた温もりに触れることが出来て、余韻に浸るように名前の手に縋り付く。彼女はそんな祐喜の様子に困ったように眉尻を下げていたが、その頬はほんのり赤く色づいていた。

「姫君ー! 祐喜殿ー!!」
「雅彦! みんなも合流したんだな」
「途中、犬を回収しに行ってたらすっかり遅くなっちまった。で、お前らは……」

仲直り、したんだな。と繋がれた手を見て、咲羽がニッと笑った。次いで網にかかったままの祐喜に、雪代と紅が慌てて駆け寄ってトラップの解除に力を注ぐ。拗れた網目を解すのは時間がかかると思われたが、そう経たないうちに焦れた雅彦が網を引き千切って祐喜は救出された。
「心配、かけたな」、苦笑しながら咲羽から差し出された手を取って立ち上がった。
その間も名前の手を離すことは無く、咲羽がじっと二人の手を見つめることで祐喜はようやく夢心地から覚めた。なんだか離したほうがいい気がして、それとなく繋いでいた手を離す。すると彼は目を逸らし、紅のほうを見やった。

「始めてくれ。くれぐれも、うちの姫君に変なことはすんなよ?」
「し、しないよっ」
「……? あなたは……?」

紹介もなしにいきなり矢面に立たされた紅を、怪訝そうに見つめる名前。そういえば名前は彼女自身の呪いのことを聞かされているのだろうか? と、祐喜は首を捻ったけれど、雅彦の親戚に引き取られたのだから、おそらく把握している可能性が高いと思って口を挟まなかった。
だが、祐喜の手の甲にある呪いの痣は、名前の手には見当たらない。ならどこに口付けをして呪いを解くのだろう? 疑問は尽きないが、またじきに咲羽の念押しの意味を知ることとなった。

「あなたが当代の赤鬼さん?」
「うん。暮内紅だよ。名前ちゃん」
「そう……。なら、えと、お願いします」

神妙に頷いて、名前はカッターシャツの第二ボタンを外し、痣をさらけ出した。名前の鎖骨辺りに色濃く浮かび上がっているそれは、桃の形を象っている祐喜と同じもの。
(そんなとこに……?!)と絶句している祐喜など露知らず、紅は身をかがめ、やや躊躇いがちに痣の上に唇を落とした。
程なくしてポゥ、と色が変わった痣を見て、紅は肩の力を抜き微笑んだ。

「ボクとも、友達になってくれる?」
「──もちろん。」
「よかった」
「……って、良くねええ!! なんで二人とも冷静に会話してんの?!」

「見てるこっちが恥ずかしいわ!!」とその言葉通り真っ赤な顔で鋭く突っ込んだ祐喜。
初対面にもかかわらず鎖骨にキス。呪いを解くためとは云え、いささか目のやり場に困る。だが反応に困っていたのは名前も同じで、「私だって恥ずかしいよ!」と反論。自分からシャツのボタンを外して鎖骨にキスさせるなんて、痴女だと誤解され兼ねない。まして紅は芸能科でもトップのモデルなのだ、綺麗な顔が自分に近づくのは心臓に悪い。

「ま、何はともあれ一件落着ってことで」
「わ、」
「そろそろ姫君から離れろよ赤鬼さん?」

近い距離にあった二人の間に咲羽が強引に割り入ったかと思うと、彼は素早く名前の肩を自身に引き寄せ、またあの薄ら笑いを浮かべた。名前と握手をしていた紅の腕は咲羽によって掴まれ、その掴まれた腕からはミシリと不吉な音がする。
結構な力が込められてるのだろう、被害者である紅は赤べこのように首を揺らし、何度も頷いた。

「姫様」
「……雪代?」
「赤鬼攻略、おめでとうございます」

ふわりと笑んだ雪代に、未だ咲羽の片腕に動きを制されたままの名前は「……ありがとう」と微笑みかえす。祐喜との距離感について相談を受けた日から、彼女と喋るのもなんとなく気まずかったけれど、もうそんな懸念は必要ない。
名前も、雪代も、祐喜との距離の縮め方はそれぞれ違うと理解したから。

「っの、咲羽ー!! いい加減はなれろ!」
「オレはいーんだよオレは」
「は! な! れ! ろ!」
「うるさい」

腕は片腕しか使えないからか、楯突く雅彦には蹴りが飛んでいった。「……いつもこんなんなのか?」と祐喜が呆れ混じりに問いかければ、名前は頷く。なるほど、確かにこれじゃあ距離を保とうとしても、彼らは名前を放っておかないだろう。雅彦は祐喜に対してもこうなので除外として、咲羽まで名前にべったりだったとは。
何か理由があるのだろうか?
この時、雅彦から威嚇を食らった紅から助けを求められたので、一瞬だけ脳裏に過った不審な点が有耶無耶になってしまった祐喜はまだ知ることのなかった。

退鬼師の姉姫と、歴代の申が抱えてきた因果。執念。ふたりに課せられた、業の重み。
咲羽と名前を囚える柵がどんなものかなんて、予想すらしていなかった。
ALICE+