……内々に潜んで息をしていた、
本当に、ひっそりと芽吹いた恋心だった。思えばそれは、憧れに等しい感情だったのかもしれないけれど、決して自分にとって紛い物なんかでは無く。
私は確かに、恋をしていたんだ。

必要以上、他人とは深く関わりを持とうとはせずに女の子からの黄色い声も素知らぬフリしてやり過ごす。
休み時間は常に本を読んでいるか音楽を聴きながら暇を潰していて、たまに與儀くん達と話している姿は目にするけど、それ以外では徹底して周りの群れに自ら属そうとはせず、一匹狼を貫いていた男の子。
長い睫毛に縁取られたつり目な瞳はふざけてはしゃぐ男子を見ては「馬鹿じゃねーの」とでも言いたげで、話を振られたってニコリともしないで、適当に相槌を打って怠そうな雰囲気は終始崩さず。興味も無いという関心の薄さがありありと滲み出ていた。
失礼だけど、その時点から単刀直入に言ってしまえば無気力、冷めてる人なんだなぁっていう淡々とした印象を受けた。

でもあくまで私の見解だけど不人情、という訳では無いんだと思う。そりゃ自信あるかって訊かれたら私には彼とそこまで親しいってほど接点が無いから断言は出来ないけど、ただ、うーん……。何て言えば良いのやら。
彼は一度、自分のテリトリーに入れたというか、入ることを認めた人にはとても優しい、んじゃないだろうか。扱いは投げ遣りではあるけども、「どうしても」って頼られたら実はスゴく押しに弱いんじゃないかな。
ごく稀に会話するようになってからそう言ったら本人には「買い被りすぎじゃねキモ」って鼻で笑われたけど、彼はお人好しの部類に含まれても今となってはすんなり納得出来るし、その方がしっくりくる。

もっとも、生憎そんな一面に気が付くまで時間を要してしまって、私は最初、彼のことを意図的に避けてさえいたのだけれど。
向けられた好意には好意を抱くように、纏わりつく嫌悪には苦手意識のようなものが自然と根付く。つまり、私は花礫くんが私のことをあまり良く思っていない事を察して、私自身も傷付くことは無いように遠ざけてたんだ。

まあ結局、彼のさりげない温かみのある微笑に目を奪われて? 心までもあっという間に掻っ攫われてしまったワケですが。
自分のありのままの本心に気付いてからは相対性理論、って事には当てはまらないんだろうけど、まるで花礫くんの周りだけ時間が遅れてゆったりと流れているみたいだった。
ほんの些細な動作さえいちいち夢中で目で追って、網膜に焼き付けられて。
夜寝るときとか目を綴じたら鮮明に彼の仕草や存在が目蓋の裏に蘇って、ついにやけちゃったりとかそのまま悶々として寝れなくなっちゃったりとか。……って言ったらなんか私が変態じみて聞こえるけど違う。どうしようもなく痛い子には見えるんだろうなって反省はしてます。

だけどね、この恋心を花礫くんに伝える気なんて更々無かったんだ。
放課後の教室での出来事を境に何故か私達の蟠りは打ち解けたような感じはして普通に話すようにもなったけど、花礫くんが私のことをそういう対象どころか友人として見てくれているのか危うい上に、何より私の厄介な体質みたいな症状が問題だった。
ちょっと触れられただけでも過剰に反応しちゃうなんて、こんなのバレたら気持ち悪いと思われるんじゃないかって私は家族以外の誰にも相談することは出来なかった。
というか周囲に、特に男子にはバレないように注意するんだぞと父と兄それぞれから念入りに釘を差されていた。

「男子高校生なんて思春期真っ盛りだ! エロ本とかエロゲーとか親に隠れて見てるしやってる年代なんだ!! そんなエロに飢えた奴らにこの上なく極上なエモノもとい事実を教えてみろ! 自分から襲ってくださいって言ってるようなモンだぞふざけんな!!」

朧気だけど、おおよそこんな感じの内容だった。凄まじい勢いで一斉にまくし立てられて正直ドン引きだった。心配してくれるのは有難いけど、妙に実感籠った口調だったから説得力があって流石に少し怖かった。
よって、上記の複雑な理由から、私は花礫くんとこれ以上親密な関係になるつもりは無かった。
せめて高望みしても良いなら友人くらいにはなりたいけど、更に上を目指すことはない。付かず離れず、卒業したらお互いの道を志して歩んでいって、将来「ああ、そういえばこんなヤツも居たっけ」程度に時々思い出してくれるだけの存在で居れれば私はもう満足だった。
なのに、

「オイ、逃げ腰になってんぞビビんな」
「ビビるし逃げたくもなるよ!」

お父さん、お兄ちゃん。とうとう言い付けを破ってしまってごめんなさい。
バレた挙げ句、自分の口から洗いざらい白状させられて、現に私は追い込まれてます。
──他でもない、好きな人の手によって。

「いつまでもそんなんじゃ、治せるモンも治せねーだろうが……。別にとって食おうってワケじゃねえんだし、ンな構えんなよ」
「う……重々承知してはいるんだけど、いざとなると長年のクセが抜けないと言うか、なんと言うか……ってちょっと待ったどさくさに紛れて耳触ろうとしない!!」

そーっと忍び寄ってきた手に目敏く気付いてすかさずペシリと弾けばしくった、と言わんばかりに鳴らされる盛大な舌打ち。あからさまに不服そうな面持ちを見せる相手の姿にまったく油断も隙もあったもんじゃないと慄きつつ、先ほど耳を這いずり回った花礫くんの生々しい舌の感触を思い出して見る見るうちに顔面に熱が集中した。
花礫くんに奢って貰った手のひらの中に収まるココアはとっくに温くなっている。今はきっと私の顔の方が遥かに熱いだろうと憶測して、火照りを誤魔化す為にココアの入ったペットボトルを頬に当てた。
案の定、自販機から取り出されて大分時間の経ったそれは私の体温より僅かだけ冷たい。けどその冷たさが心臓が破裂しそうなくらい頭がこんがらがっている私には、余熱を抑えてくれる適した温度だった。

「なに、さみぃの?」
「あー……。うん、少し肌寒くて」
「マフラーとかまだ持って来てねぇしな……寒さ凌ぎにどっか入る? 近くにファーストフード店とかあったハズだし」
「ううん、ここで大丈夫」
「頬赤くなるほど寒いんじゃねーの?」
「……いや、これはその、寒いから赤いわけじゃなくて、元々こんな顔で……」
「……なんてな。ハッキリ言えよ」

さっきのヤツ、思い出してたんだって。
ふと口籠って花礫くんから神経を逸らした瞬間を狙われた。
一気に間合いを詰めて、耳元で囁くように吹き込まれた言葉に大袈裟なほど肩が跳ねる。
色っぽい声にびっくりしたってのもあったけど、私は彼がすっとぼけながらも本当は図星を鋭く見抜いていたことに思わず口を結んでしまって。どんなにはぐらかそうと子供騙しな嘘を並べても花礫くんには通用しないのだった。

無言は肯定。暗黙の了解みたいな空気が漂い私が気まずげに目線を泳がせていれば、聡い花礫くんは把握したようでニィと楽しそうに口角を上げた。
直ちに嫌な予感が脊髄から脳に駆けて迸るが、ものの数秒で看破されて機先を制され身動きが取れない。
ベンチに腰掛けていた私に対して立って話を聞いていた花礫くんは即座に尻尾を巻こうとした私を閉じ込めるようにベンチの背凭れに両手を着いて、壁ドンならぬベンチドンの状況に陥った。世の女の子からすれば夢のようなシチュエーションだが自分の於かれた立場からすれば非常に芳しくない状態である。手放しでは喜べない。
鼻腔を掠めた彼の匂いにクラクラと眩暈がしそうだ。動悸だって激しい。
だってこんな至近距離、今まで微妙な距離を保っていた私たちならあり得なかったのに。

「……耳だけが敏感ってんじゃねえよな。他に触られて弱いトコは?」
「そんなの……わかんな、いよ」
「自分の身体なのに分かんねーワケ?」
「言っとくけど、自分で触ったらこんな風にはならないんだから……!」
「へえ……んじゃ、ひとつひとつ丹念に探ってくしか無いってことか」

自分で自分の首を締めるようなことを発言した、とうっかり墓穴を掘ってしまった事に後悔したのは舌舐めずりして目付きが変わった花礫くんを直視してからだった。歴然とした熱を孕んだ黒い双眸が彼の攻勢に怯む私を真っ直ぐに射抜く。
脇目も振らず、微かに汗ばんだ手のひらが背凭れから離れてこちらに向かって伸びてきた。
どことなく遠慮がちに、しかし明確な意図を帯びて花礫くんの指が私の指と絡まりギュッと握られる。
まるで恋人同士のような戯れに、治まっていた筈の昂りはまた猛烈な勢いで加熱して、こういったことには経験が浅いというか疎い私はどう応えれば良いのかなんて、てんで判らなかったから成されるがまま彼に身を委ねていた。
次第に込み上げてくる擽ったさとは似て非なる感覚に身体が芯から震えて、意地でも花礫くんには勘繰られないように瞳を綴じてひたすらに堪える。でも彼は、そんな私のやせ我慢すら見逃してはくれなかった。

「……感じる?」
「っ……う、ん」
「全身性感帯っつーのもややこしいな……。どっから手付けりゃ良いのか……」
「……ねえ花礫くん、やっぱり荒療治なんて止めに……」
「ったく、お前も往生際わりーな。何回も腹括れっつったろ。ここまで根掘り葉掘り訊いといて後は頑張れよ、とか傍観決め込むほど俺も鬼ではねえつもりだし」

……果たして花礫くんってこんな良い人だっただろうか。確かにお人好しではあったと思うけどそれは気心の知れた人前提での話であって、よりにもよって友人以下である私に進んで自分からお節介を焼こうとするなんて何か魂胆があるんじゃ無かろうか。
もしかしたら私の体質が改善されたら「協力してやったんだから金払えよ」とか「お前一生俺の下僕な」とかえげつない仕打ちが待ち構えていたりしないだろうか。手を貸して貰っておきながらこんな恩知らずなことを言うのも何だが、相手はあの花礫くんだから必ずしも否定は出来ない。
要するに、彼に貸し一つ作るのは恐れ多い、ということだ。懸念が広がる。
未だ荒療治、という治療法にこれから先何をされるのか尻込みする私に、されど花礫くんは何食わぬ顔で片手は繋いだままもう片方の手で私の髪を一房取った。スルスルと綺麗な指が滑らかに毛先の方へ降りていって、すり抜けたらまた上から梳くの繰り返し。

こそばゆいけれど、心地好い。
おもむろに肩から強張りが解けた時、どうやら気の緩みを見計らっていたらしい花礫くんは次に私の髪を掻き上げて耳の後ろに掛けた。その際掠った爪に息を飲んで、咄嗟に零れそうになったはしたない声は唇を噛んで殺した。
髪を伝って首にたどり着いた手には、やはり耐えられなくて身を縮こまらせたけど。

「……ふ、んン」
「耳と首も、な。後は?」
「し、らな」
「……鎖骨とか?」
「ひぁっ……」

ビンゴ、と呟いた花礫くんは恐らくゲーム感覚で楽しんでいるんだろう。こっちは今にも卒倒しそうなくらい恥ずかしいというのにお気楽なことだ。ズルイ。だけど絡まった指がほどかれて、あっさり遠退いていった控えめなシトラスの香りに「あ……」と知れずもの惜しげな声を出してしまった私はいっそ爆発すれば良い。

「今日はこの辺にしとくか。お前の弱点も何となく掴んだし」
「え……どこ?」
「滅多に他人には触られねーようなトコ」
「……ナルホド」

言われてみれば、耳も首も普段から触られるような所じゃない。指……も若干反応はしたけど、その二箇所ほど大きいものでも無かったし、耐性が付けば案外早く克服出来るかもしれない。

「……ってことは、背中とか太腿も弱そうだよな……むしろソッチのが……」
「 え? 花礫くん何か言った?」
「なにも」

上手く聞き取れなくて訝しげに問いかければ独り言だったらしく、「別に名前が気にするようなことじゃねーよ」と躱された。そう言いくるめられてしまえば、それ以上言及することは憚られて、私も口を閉じる。

「ま、だいたい一ヶ月くらいを目安にして改善出来るかやってみようぜ」

なんだか実験体みたい……。内心そう捻れた心境に駆られる私に、花礫くんは何事もなかったように平然と「ヨロシク、」とだけ言って踵を返した。とてつもない疲労感を背負いながら、私もその後にトボトボと続く。
いっさい先行きの見えない不安。私たちのこの奇妙な関係は、まだ始まったばかり。


潔く腹を括りましょう

(じわりじわりと侵食する毒に抗う術は)
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