真夜中の防波堤 06




06

扉が閉まりシャワーの音が聞こえたのを確認し、スマホの充電口にハッキング用の機械を挿入する。10秒ほどでハッキングは完了した。
財布の中身もとりあえず写真に収め、元に戻す。他になにかあるかとポケットを探す。
つんと指に触れたものをとりあえず取り出すと、一見カードに見えるそこには、小さなマイクロチップが埋め込まれていた。チップつきのカードは薄いビニールに包まれており、ビニールには情報にある密会の日付がマジックで書かれている。


―――これ、多分、いや、90%以上の確率で、証拠品だ。


きっと、風見さんは盗聴マイクの向こうで聞いてくれている。
独り言のように声に出した。


「ありました。撤退します。」

「どこに?」


音声受信マイクは捨てたイヤリングだ。私に届くはずの無い返事が耳に届いた瞬間――物凄い勢いで体は反転し、広すぎるベッドに沈んだ。


「っ―――…!」


声にならない声が空気に溶けて行った。


「いやあ、すっかり騙されてしまったな。」


ひねり上げられた腕の奥のほうからみしりと骨のきしむ音がする。
男の髪の毛からは水滴が落ち、バスローブの前も閉めていないその状態は、どう考えてもシャワーが終わって出てきたようには見えない出で立ちだ。脱衣所から持ってきたのか革のベルトを手にしていた。――バレていた?いつから?


「どうした?だんまりか?さっきまでは威勢がよかったのにな。」

「っ、いつから…」

「ああ、全然気づかなかったよ。シャワーを浴びている途中で、君によかったら飲み物でも頼むよう伝えようと思ってね。そうしたら君が僕のジャケットを探っているのが見えたから。…酷いひとだ。」


完全に太ももの上に乗り上げられている状態のため下半身は使い物にならない。精一杯の抵抗をしてみるが、力では到底かなうわけもなくベルトで両腕をきつく縛りあげられる。――大丈夫、大丈夫。風見さんには聞こえてる。そう言い聞かせ、ドクドクうるさい心臓を鎮める。


「っ痛い!」

「誰に報告したのかな?スマホは使ってなさそうだし…。」


「どこに仕込んでるのかな?」そう言った声と同時に、繊維の切れるブチブチという音が鳴り響く。音のする方を見てみると、胸元のドレスが左右に引きちぎられていた。


「…ここにはなさそうだな。ああー…いいね、怖がってますって顔してる。これ、わかる?」


そう言って見せつけられた裸にバスローブをひっかけただけの恰好をした男の股間は、これでもかというほど張りつめ上を向いていた。ゾワッと背筋が凍る。


「とんだ変態ね。気持ち悪い。触らないで。」

「うん、そのまま喚いていていいよ。どこに通信機があるか見つけられないから…聞かせてあげようね。」


うっとりとした表情を浮かべる目の前の男に愕然とした。信じられない。誰かに…というかこちら側の人間にこの状況が知られているってわかったうえで行為を続行するなんて。無理やりこちらの情報を聞き出されるのかと思っていたが、男は迷わず私のタイトドレスのスカート部分に手をかけ、多少手こずる仕草はあったものの、スリットの根本が腰にくるところまでずるりとたくし上げた。
――風見さん、きっと部屋が分からないんだ。私が部屋番号を言わなかったから。ここで警察として動いてしまったら、この男にも警察が――公安が動いていることがバレてしまう。フロントに調査協力してもらうのが出来ない状況で、割り出しに時間がかかっているのだとしたら…ちらっと時計を見れば、男がシャワーを中断したこともあり15分程度しか経っていない。30分のリミットも、問題なく隣室から動くから長くてもきっちり30分との約束だったのだ。部屋の割り出しが必要な状況下でその時間は有効なのだろうか。…それに、下手に今部屋番号を叫んでしまっては次に誰かが部屋を訪問してくれたとしてもこちらの味方とみなされドアが開くことはないだろう。先ほどのエレベーターでの会話がこちら側に筒抜けになっていることが明確になっていない現状では、このまま黙っているのが得策だった。

頭の中でぐるぐる考えているうちに、プツッと音が鳴り、下半身がところどころ空気に触れる。男の手がストッキングを引きちぎっていた。え、嘘、待って。


「さわん、ないでっ!」

「前戯しないけど、ごめんね。」


ちゅこちゅこと音を立てながら張りつめた自身を手でこすり上げている目の前のこの男は、このまま挿れるつもりだ。いや、それはさすがにキツい。ていうか頭おかしい絶対変な性癖持ってるやだやだやだ無理ほんとに


「ほんっとに、無理!あんたなんか絶対嫌!風見さ―――」


渾身の力を振り絞って名前を呼んだ時、あ、名前言っちゃったと思ったが、そんなことを考える前に独特の警告音が大音量で鳴り響いた。


「――なんだ?」

「この音…火事?」


“火災が発生しました。速やかに避難してください。”


デジタルのアナウンスであろう音声が鳴り響く。にもかかわらず、誤報だろうと言いながら男の指が私のショーツにかかる。こいつ本当に頭おかしい!さすがに一言言ってやろうと思ったが、続くようにビーッとベルが鳴った。
どうやらこれは部屋のインターホンらしく、それに私が気づく前に男の手で口を塞がれる。これが男の下半身をいじっている方の手だったら発狂していただろう。下半身をいじっていた手は仕切り直しというように私のショーツの上に移動し、割れ目を上下になぞりながら行き来している。インターホンを鳴らした来訪者の様子を見ているらしく、今は出る気がないようだ。


「声を出したらこの場で殺す。」

「…。」


風見さんだろうか?まだ部屋に入ってから20分経っていない。とにかく誰でもいい。この弄んでいる指が気持ち悪い。ベルは鳴りやむことなく、ビービーと何度も押されているようだった。音が止んでしまい軽く絶望したが、ドアの向こうからはベルの代わりにドンドンとドアを打ち付ける音が響く。


「お客様!起きていらっしゃいますか!?火災が発生したため、避難を呼びかけております!あと残っていらっしゃるのはこのお部屋のお客様のみでございます!お返事が無いようでしたら、失礼ではございますが、お部屋の中を確かめさせて頂きます!」


「……声を出さず、ここでじっとしていろ。」


和久寺は はあーっと長い溜息をついた後、パンツを履いてバスローブの前を整えてドアに向かった。
――今しかない。腕はベルトで固定されていたがベッドに固定されていたわけではない。勢いをつけて立ち上がり、先程ベッドに沈められたとき取り上げられたマイクロチップ付きのカードをさっと抜きとり、ハッキングしたデータが入っているハンドバッグに押し込んだ。だってもう大丈夫だ。さっきのホテルマンの声は何度も聞いた声だったから。やり遂げたと思ったら急に力が抜け、ベッドのフチに足を引っ掛けよろよろとベッドに逆戻りとなってしまった。


「火事だって?誤報じゃ……!? おい!!勝手に入るな!!」


バン!と大きな音を立てて部屋に入ってきたのは、声の主である、風見さんだった。


「お客様、これは――」


時間が無かったので襲われたまま恰好を正していなかったが、逆に良かった。
明らかにうろたえる和久寺が風見さんのあとを追って部屋に入ってきていた。


「いや、これは――そ、そんなことより避難が必要なんだろう?すぐ準備する。」

「お言葉ですがお客様、この女性とあなたを一緒にお連れするわけにはいきません。」

「なんだと!?ホテルマンの分際で…!これは、…っこういうプレイだったんだ。他人が口出しするな!さあ名前さん、」

「私以外にもう一人スタッフを連れております。お客様はそちらのスタッフの指示に従い避難してください。」

「さあ、まだ火の手が上がってからそう経っていません。外に出て頂きますので、早くこれを。」


その声を待っていたかのように後ろから声を発したのは同期の田中のものだった。風見さんと同じくホテルマンに変装しているのだろうが、その姿は風見さんが私を隠すように立ちはだかっているせいで、見ることは出来なかった。きっと、バスローブの和久寺に着替えを渡しているのだろう。


「いや、この女から目を離すわけにはいかない。連れて行く!」

「お客様、避難場所は一緒です。事情は分かりませんが、この状態を見てしまった以上、私どもも見過ごせません。お話になるなら避難場所で。それとも、私どもより――警察の介入が必要でしょうか?」


その風見さんの言葉に、ぐっと押し黙った和久寺は、「逃げたら容赦しないからな。」と吐き捨てて田中と一緒に部屋を出て行ったらしい。しん、と無音の空間が出来上がった。
はあ、と吐き出した息は、自分自身で思っているより震えていた。





- 6 -

*前次#


ページ: