薬を飲みこんだ女は、意地でも吐き出そうとしなかった。
女は知っていた。男も疑われていることを。それに気づいたから、自ら薬を飲んだのだ。

――俺は、彼女がNOCであるという仮定に、少なからず自信があった。
一緒に任務についても、任務こそ完璧にこなす彼女が遺体に向ける視線は痛ましかった。誰かの命を奪った時、こっそり花を摘んでいる彼女を知っていた。彼女はそれを俺が知っていることを知らないが。
もちろん彼女をNOCと断定する理由はそんな曖昧なものだけではなかったが、自分の直感がそう告げていた。

そんな彼女を始末しろとウォッカが自分に指示をしたのは、ウォッカが運転する車が倉庫のある港に着いたころだった。渡されたペットボトルにピルケース。どんな薬か聞きたいか?と問われる。聞きたいと言ったらどうなったのだろう。興味が無いと一蹴し指示された倉庫に向かう。携帯に簡単な文章を打ち込むわずかな時間だけで目的地にはついてしまった。もちろん彼女を逃がす策を練る時間もなにもありはしなかった。ウォッカは終わるまで外で見張っているのだろうか?それすらも分からないまま。

倉庫に一人佇む彼女はわずかに驚いた顔をしていた。
倉庫に来た人間が予想外だったのだろう。状況を冷静に受け入れているのか、彼女は驚くほど慌てることなく俺の動向を見守っていた。そして俺がNOCだと知った彼女が選んだのが、自らの死だった。薬を飲んだ彼女がピクリとも動かなくなった頃、携帯が震える。


“乗ってきた車は置いてある。”


部下が迎えに来たのだろう。すでにウォッカはその場から撤退したようだった。

このままこの場に彼女を放置するのは憚られた。
せめて綺麗な状態で遺体を処理しようと彼女に触れると、その体は人体において触ったことがない熱を帯びていた。冷たいより幾分かマシだ。微かな可能性を感じ、即座に彼女を持ち上げた。後部座席に彼女を投げるように入れ、自分も運転席に乗り込みシートベルトを締める。
心当たりのある医者に連絡を取り今から行く旨を伝えていたその時だった。


「はあ、あ、――ッうぁあ!」


苦しそうに声を上げた彼女をバックミラー越しに確認すると、その体からは湯気のようなものがあがっており、後部座席の窓を曇らせていた。


「おい、しっかりしろ!」

「――ッう!」


ビクッとひときわ大きく跳ねた体が、そのままへたりと座席に沈んだのが、バックミラー越しに視界に入る。
いったん道路わきに停車させ慌てて後部座席のドアを開けると、そこに成人女性の姿は無くなっていた。



――自分は、夢でも見ているのだろうか?



成人女性の代わりに、シャツの中に包まれるように佇む幼い子――幼いどころか赤子のように小さい少女に言葉も出なかった。
シンとした痛いほどの静寂だけが二人の間に広がっている。ゆっくりと瞬きをしてみたが変わることのない景色。しかしそこには先ほどまで確かに彼女が存在していたと主張するように、衣服は抜け殻のように彼女の体の部位にそって落ちていた。今の少女のサイズに全く合っていないヒールがカツンと音を立てて開いたドアから道路に滑り落ちる。

言葉を発することができないまま、そのヒールを拾い上げる。女の靴を拾い上げたのは初めてだった。自分より一回りも二回りも小さなヒールには確かに体温らしき温度が残っていた。


「…ベレッタ?」


呼びかけるも返事はない。


そっと体に触れてみるが、抱え上げたときの異常な体温は感じられず、通常の人間の体温くらいの印象だった。揺すってみるが起きる気配はない。
先ほどまで彼女がここにいて、溶けた気配もなければ誰かが入れ替えることなども不可能な状況だ。信じられない。信じがたいが、信じるしかない現実が目の前には広がっている。昔からオカルトは信じていない方だった。もとより自分の目で見たことしか信じられない性分だ。でも今はどうだ。目の前で起きたこの現状は。


よく見ると小さな少女には、彼女の面影がある。


このまま放置するわけにはいかない。とりあえずうまいこと彼女の服に包まっている少女をそのままに、目的地は変えず病院に向かうことにした。彼女が彼女であるならば、組織の薬を服用したことは事実だった。もちろん表の病院に連れて行くわけにもいかず、個人でつながりのある医師のもとへ。



ぽつんと佇む一軒家に見えるここが、目的地の病院である。
事前に連絡をしていたため準備を整えていたらしく、そこからは初老と見える医師が顔をだした。


「……電話では女性と聞いていたんだが。」

「……女は女だろう。」


ワケあり人を診察することが主な医師である。それきりとやかく聞かれることはなかった。
――結果としては検査のため数日入院をさせるということである。
なぜ用意されているのかは知らないが、ベレッタには小さな子供用とみられる病院服が着せてあった。


「退院の時は、きちんと洋服を持ってくるように。」

「なんだと?」

「当たり前だろう。病院服は病院で着るものだ。全裸で連れ歩いて日本の警察に捕まりたいのか?」


まさか自分が子供服を買いに?信じられない。意味が分からない。
そう頭では思ったが、全裸で連れ歩く自分の姿のほうが信じられない。こんな時にジョディがいればと舌打ちした。残念ながら今回一緒に組織に潜入しているキャメルはこういったことには使えそうにない。
時計を確認すると、とても店が開いている時間ではなく。明後日は大きな仕事――ジンとの仕事が入っている。となれば明日しか時間はない。代行してくれそうな女を今から探すのも面倒になり、あきらめて帰路につくことに決めた。
このまま彼女の様子を近くで見ていてもよかったが、医師曰く現状意識の戻る様子はないから帰れとのことだった。目が覚めたらすぐに連絡するよう依頼し病院を出る。



――翌日になっても、医師からの連絡は来ていなかった。
念のため連絡をしてみるが、「目が覚めたら連絡するから何度も同じことを言わせるな。」とうっとおしそうに一蹴されてしまう始末だ。仕方がないので以前より約束していた宮野明美のもとへと足を運んだ。
今日、自分は彼女に本当のことを告げる。そして、明日決着をつけることを。



結果だけ言えば、彼女に親戚に子供服をプレゼントしたい旨を相談すると「一緒に選びに行きたい」と申し出があり、とても助かることにそちらのミッションは難なく終えた。

そしてその後大切な話があると二人きりで話をした。自分がFBIであることを告げ、明日決着をつけることを伝えると、なんと彼女は自分がFBIであることに気づいていた。知っていて自分のそばにいてくれた彼女に言葉が見つからない。彼女に謝らなければいけないと、そう分かっていても言葉が出なかった。――いい。明日、組織の幹部であるジンを捕らえ一気にカタを付ける。そのためにFBIを招集し作戦を練っていた。やっとこぎ着けたジンとの任務だ。失敗は許されない。この時は、またすべてが終わったら彼女にきちんと向き合えばいいとそう思っていた。



彼女とあの場で別れてから、ふらっと寄った病院では小さな少女が目を閉じたまま横たわっていた。
小さな腕には点滴が刺さっており、その姿がなんとなく痛ましく思える。


「…こんなに目を覚まさないもんなのか?」


そう医師に問えば、体の方は特に異常は見られず至って健康体なのだという。あの点滴は栄養を送るものなのだと医師は説明した。


「貴様は信用していないようだがな、目を覚ましたら連絡すると何度言えばわかる?暇なのか?」


アポなしに見舞いに来たことに腹を立てているのか目の前に佇む初老の男はいささか不機嫌にそう言った。
暇なわけがない。だがこちらとしてもただの体調不良の子供を心配して見舞いに来ているわけでもない。目の前で起こったありえない現象の答えを知りたい。そして彼女は一応、自身の命を犠牲にして俺の潔白を示してくれた人間でもある。きちんと説明する義務があるように感じていた。この小さな少女に説明をして、どこまでが通じるのかは不明ではあるが。


「…明日は、目を覚ましたとしても連絡しなくていい。ちょっと予定が立て込んでいてな。連絡されるとまずい。」

「分かった。こちらとしても言わせてもらうが来るならアポを取ってから来いよ。」


そう改めて釘を刺される。
連絡はくるとまずい。
なぜなら明日は決着の日だ。ずっと追っていた組織の幹部である男――ジンとやっとこぎ着けた任務の日で、ここを抑えれば一気に核心へと近づける――はずだった。
最新の注意を払い、待ちに待ったこの日に備えたはずだった。
たったひとつの綻びが、失敗へと繋がることとなる。
――ジンは、組織壊滅へのカギは、手のひらの上から零れ落ちる。


ジンが待ち合わせ場所に来ることはなかった。
任務失敗。その文字がありありと頭に浮かぶ。


なにより喪失感が勝る。
今日ぐらいは、そういった気持ちをもってもいいだろう。すぐに新しい作戦へと動くほど屈強な精神を持ち合わせてはいなかった。それほどに、長い3年間であった。自分が組織の裏切り者であるとバレてしまったのは明白で、地道に築き上げた3年間が塵となった瞬間である。


任務失敗の原因となった部下の謝罪をそこそこに流し、また作戦を考えようと伝えその場から離れる。
なんとなく連絡した先で、昨日と同様不機嫌そうな男の声が聞こえてくる。


「…連絡しろとは言ったがな、まさかこれから来るつもりなのか?」


そういわれて液晶を確認すれば、時刻は深夜を指していた。
それもそのはずだ。夜までジンを待っていた。それでも奴は来なかったが。
起きない眠り姫を見に行くほどの気力が今は無かった。一言医師に詫びると、その返事は予想外のものであった。


「2時間ほど前に目を覚ました。見に来るなら来い。」


車を飛ばして向かった先には、同じようにぽつりと佇む病院と、その先に真っ白な病室。そして今までと違うのは、真っ白なベッドに上半身を起こして座る小さな少女が、ぱちりと大きな目を開きこちらを見ていたことだった。
大きな瞳は先日見たものと瓜二つであり、むしろ別人というのが不自然なほど彼女の面影を残していた。

さて、いったいなんと声をかけたら良いものか。彼女はあの倉庫でこちらを見ていた時と同様、慌てることなくこちらの動向を静かに窺っている様子だった。こんなに奇想天外なことが起こっているというのに冷静すぎる様子に違和感を感じる。部屋に鏡が無いから状況を把握できていないのか、目を覚ましたのが2時間前と言っていたため一通りのリアクションはとったのか謎であるが、予想以上に大人しい様子の彼女にこちらも出方を見失っていた。


「…体調はどうだ?」

「えと、…だれ?」


舌足らずな小さな子供特有の声で紡がれたセリフを噛みしめる。
だれ。誰?Who?俺が誰かって?


「お前…君は、自分が誰か言えるか?」

「んと…なまえ、わかんない。わすれちゃた…ちゃった、かも。たぶん。」


この齢にしてこの文章の構成の仕方はありえない。ということは知能はもとのままなのか?
とりあえず今言えることは…


「どうやら記憶に障害が出ているみたいでな。」


そう後ろのドアから顔を出した医師が告げた言葉が、やけに耳に響いたような気がした。


- こんにちはお嬢さん(赤井視点)