10
昨日は降谷さんと浴びるほど酒を飲んで、久しぶりに酔っぱらってしまった。
最初は苦手だと思っていた降谷さんは、どうやら猫を被っているようでたまに胡散臭い張り付けた笑顔が剥がれる時があった。むしろそちらの彼には好感が持てるな、というのが正直な感想である。お互い良い感じに酔いが回っていたであろう飲みの中盤で乱暴に馬鹿女呼ばわりされた時はなんだか笑ってしまった。そこから眠くなっていつの間にか意識が途切れてしまい記憶は曖昧なわけであるが、なんか男の人の香水のにおいが微かにするなあと目を開けたとき、目の前にイケメンのどアップがあって驚いた。近すぎて最初は何が何やら分からなかったが、褐色の肌に綺麗な蒼い瞳を見て最近見たことがあると気付いた瞬間にすべてが理解でき、咄嗟に衣服を身に着けているかを手だけで確認した。どうやらやらかしてはいないようでひとまず安堵する。
もういい大人なのだ。別にそういったことに罪悪感を感じるほどピュアな心は持ち合わせていないが、彼は幼馴染の上司である。彼の立場もあるだろうし、下手なことはしないほうがいいだろう。
お酒を飲んだら3時間ほどで一度目が覚めてしまうのが何故か昔からの癖で、昨日も昨日でふと4時ごろに自然に目が覚めてしまった。思った以上にスッキリと目が冴えてしまったので二度寝という選択肢を捨て隣を見れば、そこにはあどけない29歳の寝顔があった。いや、どこからどう見ても29歳には見えない男の寝顔だ。
「ふ、寝顔は可愛いのになあ。」
ぽろりと零れた独り言は自分で思ったより機嫌がよく、私が存外今の状況を悪く思っていないことがわかる。私は職業も職業なのであまり自分の家に人を泊めたりはしないのだが、不思議と彼は信頼できる人間だということを直感で感じた。一度自分の身内と認識した人間には必要以上にガードが緩いようで、困っているならば助けたいと思ってしまう。
実は昨日、降谷さんが扉を開けて驚きはしたものの、しっかり彼の乗ってきた車の音は聞き取っていた。この家は外の騒音も遮断しているため直接ではないが、表に設置している監視カメラの音をイヤホンから聞いていたからだ。駐車場として使っているスペースはたまに店の利用者じゃない人も借りに来ることがあるため、なんとなく店の客とは思っていなかった。それもあり多少なりとも彼が来店したときは少し驚いてしまったというわけだ。前回彼の終電が終わる時間を聞いていたし、盛り上がったとはいえ終電が終わる時間まで車で来ていた彼を拘束してしまった申し訳なさも相まって、宿泊を提案した。前回は意地の悪いことを言っていたのに、家まで私を送っておきながら宿泊を渋った彼の様子はどう考えても私のことを案じてくれていたし、なんだかんだでやはり降谷零という男は良識のある人間なのだろう。そもそも、私の信じる風見裕也という男が私に紹介した男なのだ。彼が悪い人間を私のもとへ連れてくるわけがないのだから、当然と言えば当然だった。
そして早起きをして良かったなと思ったのは、洗面所に脱いで置いてあった彼のYシャツの襟の皺を見て、そういえば昨日彼が私を運んでくれた時、思いっきり襟部分を握りしめてしまったかもしれないとじわじわ昨日の記憶が蘇ってきたからだ。…うん、確実に握った。ゆらゆら揺れるのに安定感が足りないと思ったのか思わず彼の首に手をまわし、あろうことか彼Yのシャツの後ろの部分の襟を力いっぱい握った。ぎゅっと寄った皺を見て、時計を見て、また皺を見る。洗濯して乾燥機にかけてアイロンをかける時間は、ある。
なんだかイイ女を演じているようでちょっぴり抵抗があったが、でも彼はきっと今日も警察庁だか警視庁だかに出勤するのだろう。一度家に帰るか帰らないかはわからないが、ヨレヨレのシャツを着る彼を送りだす方が気が引ける。思い立ったら即実行と気合を入れなおし、彼のシャツを洗濯機に突っ込んだ。
結果として彼は申し訳なさそうにしながらも喜んでくれたようだったし、うん、やってよかった。
私もそれなりに満足したし、結果オーライだ。
それにしても、最近自炊はおろかろくに食事をとっていなかったおかげで昨日は随分と酔いが回ってしまった。というのもここ最近はAmberもとい情報屋の方の仕事が立て込んでいたからだ。大体は簡単な依頼ばかりだったためそんなに時間はかからなかったが、とある男からの依頼に思ったより手こずってしまった。たまに依頼を寄こしてきては高額な報酬をいとも簡単に払ってのける、おそらくは裏の人間。一応は上客の一人であるためなるべくは受けるようにはしているが、その中にはとてもじゃないが受けることのできないような依頼もあったりする。彼からの依頼の難易度が高い理由としては、彼曰く自分自身が探り屋として動いているらしく、彼が手こずったり時間のかかりそうなものをこちらに回しているらしい。これは私から聞いたのではなく彼が勝手にこちらに寄こした情報だ。
最初こそ面倒だと思っていたが、彼からの依頼をこなすたびに手ごたえのあるゲームをクリアしたような感覚になり、最近ではちょっとやりがいすら感じてきているのは内緒である。
「バーボン、ね。」
どう考えても本名ではない。それに、このニックネームのつけ方には心当たりがあった。
まだ今より情報屋としての経験が浅く、それでも割と名前が知られてきた頃にコンタクトをとってきた人間。その男も酒のニックネームを名乗り、あろうことか私をプログラマーとして勧誘してきたのだ。道理で情報屋に頼む内容としては的外れだとは思ったのだが、まさかその依頼自体が私のPCスキルを測るためとは当時は気づくことが出来なかった。勧誘というとほのぼのしたものに聞こえるかもしれないが、もはや強制的――というより物理的に引き込まれそうになったあの事件から、私はより自分の周りのセキュリティを徹底的に強化したし、顧客を選ぶようになった。そうして今に至るまでに酒のニックネームを持った人間に何度か当たったことがあるが、私の勘が正しければ彼――バーボンもあの男たちの仲間なのだろう。ちなみにその強制勧誘事件以来、軽くトラウマになった私はジンはもちろん、ジンの入ったお酒は飲んでいない。
こうして引きこもって情報屋の仕事を終えるたび、私は急激にお酒をのんだり運動したりして溜まった淀みを発散したくなる。
昨日十分すぎるほどアルコールは堪能したし、さて次はとプライベート用のスマホに届いたメッセージに目を通す。かわいいお誘いにOKの返事を出したのは今朝早くだ。降谷さんも呆れていたが、私はいい歳をして今から公園にサッカーをしに行くのだった。
▽
「名前さんさあ、バーボンって人に心当たりある?」
飲んでいたア〇エリアスを吹き出しそうになって、ギリギリ耐える。ゴクリと飲み干した音がいやに響いてしまったことにとくにツッコミがない様子からして、目の前の眼鏡の少年は私が返事をするまでこの話を放棄する気は無いようだ。
もちろんこちらとしても顧客情報を漏洩するわけにはいかないので、平静を装う。この眼鏡の少年――江戸川コナンくんは、わたしが情報屋だということを知っている、二人目の人間だった。
「なにそれ。人の名前なの?お酒のことじゃなくて?」
ちょっとわざとらしくなってしまったかもと思ったのは気のせいではなかったようで、コナンくんは「なるほどね〜言えないよね、顧客の情報は。」と言った。質が悪いことこの上ない。こちらだって、コナン君が突如降って湧いたように現れた人間であるというのは調べが上がっているのだ。お互いに弱みを握っている状況だというのに、なぜだかいつもこの少年は強気だった。何故私が情報屋だということがこの少年にバレてしまったのかは、皆様ご存知の彼の推理力を以て割愛させていただこうと思う。
「なによ。なんなの?ていうかコナンくんが首を突っ込んでいいような世界の話じゃないと思うんだけど。きみ、”小学生”なんでしょう?」
「何のことだかボクわかんなーい。」
「あっずるい!」
コナンくんとは普通に友達として知り合っている。日本に帰国してすぐ、初めて赴いた米花町で道に迷っていた私を親切にも案内してくれた少年探偵団の一人だ。そして一緒に遊んだりしていただけなのにいつの間にやらいろいろと暴かれて、ついには仕事のことまで推理されてしまった。仕返しにと彼のこともある程度まで調べ上げ、お互い喧嘩両成敗ということでいろいろありながらもオトモダチというかたちに落ち着いた。私もそこからそれ以上は彼のことを調べたり探ったりはしていないし、だからこそこうして気を許してくれているのだと思う。それにしても、そんなちょっと賢すぎることが不自然なこの少年から、あんな真っ黒な裏の人間のニックネームが出るとは思っていなかった。
「どうやったら君みたいな小学生がそんな真っ黒な人間とつながりを持つのかさっぱり理解できないけど…そのお酒のニックネーム集団のこと、内容次第では渡せる情報もあるかもよ?」
「あ、やっぱり真っ黒なんだ?」
「詳しくは知らないけど多分。ただコナンくんが言ったように探ったことがあるわけじゃなくてただの依頼人ってだけだから、今持ってる情報はほぼ無いに等しいかな。」
「じゃあ大丈夫。ていうか探らないでね、危ないから。」
小さな名探偵くんは、気になったから聞いてきたのだろうに、こちらが情報を持っていないとなるとあっさりと引いてしまった。しかも調べなくてもいいのだという。さすがに小学生から金を巻き上げるほどあくどい商売はしていないのになあ。
そんなことを考えながら、楽しそうに公園を駆け回る少年探偵団たちを見守る。元気いっぱいでなによりだ。誤解のないように補足しておくと、私だってさっきまでは元気に走り回っていた。ただ休憩がてらドリンクを飲みに木陰に避難したところをこの少年に捕まってしまったのだ。
「まあ、コナンくんがいいっていうならいいけど。でも困ったら頼ってよね。友人特別サービスでデート1回で請け負ってあげるから。」
「小学生相手に対価求めるんだ?」
「小学生は対価とか言いませ〜ん。」
そんなまさしく小学生のようなやり取りをしているところに歩美ちゃんからお呼びの声がかかり、この茶番は一時休戦となる。やはり気になるので例のアルコールのニックネームの集団のことを調べてみようかと内心思案していると、まるで心を読んだかのように立ち上がった少年がこちらを向いた。
「ていうか、ニックネームじゃなくてコードネームだから。絶対に首突っ込まないでよね。」
「…はいはい、わかりました〜。」
エスパー少年め。まあでもここまで言うコナンくんの意見を無視してまでズカズカと踏み込むこともないかと思い直し、みんなのもとへと歩く。
元太君がお腹がすいたと騒いでいるのを見て、自然と頬が緩んだ。さすがに運動後のうな重は重たいので、遠慮なく好きに選べるファミレスにでも連れて行ってあげよう。
それを提案すれば素直に喜ぶ子供たちに癒される。ワイワイ話しながらみんなで歩いて移動をする最中、光彦くんが元気に「ここがコナンくんの住んでいるところで、あの毛利探偵事務所です!」と紹介してくれた。見上げればでかでかと窓に毛利探偵の字。主張がエグい。
「これがあの有名な毛利探偵の事務所かあ。」
「あ、ボク蘭ねえちゃんにお昼ご飯いらないって言ってくる。先行っててくれる?」
感嘆の声とともにしげしげと毛利探偵時事務所を見上げていた視線をコナンくんに戻せば、彼はもう走り出していた。待っていようかとも思ったが、元太くんが我慢できないとごねるのでお言葉に甘えて先にお店に向かうことにする。朝早くに起きたことや適度な運動をしたことで、私も気持ちよくお腹がすいていた。
▼
「あれ、コナンくん。」
「…安室さん。」
名前さんがご飯をご馳走してくれるというので蘭に断りを入れ階段を下ったところに、ちょうど1階のポアロから出てきてこちらに声をかける人間にギクリとする。その人物は先ほど公園で話題にあげた人物だった。組織の人間であることは明らかなのに、こちらサイドの人間の疑いのある人物…安室透ことバーボンだ。
「お出かけ?」
「ごはん食べにちょっとね。」
「えっ、一人で?」
こちらに組織の人間であることがバレていることを認識しているはずなのにこの態度。やはり彼は味方なのではという思いが膨らむ。きょとんとした表情に毒を抜かれるが、ふと彼女――名前さんの名前を出すことが躊躇われた。何故かといわれると明確な理由を言葉にはできないが、なんとなくそう思ったのだ。
「少年探偵団のみんなと、だよ。」
「へえ…でも子供たちだけでは危ないのでは?」
「大丈夫、大人もいるから!待たせてるからもう行くね。じゃ!」
半ば振り切るようにそう言ってその場を後にする。
危険な人間にはなるべく関わらせないほうがいいだろう。彼女が情報屋をやっていることを知ったときはそれはもう驚いたが、彼女は比較的善良な仕事しかしていないらしいし、たまに事件を解決するために協力してもらっている。自分としてはこれからも付き合っていきたい人間のうちの一人であるため、彼――バーボンが白か黒かはっきりするまでは彼女の存在を伏せることにした。
何故この短期間で彼女の仕事を暴けたのかというと、暴くも何もどこぞの大学院生がうっかり口を滑らせたことが原因である。もちろん、名前さんにはそのことは言っておらず、推理でたどり着いたと伝えてある。思った以上に口が軽かったその男――沖矢さん曰く、彼女の怒ったところを見たことがないためなるべくなら怒らせたくないということだった。「ボウヤが聞くから答えてしまった。」と言ってのけた沖矢さんもとい赤井さんに勝手に共犯者同盟を結ばされてしまったが、なってしまった以上は仕方がない。共犯者らしく腹をくくろうと決めたのは数週間前のことだった。
なにはともあれ遅れて店につけば、いつも通り3人からは遅いと苦言を呈されてしまった。そんな中、名前さんは楽しそうに笑っている。なにを呑気な、と思ったが、今はとりあえずこのままでいいかと思った。
*哀ちゃんは「私はパス」とのことで阿笠邸にお留守番