どこかで静かにめばえた 後編


名前のお父さんとお母さんは、それからもよく家に来た。最初に会った頃より父さん同士がすごく仲がよくなっていて、仕事の話をする時だけじゃなくて、ただ遊びに来る頻度も多くなっていった。いつも、名前はそれに着いてきていた。

「有一郎くん、この本読んでほしい!」
「ええ、またかよ……」

初めて会った日は兄さんとは一言も喋らなかったけれど、すぐに兄さんとも打ち解けていた。僕と顔と同じだから緊張しなかったんだよ、と後から教えてもらった時は少し複雑な気持ちを覚えた。なんか少し、嫌なのは何でだろう。兄さんはなんだかんだ言って名前を可愛がっているようで、文句を言いながらいつも本を読んであげていた。本当はその本、名前自分で読めるくせに。そんなことを口を尖らせながら思っていた。嫉妬していたんだと思う。僕だけじゃなくて、兄さんにもすごい甘えるようになったから。

そして、名前の両親が商売に行っている間、よく僕の家にいるようになった。僕達と仲良くしているのを見て、安心したらしい。僕たちの家は山奥にあるから、他に同い年くらいの友達がいなかった。「ありがとうね、名前と仲良くしてくれて」よくそう言われた。

「じゃあ明日のお昼には迎えに来るからね。いい子にしているのよ」
「時透さん、よろしくな」

二人が去っていくのを、名前はいつも姿が見えなくなるまで見送りをしていた。「ばいばい!」と元気よく言っていたが、何度かその様子を見ていくと気がついた。ちょっとだけ唇を噛んでいるんだ。きっと、寂しいのを我慢しているんだろう。その反動からか、僕たちの後ろをいつまでも着いてきて離れなかった。僕からしたらすごい可愛かったけれど。それと同時に、守らなきゃ、なんて思いが少しずつ芽生えて行ったのもこの頃だった。

「名前ちゃん、これから木を切りに行くんだ。着いてくるか?」

父さんがそう言うと、名前の顔がぱあっと明るくなったのが分かった。父さんも、名前が寂しそうにしているのに気づいていたんだろう。名前は父さんが切った木を見ながら「すごいね、きれいだねえ」といつもびっくりしていたから、着いていけるのがすごく嬉しそうだった。

「無一郎も来るよな?」
「うん!」
「有一郎は? どうする?」
「いい。俺は母さんのそばに居る」

兄さんは母さんの具合が悪くなるといつも甲斐甲斐しく世話をしていた。僕もやろうとするけれど、「余計なことすんなよ」と睨まれるのであまりできなかった。「いつもありがとう。有一郎は優しいな」父さんの声に兄さんはそっけなく「早く行きなよ」と言っていたけれど、顔を少し赤らめていたから、本当は嬉しかったんだと思う。

「じゃあ着いておいで」

山の奥にいつものように入っていく。初めての名前は、緊張しているように僕の服を掴んできた。「……置いてかないでね」少し不安そうに言ってくる姿が、本当に可愛かった。「名前ちゃんは可愛いなあ。無一郎が守ってあげなきゃダメだぞ」父さんがそう言って笑う。

父さんが木を切っていくのを見ながら、名前はすごく楽しそうにしていた。これの皮をむいて、乾燥させて、綺麗にするんだよ。父さんの話をまるで御伽噺を聞くかのように興味津々に聞いていた。僕も父さんに教えてもらった通り、皮を剥いだり小さな木を切ったりした。それだけで名前がはしゃぐから、まるでとってもすごい人になったような気分になった。大好きな子に、手放しに褒められて、有頂天になっていたんだと思う。


だから、本当に愚かなことをしてしまった。僕は自分を死ぬほど責めた。


「父さん、もうちょっと外で遊んでもいい?」
仕事が終わって、家に帰るとなったとき、僕は名前の手を引いた。名前にすごいってもっと言われたくて、もっと一緒にいたくて、まだ家に帰りたくなかった。

「いいけど、あまり奥まで行ったらダメだぞ。いつも遊んでいるところまでだ。暗くなったら帰られなくなるからな。天気が悪くなったらすぐに帰ってくること!」
「分かったよ。名前、行こう!」

「どこ行くの?」と不思議そうにしている名前の手を握りながら、僕はこの先に秘密基地のような小さな祠があることを伝えた。この前兄さんと見つけたんだ。そう言うと、キラキラと目を光らせた。ああ、好きだなあ、その顔。名前の歩幅に合わせるから、いつもより時間はかかる。けれど僕はウキウキとしていた。秘密のところに連れていくのって、なんかすごい仲がいいみたいじゃないか。

山の天気が変わりやすいのに気がついたのは、少し経った頃。辺りに靄がかかり始めて、いつもより暗くなるのが少し早いと気がついた。これから天気が悪くなるのは、すぐに分かった。けれど、その場所にどうしても名前を連れて行きたい。そう思って悩んだ。「どうするの?」同じように山に住んでいる名前も、天気の変化には気づく。不安そうに聞いてくる姿を見て、僕はこう言った。「あとほんとに少しだから。行ったら、すぐに帰ろう!」

天気が一気に悪くなったのはあっという間のことだった。土砂降りの雨が降って、雷がゴロゴロと鳴った。びしょ濡れになりながら少し走って、ようやく、小さな祠に着く。僕は、とても焦っていた。どうしよう、どうしよう。こんな天気の中、帰れるわけがない。それに辺りもすぐに暗くなるだろう。鬼が出るかもしれない。その恐怖を感じながら、ぎゅうっと膝を丸めた。

「無一郎くん、どうしよう、どうしよう」

同じように名前も膝を丸めた。びしょ濡れになった体が、急激に体温を奪っていく。小さな祠の中、二人で寄り添って座る。雨が止む気配など、全くない。無言のまま時間が流れる。ごめんね、ごめんね。僕があの時帰らなかったからだ。そう言うと、名前はふるふると首を横に振った。「無一郎くんのせいじゃないよ」

「怖くないもん、大丈夫だよ。すぐに迎えに来てくれるよ。大丈夫、大丈夫」

本当は怖いくせに、泣くのをぎゅっと堪えて僕の手を握る。励ますように名前は僕に声をかけ続けた。小さなそれは、本当なら僕が守りたかったのに。こんなんじゃ、ダメじゃないか。自分自身がとても恥ずかしかったし、悔しかった。浮かれていたんだ。名前がすごいキラキラした顔でこっちを見てくるから、嬉しくて。この結果がこれだ。なんて馬鹿だ。

しばらくすると、父さんと名前のお父さんがひどく焦ったように僕たちを探しに来た。「馬鹿野郎!!!」すごい形相で、二人して過去一怒られた。二人でボロボロに泣いて、家に帰った。落ち着いた頃にもう一度謝ると、名前は「すごく綺麗な場所だったね! 次は晴れた時に行きたいなぁ」と笑った。それを聞いて、僕は何だか泣きたくなったのを覚えている。



強く思ったんだ。その時に。名前を僕が本当の意味で守れるようになりたい。無理をさせたくない。二度と、僕の前で涙を堪えて欲しくないって。





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