どこかで静かにめばえた 前編


初めて名前に会ったのは、僕が何歳のときだったけな。7歳頃? だったかな。もう随分昔のことだ。ある日、僕たちの家にある1組の夫婦がやって来た。「こんにちは時透さん!」明るい男の人の声だった。

「苗字さん! 今日も来てくれたのか、いらっしゃい」

父さんが家に招き入れる。母さんが布団が起き上がりお茶を入れようとするのを、兄さんが鋭い口調で咎めた。「母さん、無理すんなって!」「大丈夫よ、これくらい」

「お気になさらないでください。寝てらっしゃって構いませんから」
「すいませんおもてなしもままならなくて……」
「いいんですよ。それより時透さんから買った木材で作った木彫りがすごくよく売れたんです。木の質がいいんですかねぇ」
「おお、そうでしたか。苗字さんの手腕ですよ。けれど、それはよかったなあ。木を見る目はありますから。……あれ、その子は?」

父さんが、苗字、と呼ばれた夫婦の後ろに目を遣る。「娘です。家に置いてこれないから、連れてきたんですよ。……ほら名前、挨拶は?」

「こんにちは名前ちゃん。僕は、君のお父さんとお母さんに木を売ってるんだよ」
「…………」

兄さんと一緒に母さんの世話をしながら、僕はそちらを見た。二人の後ろに、小さな女の子がいる。名前と呼ばれたその子は、父さんの顔をちらりと見て、そのままさっと隠れてしまった。「あれれ」父さんが笑う。

「緊張しちゃってるのかな」
「ごめんなさい。……もう、ちゃんと挨拶をしなきゃダメでしょう」
「いいんですよ奥さん。僕の息子たちと同じくらいの歳かな? 仲良くできたらいいね」

「有一郎、無一郎。ちょっと来てくれないか?」父さんに言われてその子のそばに行く。僕は興味津々にその女の子を見ていたが、兄さんは少し不機嫌そうだった。多分、母さんに気を遣わせたこの夫婦にあまりいい印象がないのかもしれない。「名前、」名前と呼ばれた女の子のお父さんが、彼女と目線を合わせるようにしゃがむ。

「父さんと母さんな、時透さんとお仕事の話をしないといけないんだ。その間、有一郎くん、無一郎くんと一緒に遊んで待っててくれないかな?」
「……………うん」

たっぷりと間を置いて出た言葉は、すごく小さな声だった。ほとんど空気音だ。どんな声をしているか分からなかった。「偉いな」そう言って少女の頭を軽く撫でる。「名前をよろしくね」「二人とも任せたぞ」と3人は家の奥に入っていった。家の奥には採伐した木材がたくさん置いてある。僕が手伝ったものも中にはある。それを買ってくれるのかなあ、なんて呑気に考えていた。「無一郎、俺母さん看てるから」兄さんの言葉にハッとする。ため息をつきながら去ろうとする兄さんの腕をつかんだ。

「兄さん、父さんに頼まれたじゃないか!」
「めんどくさい。無一郎一人で十分だろ」

「兄さん!!」僕の手を振り払い、兄さんは部屋を出ていく。ええ、そんなあ………。残ったのは僕と、どうも警戒心むき出しにしている女の子。どうすればいいんだ。

「えっと………。僕は時透無一郎。よろしくね」
「…………」

唇をぎゅっと噛んで、下を向いている。顔が真っ赤になっている。人見知りなのか、恥ずかしいのか。小さくて、すごく可愛らしい女の子だと思った。

「えっと……もう一度聞いてもいいかな。名前は?」
「…………………名前」

すごく小さな声だったけれど、その子の声をようやくちゃんと聞けた。モジモジと顔を赤らめているけれど、少しずつ僕のほうを見てくれるようになった……気がする。

「名前ちゃんのお父さんとお母さん、何している人なの? 僕の父さんから木を買ってくれてるんだって?」
「………いろんなひとに、熊さんとか売ってるの」
「木彫りの熊とかかなぁ。商人さんなんだね。僕は父さんに着いてって木切るお手伝いしているよ」
「……あなたも木きるの?」

名前が僕の顔を見て首を傾げた。「うん」そう言うと、少し目が輝く。

「お父さんがね、時透さんの切る木はすごいって言ってたの。わたしも見たよ。すごい綺麗だった。だから、あなたもすごいんだね……!」
「ええ、そんなことないよ………」

なんだろう。これ。胸がこそばゆい。僕を見るその子は、とても真っ直ぐな瞳をしていた。「無一郎でいいよ」そう言うと、「むいちろうくん」と確認するように呼ばれる。家族にしか呼ばれたことがなかったから、なんだか、あったかいなあ。そう思った。その場に二人で向き合って正座をして、色々と話した。今思うと、随分と可笑しい光景だ。お見合いでもしているみたい。
色々と喋ってみて、驚いたことがあった。名前は僕たちよりも一つ年上らしい。でも、まるで妹ができたような気分だった。僕の方が文字書きとかができたから、「すごいすごい!」とキラキラした顔で見られた。名前はお父さんやお母さんに連れられて色んな杣人の家に行ったことがあったらしいが、みんな気難しいお爺さんとかで、楽しくなかったと悲しそうに言った。喋られなくて部屋の隅っこにいるしかできないから、本当は行きたくなかったと。だからか、僕と打ち解けるとすごく喋った。すごい内気な子だったけれど、「あのね、あのね」と一生懸命に話す。すごくすごく可愛くて、僕も名前と喋るのが楽しかった。

兄さんが様子を伺うように部屋を覗いていたのも知っていた。でも、今は僕がこの子と話をしたくて、知らないふりをした。話を終えたみんなが戻ってきて、僕ら二人の様子を見て驚いていた。「お友達ができてよかったねえ」そう言って笑ってくれた。最初は緊張ばっかりしていた僕も名前も、帰るときに、「また遊ぼうね」と笑った。これが、初めて名前と会った日のこと。





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