君だけに
「鬼は死に際には今際の呪いをかける者も多いんです。その効力は絶大で、それによって死に至る者も多い。今回の鬼は呪いに関して相当強力なものを使っていた。ただでさえ3年間以上呪いを維持できるのだから、今際の呪い自体は本当にあったんだと思います。鬼の妄言などではなく。けれど、名前さんは生きた。まさに"奇跡"と呼べることです。恐らくですけれど、時透くんのことをずっと感じていたのでしょう。ずっと傍にいてくれたあなたのことを、ちゃんと分かっていたんでしょうね。あなたがただひたすら、起きて欲しい、生きて欲しい、そう願っているのを心の奥で聞いていたんでしょう。全部分かっていて、全て心に積み重なっていって、やがて、起きたい、生きたいと彼女自身が強く思うようになった。その強い祈りが、今際の呪いにさえ勝ったんだと思いますよ」
胡蝶さんは、今回名前の身に起きたことを、このように推測した。普通だったらありえないこと。正しく奇跡と呼べること。鬼の呪いとも呼べる血鬼術に、生きたいと願う気持ちが勝った。「蝶屋敷にもぜひ連れてきてくださいね。調べたいことたくさんあるので」ニッコリ笑った胡蝶さんに僕は押し黙る。………お世話になったし、ありがたいのは本当だけど、連れていくのはもう少し経ってからがいいかな。
お屋敷では、炭治郎とその同期たちが相変わらず騒いでいる。
「おい! ことろことろやろうぜ!」
「ダメだって伊之助! ここは柱の屋敷なんだからね?!」
「大丈夫だよ、時透くんは多分怒らないよ」
「何言ってんの炭治郎?! 何ちょっとやりたそうにうずうずしてんの?! 騒いだら殺されるかもしれないじゃん!!! どう責任とるの?!?」
もう常に騒いでいるじゃん、うるさい。そんなことを言っている善逸も、禰豆子がことろことろをやりたそうにウズウズしているのを見た瞬間、「うん、やろう。早くやろう! 禰豆子ちゃあん、俺の肩に捕まってぇ!!」とデレデレしていた。はあ……。ため息をつきながらお屋敷の中に入っていくと、遊びを始めた炭治郎が顔をあげる。「おかえり! 時透くんもよかったら一緒にやらない?」「やらない…」
縁側には、みんなを見て笑っている名前がいた。最近では、短い時間ではあるけれど、布団から出て座ることもできるくらい回復してきた。僕が隣に座ると「おかえりなさい」と笑ってくれる。ああ、確かに奇跡だ。間違いなく僕もそう思う。
「みんなずっと楽しそうにしているんだよ。無一郎くんの周りは、いい人ばっかりいるね」
「そうかなあ、うるさいだけだと思うけど……」
「そんなこと言っちゃって。無一郎くんもなんだかんだ言っていつも楽しそうにしているの知ってるよ」
「……そんなことないよ」
「無一郎くんのことならなんでも分かりますから」
ちょっと得意げに、でも照れくさそうにそう言う名前。俺が、何に変えてでも守りたいと思った姿が、今目の前にある。
「………ありがとうね、無一郎くん」
「え?」
きょとんとして名前を見る。夕日に照らされた横顔が、妙に切なく感じ、胸に染み渡る。
「わたしのことずっと守ってくれていたって、炭治郎くんに教えてもらった。無一郎くんが、記憶をなくしてしまってからも、ずうっと守ってくれてたんだよって。わたし、多分ずっと辛かった気がする。だけど、それでも、生きたいって思えた。それは無一郎くんがいてくれたらだよ」
「……うん」
「だからわたしも、無一郎くんの記憶がないとき、傍にいたかったなぁって思ってすごい悔しかったの。偉そうに聞こえたらごめん、でも、本当にそう思って。無一郎くん、すぐ泣いちゃうと思っていたから」
「……いつの話? それ。それに、そんなことないよ。名前はずっといたじゃん」
「……違うよ。いさせてくれたのは、無一郎くんだよ」
「何にもできなかったわたしを、見捨てないでくれてありがとう……」眉尻を下げて笑う名前に、思わず顔が歪んでしまった。この子、きっと分かっていないんだ。俺が、君を手放すわけがないって。どれだけ君が大切で、仕方がないかって。苦しかった、泣きたかった、寂しかった、辛かった、悔しかった、絶望した、でも、それも全部、名前がいてくれたらどうでもいいんだよ。霞がかった世界の中で、常にそれらの感情を思い出させてくれた。自分がわからなくて、足元が崩れそうな毎日を過ごしていたけれど、崩れなかった。この両の足で、ちゃんと立てていなのだって、君のおかげなんだ。全部、全部、君だけなんだよ。「少し疲れてきたからお布団に戻るね」そう言った名前を、黙ったまま自分に寄りかからせた。その細い肩に手を回す。疲れたなら、俺に寄り添ってほしいと思う。どんなときも。
「む、無一郎くん…?」
「ねえ、なんで名前をずっと守ってきたのか、僕が同情でそんなことしたとでも思ってるの? 本当に?」
慌てた様子の名前に構っている暇はない。僕が、こんなに守りたかった理由。助けたかった理由。誰にも言わずに、ずっと傍にいた理由。名前にしっかり分かってもらいたかったから。
「えっと……幼なじみだから?」
「違うよ。いや、それも違わないけど」
「御館様という方に言われたから?」
「それも当たってるのは当たっているけど違う」
「……わかんない、無一郎くんがとんでもなく優しかったからとか…?」
「何それ、全然違うんだけど」
「ええ、じゃあ何…?」
ムッとした表情で名前を見る。ほら、やっぱり全然分かっていないんだ、この子は。まあ起きたばっかりだし。長い間眠っていたんだし。知らないのは当然だけど、でもやっぱり君には知っていて欲しい。
「好きだから」
黒目がちなその瞳に、僕の姿が映っている。まん丸くなったその目をじっと見つめる。言葉より、この方がきっと伝わると思うから。「え………え……」名前の動揺が、彼女の体を支えている腕からも伝わってくる。いや、動揺を通り越して、震えている。
「……嘘じゃないよね?」
ポロポロと、気がついたら名前は泣いていた。信じられないといった様子で僕を見る。なんでそんなことで嘘をつかなくちゃいけないのさ。当たり前じゃん。それなのに、名前は「夢みたい、信じられない」とずっと泣いている。逆に、こんなに分かりやすいのも珍しいと思うんだけど……。隠しているつもりなかったし。
空いているもう片方の手で、名前の髪を撫でた。「名前は?」そう聞くと、俺の隊服の襟元をぎゅっとその小さな手が掴んだ。「……わたしも」その言葉に、ほっとしたように笑ってしまった。
霞がかった世界の中でも、生きたいと思えた理由があった。そして、これからも生きたいと思う理由がある。それは、ずっと、変わらない。君だけだ。もう二度と、離さないから。